月輪(episode61)
基本的にクマは草食ですが、人の味を覚えたら趣向がそっちになったりしますので、速やかに処理するのが大切です。ティアは価値観バグってます。
「な、何やってんのよ、危ないわよ!」
保乃さんの悲痛な叫びが響く。あの、夜の森なんで魔物とか出たら厄介だから大声あげるのは……あ、この世界魔物いないんだっけ?
「え、危ないですか? 何が?」
「何がって、クマよクマ! 食べられちゃうわよ!」
「またまたー、クマは基本的に草食ですよ? まあ今は冬眠前ですから余程お腹空いてたら食べちゃうかもですが」
「ク、クマは肉食でしょ!」
「そんなまさか。フィアーベアとかブラッドベアとかじゃあるまいし」
「よくわかんないクマの名前は言わないでよ! ヒグマよ、ヒグマ。分かるでしょ?」
よく分からないので鑑定してみる。ヒグマってクマが居るのね。まあ人を食べるクマとかどうかと思うけど。とりあえず鑑定してみようか。
【ツキノワグマ 八洲全土に分布してるクマの仲間。基本的に草食。ドングリやタケノコなどを好む。餌がない時はアリなどを食べたりする】
「人は食べないみたいですよ」
「ど、ど、どうして分かるのよ!」
うーん、どうしてと言われても。そう書いてるもんなあ。私の鑑定に。とりあえず言葉が分からないから意思の疎通が出来ないのが問題だよね。
「ひぃぃぃぃぃ、助けてぇぇぇぇ」
いや、とりあえず落ち着いて。ほら、騒ぐとクマさんもイライラしちゃうから。
「私は、美味しく、ないわよ!」
ええと、美味しいか美味しくないかはその人の好みなので案外合ってるかもしれないんですが。この子は肉食を好まないみたいだから大丈夫でしょ。
まあ放っておいても保乃さんがうるさいだけなので、とりあえずクマさんには退いてて貰いましょう。あー、ちょっと横に避けてね。直ぐに持って帰るから。
私は金門の肉体強化を発動させて、クマをズズズと横に寄せた。クマはビクッとなってたけど、私が危害を加える気がないと悟ったみたいでそのまま横に避けてくれた。
「保乃さん、大丈夫ですか?」
「あ、あ、あ、あんた、何者なのよ!」
「えー、保乃さんには自己紹介しましたよね?」
「ティア・古森沢よね。それは聞いたわ! そうじゃなくてクマを退かせるなんて物凄い力をどうして」
「いえ、クマさんが自発的に避けてくれましたよ」
「地面に跡が残ってんのにそんなわけあるかぁ!」
おっとしまった。下はアスファルトじゃなかった。アスファルトはタイヤを切りつけるからあまり良くないと歌でも歌ってるよね。やはりクマにも良くないんだろうか。
「歩けますか?」
「いや、その、えっとね」
なんかすごくモジモジしてる。よく見ると座ったところの地面が薄く湿っている。これはもしかして……
「そのままだと風邪ひきません?」
「大きなお世話よ! ううっ、お姉様に顔合わせられない」
凪沙なら「まあ仕方ないよね」って笑い飛ばすと思うんだけど。だいたいおおらかだしね、凪沙。ポンコツになるのはタケル絡みの時だけだよ。
でもまあ仕方ない。そのまま抱えて連れて行ってもいいけど下手に暴れられても困るしなあ。そうだ!
「水門の水、火門の温もり、木門のそよ風、合わさりてかのものを洗い、乾かせ。〈洗濯〉」
一度見た事ある、最新式の複合魔法。と言ってもどれも大した威力じゃないからコントロールも平気。すごいのになると竜巻に火柱纏わせるみたいな凄まじいのもあるけど、こっちは全然難しくない。
「ひゃあ!」
保乃さんの股間に水をぶっかけ、その勢いで洗い、
「あ、あ、ああ、んんっ、くんっ」
……なんか嬌声漏れてるけど大丈夫よね? そんでそのまま温風を吹き付けて乾かす。いや、本来なら一気にやるんだけど、肌に着たままだとやけどしちゃうかもだから慎重にね。
「はぁぁぁ、はふぅ」
なんか一層身を悶えさせたよ? あ、もしかしてまだ和尚水が残ってる?
「保乃さん、あの、まだ残ってるなら」
「だ、大丈夫よ! 全部、全部出ちゃったから……」
モジモジしながらではあったが言ってくれたので安心して続ける。やがて、水分がほとんど飛ばされた感じがあったので魔法を停止する。
「どうですか?」
「な、なんともないわ。不思議ね」
「ええと、じゃあ私は仕上げを」
そのまま魔法の風を地面に当てて乾かす。ついでに水もぶっかけておこう。来た時よりも美しく。
「さて、これでよし。帰りましょうか」
「そ、そうね」
そう言いながら保乃さんは私の上着の後ろをちょこんと掴む。えっとこれは?
「ほ、ほら、はぐれるといけないし」
「あー、まあそれもそうね」
というか凪沙さんも未涼さんもそこにいるんだけど。あ、クマさんごめんなさいね。
クマさんはいいってことよ!みたいに言ったのかは分からないけど、のっそりのっそりと洞穴に入っていった。もしかしてあのクマさんの寝床だった? それは確かに保乃さんに突っかかるわ。
「保乃!」
「お姉様ぁ!」
凪沙が保乃さんを抱き締めてあげていた。まあ怖かったんなら仕方ないよね。未涼さんは怪訝な顔で私の方を見ている。
「あなた、クマを素手で退かしてたわよね? 一体何をやったの? まさか、どこかの暗殺拳の伝承者だったりする?」
そんなユーはショックみたいな話はありません。女の子だからタフボーイでもないよ?
「未涼、帰ったら説明するから。今はここから離れましょう」
「それもそうね。いつまたクマが襲ってくるか分からないし」
いや、あのクマさんならもう襲ってこないと思うよ。冬眠用にご飯食べて帰ってきたら自分の家に知らない人が居たらそりゃあ驚くでしょ。しかも言葉も通じないし。今はやっと帰れたって安心して寝てるんじゃないかな?
「お姉様、おぶってください」
「もう、仕方ないわね」
凪沙が優しい。まあ保乃さんが怖い思いしたもんね。こういう時は優しくしてあげるのがいいんじゃないかな。
「あの、ティアさん」
「えっ? 何?」
「お姉様って呼んでもいいですか?」
おぶさったままの保乃さんから声を掛けられた。ええと、なんかのフラグ立っちゃった?