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『ボクはネコ科の男』  作者: 髙山志行
3/8

『ドライブに連れてって!』

 ボクが思うに…

「イヌは頭が良いか。ネコは個性的か」

 それが大切だ。


 なにしろ、バカなイヌほど手に負えないものはない。

「まったく、やんなっちまうよ」

 ボクの友人は、吐き捨てるように言う。

「横断歩道のまん中で、ウンコし始めちまうんだから」

 あれは大学生時代。ボクの友人は、サークルの溜まり場となっていた喫茶店で、「アルバイト」というほどではないが、イヌの散歩の見返りに、一回分の「食い扶持」を得ていたのだが…

「バカなアフガン」

 彼はそのイヌのことを、そう呼んでいた。

 正確には「アフガン・ハウンド」という犬種だろう。


(当時のボクはまだ、実際にその犬種を見たことはなかったと思う)。


 聞けば、かなりの大型犬。力もあるのだろう。横断歩道のまん中とはいえ、押しても引いても、手も足も出ない。

 それに、思うに、きっと「ウンコ」の量もハンパじゃないだろう。


(そのくらいだから、きっと飼い主も持て余していたはずだ。じゃなけりゃ、一回分の食事代なんて、個人経営の店としてはかなりの出費だ)。


 最近のボクのジョギング・コースの途中にもいるのだが…大型で毛が長く、その割に頭が小さい。噂に聞いた通り、確かに頭は良さそうではない。


「バカな子ほど可愛い」と言うけれど、意味を取り違えている人が多い。

 例えば、こんな話がある。

 海外・某国での事。とある裕福な、子供のできない夫婦。しかるべき場所で、優秀な「タネ」を買っての『人口授精』。


(後に、そういう行為は、倫理的問題もあり、法的に規制されたらしいが)。


 先に生まれた二人の女の子は、期待通りの秀才に育つが…三番目に生まれた男の子は『自閉症』。

 しかし、夫婦が最も可愛がったのは、この三番目の男の子。

「バカな子ほど可愛い」とはつまり、手はかかるが、『自分たちがいなければ…』と思わせるような子供の事なのだ。

 だって、「放っておいても育つ子」なら、さっさと『親離れ』してしまうだろうから。


(これに関して、ボクには一つの自・持論がある。それは…「性欲の強い子ほど、親離れが早く・はっきりしている」というものだ。だいたい、普通はどこの家庭でも、「性」に関する話題は、親子間ではタブーだろう。「親子」と「性」は、対極に位置するもの。ゆえに、「性」への関心が強い人間は、「親子」と離れた方向へ向かう。つまり、「性欲の強い子ほど、親離れが早く・はっきりしている」となるわけだ。こんな意見、どうでしょう?)。


“BOW・WOW!”


 そして、やたらと吠える。

「弱い犬ほどよく吠える」というけれど、コイツは例外。「馬並み」とまではいかないが…あの図体(ずうたい)で吠えたてられたら、大人のボクだってちょっと恐い。


(事件や事故が起こる前に…「土佐犬」なみに、所有や飼育に規制を入れた方がよいと思うのだが?)。


 もっとも、吠えないイヌじゃ番犬にならないけ。

 商売柄、あちこちの現場に出向くが、どこかの(タチ)の悪い守衛のいる会社と同じだ。


(そういう所はだいたいが、官営色の強い「親方・日の丸」的な企業か、民間とはいえ歴史の古い…ただし停滞気味の…「右寄り・国粋」気味の大会社だ。そして不思議と、同系列の別な工場に行っても、似たような守衛がいるものだ。まあボクに言わせれば、そこがこれから伸びる会社かどうかは「守衛を見ればわかる」。それがボクの見解だ)。


 ボクの家では、これまでネコばかりでなく、イヌだって飼っていたから、イヌのことだって良くわかる。


(雑種が二匹と、もらってきた「秋田犬」が一頭…大きくて「(とう)」って感じだった)。


 まあイヌの場合、顔つきを見れば、頭が良いかどうか、だいたいの見当はつくけど…ボクには、前々から不思議に思っていたことがある。

 イヌとネコは、外観上の大きさで比較すれば、特に大型犬などの場合、ネコの数倍もあるのに、知能レベルで見た場合、『大きさほどの違いが感じられないのはナゼだろう』と。


『ネコは、霊的能力が備わっているため、知能が高い?』


(心霊的立場から、そう語る人もいるみたいだ)。


『それとも、先住人類が遺伝子操作を行い、ペット用として小型化したから?』


(犬というのは、植物などの品種改良みたいに、そういった操作がしやすい生き物だという話を、耳にしたことがある。だから、多種多様な犬種が存在するのだろう)。


 一度、家の前でこんな事があった。

 近所のパーマ屋のオバサンが、ひと昔まえなら「座敷犬」と呼ばれた小型犬を連れて、散歩で我が家の前に差し掛かった。

 たまたま表に出ていたボクとミーコ。知らない仲ではないので、オバサンは立ち止まって、しばし立ち話。しかし、右下の足元にいたミーコを見れば…

「フ〜!」

 大きさも、ほぼ互角の小型犬。向こうはキョトンとして、こちらを見詰めているだけなのに…

「なによアナタ!」

 といった顔をして、威嚇している。でも…

『なあ〜んだよ、ミーコ。「後ろ(ダテ)」がないと、ダメなのかよ?』

 しっかりシッポを、ボクの右(スネ)に巻き付けて…

『離れないでね』

 そんな感じで、威勢を張っていたワケだ。


 しかしおそらく、ミーコの当面の一番のライバルは…鳥類の中で、ボクが知る限り、もっとも知能の高い…(カラス)だろう。


(実際、横っ飛びで飛び出してくる雀に、クルマやバイクでブチ当たることはあるけど…カラスに当たった話は、聞いたことがない。ヤツラは、直前まで素知らぬ顔をしていても、ヒラリとかわして、反対方向に飛び上がる)。


「ニャ~!」

 庭先にいたミーコは、とても悔しそうに、空を見上げている。

「ザマ〜見ろ! だって、きみは空を飛べないんだろ?」

 そんな感じで、ミーコの頭上を旋回しているが、…これでは「ジャンプ自慢」のミーコでも届かない。


(実のところカラスは、集団で小動物を襲撃することもあるらしい)。


 ボクがまだ子供だった『昭和』の3〜40年代の頃は、まだ街中にカラスなんて珍しくて、わざわざ落ちていたカラスの羽を拾って、持ち帰った記憶があるけど…簡単に、ゴミなどの食べ物が手に入るようになったからだろう…やがて「ブランケット・ピーポー」なみに、ヤツラが進出してきた。


(毎夏、我が家の二階の屋根の軒下に巣を作っていた「戻りツバメ」が来なくなったのも、アイツラが増えたせいなのだろう)。


 だから今でも、路上で死骸をあさっているカラスがいたりすると、そちらに向かって、わざと加速してやったり…


(ミーコの「仇討(かたきう)ち」というばかりでなく…貧乏旅行をしていた学生の頃。北海道で、カラスの群れに尾行(ツケ)まわされ、「ヒッチコック」監督の『鳥』という、鳥の大群が街を襲うという映画を思い出しては、不安になった経験もあるし…あの頃、北の大地には、大勢のカラスが生息していた…そんな自分の「(アダ)」もあっての事だ)。


 そうは言っても「(カラス)」は、この日本では神獣(しんじゅう)の代表格。特段の「(うら)み」も「憎しみ」があるワケでもなく…チョイと、からかってやる事にしているだけだ(笑)。


 それはともかく、ボクがネコに対して、最も期待するもの…それは「個性」。

 そう感じるようになったのは、一匹の子ネコちゃんと出会ってからだ。


 あの子との思い出は、かれこれ30年近くも前のこと。


(注∶これを記した当時から、逆算しての数字です)。


 高校の夏休みを間近に控えた、ある日の昼下がり。


「エ・エ・エ・エ~ン」


 我が家の居間の庭先に、フト現われたのは、手の平に載るほどの小さな子ネコ。

 白をメインに、茶と黒がチラホラ。子供だということもあるだろうが、やけに耳の大きな子ネコちゃん。

 せっかくやって来た、人なつっこい『招き猫』。さっそく我が家の一員となる。


「エ・エ・エ・エ~ン」


 ネコが「ニャ~」と鳴くと思ったら大間違い。絞り出すようなしゃがれ声。

「ピーピー」鳴くので「ピー子」と命名。


 いたずら盛りの子ネコのピーちゃん。引っ越ししたてで、まだ小さな庭木に登っては、降りられない。「助けてちょうだい」とピーピー泣くのもご愛嬌。


「ピーちゃん、入らないの?」

 帰宅した際に、たまたま母が目撃したそうだけど…昼間は空き家の我が家。近所の家にも気に入られ、ちょくちょく遊びに行っていたようだ。

 でも、ピー子の真骨頂は、なんと言っても「ドライブ」が大好きなこと。


「どうしよう?」

 みんなで頭を抱え込む。

 あの子がやって来た季節は、まさに夏まっ盛り。当時、毎年恒例だった、一家を上げての海水浴が控えていた。

「どうしよう?」

 当時はまだ、ペット・ホテルなんて皆無。祖父母の家には、すでにネコがいたし…お願いできそうもない。

「しょうがない!」

 けっきょく、車に揺られて2~3時間。泊まりがけの避暑に連れて行く。

「ゴロニャン!」

 道中、ピー子はいたって平静。泊まった先の民宿では、「隠せ・隠せ」の大騒ぎだったけど…。

「キャー、かわいい。ウンチしてる~」

 あちこちで、黄色い声が上がる。夏の浜辺は、格好の巨大な「うんち箱」。


(あの頃は、今みたいにペット用品も充実しておらず、「トイレに流せる紙の砂」なんて無かった)。


 海水浴客でごった返すそこ・ここで、砂浜に穴を掘ってはウンチやオシッコ。


(しかし、ネコとは不思議なもの。誰が教えたわけでもないのに、ちゃんと穴を掘っては用を済まし…「縄張り」意識の強い犬とは正反対…これも、やはり「狩人(かりゅうど)」の本能なのか? 自分の存在を隠すための「臭い消し」に、砂までかける)。


 あっちへチョロチョロ・こっちでキョロキョロ。夏のビーチを満喫していたようだ。


(そんなピー子は、ボクがそれまで持っていた、ネコに対する固定観念を打ち砕く「個性」を持ったネコだった)。


「もう乗ってるよ」


 元々そういったものを持っていたのか?

 それとも、この幼い日の体験のせいなのか?

 とにかくそれ以来、ピー子は「ドライブ大好きネコ」になってしまったのだ。

 窓やドアが開いていようものなら、みずからサッサと乗り込んでは、チョコンと助手席に座って待っている。


(ちゃんと、運転席ではなく、助手席なのだ)。


 景色の変化が楽しくて、何でも好奇心旺盛…そんな感じ。


『小さい時から乗せていたから、車に慣れたんだ』


 当時は、そう思っていたのだけど…

 その後、何匹か、幼い頃から車に乗せてみたが…疲れ果てるまで騒ぎまくるか、あるいは始めからあきらめ切ってグッタリしているか…ダメな子はまったくダメだった。

 それに「海」。ある子は、広い浜辺に連れて行くと、ソワソワと落ち着きをなくし、耳を伏せ、身を(かが)め、たぶん隠れる場所を探してコソコソと走り回る。


『これが「空間恐怖症」というものなのかな?』


「閉所恐怖症」と違い耳慣れない言葉だが、「閉所恐怖症」とは正反対。広い空間に怖れを感じるものなのだ。


(きっと人間だって、大海原や砂漠のド真ん中にいきなり放り出されたら、そんな心持ちになるだろう。そうでなくとも、パッと広がった「海」が視界に飛び込んできた時…「陸地の果ては、この世の終わり」。ここで行き止まりと思うか? それとも、「前途は洋々」。ここから新しい世界が始まると感じるか? あなたはどちらのタイプですか?)。


 そういった点で「ピコにゃん」は、いたって面白いネコだった。

 残念なことに、近所のネコ(?)との(いさか)いのケガがもとで夭折(「ようせつ」あるいは「ようせい」)してしまったが…

「死ぬ前に、ネコは姿を隠す」という説は、家族の一員となっているネコの場合、まったく当てはまらない。


 秋も深まった「あの日」の朝。ピー子は、まるでみんなが起き出して来るのを待っていたかのように、いつもの寝場所…母のフトンの上で、静かに息を引き取った。


(ネコに対する定説で、間違っているものがもう一つ。「道路に飛び出したネコは、後戻りしない」というもの。たしかに、かつてはそうだったかもしれない。でも、ネコだって進歩・前進する。時代に合わせて、変化もすれば、適応もするのだろう。最近のネコは、「ヤバイ!」といった顔をして、ちゃんと引き返すこともある)。


 それ以降…

  イヌは頭が良いか?

  ネコは個性的か?

 それがボクの持論となった。


(「ピー子」の名は…その後まもなく、我が家にもらわれてきた秋田犬の女の子に、受け継がれる事になった)。


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