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ボルウェイの雫  作者: 風間 淡然
三章 戦端
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四節

「さて。じゃあそろそろ本題に入るか」


 そう云ってフォルスは身を前に乗り出し、姿勢を正した。その瞬間、弛緩した場の空気が一気に引き締まる。この場を支配する者が誰であるか、それは一目瞭然だった。レイの顔から笑みが消え、ヘクターすら口を引き結び、フォルスを注視する。部下達の反応に満足したのか、フォルスはヘクターに向けて手を振り、軍装を整えるよう合図する。それが合図だという証拠に、ヘクターは浅く頷き、甲冑を収納している櫃に向かい、軍装を整える。


 ヘクターの動きを横目でちらりと眺めたあと、フォルスはレイに向き直る。レイは畏敬する主の口から、どんな魔法の言葉が出るのか、期待を飲み込むように唾を飲み込んだ。


「まず、戦力の比較だ。知っての通り、相手さん五〇〇〇〇、こっち二〇〇〇〇。二倍半の戦力差だ。びびってるか? まぁ、んなこたぁ私の知ったことじゃないがね。私達の仕事は勝つことだ。それは五〇〇〇〇人のザルディン兵を、アルセニア王国領から排除することにある。ではどうすればいいか。その前に、知っておかなければならないことがある。そしてそれを知れば、必然的にどう動けばいいかの道筋も見えてくる。敵が強ければ強いなりに、弱ければ弱いなりに戦い方というものがある。こういう話をするのもな、もし私が斃れたらレイ、君が二〇〇〇〇人を率いるためだ。そしてその二〇〇〇〇人の後ろには、アルセニア人五〇万の命運がかかっている。ヘクターはダメだ。こいつは前線で戦陣を切り開く仕事が最も適している。その仕事であれば、一〇〇〇の軍勢を率いて一〇万の軍勢とも渡り合える。だが、全軍の指揮官となれば五〇〇〇人を率いるのが限界だろう。そしてもし、ヘクターとレイが同数を率いて戦うならば、レイが勝つだろうよ」


「いや、いくらなんでも僕がヘクターさんに勝てるとは……」


「いいや、レイ。大将のいうとおりだぜ。俺は後ろを気にせず、後ろの道を開くために戦うんなら大将がいうとおり、一〇万ともやりあえる自信がある。だが、後ろで全体を見渡しながらっていうのは無理だ。やる気が先ず起きねぇし、やったとしても集中力が続かねぇよ。得物振り回せねぇ戦場なんて、俺にゃありえねぇからな」


 「あっ」という短い声を出したあと、レイは納得した。優劣ではないのだ。質の違いなのだと理解したのである。それは動かぬ確信というよりは、一時の閃きであったが、レイにとってはそれで十分だった。若者は拳を握りしめ、頬を紅潮させながら師の声に身体を傾ける。


「レイ。君はまだ実感が伴っていないようだから云っておく。君は良い資質を持っている。それは人としての素直さ、従順さ、誠実さであり、勤勉さ、思いやる心だ。良くないところも当然ある。それは知識、決断力、意志、思想の不足だ。いま不足しているものは、時間と共に成長できるものだ。何かの切欠で著しく目覚めることもあるだろう。君はそれらを十分開花させることができる資質に恵まれている。いわば、磨けば光る珠なんだよ。だが、同時に傷つきやすく壊れやすくもある。ちょっと手柄を立てたから、周りから褒められたから、物事が思い通りになったからといって、調子に乗り、傲慢にならないことだ。これを守りきるならば、たとえ道を踏み外すことがあっても、目指す先へ向けて踏みとどまることができる。そして諦めず歩み続けるならば、君は私を超える。断言しよう」


 レイは思わず、唾を呑み込んだ。本当に師のようになれるのだろうか、手の届かない、高い場所にて優雅に寝そべる師に、倍以上の軍勢を相手に臆することなく不敗の策を生み出す師に、ヘクターのような豪傑が命を預けるほど惚れ込む師に、自分にとって父のような存在の師に、いつかなれるのだろうか。なれるとしたらどんなだろう。その高みには、どんな景色が広がるのだろう。地を這ういまの自分が、大空を舞う鷲のようになれたら、どんなだろう。その世界は、どんな色なんだろう……若者は、止めどなく意識を広げていった。


「だから、よく聴くんだ。よく学べ。よく考えろ。一杯失敗しろ。だが、なんとしても生き延びろ。親を殺してでも、生き延びろ。そうしてでも生きたいと願う理想を持て。そしてそれを見つけたなら、決して手を離すな」


 この言葉にはヘクターさえも魅入らされた。フォルスという男の強さ、優しさ、人間の核は、この覚悟にあるのだ。レイにはその言葉の重みがまだわからない。いまは魅惑的な音でしかないだろう。しかしヘクターにとってその言葉は、生きた人間の血が通った、命そのもの、心臓そのものであるかのように感じた。あいつは生きるためなら俺でも殺すだろう。目的のためなら躊躇しないだろう。しかしそこに私利私欲はなく、ただ理想、思想のためにあの男はやるだろう。いや、その理想、思想こそがあの男の業、最も深く暗く、最も高く明るい私利私欲かもしれない。そしてその私利私欲に賭けることこそ、あの男が描く未来を見るために血路を開くことこそが、俺の私利私欲なのだ。


「ま、そんな理想は向こうから離してくんねぇかも知れないがね。だが、人間は裏切るもんだが、理想は裏切らないんだ。理想に裏切られたと唾吐くとき、それはそいつのほうが理想を裏切ってんのさ」


「ですがフォルス様! 僕はあなたを信じています! あなたの命とあらば、どんなことでもします!」


「俺はどうだかな。借りのあるうちは大将の味方だ。それは間違いねぇ」


「ふふ、二人ともありがとな。だが私は、お前達になら裏切られてもいいと思っている。それはつまり、裏切ることがあると思っているということだ。信用しているとは言い切れないよ。だがな、嘘はつきたくない。たとえ嘘で円滑にいくとしてもだ。……それにお前達のこと、気に入ってるからな。それで私には十分なのさ。命を賭けるだけの理由になるのだよ」


「あんた、ほんっと馬鹿だよな。最高の馬鹿だ」


 半ば呆れながら、友に語りかけるヘクターの横で、もう何も言葉にできず、鼻を啜るレイ。陣内の兵達も自らが仕える将の言葉に胸をつまらせる。比較的自由で、軍規が緩いと非難されることもあるフォルスの軍は、であるにも関わらず強かった。その秘密は士気の高さにあり、士気の高さは将であるフォルスの人格によるものが大きかった。本人はなかなか気付けなかったが、彼は多くの者に愛されていた。

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