七節
「クルツ達の働きもあって、敵さんの情報は大方判明している。そして、何処にどういう危険があるか、把握しておけば対処のしようも出てくる。たとえば、どこを攻めればよいか、どの拍子で退けばよいか、などだ」
と、笑顔のままフォルスは口を開く。
「そういえばよ、大将。今回の相手だが、軍としての特徴とかもちゃんとわかってんのか? ベッシュの野郎が率いる鉄棍軍なんか、ありゃヤバイぜ。特に今回のような防衛戦だとな。城壁すらぶち壊す奴らの集まりだからよ」
「ああ。それは今回最も危険視している要素の一つだな。そうだな、ガーウィンの白銀軍、ザルツァ翁の赤竜軍などもついでに解説しておこうか。
まず、白銀軍だが、これは重騎兵隊だ。連中の鉄槍による突破力の凄まじさ、馬術の巧みさは皆も知っているだろう。装備や訓練にどれだけ金使ってんだと思うとぞっとするよ。
赤竜軍は長槍を得意とする重歩兵隊だな。赤い軍装と、槍の先端に火を点ける『火槍』も特徴だ。投げ槍(弩弓のほうが飛び道具としては遙かに優位だがな)も常時数本携帯しているという。連中の槍へのこだわりは異常だ。それだけに、槍を扱わせたら連中の右に出る者はいないだろう。
鉄棍軍は先ほどヘクターも話したが、鉄製の棍を主に用いる。これが曲者で、並の男ではとても振り回せない厳つい代物を、いとも容易く振り回す俊敏な巨漢共の集まりだ。冗談のように聞こえるが、奴らは堅固な城壁を、代わる代わるぶっ叩いて、壊すこともある。
マイヤー率いる機工隊というのもある。連中は一言でいえば技師の集団だ。投石機、弩砲、破城鎚など攻城兵器の改造した奴をはじめ、妙な武具をよく造る。陣地の構築なども彼らが指揮を執るとかなり効率よく堅牢なものが出来ると評判だ。目立つ存在ではないが、極めて厄介だ」
主の話を聞きながら、レイは何度も頷く。その額にはじっとりと汗が滲んでいる。クルツは的確に要点を纏めて語るフォルスに感心し、ヘクターは戦場で槍を交わした相手のことを幾度となく思い出す。ただ、機工隊についてはヘクターは知らず、そんなものもあったのかと内心驚いていた。一同の空気が一気に緊張する。
「ちなみに我らの陣営でいうと、まずは黒狼団ですね――と、クルツがふにゃふにゃと語り出す――胸甲を装備した軽騎兵隊が主で、騎乗射撃の腕はアルセニア軍随一ですね。その一方で一撃離脱を旨とした白兵戦にも長け、まさに変幻自在。神出鬼没。敵方からすれば驚異ですよ。
そして忘れてはならないのが国防の要、ヴォルト卿率いる盾の団です。身の丈を越す大盾を構えるその姿は、まさに歩く城壁。その堅牢なる盾の背後から放たれる、練達の射手による矢の雨は降り注ぐ不幸、地獄の大雨。我らアルセニアも負けてはおりませんね」
その独特の語りと、力強い言葉にレイは元気を取り戻す。咄嗟の機転なのか、クルツがそういう男というだけなのか。フォルスはただにやけている。
将の頭脳には、既にいくつかの策があり、クルツに命じて必要な準備は整えている。ここにクルツがいるということは、彼がいま奔走する必要がないという証である。机上に広げた地図の上には、ザルディンの布陣を模した木駒が配置されている。それらが誰を象徴しているのか、また彼らの政治的背景や人間関係、今回の戦役に対する意気込みなどは大体把握している。軍の勝敗を決するのは、火力つまり数と、軍の士気、地の利、天の時であると考えている。戦を知る者はこれらの要素を肌で知ることができる。数については単純な総数では劣るが、戦場においては集中と分散の結果が実数となる。いかほどの大軍であっても、一度に戦える人数を制限する場で戦えば大軍の利を発揮できない。木柵と壕は、その制限を設けるためのものでもある。こうして地の利はアルセニアにある。軍の士気については、諸侯が必ずしも、全員で心を一つにしている訳ではないと見抜いている。その温度差を利用すれば、動かない兵力も出てくるだろう。これは数の分散と集中にも繋がる。そして何より、それらの要素を分析し決断するための情報。これは明らかに、自軍が優位にあるという確信がある。白銀軍の間諜に対しては、巧みに偽情報を掴ませてある。
慎重に慎重を重ね、幾重にも策を張り巡らせた謀将は、それでも胸に一抹の不安を抱えていた。胸の奥にどろりとした汚水が溜まっているかのように。その不安が更なる注意深さを与え吉と出るか。はたまた人の力では抗えない神意を感じ取ったものなのか。男はまだその答えを知らない。しかし今は、信じて歩むしかない。そのことだけは知っている。歩くことが、唯一信じることだということも。
「そうとも。私達も負けてはいない。一癖も二癖もある強かな戦士が揃っているからな。そしてそいつらと共に勝つために此処にいる。勝算がなければとっくに降伏するか、尻尾巻いて逃げてるさ」
「ははっ! 違いねぇ。大将が逃げるときの思いっきりの良さと、逃げ足の速さにゃ俺も適わねぇ。その大将が戦うってんだ。勝算あってのことだろうよ」
「云ってくれるじゃないか」
「云わせてんのは、あんたじゃねぇかよ。日頃の行いってヤツだぜ」
「ふん。まぁいいさ。でもヘクターの云うとおり、逃げるときは逃げる。必要なときは指示するから安心しな。時に合わせた行動というものがある。この天の時、神が定めた時に従えば、道を誤ることはない。たとえそれが、どんなに辛く困難な道であってもな。そして今は、戦うときだ」
斧槍にもたれ掛かり、悪態をつくヘクターに答えるフォルスの言葉に、皆が注目する。その場の男達、衛兵達でさえ、主を注視した。男達の顔は皆正面を見据える。遙か地平の先に目指す場所がありありと見えている、その確信を抱き歩む旅人のように、皆の表情に迷いや恐れ、不安といった陰はなかった。
「よし。大丈夫だ。行こう」フォルスは心中呟きながら力強く頷いた。男達も皆、頷き返す。