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序幕

 苛烈な閃光が眼球に襲い掛かった。


 これは比喩ではなく、事実だ。暴力的な熱量が、剥かれた瞼に爆風を浴びせた。脳天から垂直に突き刺すような痛みによって、全身が痺れた。この時この瞬間、破壊力を以て、直撃した落雷は俺を串刺した。

 あんぐりと間抜けに、開けた口を閉じることも忘れた。俺は視線のその先にただ釘付けになり、天に向かって熱く掲げていたはずの両手は、痺れによって力なくぶらりと垂れ下がった。

 鮮烈な星が、いまこの場所に存在する特殊な宇宙の中央で瞬いている。薄暗い空間の中、ぎゅうぎゅう満員の中で人々が両手に持つそれはちっぽけな星。その光の海に漂うその人は、片手を大きく突き上げた。

 汗が、一粒飛んだ。その人が流した汗は、大粒のダイヤのようにきらりと輝いた。

 そうして、宇宙の真ん中で涙ぐんでいた彼の人の、切れ長な美しい瞳は、そんな汗に負けず劣らずの何百カラットもの光を携えていた。


「今日は本当にありがとう!」


 長丁場を乗り越えた喉の奥底から感謝の声が紡がれ、マイクを通したかすれ声が場を支配した。わっと歓声が沸き起こる。ただしその歓声は、空間中に広がる爆音そのものだった。甲高い声、悲鳴にも近い声が輪になって駆け巡ることで、狂気的な音となり、中央に立つその人に浴びせかけられる。斜め前では涙ぐみ、いや涙を止める術を知らず、自分自身に浸りながら必死にペンライトを振る女性の姿が見えた。この空間では、他人から自分がどう見えるかだなんて誰も気にしてはいないのだ。誰も彼も、この一時一瞬に全てを懸けている。中央に立つその人の一挙手一投足を欠片も逃さない意地と、そして何より愛を込めている。

 東京ドーム。日本で一番有名なドームは、野球チームの本拠地であるが、試合が休みの際にはコンサートホールとしても利用される。ただし、その舞台を公演として使用するためには、日本でのある一定のステータスが必要といっても過言ではないだろう。会場を埋める圧倒的人気、知名度。公演を遂行させるだけではなく、観客を満足させること、満員御礼にするポテンシャルも求められる。すべてを満たしたうえで公演を成功させれば、更にアーティストとしての箔が付く。

 そして本日、とある有名なアイドルが、その東京ドームで全国ツアーの最終公演を行っていた。

 チケットが偶然手に入ったのだ、と幼馴染の母親が俺を誘ってくれた時、俺は当然乗り気ではなかった。その名前は、アイドルに疎い俺でも名前を聞かされた時「嗚呼あの人か」と頭に姿が思い浮かんだくらい、日本有数の名のあるアイドルだ。テレビでも映画でも、バラエティでも何でも、彼を見ない日は無かった。だからといって俺はあの頃、同性のアイドルに興味のない年頃だった。しかし「いらないです」と、半ばつっけんどんに答えると、いつも穏やかで優しい幼馴染の母親が、俺に見せたことのないくらい顔を輝かせ、驚くべき程何十倍もの熱量で語りだした。

 曰く、これは”当たり席”のチケットであること。至近距離で彼を拝める、こんなチャンス二度とないに違いないから暇ならぜひ見に行こう。アイドルというものは画面越しに眺めるのと、実際に肉眼に入れるのとでは間違いなく、印象が異なる。

 では実際どのように異なるのか、と僅かばかりに沸いた興味から尋ねてみたのだが、彼女は首を横に振った。たとえ千の言葉を使って説明したところでなにも伝わらないだろう。だからこそ現地に足を運んで、体感してみたほうがいい。何度も何度も熱弁され、俺は最終的に、隣に居た幼馴染に視線をやり「お前はどうする」と尋ねてみることにした。自分の母親が熱心なアイドルのファンであることは重々承知していた幼馴染は、突如として熱くなり、自分たちと同じ年代の少女のようにはしゃぎだした母親に全く動じていなかった。見慣れているのだろう。きっと散々、母親の熱に中てられ続け、耐性が付いているに違いない。

 幼馴染は母親とは異なり、さしてそのアイドルのファンというわけではなかったらしいし、興味も微塵も抱いていなかったようだ。だが、何の気まぐれだろうか、幼馴染が「行こうかな」とぼそりと答えたから、「じゃあ俺も行くよ」と最終的に回答した。

 それくらい平熱だったのだ。

 パン、と破裂音が舞台の両サイドから鳴り響いた。ぱらぱらと銀色のテープのようなものが高く解き放たれ、空中を十分に浮遊した後で、客席に雨のように降り注いでいた。細い銀の糸のような雨。恵みの雨のように、客席に向かってさらさらと降り注いでいく。まるで中央に立つ彼が、天に請い、天井に住まう誰かが彼のために叶え、地上に住む乾いた俺たちへ焦がれた通り雨をもたらした様。

 この場所に存在する全ての人が、それぞれ抱えきれない程の愛を持ち、各々の愛を、たった一人、そう、ステージの上の光を纏う彼だけにぶつけていた。それは非常に重く圧し掛かるもので、気圧されれば足を取られてしまうのではないだろうか。

 だが、中央の彼は愛を受け止めきり、愛を跳ねのけもせずむごむご被弾をすることもせず、ただ愛を受け取るたびに、その愛を吸収し輝きを増し続けていた。


(俺も、あそこに立ちたい!)


 終演後のドームは、未だ異様な籠った熱が漂い続けていた。

 俺の額からは、ぽたぽたと汗が滴り落ちた。俺の汗は、ただの汗だ。あのアイドルのような輝き一つも何もない。人体の発汗だ。皮膚に浮かび上がってきたのは、塩気を含んだ一滴である。

 チケットを用意してくれた幼馴染の母親に、ありがとうありがとうと何度も繰り返し告げた。こんなにも愛という星を間近で目の当たりにできるだなんて思ってもみなかった。ビッグバンに巻き込まれた俺は、出立の際やる気なく車に乗り込んだ俺と、もはや別物になってしまった。俺は今日、一度生まれ変わった。ずたずたと俺の内なる外壁を切り裂いて、心は生まれたての丸裸になったのだ。

 あらあら、と笑う彼女。さっきはうちわを掲げ、たった一人の彼に向かっていつもとは異なるソプラノの声で愛を叫んでいたはずなのに。コンサートが終わり一気に体温が奪われると、まるでその愛は空調の冷たい風に攫われてしまったかのように見る影もなかった。彼女はいつもの、見慣れた穏やかな他人の母の顔に戻っていた。幼馴染の家に入り浸りがちな俺を、嫌な顔せず心から歓迎し、いつも玄関で優しく向かい入れてくれる慈愛に満ちた顔。


 脳裏に焼き付く、全身を襲った衝撃的な光景、興奮、高鳴り。

 だがそれほど胸に刻印された記憶に、ひとつぽっかり、深く暗い穴が空いている。

 どれほど丁寧に、あの焦がれた強烈で痛烈な宇宙を思い返しても、俺は隣の席に居たはずの幼馴染の顔が、表情が、これっぽっちも思い出せない。

 それでも俺は肉体の内底から信じている。幼馴染は、自分と同じくらい熱狂と愛に溢れていた顔をしていたはずだ。それだけは、確信している。だからこそ記憶の中の、薄ぼんやりとして霞のような幼馴染の顔に、歓喜を絵筆で自由に描く。そうであるはずだと、鮮やかなインクで記憶を彩っていく。そうすればするほど、それが俺の中であるべき本当になっていく。

 そうであれ、と両指を固く交差させ、俺は祈るのだ。

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