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幕間3

 五年生、六年生と学年が上がっても、澄は変わらずに私の隣に居た。ただし私の心に仄かに宿った薄暗い小さな火種は、学年を重ねるにつれていつの間にかごうごうと燃え盛り、私の胸中を焦がし尽くしてしまった。後に残ったのは、灰と燃えカスだけだ。それは私の胸の中で積もりに積もり、澄と向き合うときは身勝手に溜め込んだ灰や塵が呼吸を邪魔するものだから、時に酸素が足りない、と錯覚しそうなほどだった。

 この宇宙のどこを探しても、これ以上ないと胸を張って言える、星のような少年の隣に居ることを許されている。少なからず澄も、私のことを隣に居たい存在と認めてくれている。それは実に苦々しい優越感を生み出した。安易に飲み込むことのできない、痺れを含んだ感情だった。私は、悠々自適に自分が思うままに輝く星に、幸運にも照らされるただの只人。けれどそれでいい。強烈な星の光の恩恵を、手に入れることができる距離に入れられるならそれでいい。溢れんばかりの愛おしいを抱えて隠し、隣に座っていられるのならばそれでいい。

 それでいい、そのはずだったのに。それがそうもいかなくなったのは、中学一年生の夏だった。

 私の母に渋々連れ出された東京ドーム。きっと澄は、あの巨大なステージで輝いていたアイドルとの鮮烈な出会いが、綺麗な思い出として刻み込まれているはずだ。だが私の記憶に一番こびりついているのは、コンサート公演中のどの場面でもない。顔を林檎のように真っ赤にして、日常でも当たり前にキラキラしている瞳を更に輝かせて、澄が私に向かって見つめ返してきた瞬間だ。


「俺も、あそこに立ちたい!」


 澄は浮足立っていた。いつもどこか淡々として、感情をそっと真綿に包んだような人間だった。そんな澄がはしゃいでいる。足を弾ませ、この場所に連れてきてくれた私の母親に目いっぱいの感謝を伝えている。その様子を私は、まるで夢幻のように眺めていた。

 耳の中でわーん、と耳鳴りが響いている。いくら足を交互に前に進め、必死に大地を踏みしめても、まるで雲の上を歩いているかのようだった。それは決して、浮かれている感情から来る高揚故のものではない。澄とは帰る道中、車の中でなにを話していただろうか。相槌を打ったことだけは覚えている。きちんとした会話になっていただろうか。

 とうとう、澄が多くの人間に美しい星であることを知られてしまうのか。いつかその時が来るのではないかと思っていたのに、顔を背けていた。もしも星であることが周知の事実になれば、それはすなわち澄が私の隣から時期に離れるということだ。手を伸ばしても遥か彼方、高みへと昇り、皆が首を痛くして見上げるような綺羅星になるということだ。

 翌日、澄はにっこりと笑い、何らかの用紙を携えて私の家の玄関扉をたたいた。私はどこか恐ろしさを覚えながらいつも通り彼を居間に招いた。そして茶の間のちゃぶ台の上で、彼の持ち込んだ用紙の正体は明らかになった。履歴書だ。澄はさっそく、(くだん)のアイドルの所属する事務所に履歴書を送ることにしたらしい。履歴書にボールペンを滑らせている澄は、心の底からわくわくしている。余りに眩くてちかちかした。私は眼球に痛みを覚え、そのわずらわしさから半ば突発的に、集中している彼を邪魔するように声をかけてしまった。

 

「予備、ある?」

「予備? なんの?」

「履歴書の予備」

「あるけど……ああ。お前も書きたいんだ」


 書き損じた時のために何枚かあるよ、と一枚差し出したそれを、私は恭しく受け取った。その芸能事務所は、応募専用の履歴書を丁寧に用意していた。澄はホームページからダウンロードしたそれを家のプリンターで印刷してきたようだ。特技だとか趣味だとか、身体の特徴だとかを記入する欄がある。バストアップと、全身の写真を張り付ける箇所もあった。

 ミンミンと蝉が必死に庭で鳴いていた。命乞いをする私の心の底に響く泣き声と重なり、私は額からたらりと一筋の汗を垂らした。灼熱の暑さにも負けないように、ガンガンに効かせたクーラーの風が、履歴書をぱらぱらと揺らしている。このままクーラーの送風を強めたらどうなるだろう。いま彼が無我夢中になって書き綴っている履歴書を、どこかへ吹っ飛ばしてくれないだろうか。


 澄という逸材をもし見逃す事務所があったのであれば、その事務所は節穴でしかないだろう。すぐさま芸能事務所を畳んだほうが身のためだ。しかしながら澄が応募した芸能事務所は、一流の冠はただのお飾りではなかったようだ。なぜならば澄が履歴書を送ってから数日後、折り返しの連絡が来たからである。澄は有頂天になっていた。

 一方で私も澄と同じように事務所から連絡があった。恐らく私は興味本位のみで履歴書審査をパスしたようなものだろう。同時期に、近くの住所から送られてきた二枚の履歴書。伊達美和子という少女が、澄という美青年と知り合いであることは明確だ。だとすればついでに見てみようじゃないかと、そんな気になったのだろう。この美貌を手にした青年を見てもなお、履歴書を送付するという太々しい精神力が芸能界に向いているとでも思われたのかもしれない。

 だがそれでいい。その否純粋な興味本位が私を掬いあげてくれたのであれば、それでいい。むしろ切り捨てられなかっただけでも僥倖だ。澄は、私も書類選考を通過したことを、さも当然だとでもいうように余り喜んではいなかった。澄がそう判断するのなら、それが世界の判断のようであると錯覚する。だが、現実はそう甘くない。

 私は澄のような、一目見ただけで空間が切り取られたかと錯覚するような、異次元の容姿を持ち合わせているわけではない。もちろん容姿を補うだけの技術力だって芸能と無縁な一般人が身に着けているわけもなく、歌もダンスもずぶの素人だ。だから、澄のようにありのままそのまま、写真も庭先で適当に映した写真を張り付けたところで、面接に進めるわけがない。審査員の「澄への興味」興味本位がいくらあったとて、「ありのままの私」が書類選考を通過するわけがなかった。だからこそ私は親から一日一時間の使用を許可されているパソコンを使用して、選考映えする、癖のある、審査する人の目に留まるような履歴書のアイディアはないものかと必死で検索していたのだ。だから私の履歴書には、突拍子もない言葉が躍っていたし、室内灯や太陽光の当たり具合を加味して、パッと目を惹く写真を何枚も取って、厳選したものを張り付けて応募したのだ。そんな私の裏での努力は、澄の知るところではない。いや、知らなくていい。

 みっともなくあがく地上の星屑のもがきなど、空で自由に瞬く澄は知らないでいいのだ。

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