前編3
女性であるミワが、”マイア”としてアイドルデビューしたのは十八、高校を卒業したと同時だった。
高校入学とともに芸能事務所に所属したミワは、”練習生”として三年の間レッスンという名の研鑽を積んだらしい。当時のミワの努力は並々ならぬものではなかった。それは、同じ高校に通っていた俺が誰よりも知っている。一応は進学校を名乗る私立高校は、卒業後は有名大学へ進学する生徒が大半を占めていた。芸能活動に寛容な学校とは異なり、容赦なく一定ライン以上の成績、出席日数が求められる。つまりレッスンと勉学をどちらも高水準で両立しなければならない。しかもその両立生活を長期間継続し続ける体力気力が求められるわけだ。それでもミワは諦めずに事務所に通い続け、テスト前には膨大な量のテスト範囲と戦い、ついにはデビューを勝ち取ると同時に、第一志望の名の知れた大学への進学を決めた。
涙ぐみながら俺の部屋に押しかけ、デビュー日を教えてくれたミワの顔が、あの日あの瞬間のまま、色あせることなく鮮明に思い出せる。それはそれほどまでに、努力一本で上り詰めたミワの姿が俺にとっては印象的だったからだろう。
幼少期に連れられ、アイドルを志すきっかけとなった衝撃的なアイドルコンサートから一夜明けてすぐ、俺は浮かれるままに履歴書を握り締めていた。一刻も早くあの爆風を巻き起こす星の欠片になりたかった。急くような心地は、必死に紙の上にペンを躍らせた。しかも、わざわざミワの家に押しかけて記入したのだ。両親に履歴書を記入する姿を見られることが当時はどうしようもなく恥ずかしかったから。するとミワも「自分も事務所に応募する」と言って、履歴書をすらすら記入し始めたのだ。
ただ、結果として当時、二人とも事務所に所属する夢は叶わなかった。俺もミワも、履歴書を提出した一週間後、事務所に呼ばれてオーディションのようなものはさせられた。ただ、そこで一旦俺たちの夢は潰えた。
だが、ミワは自分の手で自分自身の夢を潰すような真似はしなかった。面接の後、何やら面接官と話し込んでいた。デビュー後に聞いた話によると、自分に何が足りないのか、どうすればいいのかを熱心に聞き取りしていたらしい。
その後、俺はほかの事務所に応募してみるなり、ダンススクールに通ってみるなりしてみたけれど、なにひとつうまくいかなかった。最初の、たったひとつの落第によって、アイドル失格の烙印を押されてしまった心地になり、それが喉に魚の小骨が刺さったかのように、ちくちく気になっていたのかもしれない。片やミワは、着実にひとつひとつ、自分の中の課題をこなしていった。階段の手前でもじもじしている俺の横をすっ飛ばして、駆け足で、けれど踏み外さないように昇って行った。
ミワは女性だ。アイドルデビューの話を聞いた時、短いスカートをはいて、フリルのたくさん着いた衣装を身にまとい、長い髪の毛を揺らして可愛らしく愛嬌を振りまくものだと思っていた。ところがデビュー時に発表されたアーティスト写真を目にした俺は度肝を抜いた。
それまで肩まであったはずのミディアムロングの黒髪は、バッサリと耳元まで切り取られていた。前髪をかきわけ、パンツスタイルに身を包んだ彼女はまるで王子様だ。綺羅星のように眩い、スパンコールを散りばめた洋装に身を包んでいた。汚れのない白い手袋をこちらに向けて差し出して、赤いルビーを模した宝石をちりばめた小さな王冠を斜めにかぶっている。想像する従来の女性アイドル像とは、なにもかもがかけ離れて居た。
「これで、アイドルやるの。お前」
「そうだよ。だってこの姿になりたかったから」
だからアイドルを目指したのだ、と語るミワの瞳に吸い込まれそうになった十八の俺は、そっと視線を斜め下に落とした。ミワは諦めの概念など、俺とともに履歴書を送ったあの時からとっくのとうに捨てていたのだ。ただひたすらに。夢を叶わぬ美しい幻想だと思わずに、抱いた夢を現実可能な目標としてただ捉えていた。そしてそのまま突き進んだ。その結果至極当然にデビューしただけだ。夢を掴んだのではなく、夢の先へとひた走っていた。
ただ、デビューしたミワが今の地位を築き上げるまでがトントン拍子だったかというとそうでも無い。デビューした事務所は比較的大きなところだったとはいえ、当時の事務所はデビューしたてのミワを全面的に押していなかった。そもそも、ミワは「ソロ」のアイドルだ。
今日日、ソロでのアイドル活動など珍しい。活躍して覇権を握っているアイドルグループは大抵グループで活動している。当然、ミワもアイドルグループを組ませる打診が事務所から何回も合ったのだと、本人から聞いていた。デビューできるのであれば、基本的に事務所の方針にはおとなしく従うものだ。みすみすデビューを逃すものではない。むしろデビューなど、練習生からすれば喉から手が出るほど欲しいものだろう。だがミワは何をどうやったのか、ことごとくその打診を蹴り飛ばした。グループデビューを飲んでいれば高校在学中にデビューも容易だったろうに、事務所との衝突を選択してまでも、いわゆる”干され”の危険性を孕んでいたとしても、ミワはソロでの活動に拘った。ソロでの活動を許してもらうために、積まれたノルマを淡々とこなし、ようやく事務所の偉い人の首を縦に振らせたと聞く。
念願のソロでのデビューを掴んだとて、そこから先は茨の道だ。グループ活動していれば手に入れられる、メンバーとの関係性で築かれる絆のようなエモーショナルなものは得られない。アイドルのファンはグループの中の関係性に”何か”を見出してくれるものだ。その強烈なファン受けの恩恵を得られないのは致命的だろう。それでも頑固なミワは譲らなかった。譲らなかったからには、短期間で成果を出すことが求められるのは必然だった。
ミワは厳しい条件を突き付けられたにも関わらず、平然としていた。数少ないながらにメディアに出演させて貰うと、そのわずかなチャンスで爪痕を残し続けた。露出の特需は一瞬しか降ってこない。だからこそ王子というキャラクターを残したまま、テレビに出れば突拍子もない現実離れした発言でお茶の間の目を引き、雑誌に掲載されれば圧倒的な王子様というビジュアルでページを捲る人々の指を止めた。メディアだけにとどまらず、各種SNSにも幅広く手を出して、流行っているものにはいち早く飛びついて、人目に付く機会を圧倒的に集めた。マスメディア向けには質を高め、身近なSNSメディアに対しては量で勝負を打って出たのだ。無事に進学した大学だって、決して楽な授業ばかり取っているわけではないのにも関わらず、勉学を疎かにすることはなかった。ただひたすらに努力を積み重ねていくミワを、俺はぼうっと隣で眺めていた。
いつしか、ミワの戦略は見事的中した。
面白い、目を引く。女性で王子様を貫く圧倒的キャラクター性。
短文SNSで発信される言葉はキャッチ―、かたやブログの長文は読みごたえのあるエッセイのようで。いざラジオ番組のパーソナリティを任されれば、練りに練ったエピソードトークで、同席した芸人と阿吽の呼吸を見せて話題をかっさらった。多面性のあるミワのほんの一面から興味を持った周囲の人たちは、あれよあれよとミワの周りに集まり、他の面を見てすっかり虜となった。やがてミワの面ではなく、きちんとミワの中心を眺めるファンが集った。
快進撃を続けたミワは、目に見えて結果を出した。同時期にデビューした、ミワよりも何十倍も事務所に期待とお金を掛けられたアイドルグループよりも、世間からの評価、知名度、人気を得たのだった。
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