神使(episode75)
喋る鹿。ちなみにティアは元の世界でもそういう生き物がいるとは聞いたことがあったので普通に対応出来てます。他の人は頭が混乱中です。ガンマさんはプロの戦闘員なので復活が早かった。
広くなった場所に辿り着いた。鹿はそこに生えている草を食んでいる。ゆっくりと、咀嚼をしていた。改めて見ると見事な体躯だ。四メートルもの肉体にはしなやかに筋肉がついているのだろう。恐らくジャンプすればこの大広間の天井近くまで飛び上がるに違いない。なお、この大広間の天井までは十メートル程だと思う。四階建てのビルくらいあるし。
一通り草を食べ終わった鹿は、私たちの方を見ている気がする。まあ隠れてはいなかったんだけど、何となくね。逃げなかったのは逃げるに値しないと思ってるからだろうか。舐められていると思う。
私は魔法を構えた。必要なのは恐らく詠唱破棄レベルの魔法成立の速さ。ガンマさんはクックリを構える。最悪、角を貰えればそれでいい。まあ切らせてもらえるとは思わないけど。
アンネマリーさんとパルパティちゃんは隅っこに避難している。戦闘能力無さそうだもんね。いや、アンネマリーさんは護身術くらいは嗜んでるし、銃も持ってると聞いた。というか持ち込んでるの? 外交特権? そうですか。パルパティちゃんはエンジェル・ハイロゥ辺りがあれば戦闘出来そうな雰囲気。いや、出来ないよね、分かってる。
鹿はこちらに向かってお辞儀をする、ああこりゃあまあご丁寧に……って、礼をしてるんじゃなくて威嚇なんだっけ? 頭には立派な角が二本生えている。多岐に枝分かれしたその角はかなり立派だ。まあ刺さったら一溜りもない。
カツンカツンと足を鳴らす。警告のつもりだろうか。私たちの様子を伺っているみたいだ。足を鳴らすのをやめて一層頭を下げた。降伏? 否、攻撃態勢だろう。
刹那、目の前から鹿が消えた。ガキン、という音がして、ガンマさんが吹っ飛ばされた。鹿はいつの間にか目の前まで接近している。あの、間合いが五メートルくらいあったと思うんですが、一足飛びですか? というかガンマさんはよく反応出来たものです。私、なんにも見えませんでした。びっくりです。
「かなり、早くて、強い、です」
よろよろとガンマさんが立ち上がる。これは来てから魔法を発動とか言ってられない。予め発動しといて罠にかけるくらいじゃないと。
「地よ、我が声に応えてその姿を変じて糸となせ。土門〈蜘蛛網〉」
私の眼前に蜘蛛の糸の様なもので張り巡らされた網ができる。土門じゃなくて水門でもできるけど、ここには水は無いし、土門の方が丈夫なのだ。
鹿は再び距離を取る。突進で仕留めるのがスタイルのようだ。牙突か何かですかね? あ、牙突なら零距離があるか。
鹿の攻撃。網には当然警戒しているみたい。迂闊に突っ込んで来ない。クルクルと回って……あれ、もしかしてアンネマリーさんとパルパティちゃんに気付いた? そっちを仕留める方が楽だもんね。そうだねー。ってさせるか! 〈土壁〉!
私が土壁を出して二人への視線を塞ごうとした時だった。鹿は急突進で私の方に向かって来た。というかいつの間にか私の土手っ腹まで数ミリの所まで迫っていた。
刺さってなかったのは蜘蛛網のお陰である。もちろん、見えてるやつじゃなくて見えないように加工した蜘蛛網。いや、普通に出しても回避されそうなので、見えるやつと見えないやつで展開場所変えたんだよね。で、そこに突っ込んできた。
正直、読みはバッチリだったんだけど、思ったよりも威力が高かった。というか蜘蛛網でも止めきれないってどれだけの弾丸突進なんだよ。
目の前の鹿は網に身体を取られて必死にもがいていた。そこにガンマさんがフラフラになりながらもクックリを構える。鹿は観念したかのように暴れるのを辞めた。
『見事だ。賞賛しよう。お前たちの勝ちだ。好きにするが良い』
頭の中に声が響く。えっ? この声ってもしかしてこの鹿の声?
『いかにも。我は雪の王。この山に古来から住まう神使だ』
しんし? 変態じゃないよ、仮に変態だとしても変態という名の紳士だよ!の紳士? つまりは変態?
『なんの話をしているのかは分からんが神の使いと書いて神使だ』
あー、なるほど。っていうか八洲語お上手ですね。
『八洲語が何かは分からんが、お主の頭に直接話しかけておるからな。頭の中に別の言葉もあったが、こちらはこの世界の言葉では無い様なので私の方で翻訳が出来なんだ』
うぉう! 元の世界の言葉もお分かりですか。こりゃあますます神の使いというのは本当なんですね。ちなみにこれは同時通訳で他の人にも聞こえてるらしく、ガンマさんとアンネマリーさんは呆然としてて、パルパティちゃんは跪いて祈りを捧げている。
『私に挑んだからには理由があるのだろう? 聞いてやろう。それとも私を殺すのが目的かね?』
「あ、いえ、角が欲しくてですね」
『なるほど。春になれば生え変わるからそこまで待つのなら抜けたてのをやるが』
「あ、いえ。できればもっと早く持って帰りたいのですけど」
『ならば仕方ない。塒に帰れば前に抜けたやつがあったはずだ。持って来てやろう』
出来ればついて行きたいが、それは出来ないという。人の身には辿り着けない場所なんだとか。鹿はぴょんぴょんと飛んで洞窟を出て、そのまま消えてしまった。
ガンマさんが近寄ってくる。私は守ってくれたお礼を言った。
「ありがとうございました」
「いえ、守り切れてなかったです。申し訳ありません」
恐縮そうに頭を下げるが、あれは人類なら無理なんじゃないかな? というかあの突進を受け止めただけで賞賛に値するとおもうよ。
『またせたな。これでどうだ?』
しばらくして戻ってきた雪の王さんが出したのは二本の角。今生えているものよりは若干小降りだが堂々たる大きさの角だ。
『おそらくはあの村の者に渡すのであろう。お役目ご苦労と伝えてくれぬか?』
「はあ、分かりました」
雪の王さんはそのまま再び外へと消えていった。あの鹿、もしかしたら草食べなくても生きていけるやつで、私たちが食事中に襲いかかってくるか試してたのでは? そんな疑問が生まれてきた。