56
エルロワーズの森、その北の聖域。
そこにあるクロムの館の一室で、今日も姦しい声が響いている。
「ひ~ま~な~の~ですッ!セシリーもレイ様と一緒に出掛けたいのですッ!」
地面に転がりながら駄々をこねる一人の少女。
ショートカットの銀髪から犬のようなケモミミを覗かせ、チラチラともう一人の女性の様子を窺う仕草はとても愛らしい。
「もう♪ダメよセシリー♪待機も大切な仕事なのですから♪」
テーブルを前に、椅子に腰かけながらおっとりとそれに返事を返す長身の美しい女性。
机の上の書類に目を通しながらも、それでいて地面に転がる少女にも絶え間なく気を配っているように見える。
それはその女性もまた、手持無沙汰で暇を持て余しているが故、仕方なく書類に目を通しているだけなのを証明していた。
「テアはのんびり屋さんだからこの暇さが耐えられるのですッ!しかもセシリーとテア以外みんな仕事で遊び相手もいないのですッ!せめてメアでもいれば暇潰しになるのですッ!」
「あらあら♪」
セシリーの言う暇潰しの光景を思い出して、呆れたようにセシリーに応えるアステア。
そう。
レイが森に帰ってきてからというもの、相変わらずレイの寝室に忍び込もうとするセシリーとルナ。
それを止めようと、日夜奮闘するメアで毎晩戦闘が繰り広げられていたのだ。
深夜に行われるそれは、魔物の街であるクロムの聖域においてある種、名物的な風物詩となっていた。
いつの間にかその戦闘には暗黙のルールまで出来ていて、その内容は、街には迷惑をかけない。クロムの屋敷の魔物のいる区画でも行わない。武器は一人一つまで。クロムの張った結界を壊さない。
などなどと多岐にわたるが、これは全てを諦めたレイがそれだけは守りなさいと言いつけたが故の、ただただ残念な結果なだけであった。
しかしそのおかげでクロムの聖域では、それが始まるのを心待ちにする魔物も多く存在するのだった。
ああ、今日もセシリー様だ。とか、ルナルナ様は最近は上の空で集中されていないとか、メア様は連日よく身体がお持ちになるな……などなど。
ときたま、おお!今日はクロム様自ら参加されているのか!……など。
多くの魔物はなぜそんな事が深夜に行われているのかすら考えないし、理解もしていない。
それでも、力のみが絶対の魔物にとって、それは自分達の主の力を身近に肌で感じられる唯一の機会でもあるが故、誰もがそれを歓迎していた。
手っ取り早く言うと、誰もが微笑ましくその兄弟喧嘩を眺めるのがこの街での最近のブームになっていたのだ。
ある者は酒を飲みながら。
またある者は子供達に絵本を読み聞かせるかのように説明しながら。
ここ最近ではその戦闘が、まさか賭けの対象にまでなっているなどレイは知る由もなかった。
そして、それをただの暇潰しと言うセシリーに、呆れたように返事を返すアステアであったが、アステアもまた確かに暇であった。
互いに仕事はある。暇などでは決してない。
セシリーは聖域の上部に建設中の新しい街にかかり切りだし、アステアは東と南にあったラウの眷族の聖域の探索を任されている。
しかしそのどれもがレイが不在の今、レイの判断を待つ状態になってしまったからだ。
セシリーは街の建設資金や住民の選抜など、自分の一存では決められない事ばかりだし、アステアはすでに二つの聖域跡地を発見してしまっている。
その後の処遇についても、レイの判断を仰がなければアステアにはどうしようもない。
ラウやクロムがいれば問題ないのだろうが、その二人もまた仕事で不在の今、セシリーとアステアはクロムの館でただのんびりと過ごす日々を送るだけだった。
「……メアはいつ帰ってくるのです?」
「あらあら♪セシリーは本当にメアが好きなのね♪」
「メアは頑丈だから遊びがいがあるのですッ!多少強く引っ叩いても壊れないから好きなのですッ!」
「まあまあ♪ダメよセシリー♪弟は可愛がってあげなくちゃ♪」
「……???……これ以上ないくらい可愛がってるのです?」
クロムとメアの結界がなければ聖域ごと消し飛ばす力を、多少強く、っと。
その程度の認識なのかと更に呆れるアステアを尻目に、ゴロゴロと転がって暇なのをアステアにアピールするセシリー。
時折アステアに視線を向けて、また転がり出す。アステアに遊んで欲しいのだろう。
とは言えあんな遊びに付き合わされたら堪ったモノではないと、涼しい顔でそれを受け流すアステアはさり気なく話題を逸らす。
「そうね♪メアはクロム姉様とレイ様の支配の広がった森の結界を広げるのに忙しいから当分は帰って来れないでしょうね♪」
手の中にある書類の、そこに書かれている地図を眺めながらアステアが答える。
赤鱗の支配していた森の東部。さらに人間の出入りを制限した森の西部。
その空白地帯に結界を張り直し、レイの支配を確固たるものとするため、クロムとメアは手分けして結界を広げる作業に取り掛かっているのだ。
「……じゃぁミケでいいのです!ミケを転がして遊ぶのですッ!」
スライムに変化するミケは丸っこい。
大きくも小さくもなれるが、基本は大きめのバスケットボールくらいの大きさだ。
セシリーはそれを転がして遊びたいのだろう。
「あら♪聞いていないのかしら?ミケならラウ様やコイナと一緒に南の魔族領よ♪またラウ様の悪だくみらしいですわ♪」
「ッ!?聞いてないのですッ!!そっちの方が面白そうなのですッ!!」
みんなで食事している時に一緒に聞いていたはずなのに、どうやらセシリーは覚えていないらしい。
レイの膝の上をミケやルナと取り合っていて、それどころではなかったのだろう。
「大丈夫ですわ♪後でラウ様が私達も混ぜてくれると仰っていましたから♪」
「ほへぇ~!じゃぁセシリー達は西には行かないのです?ラウ様のいる南に行くって事なのです?」
その言にアステアも微かに驚きの表情を浮かべ、書類からセシリーに視線を移す。
ここから南は魔族領が広がっているが、西には人間の国が広がっている。
どうしてセシリーは西に向かうと思っていたのか。
確かに西のアルべリアにはレイが向かった事で、セシリーもそちらに行きたいのかもしれないが……。
「どうしてセシリーは私達が西に向かうと思ったの♪」
「ん~?だって西には他にもたくさんの国があるのです。ならそっちを先に取り込んだ方が楽なのです」
たまにまともな事を言うからビックリさせられる。
話を聞いていないようで、核心部分だけは外さない。
だからアステアはセシリーが好きなのだ。
おチャラけて見えて、中身は本能からか勘なのか最善策を選択出来ている。
魔族領と比べ、人間の国は多岐にわたる。
ほとんどの国が魔物に敵対心を持って接してくるが、中にはドラゴンを神のように信奉する国家もある。
しかも魔族領と人間領の境目には、亜人と呼ばれる者達の国も多く存在している。
エルフやドワーフや獣人。
このエルロワーズの森にも数多く存在して、国の形をとってこの森に忠誠を誓う者も多いが、森の外にも国を築いて存在している。
そこでアステアも考えを巡らせる。
ラウ様が悪だくみをするならその対象はどこなのか。
レイ様は今アルべリア。
ラウ様は魔族領。
では残されたセシリーとアステアは?
ラウ様の狙いはレイ様のいるアルべリアでまず間違いないはず。
アルべリアさえ支配出来れば、エルロワーズの森の危険度は格段に下がるのだから。
後に残る問題は、逃げた赤鱗と魔族領。
そのどちらも南の方角。
であるならば西さえどうにかすればそこに戦線を集中できる。
つまり魔族領に向かったラウ様の目的はアルべリアの牽制といった所だろう。
人間と魔族は仲が悪い。
魔族をけしかけてアルべリアの戦線を森に向けさせない。
そこまでは理解出来る。
ではアステアとセシリーの役割は何なのか?
人間と仲が悪いのは魔族だけではない。
亜人達の国もだ。
アルべリアでは……いや、人間の国々では今だ奴隷制度が存在しているのだから。
エルフにドワーフに獣人は、人間の奴隷より高値で取引されると噂で聞いた事がある。
つまり、そんな亜人が人間を恨んでいて当然だろう。
中にはアルべリアと戦争までしている国もあったはず。
そこまで思案して、ふとアステアはセシリーと自分の姿を見比べる。
セシリーのケモミミと立派な尻尾。
アステアの美しい背中の翼。
一見するとまんま亜人の種族である獣人のハーフと同じ。
「……さすがセシリーですね♪すぐに私達も出立の準備をしましょう♪」
「にしし。テアとお出かけなのです!」
危なかった。
セシリーに指摘されるまでアステアはその考えを全く考慮していなかったのだ。
ラウに言われてから動くのでは遅い。
その前に自分で気付いてこそレイの眷族なのだ。
前回ルナの働きは立派だった。
レイが褒め、褒美を出すのもアステアには納得出来た。
それに文句を言う眷族が誰もいない事から、みんなアステアと同じ気持ちだったに違いない。
ならアステアのこの気持ちもみんな同じはず。
直接レイから褒められたい。
その為にも今回こそは自分が最大の成果を上げて見せると。
「森の守りは……クロム姉様の眷族であるお姉様方にお願いいたしましょう♪私達はそうですね……。南西に向かってみましょうか♪」
「了解なのですッ!みんなぶっ殺すのですッ!」
「セシリー♪今回こそは、『静かに穏便に』です♪ぶっ殺しても構いませんが出来ればそう仕向けるように動いてみましょう♪」
「……?まるでメアなのです!」
「そうですね♪メアが帰って来たらこちらの手伝いも頼みましょう♪あの子ならそういうのは得意そうですから♪」
最も……それはラウ様も……ですが……。
そう思うアステアだったが、それはアステアも同じ。
以外とそういう手段もアステアだって苦手ではない。
人の心を誘導し、操り、仕向けさせる。
……問題は相方のセシリーだが、セシリーも前回の事で思う所があったのだろう。
二人で動いて問題なさそうだ。
何より二人で共に行動すると言うと、レイがとても喜ぶ。
二人は仲が良くていいねっと笑顔で褒めてくれるだろう。
そういうアピールも忘れてはならない。
実際の所、アステアとセシリーはルナも入れてとても仲がいいのだから。
「うふふ♪今回は三人で一緒にレイ様に褒められたいですわ♪」
「勿論なのです!あと!あと!メアもミケもロッテも仲間に入れてみんなで褒められるのですッ!」
「そうですね♪セシリーは本当に優しい子ですわ♪」
そう言ってセシリーの頭を撫でるアステア。
この子は本当に優しい子。
レイ様が可愛がるのもよく分かる。
フワフワの髪が気持ちいい。
撫でられているセシリーも満面の笑顔を向けてくれる。
太陽を守護するヤタガラスのアステアでさえ、セシリーはまるで太陽のようだと感じてしまう。
そうしてアステアとセシリーもクロムの聖域を後にする。
レイやラウ。それに連なるレイの一族の者達。
それぞれがそれぞれの役割を果たしに。
災難なのはその全ての行動がアルべリアの崩壊に向いているという点。
その意思を向けられたアルべリアは堪ったモノではないだろう。
もはや自業自得としか言いようがないが、それでも同情を禁じ得ない。
そうしてアルべリア王家の崩壊は始まったのだった。
「婿殿は王都は初めてかな?」
「王都どころかオウミから出た事もねーよ」
「では近い内にザクセン領も案内して差し上げよう。驚くでないぞ?ワシの自慢じゃからな」
王都へ向かう馬車の中、ジークフリートがオレに話しかけてくる。
一週間程森で過ごした後に、オレ達一行は王都へ出発した。
移動は転移陣や徒歩ではなく、きちんとホーエナウ家の豪華過ぎる馬車に乗ってだ。
ザクセン領の聖騎士も百名ほど馬車の護衛に就けて、まさに天下の辺境伯様のお通りって感じを演出している。
大袈裟すぎて中々に居心地が悪い。
これなら一人で冒険者として向かった方が楽だと感じてしまう。
というのも、王都からジークフリートへの招集に応えた為に、この様な面倒な事をしなくてはいけなくなったのだ。
今まで散々王都からの招集を無視してきたジークフリートだったが、さすがに国王の崩御となれば出向かざる得ないのだろう。
それでもイヤイヤ王都へ向かう訳でもなく、この上機嫌な様子を見ると、王都でも何やらやらかすつもりなんだろう。
その辺は貴族同士で上手くやり合ってくれればいいと思う。
オレとしては森に被害さえでなければどうでもいい。
結果アルべリアが滅びようがどうなろうがオレ達には関係ない。
まぁ『オレ』が嫌がるから民間人の被害は減らす努力はするとしよう。
復讐したいってんなら協力くらいはするさ。
そんな移動中のジークフリートの言葉に、隣に座るロッテは渋い顔をしている。
ジークフリートの事が嫌いな訳ではなく、その言葉の内容に顔をしかめたのだ。
「おじい様……。その言葉は取り消した方がいいわ。あの森の光景を見たらそんな事二度と言えなくなるから……」
「……」
ロッテの言葉に何の反論も出来ない。
ずっとあそこで過ごしていたから感覚がマヒしていたが、普通の人間にしてみたらクロムの聖域は異様な光景だったらしい。
「ほほう!?そんな面白い所じゃったのか?ワシも早く訪れてみたいモノじゃ!」
「あ、ああ。間違いなく招待するから。その内に時間を作っといてくれ」
「あんた……おじい様を殺すつもり?あんなモン見せたら心臓発作で死んじゃうわよ」
「……」
ロッテの言い方はキツイが、おおよそ的を得ている。
なにせロッテとエリーゼを招待した時といったら……二人揃って地面にへたり込んでしまったのだから……。
「あの街の造りも異常だったけどその光景が異常過ぎるのよッ!何なのよあれッ!キングフロッグが串焼きの屋台を押してるとか、キュービが喫茶店やってるとかッ!他にも上位の魔物が街中にウヨウヨいるし。ってかそんな魔物しかいないしッ!あんたの街は一体どうなってんのよッ!」
「……」
なんかスマン……。
あれが普通だと思ってたんだ。
ジークフリートはそれをにこやかに笑いながら聞き流している。
おそらくロッテの冗談か何かだと思っているみたいだ。
「ほっほっほっ。中々面白い冗談じゃな。しかしロッテよ。いくらワシが見ておらんからと言ってそれは言い過ぎじゃぞ?キングフロッグの屋台だなどと……そんなウソに引っ掛かる者がどこにおる?」
「「……」」
「じょ、冗談じゃ……よな……?」
「今私が言った事なんてまだまだ序の口よ。クロムっておばさ……お姉さんの眷族なんて人の姿した魔物が使用人の仕事してたわよ。身の回りの世話をしたり、食事を作ってくれたり。さっき名前を挙げた魔物より遥かに上位の魔物なのに……」
おばさんって言った……。
「……婿殿?」
「……スマン……本当だ……」
さすがに信じたらしい。
ジークフリートは目を見開いて驚いている。
あれって普通じゃなかったんだな。
「……婿殿に付き従う魔物は……一体どれほどの数がおるんじゃ?」
「数えた事ないから分からないけど……あの森のほとんどの魔物は好意的に接してくれると思う。多分全部って言っていいかな……」
今となっては赤鱗についた連中以外は、多分……。
「……あ、あの眠りの森の魔物じゃぞ?」
「あ、ああ。もう赤鱗に付いた連中のほとんどは南に逃げたから、森の全部って言ってもいいくらいかも……」
「「……」」
オレだってなりたくてなった訳じゃないし……。
自然とみんなを守る為にそうなった訳で。
「……婿殿の身分をどうしようかと思っておったが……これで決まりじゃな」
そう言うと、ジークフリートはおもむろに羊皮紙と羽ペンを取り出し、何かを書き込んでいく。
「……何を書いてるんだ?」
「王都への使いじゃよ。最初はこちらで婿殿の身分を適当にでっち上げようと思っておったのじゃが、その必要がなくなったのでな」
「必要あるだろ?今のままじゃオレはクーロン商会の跡取りか、冒険者ってだけだ」
それで十分だと思ったけれど、貴族との交渉の手伝いをラウに頼まれている以上、商人や冒険者じゃ心許ない。
多分舐められる。
というか王城に入る事すら出来ない。
「いや、婿殿にはそのまま魔物の国の王として来ていただこう。眠りの森、改めエルロワーズの森の王として」
「……そんなの認められる訳ないだろ?無茶言うなよ」
「何が無茶じゃ?この大陸には数多の国が存在する。魔族の国の魔王が王を名乗るように、亜人の国の君主が王を名乗る様に、婿殿が魔物の王を名乗って何が悪い?同じ魔物のゴブリンやオーガ、あらゆる魔物でさえ王がいるのじゃぞ。それとも森に住まう魔物達は婿殿が王を名乗るのに反対でもするのか?」
いや、それはないだろうけど。
確かに誰も反対とかはしなかったから。
でも、王とかやっぱ変じゃね。
「私が知る限り、あの街の魔物は三代目エルロワーズを王として……ていうか神様みたいに崇めてたわよッ。名前を出すのもはばかられるほど神聖な存在なんですって。ホント……こんな変態のどこがいいのか……」
オレもそう思うわ。
格上げされすぎでヤダな。
普通に坊ちゃんって呼ばれてるくらいでいいのに。
「国や王などというモノは自然に出来上がるモノじゃよ。望む望まないに関わらずじゃ。幸いあの森は誰の物でもなかったからの。そこを束ねた婿殿が最初の王という事じゃ」
「……その通りですレイ様。あの森の全てはレイ様の物。そこの王がレイ様でなくて誰が王だと言うのです。私達の為にも……王となり……森を導いて下さい」
「ルナッ!?」
突然馬車の中にルナが現れた。
というかいつの間にかシレっとオレの隣に座っている。
広すぎるくらいの馬車だったの座席にゆとりはあるが、突然現れたからかなり驚いた。
「ロッテ。あなたもレイ様の眷族なのですから、いかにレイ様が王に相応しいかを説いてくれないと……」
「私はコイツの普通の所が好きなのッ。別にコイツが王でも冒険者でも貧乏人でも変態でもロリコンでもスケベでも何でもいいのッ」
「……もう……全く」
あれからルナとロッテの仲が険悪にならないか心配だったが、それは杞憂に終わった。
今の様にルナも呆れはするが、ロッテを毛嫌いする事はない。
むしろとても仲がいい。まるで普通の友達のようだ。
戦友といってもいい。
あれから一体なにがあったのか。
「お、お嬢様。ハァ。ハァ。少し言い過ぎです。ハァ。いくらレイが変態でロリコンのスケベで前代未聞の女ったらしでも……ハァ。言い過ぎです」
エリーゼは走りながら馬車の扉から中に入って来た。
息も切れ、肩で息をしている。
ロッテの眷族になったエリーゼがそこまで走るなんて、どこまで行ってきたのか。
それにこの馬車ずっと走ってんだけど……。
つーかさっきの一言、オレの悪態を足してたよな。
「決まりじゃな。婿殿はエルロワーズの森の王としてアルべリア王都に来てもらう。ルナルナ様は……」
「……妻で」
「はぁ!?いつの間にルナがレイの妻になったのよッ!」
「今です。今この時、この瞬間からです。レイ様が王になられた時から、不肖ながら私がレイ様の妻の役割をさせていただきます」
「何でよッ!?」
「今この場には私以外に他に適任者がいないからです」
「私がいるじゃないッ!?」
「あなたはまだ仮の婚約者という立場じゃありませんか?いいじゃないですか。別に……。あなたは二号でも三号でも愛人でも妾でも奴隷でも下僕でもなんでも……」
「よくないわよッ!!何であんたが正妻で私が愛人なのよッ!!」
「ま、まあまあ。どちらにしても役割は必要ですからの。では立場上は婿殿の婚約者という事でよろしいのではないでしょうか?ロッテとルナルナ様。両名が婿殿の婚約者という事であればアルべリアも入国を拒めませんでしょう」
「……いいでしょう。取り合えずそういう事で我慢します」
ルナも……そういう事で我慢します、じゃない。
どっちの言い分もおかしい。
どっちとも結婚とかしないから。
それでもまぁ確かに身分が保証されないと王城には入れないか。
「……決まりねルナ。今回は引き分けって事で互いに婚約者よ。ちなみに……この事はみんなにはナイショよッ……」
「当たり前です。もしこんな事がみんなにバレたら、その場で血で血を洗う極悪非道な残虐ファイトが開始されます。ロッテも……イヤでしょう。セシリーやメアに延々と命を付け狙われるのは」
確かにそれは……オレもヤダな……。
というかそれ、絶対オレにもとばっちり飛んでくる仕組みになってるよね……。
それを想像したのか、一瞬でロッテが身体をブルリと震わせ、顔を真っ青にしている。
あの二人の戦闘能力をよく知っていたらそれも当然の反応だろう。
「で、ルナとエリーゼの仕事は上手くいったのかい?」
「勿論です。レイ様。万事つつがなく」
それは良かった。
二人にはジークフリートに頼まれて仕事を引き受けてもらっていた。
今後必ず必要になる証人の確保だ。
それをここまで早くこなせるのはルナとエリーゼの能力の高さだろう。
「さて、全員揃った所で少し現在のアルべリアの情勢をお話いたしますかな」
そうジークフリートが話を切り出した。
現在のアルべリアは戦線を二つ持っている。
一つは南。
魔族領との国境だ。
こちらは何十年と続く、膠着した戦線。
共に大きな被害を出さず、ずっと睨みあっている。
王都からも離れ、そこまで重要な戦線でもない。
いざ攻め込まれても、被害が出る前にどうとでも立て直せる。
が、アルべリアからもまた攻め込むのが容易ではない、難しい状況だ。
だからこそ互いに監視し合うだけの状況が続いている。
次に西南西。
亜人達の国との国境線。
こちらはヤバい。
常に戦争が繰り広げられて、戦火が燃え広がっている。
しかもここはエルロワーズの森のすぐ傍だ。
ザクセン領の南、ハクの聖域のさらに南だと言っていい。
これが人間の国が扱う奴隷の弊害だ。
亜人達は自分の家族を助けようと日夜争いを繰り返し、その争いでさらに捕虜を取られ奴隷として売られていく。
もちろんアルべリアの騎士も死んでいくから互いに憎しみが増していく。
その悪循環。
それなのにアルべリアには交渉する気なんてサラサラない。
むしろいい獲物としてしか認識していない。
勝手に責めてきて勝手に捕まっていく。
その過程でよくも仲間を殺しやがってと思っているふしがある。
完全に亜人を見下した考えだ。同じ生物とは考えていない。
喋る獣という認識らしい。
ならオレ達も王都ではその程度の認識に思われるんだろうな。
そしてその二つの戦線以外にも起こる争い。アルべリア各地の内乱だ。
今は火種が燻る程度だが、ジークフリートのザクセン領があからさまに王都と王族に牙を剥いた今、今後どうなるか分からない。
ザクセン領に追従する者も多く現れるかもしれない。
しかしそんな反王族を掲げる貴族達や有識者の多くは、すでに王族に粛清されたか牢に囚われてしまっている。
だが生き残りも多数残っている。
エルロワーズの森のカインやガラフの住んでいた村人達がそうだ。
他にもそこら中に身分を隠して暮らしているが、それもジークフリートが密かに匿っているらしい。
どうりであの村にジークフリートの手の者がいた訳だ。
放置というより積極的に支援していたのだ。
もう片方は王族からのスパイだろう。そっちはもう始末でいいな。
反乱分子の居場所を掴んでも、魔物の森の中じゃ手出し出来なかったので、ただ情報だけ王都に流していたのだろう。
それでカインやガラフをはじめ、あの村の住民には苗字がなかったのだ。
みんな隠したい名前があったから。
あの村の住民。
保護というにはなかなか優秀そうな人材が揃ってそうな印象だ。
後でジークフリートに言って登用してもいいかもしれない。
ちなみにエリーゼも元貴族だそうだ。
騎士貴族の一族の出だったのに、粛清され、貴族位を取り上げられた後、傭兵兼殺し屋に落ちたらしい。
そこでロッテに拾われたそうだ。
どうりで優秀な上、動きが軍人っぽいと思った。
さらにアルべリアは他の人間の国とも同盟を結んでは破棄し、また戦争を繰り返しているらしい。
つーか国がそんな火薬庫みたいな状態で、よくそこら中にケンカを吹っ掛けれるモノだとある意味感心すらする。
それも大国ゆえ仕方ないのか、それともただのバカなのか。
どっちにしてもジークフリートが資源や物資を止めた以上、もう戦争する力もないだろう。
そのカードを使ってジークフリートがこれからアルべリアで何をなそうとするのか。
言いたくないがこれからオレ達が向かうのは、敵の腹の中だ。
ザクセン領やエルロワーズの森の中だからこそ暗殺の心配がないだけで王都に行けばいつ襲われてもおかしくない。
なんならザクセン領を抜けた途端に襲われても不思議ではないだろう。
野盗や盗賊の仕業に見せかけるのも難しくはない。
「レイ様……心配ありません。全てこの妻であるルナが露払いして見せます」
最近ルナの勘も鋭くなった……。
オレの顔を見て感情を読み取ってくる。
――妻かどうかは置いといて……オレとオレの眷族が二人も付いているんだ。
まず護衛に関しては問題ないだろう。
ジークフリートもエリーゼもロッテの加護を受けている。
人間くらいじゃ殺す事なんてまず出来ない。
そしてオレがいるんだ。
誰も傷付けさせやしない。
「わ、私もッ!頑張るから見ててねッ!」
「ああ。期待してる。でもロッテには貴族とのパイプ役をしてもらう方がメインだからな?」
「……ぐッ!?あんた私が友達いないって知っててわざと言ってるわよねッ!そうよねッ!絶対そうよねッ!?」
「……別にいいじゃないですか。今はロッテもれっきとした魔物なんですから……。私達が友で姉妹では不満だと?」
「私の活躍出来る仕事がなくなるって言ってんのッ!べ、別にイヤなんて言ってないじゃないッ!」
二人共仲良くなって本当によかった。
ジークフリートも目を細めて二人のやり取りを眺めている。
素直に孫に友人が出来て喜んでいる様子だった。
ただし……その目がいつになく暗い輝きを放っているのはオレの気のせいではないのだろう。
もうすぐアルべリア王都だ。
何が待っている事やら。
そしてオレ達はともかく家に残して来た子供達はどうしている事か……。
何事もなければいいのだけれど……。