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前編1

 渋谷。極彩色の東京らしさで塗りつぶされた街だ。建物も人も、ぎゅうぎゅうに密となり、群れを成している。そんな渋谷の駅改札をくぐり抜け、これでもかと長い地下道をひた歩き、ようやく地上へと飛び出すと強い陽ざしに目がくらんだ。顔をしかめ、臙脂のキャップをより深く被り直した。

 観光客の外国人が、大きなキャリーケースを派手に転がしながら物珍し気に、加えてどこか熱狂的にカメラを構える様子は、渋谷スクランブル交差点の日常の一部だ。今は「止まれ」を指示している、向かい側に突っ立っている信号機がひとたび青色に光れば、点灯を合図に一斉に交差する人々の群れを、面白可笑しく風景として切り取るのだろう。そして渋谷駅を日常的に利用にしている人々は、自分たちが観光名所の一部分として扱われることに慣れきっている。故に風景の欠片であることに微塵も感情は揺れ動かされず我関せずを突き通し、各々自分が歩むがまま目的地へと足を進めていくのだ。

 黒白が重なり合う巨大な横断歩道は、視線を上げればそこかしこに看板、液晶モニター、エトセトラ。ありとあらゆる広告に取り囲まれている。しかし、この場所に広がる広告たちは単なる宣伝のための媒体ではない。もちろん幅広い年齢層、莫大な人の視線にさらされることによる費用対効果は抜群だろう。だがここに顔面を晒し、”都会の喧騒の中で人一倍高い場所に自分が存在していること”、が。表現者たちにとってはひとつの誇りとなる。その誇りは、”誰か”を応援しているファンにとっても掛け替えのない誇り、なのだ。だからこそ渋谷ではアーティストのファンが、目当ての広告を背景にして、それぞれ思い思いの応援グッズを手に持ちながら写真撮影をする様子も度々見受けられる。

 そんな思いが行き交う交差点の中、ひときわ目を引く、この場で最大と言って差し支えないサイズの液晶モニターが突如ぷつり、と真っ暗になった。いや、それは語弊がある。単に、動画の初っ端が暗闇無音から始まっただけだ。ほら、みたことか。モニターに映された真っ暗な部屋に、徐々に朝日が差し込んでいく。日陰に隠されていた場所から、すらりとした等身が勿体ぶるように現れたじゃないか。

 きゃあと甲高い声が丁度俺の横で響いた。興奮で我を忘れた時、思わず内側から湧き出してしまうような、声。言葉にはならない、文字では表現しきれない音。女の子二人組は、流れ出した広告の登場をいまかいまかと待ちかねていたのだろう。高揚した彼女たちを横目に、俺は夏の陽ざしのわずらわしさを避けるように、キャップの鍔を摘まんで更に深く被り直した。この子たちだけじゃない。他にもちらほらと大画面に夢中になっている子もいる。加えて、交差点という風景がお目当てだったはずの観光客も、手に持ったスマートフォンのカメラを、いつの間にか大スクリーンで流れ出した映像に向けていた。

 やがて部屋にたっぷりと太陽の陽ざしが流れ込んだかと思えば、重低音が体にびりびりと響く、アップテンポなダンスミュージックが流れ出した。映し出された室内は極めてシンプルだ。空っぽ、といって差し支えない、物一つない部屋に響くEDM。夜のクラブが似合う音楽は、物質を排除した空間には似合わずひどくちぐはぐで、珍妙なはずだった。だが、そんな可笑しさを当たり前に正当化させるほどの存在が、スクリーンの中央にようやくはっきりと姿を現した人影だ。

 まるで音楽側が人の動きに合わせるが如く。指の先、頭のてっぺん、胸板。全身がリズムを奏でている。飛び跳ねる髪の毛、視線の動き、裸足の爪先。体中の無駄な部分など、自分には存在しない、すべてに価値があるのだと、踊りと映像で、画面の向こうから現実世界へ訴えてくる。どんどんと広告の中の人物は音楽を手中に収めていく。主役へ、主役へと成り立っていく。

 その人の纏うシンプルなネルシャツは、布の素材を生かし、重厚なうねりで体の揺らぎを繊細に表現していた。ゆったりとした上半身の衣装と裏腹に、ぴったりとしたスキニーパンツは、彼の人のスタイルの良さを引き立たせる。動画の中、パーツパーツでしか捉え切れていなかったその人だったが、やがて顔面全体がスクリーンをすべて使い切り全面に映し出されると、俺の隣でお互いに身を寄せ合っていた先ほどの女性たちはより一層、泣き声に近い歓喜の声を上げた。

 くっきりと描かれた二重線を携えた瞼が伏せられ、形の良い唇がアップになる。濃厚なリップ音とともに、余韻を残すようにネルシャツだけが部屋に取り残され、まるで夢のように広告は終わった。幻想は、スクランブル交差点の喧騒によってあっという間に跡形もなく霧散した。それでも、作品として広告に見とれていた人々は、皆一様に足元がおぼつかない。鳩尾がぐっと沸騰し、逆上せ上った頭が上手く働かない。だから、先ほどの幻が現実であったことを確かめるために、周囲の友人と感想を言いあったり、SNSに何かを叩き込んでいた。俺は、歩行者のために青を知らせてくれた信号機を確認して、浮かれた人々を置き去りにして横断歩道を突っ切った。

 十三歳の幼かった頃の俺。夢と希望と、陽炎もどきの熱に溺れていた俺。俺はあのスクリーンに映し出されるような、多数の人に混沌を抱かせ、熱を与えられるような人になってみたかった。

 現在。雑多な渋谷を歩いている二十三の俺は――スマートフォンが僅かに振動するのを感知すると、ズボンの横ポケットに手を突っ込んだ。信号を渡りきってから、道行く人の邪魔にならないようにビルの壁沿いに立ち、画面をタップする。特段驚く内容ではなく、どちらかと言えば予想の範疇の文言が並んでいた。だから眉を顰めることも口角が上がることも無い。そんなメッセージを読み、了解の旨を示すスタンプを連打して、再びスマートフォンをしまって歩き出した。

 背後では先ほどの広告がリプレイされているようだ。俺は骨まで揺さぶる音楽を背に受けながら歩き始めた。あれは二度もまじまじと眺めるようなものでは、ない。スクランブル交差点よりも幾分通行量が減ったとはいえ、それでも並大抵ではない人混みでごった返す休日の渋谷のセンター街を、布を糸で縫うように、するりするりと歩いていく。歩いて、歩いて、歩いて。

 歩いて、足が止まった。誰に呼び止められたわけでも無い。急に、誰かに見つめられている気がしたからだ。歩き続けるだけの役目を負っていた足が、突如として棒になる。息を飲み、いつの間にか薄汚れた靴を眺めながら歩いていた俺は、はっと顔を上げた。視線の先にあったのは、壁に張られたA4サイズのポスター。――それも同じ画像のポスターが、ぴっしりと等間隔に、壁に横一列に張られていた。ポスターの主はあいつだ。先ほど堂々と交差点中の注目をかき集め、場の空気を支配していた人物だ。右から左へと、ゆっくりと首を回した。ポスターの彼の人は、クローンのように同じ表情、体勢でずらりと並んでいる。それなのに、きちんと一人の人として存在している。当たり前に、誰もが疑うことなく。ただの色あせた風景にはならずに、そこに居る。


 俺が約十年間隣に立ち続けた、幼馴染が。

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