今のはオフレコにしておきますね
最後の言葉につながる様に書き始めたらこうなってしまいました。
さて私という人間は、幼少のころは聡明な部類の子供であったらしい。
少々病弱だが将来を悲観するほどではなく、むしろ聞き分けが良い分手のかからない子供でもあったらしい。
社会に出るころには十把一絡げな凡才になり果てていた私ではあるが、不思議なことに世の人々を全く賢いと感じることができなかった。
記憶力や発想力、思惟思索の深さに驚かされる人物たちとの出会いには事欠かないにもかかわらず、その結果生み出された成果や行動の数々には首を傾げざるを得なかった。
そんな人たちと時には語り合い、時には提案をしたりしてみたけれど、彼らが私の言葉を受け入れたことはほとんどなかったと覚えている。
なぜ彼らはあんなにも非効率な人生・非効率な社会を志すのだろう?
だがそんな彼らが生み出した数々の成果は大なり小なり人々を巻き込み、喜ばせ、社会を発展させていった。
やはり効率は著しく悪いとしか思えなかったし、時には後々社会に悪影響を及ぼしかねないものすら少なくなかったが、そういったものたちによって世の中はだんだん変わっていった。。
そして私自身は何ひとつ生み出すこともないままに、社会の片隅でただ生きてやがて老いていった。
このまま何もなし得ずに朽ちていくであろうことに感じた恐れも、より効率が悪化してゆく世の中に感じていた焦りも今は遠く、穏やかに過ぎてゆく老境はある日、唐突に終わりを告げた。
「あなたの妻にしてほしいのです」
まだ少女のようにも見えたその美しい女性は開口一番、そう私に告げた。
「世の雑事からも生活苦からも、全て解放して生涯あなたをお支えいたしますので、どうかわたしをあなたの妻にしてほしいのです」
意味が解らない。
訳が分からない。
この女性は一体何を言っているのだ?
この女性は一体なぜこんなことを言ってくるのだ?
そもそもこの女性は一体だれなのだ?
何故こんなに若く美しい女性が私のような何の取り柄もない孤独な老人の妻になどなりたがるのだ?
私は当然混乱した。
「それだけではなくあなたの妻にしていただけたのならば、あなたに若さと健康と、望むだけの知識もお授けいたします」
こうして私は、逡巡を断ち切って彼女を妻に迎えれた。
妻は有能で献身的で、毎日が夢のように幸せだった。
妻は私が知らないこと、知りたいと思っていたことを問われるがままにことごとく答え教えてくれた。
まるで知らないことなどないかのようだ、と褒めたたえるとはにかんだ様に微笑んでくれる妻が眩しかった。
ただただ妻が愛おしかった。
妻と過ごす日々が愛おしかった。
眉唾物だと思っていた若さと健康云々も、豊かで艶やかな頭髪や疲れ知らずで軽やかな身体を取り戻してしまうと、その不思議さもいつしか忘れ果てた。
妻とともに色々な所へ行き、色々なものを見、色々なことをして過ごした。
やがて妻は懐妊し、再び年老いていた私はもはや死を待つばかりであった。
妻は死にゆく私に告げた。
「この子にあなたの言葉を教え伝えます」
聞けば私と交わした会話のほとんどを記録しているとのこと。
私の言葉などより、あなたの言葉の方がずっと素晴らしく価値のあるものだろうに。
そう妻に告げると、妻は表情を消したような微笑みでゆっくりとかぶりを振った。
「あなたの言葉であることに意味があるのです」
今でも時々感じる不思議な気配を纏った妻に私は最後になるであろう問いかけをした。
何故私の妻になどなりたがったのか、と。
妻は初めて答えをためらい、わずかな逡巡ののち
「私は主に仕える使徒であり、あなたは主が遣わされた救い主なのです」
意味が解らない。
「世の人々は主が遣わされた救い主たるあなたの言葉に耳を傾けず、このままでは主の審判によってこの世が滅んでしまいます」
訳が分からない。
「私は主命に従い、あなたの言葉を集めあなたの御子にあなたの言葉を託すために参りました」
我が妻は一体何を言っているのだ?
「あなたの生誕よりそろそろ100年、この時代でならあなたの言葉を受け継いだあなたの御子の言葉に耳を傾ける人はきっとたくさん現れるでしょう」
我が妻は一体なぜこんなことを言ってくるのだ?
「そうすれば主は審判を取りやめ、この世は滅びを免れるでしょう」
そもそも我が妻は、眩い後光差すこの女性は一体だれなのだ?
「私はそのために参りました」
何故こんなに若く美しい女性が私のような何の取り柄もない孤独な老人の妻になどなりたがると信じてしまったのだ?
私は再び混乱した。
「あなたに健康を、若さを、知識を授けることができて嬉しかった」
ああ、私も嬉しかった。
「あなたとともに色々な所へ行き、色々なものを見、色々なことをするのは楽しかった」
ああ、私も楽しかった。
「あなたの子を授かったと知って、本当に幸せでした」
ああ、私も幸せだとも。
「私は最後にあなたに感謝をささげましょう。あなたとの生活は本当に満ち足りた日々でした」
ああ、君の方こそ空っぽだった私を満たしてくれたんだよ。
でも最後に君から貰えるものは、どうやら感謝ではなく知識になりそうだよ?
「あなたという人は…」
いつの間にか眩かった後光は輝きを消し、私が一番大好きな妻のはにかんだ様な微笑みにこんな時でも目を奪われる。
人生の最後に質問を3つ。
主とは何か?
主が存在するなら悪魔は存在するのか?
主と悪魔の違いは?
1つ目の質問の答えは次の通り。
「主は…そうですね、まああなた方が神と呼ぶ概念が一番近いのではないかと」
2つ目の質問には
「悪魔ですか?ええ、いますよ本当に」
3つ目の質問の答えはやや複雑だった。
「主と悪魔の違いですか…そうですね、悪魔は誰が相手であっても決して契約を、約束を破ることはありませんね」
…は?
「基本的に嘘も吐きません。隠し事は良くしますが」
主は違うと?
「全能者とそうでない者との約束って交わす意味があるんでしょうか?」
「嘘とか隠し事以前に、基本的に問答無用ですよ主の御業は」
ひょっとしたら天地を創造したのが悪魔だったらこの世はもっと素晴らしかったんじゃないかって気がしてきたよ。
ああ、意識が遠のく…
「今のはオフレコにしておきますね」
…妻よ…本当にありがとう…心から愛しているよ…
山場が欲しい時ってどうやったら造山運動してくれるんでしょうね(遠い目)