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ボルウェイの雫  作者: 風間 淡然
二章 出陣
2/25

一節

 出陣の日の朝。髑髏を模した黒い兜を脇に抱え、漆黒の胸甲と肩当て、篭手、脛当てで身を覆い、鉄糸で編み上げた外套を纏ったフォルスが、エリスたち使用人に送られて居館から出てきた。脇には滑らかな毛並みの黒馬が主を背に乗せるときを待っている。


「フォルス様、御武運を」


「ん。留守は任せた」


「はい。かしこまりました」


 簡潔な出陣の挨拶を交わすと、男は愛馬に跨った。そして後ろを振り向くこと無く、ゆっくりと常歩で敷地の外に出る。女はその姿を瞬きを忘れ見つめる。


 街路に出たフォルスを下馬した二人の騎士が出迎える。一人は無精ひげを生やした、いかにも武人然とした天を突く短髪の筋骨逞しい巨漢である。全身の創傷痕が肉食獣の毛皮模様を思わせる精悍な肉体の上に、黒色の鉄片鎧を着込んでおり、黒狼の頭を象った兜を鐙からぶら提げている。右手には常人の腕ほどの太さがある鉄槍を持ち、左腰には幅広の長剣を帯びている。眼光鋭く、暴力を内に宿したその風貌は、猛獣さえも怯むような威圧感を与える。もう一人はまだ少年の面影を残した顔立ちの、平均的身長をした痩身の若者だが、その茶色の瞳には意志の強さが溢れ知性の光が灯っている。清潔な印象を与える流れるような金髪を小綺麗に纏めている。左右の腰に意匠の同じ長剣を帯び、質素ではあるが、よく手入れの行き届いた黒い鉄環鎧に篭手、脛当てを纏い、風紋を想起させる上品な彫りのある黒兜を抱えている。微かに笑みをたたえた口元が若者の柔和な人となりを現す。


「よう。ヘクター、レイ。お揃いで出迎えとは殊勝なことだな」


「はん。大将が寝坊していないか心配でよ。さすがに今日は洒落にならねぇぜ。なぁ? レイよ」


「おはようございます、フォルス様。お迎えにあがりました。ヘクターさん、僕はそのようなこと思って……いません、から」


「おいおいおいおい、てめぇ、朝一番に俺を叩き起こした癖に、よくそんなこと云いやがるな! しかも何で目を逸らしてんだよ! わかりやすすぎだろ!」


「レイ。あとでゆっくり話を聞こうか」


 乗馬した二人の背後には形は様々だが、全員が黒い軍装に統一された男女の騎兵達が控えている。先頭の者が持つ旗には黒い狼と槍の紋章が描かれていた。彼等は黒狼団と名乗る、アルセニア軍のみならず大陸でも最精鋭と謳われた戦闘部隊の隊員である。元は勇名を馳せる傭兵団であったのだが、団長のヘクターがフォルスに帰順した際、傭兵団ごとフォルスの配下となった経緯がある。ヘクターはアルセニア最強の男と呼ばれ、大陸にも鳴り響く武名によって敵味方から恐れられている存在でもある。


 ヘクターは戦場での働きは凄まじいが粗暴な性格が災いして問題が絶えず、彼曰く「お行儀の良い連中」から厄介者扱いを受けていた。数年前、とあるアルセニアの有力貴族から逆恨みされ、敵に包囲されそのまま謀殺されそうになったことがある。その危機に際し、剛胆且つ機転の利いた対応により、顔見知りに過ぎなかったヘクターと黒狼団の救出を成し遂げたのがフォルスであった。以来、ヘクターと共に救われた黒狼団はフォルスの傍で常に武威を振るうこととなる。最初は仕事と恩義を返すためであったが、フォルスの飾らない人格の気楽さと、その的確な用兵は、彼らの能力を存分に振るえる場であることを認めることになる。そのような事情から、いつの間にかヘクターにとってフォルスの陣営が最も居心地のよい場所となっており、気がつけば互いに深く信頼し合える友となっていた。黒狼団の面々も同様である。


 レイと呼ばれた青年はフォルスの側近であり、黒狼団の副団長でもある。主に隊の物資の調達と管理、人事、フォルスの護衛などを務める。戦争孤児であったが戦場でフォルスに助けられ、そのまま育てられた。戦功により従卒から騎士にまで出世したこの若者は主に絶対の忠誠を誓っている。人生の師であり、軍略の師としてのフォルスに畏敬の念さえ抱いている。それでいて、護衛も連れずに町中に出るようなフォルスの軽率さを叱るのも彼の日課であった。尚、ヘクターは青年にとって武術の師であり、悪い遊びの師でもある。悪い遊びのほうは酔ったヘクターに強引に付き合わされ、いつも逃げるのに必死なのではあるが。剣の腕は「もっと体格良ければ大化けするぜ」とヘクターがフォルスに語るほどである。元々黒狼団の団員ではなかったものの、副団長に抜擢されたのはフォルスとヘクターの推薦と、団員との仕合によって認められた経緯を持つ。


「それにしてもヘクター。素行の悪すぎるお前に寝坊の心配をされるとは心外だな。というかむしろ不愉快だ!」


「へっ! 目を離すといつも居眠りしてるくせに、よく言うぜ全くよ!」


「あれは仕事だ!」


「どんな仕事だよ! んなもん聞いたこともねぇ!」


「なんだとぅ! やんのかこらぁ!」


「上等じゃねぇか!」


 冗談とも本気とも取れない、しかし二人の何時ものやりとりを見て、一同が笑い出す。示し合わせたかのように「けっ!」と言ってそっぽを向くフォルスとヘクター。「まぁまぁまぁまぁまぁ」と、それを笑顔でなだめるレイ。非日常へと向かいつつも、目の前に繰り広げられる日常の風景に、出陣前の重い空気は幾分か軽くなったように感じられた。

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