第百十七話 出航
旅立ってしまいました。
ティーチはなんと逃げようとした。そりゃあもう、脱兎のごとくだ。国王陛下の御前? いやもう関係ないみたいな感じだ。だが、上半身は逃げようとしてるのに下半身が縫い付けられた様に動いていない。
「逃がすと思った?」
そう言ってクスクスと笑う。室内なのに風が吹いている。その風が、ティーチの足下にまとわりついている。
「ひっ、おれが、オレが悪かった。すまねえ! だから、だから許してくれぇ!」
ティーチは泣きながら懇願している。そうしてたらボソリとそれまで空気のようだった騎士団長さんが喋った。
「アルテミシア……嵐青の魔女か!」
「その呼び方は好きではないの。今の私は一児の母。いえ、もうすぐ二児の母ね。未亡人の、になるかは分からないけど」
「ひ、ひいっ!?」
最後の一言でティーチの恐怖心が決壊したのか、その場にへたりこんだ。かなりヤバいと思うんだけど。
「ママ、や、やめて」
「いいこと、ロッテ。男はね、こうしてしつけていても直ぐに忘れちゃうものなの。だからね、……魂に刻まれるくらいのお仕置をしなきゃね?」
これはいよいよティーチの命が危ないようだ。そこに口を挟んだのはなんとテオドールである。
「そこまでにしてもらおう。話が進まんのでな。夫婦喧嘩なら家でやってくれんか? 国王陛下とて暇では無いはずだ」
「それもそうね。お騒がせしました」
アルテミシアさんが言うとティーチの足下の風が消えた。ティーチはなおも動かない。いや、腰が抜けて動けないのかもしれない。
「テオドール様、でしたか。関税の一時撤廃についてのご説明をお願い出来ますか?」
「ああ、わかった」
テオドールが説明する事には、交易の利用を増やして品物が街中に行き渡るようにしたいと。その代わり、街から持ち出す際には税金を課すのだという。いわゆる交易税というやつだ。私的にはこっちの方が困る。かと言って転移で勝手に持ち出すのも違うし。
「事情は分かりました。船舶ギルドはその提案を歓迎致します」
アルテミシアさんがピシリと言う。発言権があるとは言ってないと思うのだけど誰も異を唱えない。
「そう言って貰えて助かる。さて、それでは冒険者ギルドの方他が」
「な、なんだぁ? 面倒はゴメンだぜ」
「悪くない話だ。街中の治安維持に冒険者ギルドに街中巡回の依頼を出してもらいたい」
「そんな退屈なことやる冒険者がいるとでも思ってんのか?」
ケネスはそんなことを言っているが、冒険者全てがそういう血の気の多い討伐や探索などの仕事を望んでる訳では無いと思う。
「治安維持活動ならば冒険者ギルドの悪いイメージを払拭する良い機会だぞ?」
前領主の時の冒険者ギルドはいわゆるチンピラの溜まり場という感じだった。まあ当時のトップが領主とズブズブだったんだから仕方ない。もっとも、冒険者の気風は独立独歩だから気に入らなければ街から出ていくだけだ。
「分かりました。一応依頼だけは出させて貰いますよ。それで資金は」
「無論、国王陛下がご用意して下さる。そうですね」
「おうよ。街中の治安維持は最重要課題だからな。衛兵を雇い直すのに比べりゃ安いもんだ」
それなりに前領主に追従した衛兵も居たようで兵の半数以上は解雇となったそうな。現在再編成が進んでいる。
「さて、キュー」
「お断りします」
「まだ何も言ってないぞ?」
「厄介事の臭いがしました」
「……察しのいい事だ。だが頼まれてくれんか?」
テオドールは苦笑しながら私に言う。冒険者としての私への依頼らしい。むう、それは無碍には出来ない。
「お前に依頼したいのはエイリークをはじめとした奴隷として連れて行かれた奴らの捜索だ」
ガタン、とアンナが立ち上がり身を乗り出す。あー、アンナ、そんな顔しないでよ。私が断れなくなっちゃう。
「それなりに場所は分かっているが、どれくらいの距離になるかは分からん。貴様なら転移とやらで、行き来も簡単だろう?」
「いや、簡単という訳では無いですけど」
言ったことのないところならば視界の届く距離がせいぜいだ。それでも大分距離は伸びてるが。
「お主が頼りだ、頼む」
「キューさん、お願いします。お父さんを、お願いします」
テオドールはともかくとしてアンナにまで頼まれてはどうしようもない。私は快く引き受ける事にした。
あれ? この街で商材買って儲けようと思ってたのにどうしてこうなった? ま、まあ、それでも人助けだ。やらねばなるまい。
私は会議を一足お先に辞して、旅の準備を始めた。あ、アルテミシアさんは後から運ぶ約束しておきました。放置はしないよ。
旅支度と言っても私にはアイテムボックスがあるので日持ちのしない料理とかでも平気で保存出来る。保存食って美味しくないんだよね。こういう時にチョコバーとかそういう携帯食料があると便利なんだけど。作るか?
二、三日の後、船舶ギルドに出向いた。ティーチの姿はなかったけど、そこは触れないで欲しそうだったからスルー。アルテミシアさんは家で大人しくしてるらしい。離婚の危機は免れた様だ。
「これが奴隷として売られた人たちの売り先だ。もちろん移動してるかもしれないから正確じゃないけど」
「ありがとう。代官、頑張ってね」
「まあ、難しいのはアンナがやってくれるから負担じゃないよ。気をつけてね」
ロッテは最初の寄港地まで船に乗せてくれる様に頼んでくれた。ついでに船舶ギルドのフリーパスまでくれた。これがあれば帰りも安心である。他の国で通用するかは分からないが。
「じゃあ行ってきます!」
私は手を振って船に乗り込む。船は女を嫌うという迷信を信じてる人もいるらしいが最近ではそこまででもないらしい。なお、帆船である。風がない時は木門の魔法使いに風を吹かせて貰うとか。私の念動でも同じようなことが出来るのかな?
斯くして私はこの国から旅立ったのでした。パスポート? いや、特には必要ないんだってよ。まああっても冒険者ギルドの証明書だけでなんとかなるらしい。偉いぞ。