第二十四話 令嬢
ヒルダがちょっと強力過ぎたかな?
リンクマイヤー公爵家の前に一台の豪奢な馬車が止まった。家格を考えればおそらくは不思議でもない様なものなのだろうけど、家の主は今居ないよね。てことはあの馬車に乗ってるのは。
下に絨毯のようなものが敷かれて屋敷の入り口まで赤い道が渡される。馬車の扉が開いて白い日傘を持ったドレス姿の女性がゆっくりと降りてくる。
女性は白い日傘をクルクル回しながら赤い道を進んでいく。さながら花が川面を滑って流れていくような感じだ。こういう時の擬音はぴるるでいいのだろうか。
やがてその花は屋敷の入口に辿り着いた。扉の前で待機していたらしき執事が扉を開き、まるで自分の家であるかのように乗り込んで来た。
「テオドール、テオドールは居ませんの?」
「ヒルダ、来るのが急過ぎると思わないか?」
「あら、お義父様がいらっしゃらないのなら、あなたに屋敷を取仕切る事なんか出来ないでしょう?」
「ぐっ」
ヒルダって女がクスリと笑いながらテオドールをバカにしている。顔はかなりな美人だ。胸のサイズは私並みだけど。あ、私の胸はおっぱい未満ってだけでない訳じゃないからね! 髪の毛は赤い。真っ赤で燃えるような赤だ。
「テオドール、執務室へ案内してちょうだい。私が書類仕事をやるからあなたは社交にでも出掛けてくださる?」
「そうだな。適材適所ということか。こっちだ」
テオドールとヒルダが連れ立って歩いていく。あのテオドールが癇癪を起こさないのはびっくりだ。いや、あれは私が庶民なのに逆らったからか? 判断基準は胸の大きさでは無いらしい。
ヒルダはノックも無しに執務室のドアを開けた。中で書類仕事をしていたエドワード様はとてもびっくりしていた。
「あ、義姉上!?」
「ごきげんよう、エドワード。大変でしたね。私が代わりますからあなたは好きな場所に居なさい」
「いけません、義姉上。この仕事は私が父より任された仕事で」
エドワード様の言葉にヒルダはテオドールをギロリと睨みつけた。
「どういうことなのでしょうか? 私はテオドールが任されたと聞いていたのですが」
「そ、それはこいつらが父上の手紙を改竄して」
「公爵家の印章で封蝋しているような手紙をどこの誰が複製出来ると思っているのですか!」
ヒルダの一喝にテオドールが黙る。そしてヒルダはエドワード様に向き直った。
「あなたもあなたです、エドワード。あなたは確かに書類仕事が優秀ですから、お義父様のいらっしゃらない時に代わりに仕事をした方がいい、というのは分かります」
ヒルダはなかなか話のわかる人の様だ。でもそれならなんでこんなに喧嘩腰なの?は火事と喧嘩は江戸の花なの?
「ですが! 跡取りは間違いなく長男たるテオドールなのですよ? 今のうちに政務に慣らさないといけません。その為に私がここに来たのですから」
そう言ってヒルダはにっこりと微笑む。花の貌とはこういう笑顔を言うのだろうか。いや、寒気がしてくるんだけど、あの笑顔。
「エドワードにもやるべき事はおありでしょう? 何しろ早くこの家から出なければなりませんから」
「義姉、上」
「何をぼさっとしているのです。引き継ぎをしますよ。ほら、書類をこちらに寄越しなさい。いえ、その席を明け渡しなさい」
エドワード様が今座ってるのは公爵様が執務時に使っている、言わば「公爵の椅子」である。それを明け渡せというのは地位の簒奪と取られても仕方ない。ただし、それを男性が言えばである。この国では、女性は基本的に爵位を継げないので、椅子を明け渡せと言われたところで、座らせろという以上の意味にはならないのだ。
だがもし、そんな女性がエドワード様よりも手早く問題解決などをし始めたら? 公爵家の家臣たちに指示し始めたら? テオドールの名代という事になり、エドワード様はおしまいだろう。
「ううっ」
「早く退きなさい!」
このままでは気弱なエドワードは負けて譲ってしまうだろう。何とかしなければ。そうだ、手紙だ。私はわざとらしく手紙を転移で机に置いて去った。
「? いま、何か居ませんでした?」
「き、気の所為ですよ、義姉上。そ、それよりもこれを見てください」
エドワード様が公爵様の手紙を見せつける。手紙を一読してヒルダは溜息を吐いた。
「これは、間違いなく公爵様の筆跡。しかも執事のベルガーに後事を託しています。テオドール、あなたの出る幕はないではありませんか」
すごく詰まらなそうに言う。
「な、何が違うのだ?」
「全然違います。これでは公爵様が仕事を執事のベルガーに割り振っただけ。それをエドワードにも手伝わせろと」
「ならば私がやったとて変わらないのではないか」
「それを決めるのはテオドールではなくてベルガーです。そこにしゃしゃり出れば公爵様の命令に背く裏切り者という事に」
おそらくヒルダはそこまで分かってて、それでもなおゴリ押ししてきたのでは無いだろうか。無理が通れば道理が引っ込むという。おそらくは無理を通して実績を作り、それを持って踏み込むつもりだったのかと。
「来てしまったものは仕方ありません。しばらく逗留させていただきます。よろしいですわよね、テオドール?」
「あ、ああ、もちろんだ」
ここで公爵様が居てダメだと言えばヒルダは帰るしかないのだろう。でも屋敷に人を泊まらせるくらいならテオドールでも出来る。
「では、エドワード。しばらくはお世話になりますわね。分からないことがあったらいつでも聞きにいらっしゃい」
「ご配慮ありがとうございます、義姉上」
そしてそのままヒルダは部屋を出ていった。エドワード様は大きく溜息を吐く。
「危ないとこでしたね」
「キューか。助かったよ。あの手紙がなかったらなし崩し的にやられるところだった」
どうやらエドワード様も今のやり取りの危うさが理解出来て居たようだ。
「エドワード様」
「なんでしょう」
「私を秘書メイドとしてお使いください」
「あなたが、メイドを?」
「はい、そばで守らないといけないと思いますので」
私は一応こういう政治的な事柄もあの研究所で叩き込まれたからそれなりに対応出来る、と思う。わかんないところはベルガーさんを頼ろう。