幕間2
私の父は美術館を回るのを趣味の一つとしていた。父は休日になると私を引き連れて、よく遠くのさまざまな美術館に連れて行ってくれた。人気の企画展にもなると休日はそこそこ混雑していたが、美術史や描画技術についての知識を持たずとも、ぶらぶらと歩き、展示されている中から気に入った作品だけを眺めるのは案外嫌いではなかった。くすんだ黄金色のような真四角の額縁の中で、区切られた四角の空間を眺めるのは、私からすれば窓辺から異界を覗き見るようなものであった。
父親は美術展帰りには必ず図録を購入して帰った。重くて分厚い図録は、頻繁に読み返すものではないものの、一種のコレクションとして残しておきたかったのかもしれない。私は幼い頃から父の書庫に籠るのを好んでいた。父のこだわりの詰まった半地下の書庫は、図録のみならず古い書籍が長い時間をかけて収集されており、自分の背丈より幾分も高い本棚に、みっちりと本が詰め込まれている光景は圧巻であった。古臭く、紙の独特の匂いが詰まった部屋で、図録を丁寧に捲り美術品を眺める独りきりの時間は、とびっきりの憩いのひと時だった。
だが戸塚澄と出会ってしまってからは、美術館巡りも、図録捲りも、特別な非日常だったものが、日常に近い時間になってしまった。その事実に愕然としたのは言うまでもない。私にとって宝石みたいな愛おしい時間という概念が、澄という人間にひっくり返されてしまったのだ。その焦りから目についた図録をひっくり返して捲り続けたことがある。だがどんな絵画も彫刻も、名だたる古今東西の美術品を眺めても、澄以上に私の心に傷を残す存在はいなかった。
「ミワ」
私が打ちひしがれて床に広げた図録たちに囲まれ肩を落としていると、透き通る甘い囁きで名前を呼ばれた。澄とはあれから、互いの家で二度ほど遊んだ。といってもテレビで古いレースゲームを、暇つぶしに数時間したくらいだ。
澄は私のことを「ミワ」と呼んだ。三輪、という苗字のようなアクセントは独特だ。初めて私のことを呼んでくれた時からその呼び方で、一度として美和子と呼ばれたことは無い。美和子と呼ぶのが照れくさいのか、気に入らないのかは知らない。私にとって澄が私をどう呼ぶかなど、些細なことでしかなかったのだ。
床中に散らばった図録を避けて、紙上の美術品に囲まれ佇む澄は、書庫の蛍光灯を背に受けて突っ立っていた。ただ、立っていただけだ。なのにどんな美術品よりも、色鮮やかであった。
「何してんの」
「……」
「昨日の続き、やろうよ」
澄の足元には、裸婦と天使の宗教画の描かれた図録が両開きで開かれていた。胸元を艶やかに広げ柔和にほほ笑む女性と、翼を広げた幼い天使たち。足元に散らばる美術品をものともせず、背筋を伸ばして私を見下ろしている澄を一目見てしまうと、途端に私はどんな美術品たちが周りから語り掛けてこようとも、澄にだけにスポットライトが、天から降り注いでいるように見えてしまうのだ。
そもそも澄の卓越した、ある意味恐ろしいほどの外見が私を惹きつけたのは言うまでもないが、内面もまた澄が澄を成す、そんな性格をしていた。
私はあまり自我を表に出すのが得意ではない。本の世界に没頭して、テレビゲームやボードゲームをこつこつクリアするのが好きな、いわばインドアな人間である。それは澄も同じようで、私たちは意外にも気が合った。私は崇高な澄の容姿に心を乱されながらも、私と遊びたいがために、見たことのないボードゲームを隣家から担いで持ってきてくれる澄の素直さと、ぽつりぽつりと最低限のことだけを会話すれば成り立つコミュニケーションに次第に愛おしさを実感していった。落ち着きを求める静の安寧と、嵐のように駆け巡る動の衝撃を、澄と会話するたびに味わい、その度私は澄に、手を伸ばしてみたくて仕方がなかった。
澄は小学校四年生の春、私たちの小学校に転入してきた。春休みの間、ほぼ毎日を澄と過ごしていた私であったが、お役御免の時期が近いことを悟っていた。
転校生というものは、幼心をいつだってくすぐるものだ。そして澄は、くすぐるどころか、同年代の心に大きな爪痕を残す存在感を持ち合わせていた。転校初日に全校生徒の前で挨拶をした澄は、休み時間にあっという間に男女問わず囲われ、民衆に囲まれた王子のようであった。
特に際立っていたのはどちらかと言えば女子の反応だ。女子たちはクラス問わず、時には上の学年も下の学年も、休み時間に澄を眺めに来るようになった。澄がちらりと廊下に目をやるだけで、きゃあと甲高い叫び声にも近い音を立てて顔を両手で隠し、くすくす笑いあって、スカートを翻し去っていくのだ。そしてそんな女子たちの甲高い声に、澄はみじんも靡くことはなくむしろ眉間に深い皺を刻み、露骨に嫌悪を露わにしていた。
「ほんとに嫌。めんどい」
ところで、転校前の私の「お役御免」の予想は大きく外れ、澄は多種多様な人気を集めようとも、私の家に来るペースを落とすこともなく、私を肩を並べゲームを続ける日々を送っていた。
学校内では全くと言っていいほど話さない。だが、帰宅するときは必ず一緒。それが澄と私のルーティーンになっていた。いずれ放課後は、気の合う同性の友人と遊びだすだろうと高を括っていた私だったが、澄はどの生徒との帰宅も選択せず、帰宅後の時間も私との遊びにせっせと費やす日々だった。
「戸塚っていつも、伊達と一緒じゃん」
「付き合ってんの、付き合ってんの?」
それが気に食わない男子生徒から、澄は揶揄されたことが一度あった。多感な時期の男子生徒のあるあるであろう。男女が一定以上の距離感で仲がいいと、ついからかってしまう。よくある衝動的言動だ。だが、澄はそのからかいに思いのほか憤怒した。
「帰りたいやつと帰るし、遊びたい奴と遊ぶ。男とか女とか、その年で気にしてるのダサすぎだろ」
その年で、と澄は言い放ったが当時彼らも、そして私たちも十歳だ。気にするのは当たり前の年齢だ。むしろ「かっこつけの精神」が生まれるのは成長の過程で言えば健全だ。揶揄し続けるのはいじめにも繋がりかねないため、過度なからかいは避けるべきだろうが、人と異なることを指摘するのが正しいと思いあがって逆上せてしまいがちな年頃なのだ。だがそんな小学生にとっての普通を鼻で笑い、「ミワ、帰ろう」と何も気にせずランドセルを背負った澄に、クラス中がますます虜になった。澄を小馬鹿にした、一瞬でもマウントを取った男子生徒でさえ、圧倒的な澄の物言いに反論もできず、呆けたように突っ立っていた。
それから私たちのクラスでは、男子だからこう、女子だからこう、という区分けの言動をなるべく避ける生徒たちが心なしか増えた。女子が女子らしく、男子が男子らしく。それを求めるのは幼少期にはありがちで、成長に当たり誰もが通る道である。それが現代の一般社会で認められていない考え方だとしても、幼き思考がそちらに寄ってしまうのは仕方のないことだ。小学生にとってクラスとは、世界の大部分を占めているのだから。だが、その世界を簡単に、一言でころっと転がして、ひっくり返して掌握してしまうほどの力を持っているのが、澄だった。
けれど私は、どうして澄が私の隣を選んでくれるのか、皆目見当もつかなかった。この形容しがたい美しさに並ぶにふさわしいのは、宇宙の中で灼熱を宿す太陽のような、ひときわ輝く恒星くらいしかないのではないか。私はそんなものではない。宇宙に漂う星の一かけらにも届いていない。それでも澄は私の隣に寄り添った。
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