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幕間4

 私の家の自家用車は、ありふれたシルバーの車だ。メーカーだとかはよく知らない。エンブレムを見ても、何度父親から教えられても、興味のない横文字は頭の片隅にも置いておけない。燃費が良く小回りが利くのが使いやすいと、母親はよく口にしていたことだけ覚えている。そんな乗り慣れた車の後部座席に、私と澄は隣り合って座った。私の母は運転席に乗り、澄の母親は助手席に座った。くれぐれも安全運転で、と父に口酸っぱく言われた母の運転で、高速を飛ばして都内の事務所へと訪れたのは、電話にて連絡があった次の週末のことだった。向こうからの指示はただひとつ。「動きやすい恰好で来るように」。そうして私と澄は近所のショッピングセンターで売られていた安価なジャージに身を包むこととなった。学校指定の芋臭いジャージを着用するよりは多少はましだったけれど、姿見をまじまじと眺めた時、この姿の自分が合格するビジョンは、これっぽっちも見えなかった。なのに澄が私と色違いのジャージに身を包んでいると、周囲の着飾った同年代の男の子たちをぴしゃりと黙らせられるだけの迫力があった。

 後部座席に座った澄は足を組んで、流れていく都会の景色に目をやり、少しだけ開かれた窓から吹き込む風に前髪を靡かせている。それだけでもう、物憂げな美青年の出来上がりだ。ぱしゃりとシャッターを切ったなら、長方形の中にこの儚い瞬間を閉じ込めることができるだろう。


「……ミワ」

「なに?」

「手ぇ、握って」

「え?」


 私がぼんやりと、澄に浸水していたところに、澄は私に向かって手を伸ばしてきた。白くすべすべしたあの掌に、ほんのりと血色よく桃色が宿っている。けれど指先の微かな震えが、車の振動からくるものではないことに気が付いた私は、請われるままにそっと澄の指先に手を伸ばした。

 綺麗な宝物に、触れた拍子に万が一でも傷を付けたくなかった。だから私はおずおずと、親指以外の四本の指先を、片手でぎゅっと掴み取るように包んだ。私の手に捕らえられた指先は、氷のように凍えていた。

 何も怖気づくことはないのに。澄は無事に事務所に到着したら、あとは言われるがままにありのままを吐き出せばいい。そうすればおのずと契約書が降ってくるに決まっている。未来を見通せる力がなくとも、私にはそんな光景をはっきりと脳内に描くことができた。けれど澄は、澄自身が自分を一番信じてはいない。だから指先に血が通わなくなるし、見慣れぬビル群で気を紛らわせているんだ。どこまでいっても澄は、名の通り澄み切った泉のような人間だった。その尊さに、みんな足がすくんでしまうほどの異様さが実在していることが、朧気な夢のようなのだ。


 無機質なカーナビの音声が、目的地に到着したことを告げた。私たちは近くのコインパーキングに車を止めて、目当てのビルに向かって歩いた。私と澄は、肩と肩がぶつかる距離で密着しながら歩いていた。あるいは、澄はわざと私の肩にすり寄っていたのかもしれない。到着したよ、と母に告げられ見上げたビルは、ぐにょぐにょと伸びるビル群の中でも、ひときわ大きく佇んでいた。否、それが私の昔の記憶から来るものなのかもしれない。幼かった私は、事務所が入っている高層ビルを敵対組織の根城のように捉えていたかもしれなかった。

 受付に母親らが何事かを告げて、淡々と手続きが進み、あれよあれよと私たちはあっという間にオーディションが行われる部屋の前まで案内された。私と澄が同じ部屋に通される、と聞いて驚いた。書類を送ったのは同じ窓口だったけれども、澄は男性で、私は女性だ。当然、面接の審査は別々に行われるものだと思っていたのに、二人一緒に同部屋で審査が実施されるらしい。それが芸能事務所では一般的なのか違うのか、幼く知識も無い私にはさっぱり判断が付かなかった。ただ、母親に背中を押され、二人して深々と頭を下げながら扉を開けた。母親二人の「頑張って」という声は、みるみるうちに扉に閉ざされてかき消されてしまった。

 入室すると、部屋の中には音ひとつ発生しない歪で不安定な空気が広がっていた。緊張の最中、長机の前にずらりと並んだ五人の面接官たちに挨拶を促され、あらかじめ指定されていた歌とダンスを披露。必死に音源にかじりついた素人の真似事を、澄も私も当時の幼い私たちにできる限りの表現を目いっぱいに広げた。東京ドームとはまるで規模の違う、たった五人の審査員に見つめられて、私と澄の数十分のパフォーマンス審査は終わりを告げた。

 ぜいぜいと私たちが荒い息を整えている間、目の前の審査員たちはぱらぱらと書類を捲っていた。一瞬視界に入った顔写真から、それらが私と澄が事前に送付した履歴書の類であることはすぐに分かった。

 中央に座っていた男の人が、ハットの位置を正しながら何事かを隣の人と囁きあっている。どうして室内なのに彼は帽子を被っているのだろう、と私は緊張でどうにかなりそうなはずなのに、心境に反してどうでもいいことを考えていた。


「澄くん。きみは、すごく格好いいね」

「……ありがとう、ございます」


 素直に受け取るべき誉め言葉だ。それこそ、この場で容姿を率直に褒められることは、アイドルになりうる逸材であると褒められたの等しい。だが、私の耳には澄の返答は酷く濁って聞こえた。なんとなく、嫌な予感がした私はそろり、と横目で澄の顔を伺い見た。彼は顔を上気させ、息を整えながらしっかりと面接官の顔を見つめていた。だが、部屋に入る前の緊張感や、夢と希望にあふれていた眼差しとは正反対だ。深い霧の中から聞こえた声の正体が掴めず、訝しんでいるかのようであった。


「ただ、君は後ろじゃ踊れないね」


 その時、私は気が付いた。この人は「社員さん」ではない。あの時東京ドームで眺めたトップアイドルの後ろで踊っていた、ダンサーの一人だ。そして私たちがダンサーだと思っていた人たちは正確に言えば、先輩のバックで踊り続けることで下積みの経験を積み、デビューへ向けて活動しているアイドルの卵たちだったのだ。


「オーディション受かって、即デビューってわけにはいかないんだよね。当然、下積み生活をしてもらうことになる」

「そんなの、できます。アイドルになれるなら」

「うん。君は根性ありそうだから、大概のことは乗り切れるだろうね。ただ、君は後ろで踊るにはひどく目立つ。前を食っちゃうくらいにね」

「……?」


 澄は目の前の相手が何を言っているか到底理解できないようであった。外国語どころではない、地球外の言語で説明されたかのように、硬直していた。だが、私には目の前の未来のアイドル候補の一人が、含んだ言い方をしながらどうやって説き伏せるか考えあぐねている様子が手に取るようにわかった。


「それは名誉に聞こえるかもしれない。後ろで悪目立ちとは真逆に、異彩を放つ君は輝きそのものかもしれない。けど、それじゃだめなんだ」

「なにが、だめなんですか」

「君は君一人で輝ける。だからこそ、努力が見えづらく、バックストーリーも生まれにくい。見守りたい、応援したいと言う欲が生まれない。輝いても輝いても、もがいても何も生まれないんだ。――なにも、欠けていないからこそ」


 私はそのときはじめて思い知った。壮絶なカリスマも、美貌も。度を過ぎれば恐怖となり、人を遠ざける。アイドルに一番必要とされるもの。それはきっと、「親しみやすさ」なのだ。ファンから見たアイドルは、ファンと「同じ」人間であることを納得させながら、一線を画さなければならない。本物の天井の星は、天からどれだけ手を伸ばそうとも、地上の民にとっては眺めるのが辛いのだ。

 なんと愚かな世界だろうか。あまりにむごい現実に、目を背けたくなった。こんなものが世界の理だというならば、是非すべてひっくるめて潰してしまって再構築して頂きたい。

 まるごと、自分という存在を否定された澄は打ちのめされているようだった。本当のところは、澄自身が全否定されたのではなく、アイドルとしての澄の価値を否定されただけだ。けれど、長年澄の隣で生きてきた私には悲痛が見て取れた。どこか達観したところで生きていた澄が、初めて志した夢を追いかけようとしていたのだ。だが走り出すより前に、足を引っかけられて転んだようなものだった。

 澄と面接官とのやりとりが一通り終わると、私に順番が回って来た。けれども肝心要の自分の順番だったというのに、いくら記憶を掻きむしってみても、何を質問されていたのか正直ぼんやりとすら覚えていない。当初の予想通り、私はやっぱりおまけだったから、なにかそれっぽいことを一言二言言われた気がする。だが、そんなものどうでもよい。私の中に生まれた焔は、気に食わない審査員の煽り風に揺れ、ごうごうと燃え上がった。

 解散を告げられ、もしも合格していれば後日電話で連絡するとテンプレートのようなお言葉を頂いた。恐らく家の電話が鳴らないであろうことは、私も澄も分かっていた。口を瞑んで控室へ戻ると、私と澄の顔を一目見るなり「美味しいもの食べましょうか」と何も聞かずに優しく微笑んだ母が誇らしくもあり、上手く答えることのできない私と澄は気恥ずかしさの中にあった。

 何を話すでもなくエレベーターホールへと向かうと、先ほど澄を嬲り殺しの寸前まで言葉を浴びせかけた男の人がいた。私の足は、勝手に動いていた。誰も私を止める者はいない。正面に立ってもなお、私を見ない彼のために、私はわざわざ服の裾を引っ張った。それは、精一杯の抵抗だった。


「あの、私に足りないもの、欠けているものを全て、教えてください」


 イミテーションはどこまで行っても所詮偽物だ。けど、偽りの灯りが、誰かを照らせる星に匹敵するほど輝けたのならば。

 この地球で、本物の星だって少しは呼吸しやすくなるんじゃないだろうか。

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