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ボルウェイの雫  作者: 風間 淡然
四章 先陣
17/25

一節

 ザルディンとアルセニア双方の将兵達の思惑は複雑に交差する。其れは一人一人の生命が運命の糸の一本一本となり、縦横に紡がれていく様に似ている。夜と朝とを分かつ、靄の幕は晴れていく。布陣を終えた両軍は、想像していたよりも近くにお互いの姿を認める。兵達の胸は戦いの予感に波打つ。恐怖と歓喜とが混ざり乱れ縺れ合い、戦場特有の昂ぶりが吹き込まれていく。鍛え上げられた、雄々しき肉の彫像は、それぞれが長と崇める英雄の声を望み、大地を踏みならし、盾を掲げ、槍の石突きを地に突き立て、時を待つ。




 アルセニア軍の最前線では、フォルスが漆黒の軍馬に跨り、ザルディン軍と対峙していた。墨を流した黒髪と黒い外套が風に揺れている。両脇にはヘクターとレイがはべる。クルツは少し前に、フォルスの耳元で語り合った後、何処かへと消えていた。


「うわ……。これが五〇〇〇〇人の偉容ですか……」


「おぉー、いるいる。圧巻だな。しかし連中も災難だな。とんだ国外旅行というところかね。願わくば、一人でも無事で帰ることができますように」


「おい。大将。何祈ってんだよ。あんたが連中を危険に晒す張本人だろうが」


「そんなことはない。ガーウィンが帰るって云えば済むことだからな。私は帰れと散々心の中で喚いているのだが、全然効かないのだよ。困ったもんだ」


「こらこら。そりゃそうだろうがよ。それよりか、ガーウィンの野郎が帰るって云えば本当に帰れるもんなのか? 俺にゃ全っぜん、そうは見えないんだがね」


「そうだな。ここまで来たら易々とは引き下がれないだろうな。かなり手痛い打撃を被るか、本国で皇帝が崩御とかでもしない限り無理だろう」


「あれ。フォルス様。確かザルディンを蹴散らすって仰っていませんでしたっけ? 彼らが撤退すると困るんじゃないですか?」


「いや。荒事は起きないに越したことはない。変に武勲を立てても面倒の元だしな。とはいえ、祝祭が必要だろうとも感じるのだが」


「祝祭? それはどういう意味です?」


「言葉通り、祝う、祭りさ。あがないのためには、生け贄が必要であり、死の結果得られるものは、生命の復活というわけだ。歴史とはそういうものであり、戦は永遠になくなることがない。それは種の維持のために行われる浄化の秘儀ともいえるのだからな」


「あのさ、さっぱりわかんねぇんだけど。おい、レイ。変な話を大将に振るなよ。語り出すと長いだろ。それよりか、そろそろじゃねぇのか? みんな号令を待ってるぜ。みてみろよ、あいつらの顔を。普段は飲んだくれたり、女子供に手を挙げるような、ろくでもねぇクズばっかのくせに、こういうときになると生き生きとしてやがる。へへっ、面白いもんだな。戦場ここはよ」


「はは、そうだな。だから祭りなのさ。命懸けのな。だからこそ、祭りなんだ。それとな、意味は知らなくてもいい。ただ暴れればいい。頭使うことは私とクルツの仕事だからな。レイ、もし君が真実を求めるのなら、妥協しないことだ。神を殺すほどの気概を持て。とかいって噛み付いてきたらならば、全力で叩くがね。それも面白いだろう?」


「いえ、面白くありません! まったく、何を煽ってるんですか。そんなことはヘクターさんにでもして、二人で楽しく喧嘩でもしてくださいよ。僕はフォルス様に従います。これはもう、掟なんです。決めたことなんです」


「うははは! 大将、見事に言いくるめられたな。レイも云うようになったもんだぜ。あと、大将とは先月殴り合ってるから、今日はいいんだ。しかしなんだな、段々と気分がこう、盛り上がってきたっていうのか。やる気出てきたぜ」


「先月フォルス様の目の周りにできた痣はそういう訳だったんですね……。って、戦場で普通に敵を殴り殺しているヘクターさんと殴り合うなんて滅茶苦茶じゃないですか。よく生きていましたね……」


「ふふ、私もイイ奴を一発くれてやったからな。おかげで、そいつの吐いたやつで服が汚れ、エリスに小言云われたがな」


「俺が云うのもなんだが、敵兵以外で俺と殴り合うのなんざ、酒場のろくでなし共か、大将くらいのもんだぜ」


 フォルスとヘクターは酔った勢いで殴り合うことがよくあった。それは喧嘩というよりも、虎がじゃれ合うようなものである。ヘクターの一撃がまともに当たってしまえば体格で劣るフォルスにとっては致命となりかねないのだが、巧みな脚捌きと体重移動で翻弄するのを得意とするフォルスには、なかなか当たらない。そして終いにはお互いに適当な一撃を受けて馬鹿笑いするのである。それは彼らの日常風景ともいえた。


「遊びは危険だからこそ面白いんだ。喧嘩も博打も似たようなもんさ。よし。それじゃあ、そろそろもっと楽しい遊びの幕を揚げるかね」


 いつもの軽い調子で雑談を交わしながら、フォルスはおもむろに剣を抜き放つ。弛緩した表情で軽口を叩いていた黒衣の将は、剣を掲げると同時に狂気を孕んだ凄烈な眼に変貌する。口元には今にも敵を喰らい尽くすかのような暴力的な笑みが浮かぶ。そのさまを幾度となく目にしていた部下達は、敵にとっては悪夢となり、味方にとっては軍神の祝福となる、主の存在感に呑まれていった。それは祭りの音頭を執る、合図でもあった。


「皆の者! 勇敢なる戦士達よ! 愛国の守護者よ! 義に拠って決起せし英雄よ! 侵略者共を、ザルディンの蛮人共を、不義の者共を、倒すぞ! 我らの祖国を守るのだ! 血の海に沈めよ! 屍の山を築け! 勝利を我らの手に! 第一陣、突撃せよ!」


 それは普段の穏やかな声とは一変した、地獄の底から沸き上がる、低く地を這い、空を震わせる声だった。アルセニアの戦士達は将の檄に対し、歓声を以て応えた。一段と強く、槍の石突きが地を叩き、剣と盾が打ち鳴らされる。軍楽隊は軍鼓を打ち、喇叭を吹いて熱狂する焔に油を注いでいく。そして鬨の声を挙げ、怒濤が押し寄せる。本来ならば攻め手であるザルディンのほうから仕掛けるようなものだが、戦場の空気を敏感に感じ取ったフォルスは絶妙の拍子で先手を打ったともいえる。その証拠にザルディン軍先陣には動揺が広がっていった。


 防壁を越え、土煙を巻き上げて突進するアルセニア軍先陣は、弩弓を構えた漆黒の精鋭軽騎兵隊、黒狼団である。その先頭ではヘクターが背から機械仕掛けの連装弩弓を取り出し、不敵な笑みを浮かべ馬を駆る。

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