目覚め
眠りから目が覚めた時、私は混乱していた。
シミひとつ無い純白の壁。
全面に淡く青い絨毯が敷かれている床。
使い古された私の軋むベッドとは違い、3〜4人程度は並んで横たわれそうな大きく豪華なベッド。
少なくとも、貧乏貴族の令嬢である私の寝室ではない。
何処かの屋敷……いや、城の中だろうか?
豪華なベッドの上でシーツに包まりながら、記憶の糸を辿ってみる……。
いや、辿る必要なんて無かった。
私は……。
此処に居る理由を……。
はっきりと、鮮明に記憶していたのだから。
『アンタみたいなカス野郎と恋仲だったなんて、自分が恥ずかしいったらありゃしないわよ!』
……違う!
『いい加減に付き纏うのは止めてよね? 今の私はね、心も身体もエスペン王子の物なんだから』
……違う、違うったら違う!!
……そんな事は絶対、絶対に思ってない!!
『国境の危険地帯に派遣されるそうじゃない、良かったわね! アンタの顔を二度と見れなくなるなんて、私も嬉しいわ! 出没する魔獣に喰い殺されない様、せいぜい頑張ってね?』
……私は何を言ってるの?
……誰よりも大切な人に対して、いったい何を!?
まるで自分の中に誰かが入っていたかの如く、私は最愛の彼を侮蔑していた。
何故……?
想いを馳せている相手に、そんな事なんて……!?
その時。
錯乱寸前だった私の脳裏を過った、あの男の声。
『ミア、お前は今日から俺様の女だからなぁ……イヒヒッ!』
エスペン王子は何を言っているんだろう?
私がこんな奴の女なんて、なる訳ないのにさ?
忌まわしい記憶は、違う場面に移り変わる。
『ミアの初めては俺が貰ってやったからよ!』
どうして……?
どうして私は、好きでもないエスペン王子の腕にしがみ付いているの?
何故、あの人を蔑んでいるのよッ?
『私ね、王子の子を身籠ったの。だからさ、二度と私の前に姿を見せたりしないでくれるかな?』
悪意を含んだ眼差しを向けて、私は彼にそんな事を言い放っていた。
『わかった……。 今まで、ごめんな……ミア……』
『私も貴方との記憶なんて、綺麗さっぱり消したいからさ! 何処か遠くで野垂れ死んじゃってくれたら嬉しいなぁ!』
嘘だ!
そんな酷い事を言ったりしない!
こんなの、私じゃない、私じゃないのに……!
だけど、全ての記憶を、私は鮮明に覚えている……。
「ごめんなさい……ごめ……ん……なざ……ジャン……」
嗚咽と共に、止めどなく溢れ出す涙。
♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢
数刻の後。
やって来た侍女に連れられ、私は別室にいる女性と面会する。
私とそう変わらない年齢ながら、気品と優しさを感じさせる若く美しい人だった。
彼女こそ、噂に名高い聖女様であった。
聖女様が語り始めた内容は、私にとって衝撃的だった。
いや、致命的と言った方が正しいのかもしれない。
エスペン王子は、女性からの好意を自分に向ける事が出来る特殊な力【魅了の魔瞳】を持っていたのだ。
王子に魅入られた者は、例外なく恋人や配偶者を憎み、愛情自体も王子に向けられる様に記憶を改竄……つまりは洗脳される。
そして、王子の邪な欲望は、昨日にこの国を訪れた聖女様にも向けられた。
だがしかし、絶対神の加護を受ける彼女には効果が無かった。
王子は即刻と聖女様に同行していた聖騎士団によって拘束され、現在は審問官の取り調べを受けているらしい。
聖女様が属する大聖堂の越権力には、例え王子であろうと及ばないのだ。
聖女様が持つ奇跡の力によって、王子の力は完全に消去……浄化された。
その結果、王子に魅入られた者全員が正気を取り戻した。
私以外にも数多くの被害者が居るらしく、中には他国の姫君までもが被害を被ったらしい。
下手をすると、もはや戦争にもなりかねそうな由々しき事態である……。
聖女様が語る真相の数々に、身体の震えが止まらなかった。
いったい、どの面を下げてジャンに会えば良いのだろう……?
優しいジャンなら、笑って許してくれたりしないかな……?
直ぐにでもジャンに会いたい。
会って、心から謝りたい。
今はただ、その想いだけが私の全てだった。