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ボルウェイの雫  作者: 風間 淡然
四章 先陣
18/25

二節

 右手を顎に当てたまま黒狼団の背を見守るフォルスの傍らで、レイは黙考する。日頃は争い事を避ける主が、戦場に立つと何故こうも嬉々として軍鞭を振るうのか。もしかしたら一部の者達が恐れ嘲るように、主は狡猾なる殺戮者なのか。自分は主の一面を知るに過ぎぬのではないか。


「レイ。嫌なものだな。陳腐な悲劇のようだ。争いを解決するために、争いに飛び込む。大切な者達を守るために、大切な者達の血を流させる。そうとわかっていながら、私は此処にこうして立ち、彼らを冥府へ誘う罪へとそそのかすのだ。そんな己を嫌悪しながらも、僅かばかりの才を振るうことに歓喜するのだ。罪と知りながらも人を殺め、殺めさせ、神に赦しを乞う。神に赦しを乞いながらも、血塗られた道を歩むことを止められないのだ。坊主共は生前の悪行が死後の地獄へと繋がると脅し掛けるが、私はこれ以上の地獄を知らない。あるものかと思う。君はそれでも、この道を歩みたいと思うか。友の屍肉を喰らい、生き続ける、この道を」


 フォルスの漏らした言葉にレイは目を見開いた。常に目的への意識を持つよう諭し、歩むべき道筋を指差し、豊富な知識を授けてくれる存在の、兄のようであり、父のようである唯一の存在の、見せてはいけないであろう一面に。フォルスはレイを見ることなく、正面を見据えたまま微動だにしない。返す言葉の見つからない若者は、主の姿から人間とは矛盾する生き物だという、いつか主から聞いたような言葉を思い出していた。


「君は、神を感じたことはあるか」


「……わかりません。子供の頃はよく祈っていました。意味もわからないまま、両親に教えられるまま、なにか温かい存在があるような気がして、でもそれを無条件に信じて、祈っていたように思います。でも両親が殺されたとき、僕のなかで神も殺された気がします。『やっぱり神様なんていないんだ』という楔が打ち込まれて、そのまま引き裂かれていったように思います」


「そうか……。でもそれは私の質問の答えとは違うよ――そう呟きフォルスは笑った――でも君を知ることにはなったな。話してくれてありがとう。恐らく、神という存在は求めない限り姿を現すことがないのではないだろうか。そして人が神を求めるとき、その生命、その魂を支払うことさえ厭わずに求めるときとは、どういうときか。果たしてそれを出来ることが、よいことなのか。人をそう突き動かすもの、それは本当は知らないほうがよいもの、知ってはならないものではないのか。だとすると、人は神を感じないほうが幸福だともいえる。しかしその幸福の天板を外した先に、真実の幸福があるのではないだろうか」


 レイを振り返ることなく、正面を見据え、その先を見据えるかのような視線を突き刺したまま、フォルスは降り始めの雨粒が、やがて水の線を描いていくように語る。いまこうして語る主の言葉自体が、聞いてはならないもののような気がして、レイは地に視線を落とす。そしてやや躊躇いながら、また視線を主に戻した。主は未だ前方を見据えたまま、蹄が大地を叩く様に包まれているかのようだ。


「フォルス様は、神を感じたのですか?」


 口から言葉が漏れ出た。答えを本当に求めているのか、何かを知りたいのか、考える間もなく、歯茎の間から言葉は外に逃げた。


「あぁ。坊主共の見せる、アレとは違うものだがな。そもそも私は、あんなものを求めていないんだ」


「僕には違いがわかりません。祭司達の、教会の教える神と、どう違うんです?」


「ん、違わないのかな。でも矢張り違うな。少なくとも目的が違う――そう漏らし、右手を天にかざす――奪い奪われ、与え与えられ、憎み憎まれ、愛し愛される。この命こそが神の言語だ。ときに醜く、だからこそ美しい。そして耳に、胸に痛く突き刺さる。神を求めることが信仰であるならば、それは安易な快楽などでは決してないのだ。真実の愛に似ているのかな。惚れた相手だからこそ、嫌いになろうとしたり、傷つけたくないのに傷つけようとしたり、心にもない言動をとり、自身と相手を確かめようとする。人間はそれで離れてしまうが、神はそれでも離れない。どうだ、わかりやすいか?」


「いえ、ただでさえわかりにくい話が余計にわかりにくくなりました……」


「正直だな」


 笑いを漏らしたあと黒衣の男は考える。神を求めること、それは赦しを求めること。赦しを求め続けるほどの罪。その最たるものである殺人の祝祭、戦争は忌むべきことであり、最も重い罪悪である。でありながら、決して無くならないものでもある。人間が人間であることを放棄、或いは諦めるか、超越しない限りは無くならないだろうと、己が立つ大地が確かなものであるという同じ原理で信じている。信じる必要がないというほどに、信じている。やるしかない。ならばあとはもう、笑うしかない。永遠に同じことが繰り返されるとしても、大きく口を開け、笑い、大股で堂々と歩くしかない。そして泣きながら赦しを乞うのだ。他に正気を保ち生きる道など無いではないか。


「なんでこんな話になったんだろな」


「というよりも、フォルス様の独り言のように聞こえますよ。僕は貴方がいま話したこと、考えているであろうことが、恐ろしくてたまりません。聖像に唾を吐きかけるようであり、その汚れた聖像を抱きしめているようでもある、貴方のその言葉が、僕にはとても恐ろしいものに見えます。正直、わかりたくありません」


「うん。それでいい。忘れてくれ。しかし興味深いな。君は神への信仰を持っていないのだろう? であるにも関わらず、私の神への姿勢を恐れている。面白い男だな」


「わからないもの、わかりたくないものほど怖いものはありませんよ」と首を竦め答える。


「なるほどな。非常にわかりやすい説明だ」


 主従の対話が続くなか、ヘクターに率いられた黒狼団はザルディン軍先陣を弩弓の射程に捉えた。黒狼団が得意とする戦法は騎乗射撃による一撃離脱と白兵戦である。挨拶代わりに行っている、半ば奇襲のような先制攻撃には、この一撃離脱戦法は最適ともいえた。こうして黒狼団八〇〇騎は直進後、弩弓による苛烈なる矢の挨拶を一方的に送りつけながら、右折し弧を描きながら自陣に戻っていった。ヘクターは敵陣に尻を向けたとき、自らの尻を叩いて嘲る。その様に味方は口笛で囃し立て、敵は呆れ、歯噛みした。

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