制裁(episode188)
あいつに恥をかかせてやるわ!
ドナさんがピアノを弾く。曲名はよく分からないけど、なんかのピアノソナタなんだろうと思う。知らんけど。まあ時間の都合もあるので弾くのは極短いところだけだ。
弾き終わると観客から拍手が出る。と言っても大半は身内の方々なんだけど。ミリュースカヤ夫妻は静かに拍手をしている。波風立たない様に義理でやってんのかなって感じだ。
「お前も弾いてみたらどうだ?」
「いやですよ恥ずかしい」
そんな会話まで聞こえてくるから恐らくエカチェリーナさんはピアノを嗜んでいるのだろう。聞いてみたいなあ。
「皆様、ありがとうございます。ところでそちらのティナさんもピアノを嗜んでおられるとか? ぜひ聞いてみたいですわ」
はあ? 私がピアノ? いやいや、ピアノはおろか楽器と名のつくものなんか触ったことないけど? 貴族の嗜み? 私らの世界では楽器ってのは一部の好事家とかがやるもので、聴きたい時は楽団を呼んだりするだけなんだよ。
「では、ティナさん、壇上へお越しください」
いつの間にやらとりまきの若い男がマイクを占拠して居たようで私を壇上に呼ぶ。いやまあ行くのは構わないし、恥をかくのも仕方ないかとは思うけど。
「では、曲を披露してもらおうかしら」
「ええと、申し訳ありませんが私は楽器とか特に得意ではないんですけど」
「出てきた以上は弾きなさい」
そんな無茶な、と思いながらもピアノの前に座らせられる。いや、席に戻ろうとしたんだけど、とりまきの奴らがね。力づくで排除しても良かったんだけど、後でイチャモンつけられても困るし。
私が途方に暮れているとエカチェリーナさんがすっと立ち上がって壇上まで来てくれた。
「可愛らしいお嬢さん? 私が代わりに演奏しても構わないかしら?」
「えっ? ええと、いいわ。やらせてあげる」
エカチェリーナさんは私の手を引っ張るとピアノの前に私を座らせて手を置いた。
「いい? 音楽というのは心から楽しいと思ってやるものよ。いやいややっても上達はしないし、いい曲も奏でられない。だから先ずは楽しみましょう」
そう言うと私の手を鍵盤に載せた。軽く鍵盤を押し込むと音が鳴る。どんな仕組みなのかは聞いてみないとわからない。
「先ずはこれとこれとこれで和音ね」
ポーンと重なった音が綺麗に聞こえる。
「これも和音。さっきのとこれを交互にやりなさい」
違う和音を教えてもらった。私は言われた通りに鍵盤に指を置いて和音を押す。ポーンと音が紡がれて面白い。
「そのままそちらで弾いていてね」
エカチェリーナさんはそう言うと私と身体が当たらない位置に陣取ってピアノに両手を置いた。すぅっと深呼吸をしたかと思うと、音が弾けた。
私はピアノというのは綺麗な音を出す楽器だと思っていた。しかし、綺麗なだけではない。エカチェリーナさんの奏でる音楽から感じるのは凄み。周りを圧倒するような音の奔流。私は一生懸命和音を押したが、それすらも飲み込むように曲に組み入れられて場の空気が支配されていた。
若い男女たちはポカーンとしてる。ドナなんか呆然としている。こんなはずじゃなかったのにって顔だ。というか弾けない人間にやらせて笑いものにしようなんて根性が間違っているのだが。
エカチェリーナさんが弾き終わると旦那さんが「ハラショー!」と言って立ち上がって拍手していた。タナウスさんも同じく拍手している。
呆然としている若い男女を尻目にエカチェリーナさんは舞台から一礼すると私を連れてステージから降りた。
「やあカチューシャ。いいものを聞かせてもらったよ」
「いやだわ、ついつい身体が動いてしまって。でももう歳ね。思う通りに指が動かなかったわ」
あれだけの演奏をしといて「思い通りじゃなかった」なんて、じゃあ思い通りだったらどれだけ凄かったのか。
「さすがにマスクヴァの妖精と呼ばれるだけの事はありますな」
「まあ、今のその称号は別の者が相応しいですわね。私はもうおばあちゃんですもの」
そう言ってエカチェリーナさんは上品に笑う。タナウスさんは知っていたのか。エカチェリーナ・ミリュースカヤ。カチューシャの愛称て呼ばれるピアノの名手。国立歌劇場で何度も演奏した露帝国の至宝とまで呼ばれた女性なんだそうな。激しい争奪戦があったが、ミリュースカヤ伯爵家が嫁に迎える事で治まったのだとか。タナウスさんが教えてくれました。割と詳しいじゃん。えっ、何度も欧州にまで演奏旅行に来てたの? なるほど、それで知ってたのね。
結局、そのまま食事会はお開きに。めいめいが部屋に帰って私らも部屋へ。当然ながら私とタナウスさんたちの部屋は別だ。イオタさんはタナウスさんのボディガードなので当然部屋もそっち側。
で、男部屋と女部屋は別れてるそうな。あ、ミリュースカヤ夫妻は同じ部屋なんだって。こっちは夫婦用の部屋だから別らしい。
私も部屋に戻って休む。ベッドに倒れ込むとベッドの柔らかさを感じる。船だけどベッドはまるで一流ホテルのベッドみたいだ。とても柔らかくて眠くなる。おやすみなさい。
深夜。ドアの方に気配がする。どれだけ眠っていたとしても気配があれば目が覚める。これは冒険者として鍛えてきた成果だ。いや、こんな所で役に立つとは思わなかったよ。
「おい、開いたか?」
「ばか、まだだよ。どの鍵か分かんなくってさ」
「早くしないと鍵パクった事かバレちまうだろ。急げよ」
「そう急かすなよ。女部屋の鍵なんてそういくつも……おっ、開いたぞ」
「へっへっへっ。楽しみだなあ。胸がデカい女は感度が悪いって言うけど本当かねえ」
「知るかよ。今から確かめりゃ良いじゃねえか。それに感度が良かろうが悪かろうがやる事に変わりはねえだろ」
「違ぇねえな」
四人の男が入ってきた。あー、あの女どものとりまきかな? まあエカチェリーナさんの方じゃなくて私の方に来たのは良かったと言うべきか。とりあえず薄暗い中で廊下から光が入ってくるのでなんとなくはわかる。
「金門〈閃光〉」
私は大光量の光を浴びせた。闇の中に爆発的に光が出るのだ。そりゃあ目潰しにはなるだろう。一人がのたうち回ってる。