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サクラ最前線  作者: 弐護山ゐち期
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体育館下クリニックにて、診療。3月同日

 少女は3階、閉鎖された連絡通路の前で足を止めた。

 電子ロックで施錠された扉の上には、赤字で“制限区画”と書かれている。扉の窓からは連絡通路の向こう、第二校舎の中を上下に伸びる階段が見えた。

「ちょっとだけ、待っててください」

 少女は扉のそばに設置されたインターホンに近づき、ボタンを押す。

 しばらくして、スピーカーから透き通るような女の声が聞こえた。

『珍しいわね、どうしたの?』

「診てもらいたい人がいるんです」

『あらあら。後ろにいるのは外部の人ね。ダメじゃない、ここに連れてきちゃ』

「ごめんなさい。でも、あたし……、どうしても先生に診てほしくて。ケガさせちゃったかもしれないから」

『困ったわねぇ』

「お願いです。開けてくれませんか」

『いいでしょう。確認してみるわ。そこで少し待っていて』

「はい」

 ほどなくして、ピピッという電子音とともに扉のロックが解除された。

「こっちです」少女はドアレバーを引き、先へ進む。

 通路を通って第二校舎に入り、その足で階段を一番下まで降りると、そこには隔壁のような鉄扉があった。おもむろに天井を仰ぐ少女。どうやら監視カメラを見ているらしい。電子音が聞こえ、また鍵が開いた。

 鉄扉の内側は廊下のようになっていて、少し進むとロビーに似た空間に出た。かすかだが、空気には消毒液の匂いが混じっている。

 少女の後を追っていくと、『CLINIC(クリニック)』と書かれたガラスのドアに突き当たった。道を開けるように文字が分かれ、自動ドアが開く。消毒液の香りがより一層強くなった。

「診てもらいたいというのは、彼?」

 入ってすぐの場所に、白衣を着た女が立っていた。

 見た目は若いが、神代かみしろより年上なのは間違いない。三十代前半といったところで、宮守みやもりよりも上だろう。

「そうです」少女が答える。すると白衣の女は視線を神代に移し、

「オモイガワ ヨウコよ。よろしくね」

 ポケットに突っ込んでいた手を差しのべてきた。

 オモイガワは『想河』と書くらしい。首から提げられた名札にそう書いてある。神代は想河の手を取り、簡単に自己紹介をする。

 そういえば、少女の名はなんと言うのだろう。ふと思った矢先、

「失礼します」

 自動ドアの開く音がした。

 声をかける間もなく、少女はクリニックから去ってしまう。

「それじゃあ、行きましょうか」

 想河は少女を気にする様子もなく、差し出した手をポケットに入れて歩きだす。自動ドアから目を離し、神代は白衣の背中についていく。

 案内されたのは、『診療室』とプレートが掲げられた部屋だった。室内は冷房がよく効いていて、少し寒いくらいに冷えている。

「そこに座って」

 神代はキャスター付きの丸イスに腰掛ける。ぎりぎりぎり、とイスのきしむ音が響いた。この部屋に置いてあるのはどれも新しめの物ばかりなのに、このイスだけ何故か古い。

 正面のデスクチェアに想河が座り、

「それで、どこをケガしたの?」

「うなじのあたりに痛みが。あの、一応言っときますけど、これはあの子のせいじゃないですからね」

「大丈夫。分かってるわ。それじゃあ、後ろを向いてくれる?」

 診察はほんの数秒で終わった。想河は「ただの打撲ね」と言って部屋の奥にある棚に向かう。ガラガラガラと戸が開き、やがてハッカに似た冷涼な香りが漂ってきた。

「湿布を貼るから上着を脱いで」

 処置されている間、神代は何気なしに尋ねてみる。

「あの子、名はなんて言うんです?」

「……」

 ぴたりと想河の手が止まった。

 一瞬の沈黙があり、また動き始める。

「……ヨシノ サクラ。私たちはそう呼称しているわ」

 意識してなのか、そうでないのかは分からないが、想河の声は先ほどより低い。

「呼称、ですか……。どんな字を?」

染井吉野そめいよしのの吉野。桜の樹と同じ字よ」

「本当に?」

「あらあら。もしかして冗談だと思った? これは本当。嘘じゃないわよ」

 今になって知った少女の名を、心の中で唱えてみる。


 吉野サクラ。


 濃紺の、瑠璃色に近い瞳をした少女。

 深緑色のセーラー服を着た、髪の短い女の子。

 この話の流れで、神代はずっと疑問に思っていたことを想河に問う。

「彼女は、一体何者なんです? ここって、統合軍の施設ですよね」

「……、」

「関係者みたいでしたけど、士官学校の制服とも違うし……」

「……、」

「どうしてこんな場所に?」

「……、」

 想河は無言のまま手だけを動かしている。

 サクラの名前以外については語りたくないらしい。多分、話したくないのはこの施設についても同じだろう。

 何も言わない想河がどんな顔をして作業しているのか、神代には全く分からない。

「それにしても、」場の空気が急速に冷えていくのに耐えきれず、神代は話題を変える。

「こんな場所があるなんて驚きました。上にあるのは体育館ですよね。体育館下にクリニックを造るなんて、少し変わってるっていうか、面白いです。校内にあった保健室とは別なん」

「好奇心はネコをも殺す。覚えておくといいわ」話の腰を折るように想河が言った。「はい、おしまい。上着を着てもいいわよ」

 これ以上会話する気はないらしい。

 本当に何なんだろう、ここは。厳重なセキュリティーといい、質問に対する想河の態度といい、ただのいち軍事施設でないことだけははっきりしている。

 吉野サクラという少女は、軍とどんな関係があるのだろう。普通の女の子にしか見えないが、彼女は一体……。

 様々な事を考えつつ、神代はギギギと鳴く丸イスから立ち上がる。

 軍服を着、上から順にボタンをかけていく。

 想河も神代も、何ひとつとしてしゃべらない。診療室には緊張をはらんだ沈黙が流れている。

「あそこはね、保健室なんかじゃないわ」

 ボタンを閉め終えた頃、デスクチェアに座る想河がぽつり呟いた。

 彼女は湯気のないマグカップを傾けながら、真っ黒なパソコンのモニターを見つめている。効きすぎの冷房のせいで、中に入っているコーヒーはとっくに冷めているらしかった。

「じゃあ、何なんです」

 訊くと、想河はマグカップをデスクに置き、モニターに向けて独り言をこぼすように言った。

「あそこは、吉野サクラの部屋。」

 話す彼女の横顔から、すうっと感情が消えていく。

 気のせいかもしれないが、人としての温かみが失われていくように見えた。

「この世界で最も安全な場所であり、同時に最も危険な場所でもある。あの部屋は、パンドラの箱と言ってもいいでしょうね」

 ふいに冷風が身体に当たり、神代は身を震わせる。

 ゴォォォという送風音が次第に大きくなっていく中、冷たい目をした想河が言う。

「中に入っているのは人類にとっての希望か、さらなる厄災か。どちらにしろ、私たちに箱を開けないという選択肢はないわ。敵に打ち勝ち、明日あすを手にするために……」

 この辺にしておきましょう。そう言うと、想河はデスクチェアを回転させ神代に向き直る。

「少尉クン。ひとつ教えておくけど、質問ばかりする男性はモテないわよ。少なくとも、私には、ね」

 彼女は冗談っぽく笑って、マグカップを口に運ぶ。

「君も一杯どう? オリジナルブレンドの超特濃ブラックコーヒー。カフェインいっぱいで美味しいわよ」

「い、いえ……結構です」

 神代は苦笑にがわらいながらすすめを断り、礼を言って診療室から出る。

 応接室に戻る最中、想河が冷たい目をした理由を考えてみたものの、着くまでに答えは出なかった。

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