表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/11

後編1

 真夜中のエレベーターホールに人影はなく、広い空間に無機質な箱がぴしゃりと扉を閉ざしている様子は酷く寒い。断頭台の前に立たされたようで、背筋が伸びた。これからすっぱり首から下を切り落とされ、生きた屍として歩むことになるからだろうか。鈍く唸る小さな機械音だけがこの場に響き渡り、まるで俺を包み込んだ上で窒息圧死させんとするばかりだった。隙間なくぴっちりと閉じられた銀色の扉が開くのを、デジタル表示された階層の数字表示を睨みつけながら待ち望む。

 頭の中はかっと焼き爛れていたというのに、足を動かさずにじっとしていたからだろうか。ふと、数か月前のミワとの会話が俺の頭の中で掘り起こされた。あれは、止められたにも関わらず深く酒を飲みすすめ、深夜よりも明け方、早朝といっていい時間帯だったはずだ。当然俺はべろべろで吐き気を通り過ぎて眩暈だけが優しい麻薬のように纏わりつき、ミワは眠気も酔いも一切感じさせず、飲みが始まった時とおんなじ顔色で、俺のことを心底心配そうに見つめていた。


「澄。そろそろお開きにしよう」

「いや……まだ……」


 何事か言葉にならない、俺のくだらない鳴き声のような呟きに根気良く付き合うミワは、そのまま俺など放置して、画面を向こうで勝手に遮断すればいいのに、彼女はそれを許さなかった。困った顔のまま、俺が本当に話したいことを口を開いて吐露するまで、辛抱強く待っている。目を離してしまえば俺がぬかるみに足を取られてずぶずぶ沈んでいくと分かっているから、最後の最後まで俺が彼女に手を伸ばすのを待ってくれている。まどろみの中、縫い付けるような視線と噛み合った。それだけで、心に強固にかけたはずの鍵はかちゃりと音を立てて開錠される。重い鋼鉄の扉も、指先で触れるだけであっという間に大きく開かれてしまう。


「……バイト、辞めたよ」

「なにか、あったのかな」

「あー……なんか、同僚が」


 本来ならば、俺は大学を卒業して就職している年齢だ。それでも俺はフリーターを続けている。

 心が根元からぽきりと折れて腐りかけて、道端に横たわりそのまま朽ちかける樹木になりかけたとき、たまたま足を運んだ喫茶店。引き寄せられるかのようにガラスの重い扉を両手で押し込んで初めて入店したとき、思わず心が弾んで、頼むつもりが無かったフルーツタルトを注文してしまった。ショーケース越しに眺めたつやつやのチェリーがたっぷり乗った赤いタルトは食べる美術品のようで、うっとりさせる魔力があった。金色のフォークを刺すのがもったいなくて、でも崩したその先舌の上で、甘酸っぱい果実が弾けた。カフェ店内の雰囲気は、レトロをモチーフにした小奇麗な喫茶店。回転率がお世辞にも良いとは言えないが、一人一人に居心地のいい空間を提供するための雰囲気づくりが何より好きだった。勇気を持って履歴書を持参して、雇ってくれたマスターは、俺の事情も十分理解してくれた。厨房でのバイトは楽しくてしかたがなかったのだ。

 べこ、と親指で缶が力強く押された音が嫌に耳にこびり付く。

 同僚が、の後になかなか言葉を続けなかったのは、言葉にして吐き出す気力がなかったから。言いづらいことを赤の他人に言うときに、こんなに腹に力を籠める必要があるのか。臍のあたりを無意味にへこましたって、筋力を使わなきゃつっかえた言の葉は吐き出されやしない。だが、阿吽の呼吸の幼馴染は何もかもがお見通しだ。どれほどに俺が、自分自身で焼き尽くされるはめになったか、呆れるほど目に見てきたのが彼女なのだから。だから彼女は俺を甘やかす。俺が口火を切れないのであれば、彼女が真っ先に火を灯す。そうして俺は着火した炎に息を吹きかければいいのだ。


「同僚に言い寄られた。とかだろ?」

「……三人だよ。男一人、女二人」


 楽しくない探偵ごっこ。名探偵の推理が的中したところで褒めたたえてくれる観客なんかいやしない。現に探偵役にまんまとあてはめられたミワの口は重い。彼女に不愉快な役を担わしてしまったことも、不快さに拍車をかける。俺はまずくて仕方のない、苦みを煮出したような麦酒をぐいぐい煽った。


「誰にも特別扱いしてねえ。ただ仕事の会話してただけだろ。それなのになんだ、運命だのなんだの。バックヤードで揉めに揉めて、マスターが迷惑そうにしてたよ」

「それで辞めてきたのか」

「辞めるしかねえだろ」


 俺は断じて人たらしではない。人に勘違いをさせるような言動もしない。それどころかミワと家族以外の人間に対しては、明確に線を引いている。飛び越えられない白線を引いて、重ねて強く、太く引いている。それなのに、望んでもいないのに。何が楽しいのか、白線を踏んで、地面に足を擦りつけ、白線をぼやかしてしまう人間が、俺の周囲には砂糖に目の眩んだ蟻のようにむらがってくる。


「仕事も、揉めてやめちまったし」


 俺が正社員にならずにバイトをしているのには訳がある。フリーターという働き方が好ましいからという理由でバイトで生計を立てているわけじゃない。半年前までは、新卒入社した会社で汗水たらしながら仕事に勤しんでいた。だが今回バイト先で起こったような事件を引き起こしてしまったのだ。同じ新卒入社の同期、配属先の先輩。後は数えるのも面倒な奴らに厄介に付きまとわれ、精神は摩耗。擦り切れてぼろ布になったところ、すべてを穏便に跳ねのけたと思ったのに、待っていたのは針の筵。やれ俺が誑かした、甘い言葉で囁いた、股の数は数えきれない。囁かれた悪口はやがて尾ひれを付け、肥大化し、虚像は真実となる。気づけば会社に居場所などない。俺は追いかけまわされ、追い立てられるがごとく退職した。

 学生の頃からだ。どうしてやっかいな付きまといに悩まされ続けるのだろう。俺はどうでもいい他人には心底興味がない、それが誰であろうとも、そのスタンスを貫き続けている。ミワ以外には心許さず隣を許さず、そうなれば付き合っていると誤解される回数は、小学校から中学へ、そして高校へと上がるタイミングで数えきれないほど増えていった。振り払っても振り払っても消えることのない雑音に苦心して煩わしいと眉間に皺を寄せた回数は数えきれない。

 女子というものは狡猾で計算高く、やがて俺はミワへの嫌がらせに対処できなくなってしまった。庇えなくなってしまった。高校生になる頃にはミワは事務所に入りめっきり強くなっていたし、嫌がらせも陰口も適当に受け流していたけれど、俺のせいで雑音が彼女の耳元に常に付きまとう生活をさせていることを悔いていた。

 けれど、俺はミワの隣を手放せなかった。彼女だけは、俺の隣に居てほしい。彼女が最後の砦だからだ。ミワだけだ。俺の心を見透かして、ずっと隣に居てくれたのは。俺の夢を笑わずに、一緒に手を繋いで走ってくれたのは。だからこそ俺にとってミワは特別なんてもんじゃなくて、世界の中心である。そうあるべきだと思っている。

 感謝すべきだ。彼女が歩む道はなんであれ、俺はその道を尊重し続けるべきだし、そんな彼女をまるごとすべて愛するべきだ。そう決まっているのに、ジグソーパズルのピースがうまく嵌らなかったことに癇癪をたてる子供の様に、地団太を踏み続ける幼子の俺はなんて醜く小さいのだろう。

 今なら逃げれるよ、と砂利粒よりも小さな善良な俺が囁いた。エレベーターの数字は地上に近づき小さくなっている。俺とこの数字が重なる前に、回れ右をしてしまえばいい。そうすれば、俺は聖人君主でいられる。友を友として応援し続ける。最後の人格を失わないで済む。つま先が、ぴくりと動いた。

 ぶー、とズボンの中で小刻みに揺れた。それはスマートフォンの通知だった。ロックされた画面に映し出された短文が、鈍く光っている。それが視界に入ったとき、俺の狂いは正しさとなった。清らかさも、美しさも、すべては俺の足元で跪き、俺の泥まみれのスニーカーで踏みにじられるが華だ。


『来て。待ってるから』


 誰でもない友が、俺に自ら研いだ美しい剣を渡してくれたのだ。

 刃こぼれのしていない美しい銀色の先端で、俺は俺を殺しに行く。

よろしければ評価、ブックマーク等よろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ