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心声を聴く獣医 宗方つむぎのカルテ  作者: 真野真名


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12/35

カルテ10、ピンクのニワトリと親分



 

「先生、またお世話になります」


 午後三時、診察室のドアが開いて、見覚えのある大きな影が差した。

 黒いパーカー、腕にはうっすら刺青。

 そして肩の上には──ピンクがかった羽をした一羽のニワトリ。


「こんにちは、ピン子ちゃん。今日も元気そうね」

『ぴー! 先生、会いたかった!』


 そう、彼女は“ピン子”。

 かつて祭りの景品として捨てられていたピンクのひよこ。

 そして彼女を拾ったのが、元ヤクザの若頭・新堂誠しんどうまことさんだった。


 数ヶ月前、彼は組を抜けて、小さな動物カフェを始めた。

 “ピン子といっしょ”という、少し笑ってしまうような名前の店だ。

 今日は、そのピン子ちゃんの定期健診。


「どう? カフェのほうは」

「ぼちぼちですね。常連も増えてきて。ピン子が子どもらに人気で、“アイドル店長”ですよ」


『ぴー! アイドル! でもカツ丼のにおいは苦手!』


 わたしが吹き出すと、新堂さんが苦笑した。


 診察台の上で、ピン子は堂々と胸を張っていた。

 体重も問題なし、羽もつやつや。

 けれど――少し、気になることがあった。


「ピン子ちゃん、右足の爪が割れてるね」

「え。いつの間に……」


「歩きすぎかな。最近、外に出ること増えた?」


『うん。おっきい人のとこ、行ったの』


「おっきい人?」

 わたしが聞き返すと、新堂さんが少し言いにくそうに頭をかいた。

「……実は。親分が、会いたいって言うんですよ。ピン子に」


「親分、って……あなたの?」

「はい。俺が抜けた組の、上の人です。“あの時のひよこはどうしてる?”って話になって、気になるらしくて」


 ──なるほど。

 ヤクザの親分とニワトリ。どう考えても相性が悪そうだ。


「断らなかったの?」

「断れねぇよ。でも、思ってたより優しい人で。“動物を大事にできる男は裏切らねぇ”って言ってました」


 意外だった。

 怖い世界にも、そんなことわりがあるのかもしれない。


『その人ね、最初は顔こわかったけど、やさしかったよ。ピン子の頭なでて、“昔、犬飼ってた”って言ってた』


 ──犬。

 わたしの胸の奥に、ふっとあたたかい風が吹いた。

 人と動物は、どんな世界にいても、心をやわらげる力を持っている。



 三日後。

 新堂さんから電話があった。


「先生、すんません、ピン子が……」

 背後で人のざわめきが聞こえる。声が少し震えていた。


「今、親分の家です。ピン子、急に動かなくなって……!」


「わかりました。すぐ行きます」


 わたしはバッグを抱えて車に飛び乗った。

 向かったのは、郊外にある古い屋敷。

 門の前には黒塗りの車が並び、スーツ姿の男たちが無言で立っている。

 でも、皆の視線は一つの方向――庭の中央に釘づけだった。


 そこに、新堂さんと白髪混じりの老紳士がいた。

 そして、その腕の中で、ピン子がぐったりしていた。


「ピン子!」

 抱き上げると、体が熱い。

 呼吸が浅く、羽の間に炎症がある。

「高熱……感染症の可能性があります。すぐに治療を」


「頼みます、先生……!」


 彼の目は真っ赤に腫れていた。

 親分と呼ばれた男も、無言で深く頭を下げる。


『せんせい……おっきい人、ないてる。どうして?』

「大丈夫。今すぐ楽にしてあげるからね」


 わたしは注射を打ち、冷却パッドを当てる。

 数分の沈黙。

 庭の空気が、息を潜めていた。


 やがて、ピン子が小さく鳴いた。

「ぴ……」


 その声を聞いた瞬間、みんなが息をついた。


「……助かるのか?」と、親分が問う。

「熱は下がりきってませんが、峠は越えました。ここから数日は安静に」


 老紳士の目が細まり、ふっと笑った。

「さすが先生だな。──ピン子、お前、がんばったな」


 その手が、まるで孫を撫でるようにやさしかった。



 治療を終え、わたしは親分の部屋に通された。

 新堂さんとピン子は別室で休ませている。

 目の前の親分──黒い着物に、鋭い眼光。

 だが、どこか静かな威厳を感じた。


「先生。あんた、宗方動物病院の娘さんか」

「はい。父をご存じで?」


「あぁ。昔、うちの連れの犬が世話になった。“命を直すより、想いをつなぐのが獣医だ”──あの人の言葉、今も忘れとらん」


 ……父の言葉。

 やっぱり、どこかで繋がっている。


「新堂も、あんたに会って変わった。“怖い時間を減らす”なんて言葉、あいつの口から出るとは思わなかった」


「ピン子ちゃんのおかげですよ」

「そうだな。……あの小さな鳥一羽が、人間を変えるとは」


 親分は窓の外を見ながら、静かに続けた。

「俺もな、最近は、夜になるとピン子の声が聞こえるんだ。“ピーピー、もう怒らないで”って」


 わたしは微笑んだ。

「それ、ほんとに聞こえてると思います」

「そうか……なら、俺もまだ捨てたもんじゃねぇな」



 数日後、ピン子は完全に回復した。

 再診の日、新堂さんは親分を連れて病院に来た。


「先生、その節はありがとうございました」

 親分は深く頭を下げた。

 背中にはまだ“親分”の風格があったが、その目は穏やかだった。


『おっきい人、きょうはこわくない顔!』


 診察台の上で、ピン子が胸を張る。


「ピン子ちゃん、すっかり元気ですね。食欲もあるし」


『おなかすいた! でも焼き鳥はイヤ!』

 ピン子が胸を張って鳴く。


 わたしは思わず吹き出した。


 親分は怪訝そうな顔をしながら、そっと懐から小さな封筒を出した。

「先生、これを。ピン子の医療費と……それから、保護した動物たちの支援に使ってくれ」


「そんな、大丈夫ですよ」

「いいんだ。ピン子を見てると、命の借りは返したくなる」


 その言葉に、わたしは頭を下げた。

「ありがとうございます。きっと動物たちも喜びます」


『おっきい人、いい人になったね!』


 ピン子の羽がふわりと光を受ける。

 その色は、やわらかい桃色。

 まるで、人の心の奥に灯った希望の色のようだった。


 夕方。

 帰り際、親分がふと立ち止まり、言った。


「先生。……新堂のこと、頼む」

「え?」


「あいつ、まだ過去の尻尾を引きずっとる。けど、ピン子とあんたの存在が、あいつの道を変えた。俺ももう、争い事から足を洗う。──ピン子を見てると、そんな気になるんだ」


 その背中が、夕日を受けて金色に染まっていた。

 まるで、世界が少しやわらかくなったように感じた。



 夜、カルテを整理しながら、わたしはつぶやいた。

「ピン子ちゃん、あなたってほんとに不思議な子ね」


──『だって、みんな怒ってる顔やだもん。ピン子、みんな笑ってほしい』


「うん。きっと、あなたの願いは届いてるよ」


 宗方動物病院の看板の下。

 夜風がそよぎ、外の街灯が淡くにじむ。


 どこか遠くで、あの親分の低い笑い声と、ピン子の「ぴー!」という声が重なった気がした。


 ──命は、小さくても、世界を変える力を持っている。

 怒りをやさしさに変え、怖い時間をあたたかい色に染める。


 ピンクのひよこは、今日も誰かの心に羽ばたいている。




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