LED電球が切れるまでは
私が生まれた日に、この電球は付けられた。
私が生まれた日に、このLED電球は付けられた。
私が目を開けているとき、ほぼずっと、その電球の光が瞳を射す。
苦しんでいるときも、つらいときも、ずっと。
ママと抱き締め合っているときも、ずっと。
上には、やさしくて、力強い光があった。
光は、あたたかさをたっぷりと含んだ、美しい色をしていた。
私は、突然、治療が見つかっていない難病になった。
少しだけ、弱さを見せることになってしまった。
それは、生まれてから5年という、月日が流れた直後だった。
このLED電球が付けられてからも、同じく5年が経っていた。
それなのに、付けた時と同じくらいの目映さで、電球は光を放っている。
そんな感覚がある。私とは、対照的すぎる。
動くことさえ、儘ならない。動くことさえ、儘ならない。
難病だから、この人生に、数秒も楽な時間はない。
時の流れというものは、残酷だ。少しずつ、すり減らされてゆく。
それでも、頑張るしかない。頑張るしかないんだ。
私と、寿命10年の電球。どちらが先に、力尽きるか分からない。
今日、私も電球も、10歳の誕生日を迎えた。
突然、電気が消えた。切れたのではない、消されたみたいだ。
代わりに、10本のロウソクが暗闇から現れた。
そのロウソクは、白いケーキに刺さっていた。
ママが代わりに吹き消すと、暗闇がまたやって来た。
再び電球の明るい光が、私を包んでくれた。
私は、ただ微笑むことしか、出来なかった。
でも、それでよかった。それでよかったんだ。
小さいけど、とてつもない光を放つ電球。
寿命の日が来ても、私を照らし続けてくれている。
かなりの憧れを持っている。でも、この電球よりも、長く光っていたい。
この人生に、希望をちょっとだけ、見つけたから。