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ボルウェイの雫  作者: 風間 淡然
三章 戦端
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五節

 自らを取り巻く男達の雰囲気が、熟練の職工によって墨引きされ、磨き上げられた石を、過たず積み上げて完成した城壁のように強固に一致したさまを肌で感じながら、フォルスは彼我の軍営について口を開く。冷静な語りは、建築家が測量した数値を述べるに似ていた。


「じゃあ、さっき話しかけたことに話を戻すぞ。ザルディンとアルセニアの軍隊は、確かに同じ軍隊と呼ばれる組織された兵士の集まりだが、その内実、構成の質が全く違うのさ。

 まず、我らアルセニア軍についてから云おう。我々二〇〇〇〇は、その殆どが国軍の兵士として訓練を受けた集団だ。貴族達の私兵はほぼ混ざっていない。ヴォルト殿の部隊にしろ、我々にしろ、全て名目上は国軍の兵だ。お前達、黒狼団と呼ばれる一団も例外ではない。私の私兵というよりは、直属の部下という形になっているからな。

 そしてザルディンだが、ザルディンは国軍正規兵と貴族諸侯の私兵の混成部隊となっているのだよ。国軍正規兵というのも、いわば皇帝の私兵といえるのだがね。内偵からの情報から推察するに、正規兵が一五〇〇〇、貴族兵が三五〇〇〇というところだ。その三五〇〇〇のうち、ガーウィンの兵が七〇〇〇、ザルツァ翁の兵が八〇〇〇。残り二〇〇〇〇はヘンツェ、シュタムラー、ベッシュ、マイヤー、ネッケ、イーリー、ヴィンクラーといった諸侯の軍だな。この諸侯というものが曲者でね――そう云いながら、フォルスは冷徹な笑みを漏らし――必ずしも連中は一枚岩とはいえない状態なのさ。とはいっても、ガーウィンの布陣もなかなか強かなんだがな」


 主の話を聞きながら、レイは驚きと興奮の熱に浮かされた。どのようにして、ここまでの情報を手に入れたのだろうか。日頃から『戦は槍を交える前に始まり、終わっているんだ。入念な調査と準備はそれくらい大切なんだぞ』と云っている主の言葉の意味の一端を若者は知った。しかしその後に続く言葉に、彼は戦慄さえ抱く。


「諸侯各人についてだが、先ずはジークベルト・ヘンツェ。こいつの兵は約五〇〇〇。諸侯軍で最大の動員数を誇るが、獅子身中の虫ともいうべき男で、ガーウィンの監視役ともいえる。貴族議会と神聖教団という二つの勢力と繋がりが深く、そっち方面からの牽制だと私はみている。今回の戦いに二〇〇〇人程度の性質の悪い傭兵団を連れてきている。

 次ぎに兵数が多いのは、アンゼルム・シュタムラー。こいつは確か四〇〇〇くらいだ。この男もガーウィンを快く思っていない連中の仲間だ。領民からの評判は悪い。今回は恩を売っておこうとでも思ったのかね。略奪などが目的かも知れない。そういう男だ。

 次ぎがアーダルベルト・ベッシュ。こいつは約三〇〇〇。ザルツァ翁と懇意にしている人物だ。『城陥としベッシュ』という通り名で云ったほうが早いか。私よりもヘクターのほうが、彼の情報は詳しいだろうな――そういってフォルスが横目でヘクターを見遣ると、ヘクターは悪童が悪戯をするときの笑顔で返す――。

 次ぎがアブラハム・マイヤー。二五〇〇くらいだ。彼はガーウィン派の貴族で、信奉者といったところだ。表向きは、な。悪智恵ならば、私と良い勝負かもしれない。油断のならない男だ――レイがおもわず『おぉ』と声を出す。それを上目遣いで見つめるフォルスの目は『覚えていろよ』という風でもあった ――。

 エルンスト・ネッケ、リヒャルト・イーリー、ホラント・ヴィンクラーはそれぞれ二〇〇〇程度だ。ネッケとイーリーは貴族議会の回し者だろうな。二人共歴戦の勇士で、良くも悪くも現実的な戦をする。彼らが何か議会から命じられていたとして、その任はなんとしても果たそうとするだろう。武人としては、ガーウィンに好感を持っているようだ。ヴィンクラーは、皇帝の落胤だという噂がある。こいつは純粋にガーウィンの信奉者で、参戦を承認させてくれなければ梃子でも動かぬと、皇城の大門前で座り込んだという、なかなか面白い男だ。個人的には、一番殺すのが惜しいんだがね。諸侯の中で一番若く、レイよりも歳下だ。

 ガーウィンは彼ら諸侯の私兵と正規兵を巧妙に織り交ぜ、要所要所に息の掛かった将官を配置し、見事な戦陣を構築している。諸侯間の政治的関係なども考慮に入れている点などは芸術と見紛うくらいだ。それを知ったときは、結構萎えたもんだよ」


「あのさ。あんた、いっつもそんなこと調べ上げてんのか?」


「ん? ああ。いっつもそんなこと調べ上げているぞ。本当に予測のつかない戦いの時は調べようがないがね。まぁ、今までそんなことは一度もなかったが。お前に一々話したところで、どうせすぐ忘れるだろうし、レイにはちょっと早いと思って今まで云わなかっただけだ。だが、今回からはレイに色々知ってもらおうと思ってな。まだ理解や把握はできなくてもいい。ただ、将たるものはこの程度のことをして当然ということを知っておいてくれ。たとえ一兵卒の命でも、それらは駒やどうでもいいものではない。無駄な命など、地上のどこにも存在しない。戦では確かに、人の命を数字として扱わねばならぬときがある。だがそれは、本来あってはならぬことだ。戦も、本来やってはならぬことだ。罪深いことだ。しかし、その罪に踏み入れねばならぬときがある。そのときには事態をより”マシな方向”へ導く必要がある。その判断のためには情報が必要となる。命を預かり、悪意や故意ではなくても、行いとしては命を弄ぶ者の、最低限の義務だと私は思っている」


 感心というよりも、呆れてものも云えないふうのヘクターの問い掛けに、フォルスは平然と答える。「やれやれ」と降参の意思表示をするヘクターは、既に軍装を終えていた。このとき「罪深い行い」という言葉の爪が、レイの心臓を引っ掻いた。その言葉は若者の”人間”に対し、幼子が大人を困らせ、怯懦と善意からくる嘘をつくときの、あの疑問を浴びせかける。若者の内なる人間は、その声に対し、答える言葉を持ち合わせていなかった。師は持っているのだろうか、その答えを。きっと持っているだろう。だがそれは、聞いてはならぬことだと感じた。その答えは、若者が自らの人生を歩く足で導き出せねばならぬことであると、内なる己が語り掛ける。それらの思いは靄が掛かった周囲の風景に溶け込み、やがて彼は戦場の喧噪の中で、人間の核を形成する磨き石となる疑問を忘れることとなる。しかしそう遠くない未来、眠った疑問はまた目を覚ますだろう。

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