(番外編3)灰色猫と黒いカラス
名前はグレ。
灰色の毛並みと、ちょっと切れた左耳がトレードマークだ。
この辺りじゃ「宗方動物病院の番人」なんて呼ばれてる。
まあ番人ってほど立派なもんじゃねぇ。
ただ、ここに来る猫や犬、時々人間の“残り香”を見張ってるだけさ。
宗方先生は不思議な人だ。
動物の声が聞こえるらしい。
こっちが何かぼやくと、「わかったよ」と返すんだ。
最初は冗談だと思ったけど、あの人の目には、こっちの嘘が通じない。
だから、俺もつい本音で話しちまう。
クロと出会ったのは、去年の冬だった。
病院の裏庭の電柱の上。
黒光りする羽根に、ぎらぎらした目。
「カァカァ」と鳴いてたけど、こっちに向かって言ってたのは別の言葉だ。
『おい、灰色。ここは俺の縄張りだ』
ずいぶんと偉そうな口ぶりだ。
俺はしっぽを立てて言ってやった。
『ああ? ここは宗方病院の裏。俺の家だ。どけ、黒いやつ』
最初はそんなもんだ。
猫とカラスの間に友情なんてあるもんか。
俺たちは同じ“残飯漁りのプロ”だけど、立場が違う。
猫は地上、カラスは空。
どっちも自分の世界を信じてる。
その冬は厳しかった。
雪が降って、餌も少なくて、犬どもは室内でぬくぬく。
俺は腹をすかせて病院の裏口でうずくまってた。
そこへ、ひゅっと影が落ちた。
クロだ。
嘴には、パンの耳。
『食うか?』
『……毒でも入ってんのか』
『馬鹿言え。そんな贅沢なもん入れられるかよ』
笑ってるのか、鳴いてるのか分からん声だった。
でも、腹が鳴ってるのは本当だったから、もらった。
冷たくて硬かったけど、涙が出るほど旨かった。
それが、始まりだった。
クロは変な奴だ。
カラスのくせに、群れを嫌う。
「俺は一羽狼だ」なんて得意げに言ってたが、要するに喧嘩っぱやくて仲間に嫌われたらしい。
『お前、人間に懐いてるだろ』
ある日、クロが言った。
『あの白衣の女。いつもお前の頭撫でてる』
『宗方先生のことか。あの人は悪くない』
『悪くなくても、怖くねぇのか? 人間ってやつ』
『怖いさ。でも、信用はしてる』
クロは首をかしげた。
その黒い瞳に、俺が映ってた。
『お前、変な猫だな。俺たちは人間の“残り”で生きてる。──けどお前は、人間の“心”で生きてる気がする』
『何だそりゃ』
『わかんねぇ。俺もそんな言葉、どこで覚えたんだか』
クロはよく言葉を拾ってくる。
公園のベンチで人間が話すのを聞いて、真似する。
“給料日”“残業”“リストラ”
意味も分からず口にするのがおかしくて、よく一緒に笑った。
夜、病院の屋根に並んで月を見た。
風が冷たくて、猫には少し堪えるけど、クロは平気そうだった。
『お前、空を飛べるってどんな気分だ?』
『んー……飛ぶってのは、落ちるのを先延ばしにしてるだけさ』
『かっこつけやがって』
『お前もいつかわかるよ。落ちる時にしか見えない景色ってのがある』
その時は笑い飛ばした。
でも今思えば、あいつはもう、落ちる準備をしてたのかもしれない。
春が来て、街に新しいゴミ置き場ができた。
クロの仲間たちはそこに集まって、祭りみたいに騒いでた。
でもクロは近づかなかった。
『くだらねぇ。人間のゴミで宴会か。どいつもこいつも腐ってる』
『お前だって食ってるだろ』
『俺は“選んで”食ってる』
そう言って、あいつは俺がもらった煮干しをついばむ。
笑った。
プライドがあるのか、ないのか、わからんやつだった。
ある日の夜、病院の外で火事があった。
民家のゴミ箱から出火して、煙が一帯を覆った。
クロの鳴き声が聞こえたのは、その時だ。
『グレ! やばい、雛が!』
クロには、ヒナがいた。
血がつながってるかどうかは知らない。
でも、電柱の穴の中で育ててた。
たまに覗くと、小さな嘴が震えてた。
煙の向こうで、黒い影が炎の中から落ちた。それは、力を使い果たしたクロだった。
焦げた羽はもう、二度と空を掴めそうになかった。それでも、ヒナをくわえて出てきた。
『早く逃げろ!』
でも、あいつの羽はもうボロボロだった。
地面に落ちたまま、立ち上がれない。
『クロ!』
俺は駆け寄った。
あいつの目が、かすかに笑ってた。
『なあ、グレ……落ちるのも、悪くねぇな』
それが最後だった。
クロのヒナは宗方先生が保護した。
今は動物病院の裏で、鳥籠の中にいる。
黒い羽が少しずつ伸びてきた。
先生は俺に言った。
「グレ、君の友達のおかげで、この子は助かったね」
友達。
その言葉が、胸の奥でちくっとした。
『あいつはそんな柄じゃねぇよ』
と言いかけたけど、やめた。
クロはたぶん、笑ってる。
どこか、空の高いところで。
夜、病院の屋根に登って空を見上げる。
風が強い。
雲が流れて、月が顔を出した。
『おい、クロ。お前のガキ、飛ぶ練習してるぞ。空、ちゃんと見てるか?』
風がひゅうと鳴いた。
まるで、あいつの声みたいだった。
『飛ぶってのは、落ちるのを先延ばしにしてるだけ』──
あの言葉が、耳の奥で響く。
落ちたっていい。
その途中で、誰かを救えたなら。
クロは、そういうやつだった。
病院の灯りが消え、世界が静かになる。
遠くで救急車のサイレンが鳴る。
夜風に乗って、パンの匂いが流れてくる。
腹が鳴った。
あいつがくれたパンの耳を思い出す。
硬くて、冷たくて、でも旨かった。
あれが、俺たちの最初で最後の晩餐だったんだな。
俺は屋根の上で目を細めた。
月がぼやけて見える。
涙なのか、風のせいか、わからん。
『クロ、お前の空、今も続いてるか? だったら、俺ももう少しだけこの地面でやってくよ』
風がふっと止んだ。
夜が一瞬、静止したみたいだった。
次の瞬間、どこか遠くでカァ、と鳴いた声がした。
あいつの声に、間違いなかった。
俺は尻尾を立てて、夜空に向かって一言返した。
『了解だ、兄弟』




