校内空き地にて、洗車。5月2日
プール掃除をした日から、3週間ほどが経過した。
5月2日の今日が終われば、明日からは6連休――ゴールデンウィークが始まる。
ゴールデンウィークの由来は諸説あるらしいが、特に有力なのは映画の宣伝をするための造語という説だ。したがって、本日の学活は“映画鑑賞”を計画《《していた》》。数日前から視聴覚室にソファーを運び入れ、図書室のメディアコーナーで作品を厳選し、置いていない作品は携帯電話の“購買部アプリ”から注文しておくといった力の入れよう。しかし、神代は現在、視聴覚室にもいなければ映画も観ていない。
ことの始まりは、30分前にさかのぼる。
昼休みも残り数分となった時間、突如としてグラウンドに大型輸送ヘリ“チヌルク”が降り立った。
チヌルクと言えば、サクラが出撃するときにやってくる機体だ。緊急事態が発生したのかとも思ったが、一向にケータイの“アラート”は鳴らないし、“緊急メール”も届かない。
一体、何をしに来たのだろう。不思議に思っていると、白い紙を持ったサクラが視聴覚室に入ってきた。
――欠席届
一三:三〇《サンマル》時より急きょ運用試験となったため、本日の学活は欠席します――
紙をこちらに手渡し、ごめんなさい、と彼女は残念そうに笑った。もう行かなくちゃ、そう言って足早に部屋から出ていく。
そのあとすぐ、宮守から着信があった。
『――なぁに、心配することはないさ。吉野サクラは“保険”として立ち会うだけだからね。ドックから出るなんて事態は、まず起こらないと思う。だからさ、キミは安心して帰りを待っているといい。その間、暇だろうから外で洗車でもしててくれ。つっても、もう準備してあるんだけど。場所は行けば分かるから。うちの可愛い“ラヴィちゃん”がキミのこと待ってるぜ』
そういうわけで、神代はひとり校舎わきの空き地にて、車を洗っていた。
目の前にいるのは、水も滴るいい女、ではなく水《《が》》滴る装甲車――軽装甲機動車“ラヴィ”。
車体の水洗いを終え、今度はバケツの中で泡立てた洗車用洗剤をスポンジにつける。ステップに足をかけ、まずは屋根から洗う。
校舎の影と近くに生えている葉桜のおかげで、空き地は日陰になっている。直射日光が当たらないのはありがたいのだが、吹いてくる風は蒸し熱く、前にオペレーター三人娘に呼び出された体育館裏よりは涼しくない。
サクラは今、どうしているのだろう。流れる汗を拭いながら神代は考える。
宮守の言葉を信じるのなら、少なくとも戦ってはいないはずだ。欠席届にあった“運用試験”とは何なんだろう。立ち会うだけらしいが、何を運用する試験なのか。洗車を理由に特殊《S》作戦《O》指揮所《C》から遠ざけられたのが分からないほど馬鹿ではない。指揮所では何が起きていて、宮守に操られる監視ドローンたちはマルチモニターに何を映しているのだろう。
空き地から見える校舎4階と5階の窓――吹き抜けになった指揮所のカーテンは閉められていて、中の様子はうかがえない。こっそり覗きに行ったとしても、きっと扉には鍵がかかっているだろう。音漏れもないし、指揮所は完全にブラックボックスと化している。
気になって仕方がないのに、何もできないもどかしさ。命令に従い、こうして洗車しているほかない。
屋根が終わり、次は前方部分に移る。ステップから下りて地面に足をついたそのとき、「お疲れ様ッス、少尉殿」後ろから声がした。
「今日も暑いッスねぇ」
ふり返ると、そこには三人娘のひとり――鹿角マイヒメがいた。
腕まくりをし、スポンジ片手にこちらに近づいてくる。
「微力ながら、お手伝いにきました」
「あれ? もう終わったのか?」
腕時計が示す時刻は13時45分。確か、運用試験は30分からのはず。どんな試験かは知らないが、いくら何でも早すぎはしないだろうか。
「まだッスよ。準備が遅れてるとかで、始まったのはついさっきッス」
「んじゃ、どうしてキミはここに?」
「ほんとなら初めて試験を見学するはずだったんスけど、宮守准佐殿に『すまん、マイヒメ。やっぱりラヴィちゃんが心配だから手伝いにいってくれ。試験はまたいつか見せてあげるからさ』っていきなり言われまして。こうして馳せ参じたわけなのであります」
ビミョーに似ている声真似を交えながら、鹿角は説明してくれた。
学活の代わりに洗車の任を与え、指揮所をブラックボックス化し、さらに鹿角まで寄越してくるとは、よっぽど知られたくないことをしているらしい。にやけ顔の裏で、今度は何をたくらんでいるのだ、あの人は。
「そっかそっか」心内を悟られぬよう、神代は笑みを浮かべる。
見たことはないらしいが、だとしても鹿角の方が試験について詳しいはずだ。それとなく訊いてみれば、概要くらいは掴めるかもしれない。
「それじゃ、手伝ってもらおうかな」
「了解であります!」
敬礼して、鹿角はスポンジに洗剤の泡をつける。わたし、車体横からやりますね、と言って早速洗い始めた。
彼女は見事な手さばきで、車体をアワアワにしていく。手つきを見るに、どうやら洗車に慣れているらしい。そのことを指摘してみると、
「実はッスね、桜高に来る前まで、基地で洗車のバイトしてたんスよ。」
スポンジをくるくる動かしながら、彼女は照れくさそうに言う。
「わたし、お腹いっぱい食べたくて軍に入ったんス。でも、避難区よりは安くても、基地の食堂だって高いじゃないスか。いつもミクル先輩やツバキ先輩に分けてもらうのも悪いし、ちょっとは自分で稼がないとって」
「二人とはいつから?」
「ツバキ先輩とは初等部の頃からッス。救育学校に保護されたとき、ひょんなことから同じ部屋になって。ミクル先輩は、わたしが中等部のときに転校してきたんス」
「通りでいつも三人そろって仲いいわけだ」
「ええ、まあ。そうッスね。とは言っても、今日はわたしだけ外なんスけど……」
あははは、と鹿角は力なく笑う。
「いつも運用試験だけ見させてもらえなくて。ツバキ先輩もそうだったんスよ、昨日までは。だけど、今日からは違う。見たことないのは、わたしだけ。
そりゃ、二人の仕事ぶりに比べたらわたしなんて全然なんスけど。でも、一緒じゃないのが悔しいっていうか、寂しいっていうか……。すみません、何言ってるんでしょうね」
泡のついていない手でこつりと自分の頭を小突き、鹿角は明るく振る舞う。
実を言うと、宮守に言われて監視しにきたのでは? と疑っていたのだが、どうやらそうではないらしい。
鹿角の気持ちを考えれば心苦しいが、試験の話をふってみる。
「指揮所じゃ今、何してんだろうな。見たことないなら、キミも知らないわけか」
「いえ、内容だけは知ってるッスよ」
「えっ、知ってんの!?」
「はいッス。見させてもらえないだけで、教えてはもらえるんで」
「訊いたら教えてくれるか?」
「いいッスよ」
それから鹿角は試験について語りだした。
もちろん軽装甲機動車“ラヴィ”を洗う手は止めずに。
「簡単に言えば、複合型スパコン“ほまれ”とキュウタァを戦わせるらしいッス。今日は対戦艦型βなんだとか」
「スパコンと戦艦型βを? それはどうゆう……」
思わずスポンジを動かす手を止め、神代は聞き返す。
「5種のスパコンから成る “ほまれ”は、言ってみれば機械でできた人間の脳ッス。脳と分離した身体――兵器を遠隔操作することによって、間接的にキュウタァと戦うらしいッスよ」
「なんだ、そうゆうことか。つまり、スパコンによる兵器の運用試験ってことね」
「ズバリ、その通りッス! 分かりにくくてすみません」
「にしても、桜楯連合はそんな兵器を……」
「確か、正式名称は……なんだったっけな。通称がSSとかSシリーズってのは覚えてるんスけど……」
「それって、無人戦闘機みたいなもの?」
フロントガラスを磨きつつ、神代は鹿角の話を促す。
鹿角はしゃがみ込み、車体横の下部をスポンジでこすりながら、
「たぶんそうッス。SSはぜんぶで“Ⅰ番機”から“Ⅻ番機”まであって、いつもは2個小隊、戦闘配備時は1個小隊が『体育館』で待機してるッス。だから、戦闘機ほど大きくはないと思うんスけど」
体育館に入るためには想河のいる『クリニック』を経由しなければならない。しかし、まずクリニックへたどり着くには、数々のセキュリティを突破する必要がある。体育館には桜高のヒミツがありそうだとは思っていたが、まさかそんな兵器が保管されていたとは。厳重な警戒がなされている理由はこれか。
「それと、1個小隊を搭載したSS艦が、常時防衛海域を巡回してるッス」
「だったら、どうして戦艦型αのときに出撃しなかったんだ?」
そう言えば、規定がどうこうとかでSS艦は真っ先に海域から離脱していた。
もしあのとき出撃していれば、サクラの負担はいくらかでも減っていただろう。9機の特機型と1体の戦艦型を相手に、たった独りで戦うなんてことはなかったはずだ。
「それは、戦艦型と戦えるレベルになかったからだと思うッスよ」
しゃがんでいた鹿角が腰を上げた。
車体の片側を洗い終えた彼女は、ひと息つくように「んーっ」と伸びをしてから話を続ける。
「もうちょっと正確に言うと、勝ち方を知らなかったからッス。前にミクル先輩から説明してもらったんスけど、Sシリーズは“ほまれ”による『殲滅システム』に従って戦うんスよ。SSがキュウタァに勝つためには、システムレベルがキュウタァより上である必要があるらしくて、あの日はレベルが戦艦型に追いついていなかったから参加させなかった、みたいな感じッス」
そうだ! と言って、鹿角は泡のついた鼻先を拳で拭いながら装甲車を見る。
「ちょうど洗車中ですし、車に例えてみましょうか。これもミクル先輩からの受け売りなんスけど、Sシリーズを“全自動運転車”だと考えてみてください。全自動ということは、運転開始から終了まで、車線変更や追い越しも含めたぜんぶのことが自動車ひとりで実行可能ってことッスよね」
「そうだな」
「ここで問題ッス。この車のオペレーティングシステムが、《《避難区ができる前に》》開発されたとしましょう。ちなみに、開発されて以降は一度も更新されていません。では、避難区Aから避難区Bに行けと命令されたとき、果たしてたどり着けるでしょうか?
シンキングタイムは、わたしが反対側に移動し終えるまでッス!」
鹿角は一歩いっぽ踏みしめるように、わざとゆっくり歩いていく。
途中でスポンジを洗ったりバケツに水と洗剤を足したりして、かなりの時間を取ってから、
「そこまでッス! 少尉殿、お答えをどうぞ!」
「たぶん、たどり着けないと思う」
「どうしてスか?」
「だって、避難区Bがどこにあるか分からないから」
「せ、正解ッ! 敬礼であります、少尉殿!」
ビシッと気をつけし、鹿角はこちらに敬礼してくる。
彼女にとって敬礼とは、全身で示す感動詞のようなものらしい。
「あの日のSシリーズも、問題の自動車と似たような状況だったんスよ。あのとき、殲滅システムは戦艦型に対応していなかった。なにせ、特機型以外の襲来は7年ぶりなんスから。 “戦闘データ”――いわゆる“教師データ”が不足していて、システムの更新ができていなかったんス。だから、出撃しなかった。出撃したとしても、何もできないままムダに堕とされるだけスからね」
「となると……、特機型とは戦えたってことか」
「その通りッス。あの日、Sシリーズは二次ラインの防衛には最初から参加していました。本土を目指して侵攻してきた38機相手に、特務艦隊の被害があれほど少なかったのは、SSのおかげッスよ」
「すげぇな、Sシリーズ……」
特機型の機動性に食らいつき、回転刃の脅威をものともせず、しかもスパコンによる遠隔操作で38機と渡り合う兵器。そんなものを開発していたなんて、やはり桜楯連合は計り知れない。
「もしかして、サクラが毎日出撃しないのって」
「Sシリーズがいるからッスね。もちろん、少尉殿のような飛行士の皆さんも」
特機型だけじゃ、フツー吉野サクラは出ていかない。
指揮所で聞いた宮守の言葉を神代はふと思い出す。
「そういや、戦闘データって言ってたけど、それはどこから来るんだ?」
車体前方から後方に回りつつ、鹿角に問うてみる。
データなしでは戦えないのだとしたら、そもそも特機型との戦闘データは如何にして収集したのだろう。戦闘機とのドッグファイトからだとしても、約3ヶ月前まで乗っていた機体には、データを取れるような計器は搭載されていなかった。
「それはッスね、吉野サクラからッスよ」
真剣な顔をして、ドアハンドルを入念にこすりながら鹿角は続ける。
「戦闘時、吉野サクラは“戦闘ナビゲーション”を始めとするサポートを受けるために、スパコンと接続してるッス。そのとき、スパコンは戦闘データの記録もしてるんスよ」
「てことは……、サクラを戦わせることでデータを集めてるのか」
「そうッス。言ってしまえば、殲滅システムは、吉野サクラの戦闘思考をブラッシュアップしたもの。“ほまれ”の中には、兵器的人格のみとなった吉野サクラが存在してるんス。つまり、“ほまれ”は……」
「もうひとりのサクラってことか」
この国の人間は、やはりサクラを戦わせることでしか生き残れないらしい。例えコンピューターが戦っているのだとしても、兵器を運用するシステムはサクラが元になっている。もうひとりのサクラが戦っていると言ってもいい。
試験が成功すれば、桜楯連合はまた一歩勝利へと近づくだろう。本当にSシリーズが戦艦型βに勝てたのなら、サクラが戦わなくていい未来が来るのかもしれない。
だが、それは夢物語に過ぎないだろう。いくら特機型に勝てるからといって、戦艦型にも勝てるはずがない。あの日、勝利できたのは、サクラの能力――キュウタァの力あってこそだ。
「だから、連れていったのか……」
Sシリーズが敗北すれば、戦艦型βからの報復が始まる。宮守の言っていた“保険”とは、こういう意味だったのか。
世界最大の戦艦と瓜ふたつの見た目をしていることから、戦艦型と名付けられた2体のキュウタァ。1番艦の姿をしたのがαで、βは2番艦の姿をしている。βがどれほど強いかは不明だが、α以上であることはまず間違いないだろう。
サクラが出撃することはない、と宮守は言っていた。しかし、彼女でさえ手こずった相手なのに、Sシリーズが勝つことなどあり得るわけがない。
「きっと大丈夫ッスよ」
神代の心中を察したように言い、鹿角は手を止める。
「ミクル先輩が言うには、システム更新さえすれば難なく勝てるみたいッスから。
さっきも言ったように、殲滅システムは吉野サクラをブラッシュアップしたもの。吉野サクラが戦艦型αに勝てるなら、Sシリーズも大丈夫ッス。それに、万が一に備えて全機出撃するって聞きましたし」
「いや、でも……」
戦艦型を沈めるには、一定以上の破壊力が必要になってくる。サクラの戦闘を思い出す限り、無人戦闘機に搭載できる程度の兵器では、その破壊力に届かないだろう。例えシステムが優秀なのだとしても、ハードが追いついていなければ、それは机上の空論に過ぎない。機動性と破壊力の両立。これを実現できるのは、サクラだけだ。
「本当にSシリーズが戦艦型に勝てるんだとしたら、Sシリーズもキュウタァの力が使え――」
ちょっと待てよ、神代の脳は一気に思考のギアを上げる。
最初から勝てないと分かっているのなら、そもそも試験自体をやるはずがない。それにSシリーズが《《ただの》》無人戦闘機だったら、わざわざ指揮所をブラックボックスにするまでのことではない気がする。
ここで浮上してくるのはひとつの可能性。Sシリーズとは、キュウタァを転用した兵器であるということ。
しかし、それは絶対に無理なはず。キュウタァは人知を越えた存在だ。生物か無生物かすらまだ解明されていないのに、軍事転用できるわけがない。あまり言いたくはないが、現時点での成功例はサクラのみ。そのことを踏まえると、さらにふたつの可能性が考えられる。
ひとつ、サクラと同じように人間を利用しているということ。
想河によれば、条件付きでキュウタァは人間と共生するという。だが、それを成功させたサクラの父親は失踪しているし、彼女のような“国家機密”を連合がおいそれと増やすとは考えられない。それにSシリーズが人間だとすれば、彼ら/彼女らにもきっと《《感情がある》》はずだ。兵器として運用するなら、個々が感情を持っていては都合が悪いだろう。
では、残る可能性はただひとつ。
サクラは《《脳以外の》》身体すべてが、キュウタァによって構成されている。一つひとつの体細胞、生殖細胞に至るまで、すべてが完璧に再現されているはずだ。そうなれば、彼女の複製体――純度100%のヒト型キュウタァを造ることなど、現代の技術を持ってすればいとも容易い。
神代は一度、情報を整理してみる。
機械でできた人間の脳――複合型スパコン“ほまれ”。 “ほまれ”の中のもうひとりのサクラ。殲滅システムという兵器的人格。
キュウタァを転用している可能性。人間を利用しているか、もしくはサクラの複製体か。
Sシリーズ。SS……、SSO。
「まさか……!」
何故、今まで気がつかなかった。サクラの識別コードが『SSO』だということに!
Sシリーズの『S』が『SAKURA――サクラ』の頭文字で、SSOの『O』が『0』もしくは『Original』を示しているのだとしたら……。
鼓動が速くなっていく。こんなときに限って、頭の回転が遅くなる。
サクラは今、自分の複製体が戦っているのを目の当たりにしているのだろうか。だとしたら、それは自分が人間ではないことを文字通り見せつけられているのと同義だ。兵器として扱われるよりもっとひどい。
「クソッ!」
神代は持っていたスポンジを投げ捨てて走りだす。
腕時計の針が指す時刻は14時55分。試験開始から約1時間半が経過している。
Sシリーズが本当にサクラの複製体集団かどうかは、この目で確認するまでは分からない。今から行って間に合うか。いや、間に合ってもらわねば困る。
「しょ、少尉殿!? どこ行くんスか!」
後ろで鹿角が何やら叫んでいる。
その声が聞こえていても、神代の足は止まらない。
幸いなことに、洗車をしていた空き地は校舎のわきにある。校舎の角を曲がれば、昇降口はすぐだ。
あと少しで曲がり角。間に合え、どうか間に合ってくれ!
――やあ。
そのとき、神代の身体は条件反射的に止まった。今、最も会いたくない人物が、角の向こうからひょっこり顔をのぞかせたのだ。
「ハァイ、神代。はうあーゆー?」
軽い口調で言い、にやけ顔の男は校舎の陰から姿を見せる。
上司にして、いつも何かをたくらんでいる先輩。「宮守、准佐……」
「レディたちを置いてどこに行くつもりかね、少尉」
相変わらずの緩い笑顔を貼りつけたまま、宮守はこちらに歩いてくる。
彼がここにいる時点で、すでに試験は終了したということ。遅かった。神代は奥歯を噛みしめる。
「もしかして、吉野サクラのことが心配になったのか? それなら大丈夫。特務艦に乗って見学してただけだからね。色々あって夜まで帰ってこないけど、心配するには及ばない」
「……、」
「マイヒメからある程度のことは聞いているだろう? さっきね、とは言っても20分ほど前なんだけど、試験は無事に終わったよ。もちろん、ボクらの勝利でね」
「…………、」
「喜びたまえ。この世界からまた1柱、キュウタァが消えたんだ。圧倒される戦艦型β、できることなら見せてあげたかったな~」
「………………、」
「おいおい、ノリが悪いじゃないか。吉野サクラは無傷だし、これでボス級のキュウタァも残り5柱となったんだぜ? ちったぁ喜んでもいいとは思うんだけど」
「……そんな気分に、なれるわけないじゃないですか」
「どうしてさ」
分かっている癖に、と神代は思う。
他人を見透かし、命令することなく動かし、まるでゲームの登場人物を操るように手の上で転がす。そんな宮守が分かっていないはずがない。
「訊いたら教えてくれます? Sシリーズとは何なのか」
「いいよ。可愛い後輩の頼みだし、教えてあげよう」
「えっ」
「何も驚くことはないだろう。キミも知っての通り、ボクって後輩思いな先輩なんだぜ。
通称SS、またはSシリーズ。正式名称『自律型決戦兵器SAKURAシリーズ』は、複合型スパコン“ほまれ”により運用される対キュウタァ兵器だ」
やはり、Sシリーズの『S』は『SAKURA』を意味していたのか。となると、サクラがSSOであることからして、SSたちは彼女の複製体ということになる。
……最悪だ。この国は、この国の人間は、どれだけの罪を背負って生き残っているのだろう。どれだけサクラにつらい思いをさせて、今日を生きているのだろう。
神代の顔から一気に血の気が引いていく。
「SSは旧国立総合研究所――現在の桜楯連合装備研究開発機構によって造られた。殲滅システムと共に開発が進めば、吉野サクラを戦わせなくていいようになる。実際、今日だってシステム更新したⅠ番機のみで、絶対不可侵領域にいた戦艦型βを堕とせたしね。しかも、無傷でだ。
わざわざ3個小隊を出張らせる必要はなかったよ……って、おい。大丈夫か? 顔が真っ青だぞ」
「大丈夫なわけ、ないでしょ……」
「ははーん。さてはキミ、勘違いしてるね?」
「は?」
「SAKURAシリーズだからって、それが『決戦兵器SAKURA』、つまり吉野サクラの量産型だとは《《限らない》》ぜ?」
「違うんですか……?」
ニヤリと笑い、宮守は怒涛の勢いで説明を始める。
「まず、SAKURAとは桜楯連合のことだ。読んで字のごとく《《桜》》の楯の連合だからね。次に、元々『決戦兵器SAKURA』とは吉野サクラのみを指していた。だが、今では連合が所有するすべての決戦兵器を指している。ゲームソフトに例えるならば共通タイトルってとこだ。つまり、『決戦兵器SAKURAシリーズ』において吉野サクラは無印作品ってことになるね。そして、ややこしいことに連装研が開発した自律型は、それ自体がシリーズものだった。『自律型決戦兵器SAKURAシリーズ』とは、自律型のみを指しているんだよ。
では、識別コードにおけるSSとは何なのか。自律型はSシリーズⅠ番機、すなわちSSⅠからSSⅫまでいるんだが、こっちの“シリーズ”は共通タイトルにおける意味になっている。言ってしまえば、すべての決戦兵器の識別コードには必ずSSがつくんだよ。ボクらが自律型をSシリーズと呼ぶのは、今のところ決戦兵器が吉野サクラと自律型しかなく、そのうえ自律型自体がシリーズものだから。吉野サクラがSSOなのは、決戦兵器の起源――Originであることと、数字を用いないことで自律型と区別するためだ。
う~ん、自分で説明しててもほんとにややこしい。キミが勘違いするのも無理はないね」
「ちょ、待ってください……」
宮守の早口な説明に、神代の理解は追いつかない。
言っていることの半分も理解できなかったが、つまり、Sシリーズはサクラの複製体ではない……ということか? だが、そうなれば、SSが戦艦型を倒せた理由の説明がつかなくなる。
Sシリーズがサクラの量産型であるとは限らない。
この言葉、どこかに違和感を覚える。どこなのかはうまく説明できないが、何かモヤモヤする。
神代はこめかみを押さえながら宮守に問う。
「Sシリーズは……サクラのような人間ではなく、ただの兵器ってこと……で合ってますか」
「そこらの兵器とは違うけど、確かに兵器ってことには変わりないね」
「だったら、どうして戦艦型を沈められたんです」
「そこがSシリーズのヒミツ、機密事項さ。これはいくらボクでも富嶽中将の許可がなきゃ教えられない。今日、いきなり洗車を頼んだのは、秘密を知られていないという目に見える証拠がほしくてね。許可が下りていたマイヒメには申しわけないが、キミを引きつけておくためのエサ役兼監視役になってもらったってわけ」
洗車を命じたのは、機密保持のための措置。
筋は通っているし、指揮所から遠ざけられた理由も十分に理解できる。
でも、やっぱりどこか腑に落ちない。いいように言いくるめられている、そんな気がしないでもない。
「時が来れば、キミもSシリーズと対面することになるだろう。その時は必ずやってくる。だけど、それは今日じゃない。物事にはタイミングってものがあるんだ」
宮守はコホンと咳払いし、
「さて、話はここまでにしておいて。キミはそろそろ洗車に戻りたまえ。泡が跡になると、せっかくの美人なラヴィちゃんが台無しだ。んじゃ、暑くてたまらないからボクは中に戻るよ。マイヒメも連れてくけど、いいよね?」
「どうぞ……」
宮守は帰るよー、と鹿角を呼び、彼女が手の泡を流すのを待って歩きだす。ひらひら手を振りながら、「グッバーイ、神代」とのんきに去っていく。鹿角は校舎の陰に入る直前、こちらにふり向き、敬礼をしてから見えなくなった。
ひとり空き地に残された神代は、その場に立ち尽くして空を仰ぐ。
宮守先輩の言葉を、本当に信用してもいいのだろうか?
兵器には変わりない、と彼は言った。しかし、それが事実なのかは、やはりこの目で見るまでは分からない。運用試験が終了した今、体育館に忍び込むしか確かめる道はないが、あのセキュリティーを突破するのは正直なところ不可能だ。
試験に参加した桐ヶ谷や伊代月に戦艦型に勝てた理由を訊いたとしても、軍事機密を漏らすような真似はしないだろう。
直接サクラに訊くわけにもいかないし、そうなれば、あとは時が来るのを待つしかなくなる。
Sシリーズがサクラの複製体である可能性は捨てきれない。もしそうだとしたら、サクラはどんな気持ちで今日の試験を見ていたのだろうか。
戦闘機にも乗れず、戦って消滅することもできず、サクラから話してくれるまで気持ちを聞くことすらできない。
自分の無力さを思い知り、神代は歯がゆさに打ちひしがれる。
「……ちくしょう」
見上げる空は、嫌みなくらいに晴れ渡っていた。