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エルロワーズの森と黒き竜  作者: 山川コタロ
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 さて、チェスの盤面は変わらず膠着状態。互いに攻めあぐねているのか、守りを重視した采配を取っている。


 これは……長引きそうだ。


 それが手を合わせて感じたレイとジークフリート、二人の感想だった。

 互いに持ち時間など決めず、ただ成り行きで始めたようなゲーム。

 してやられた感が否めない。

 初めにルールをキチンと決めるべきだったと。

 最悪持ち時間くらいはキチンと決めるべきだった。

 チェス盤が出てくれば世界共通、同じルールでの対戦だと勘違いする。

 何より決められてはいなくとも、マナーとして、常識として、守るべき暗黙のルールが存在していると誰もが思う。

 それが時間つぶしの遊びの勝負だという体裁を取っていたとしても。


 度を超すような持ち時間の使用はしない。

 駒の位置を気付かれずにずらすなどの行為を行わない。

 

 簡単に上げればそんな所。

 この程度は注意していればどうにか出来ると思っていた。

 実際レイもその程度の警戒しかしていなかった。

 待ち時間なんていくらでも待てばいいし、どれだけ時間をかけられても魔物であるレイが先に根を上げる事などあり得ない。

 最悪マナー違反を指摘して交渉の席を立ってもいい。

 困るのは向こうだけだ。

 

 同じ理由で駒の不正移動をレイに気付かれずに行うなど不可能。

 誰が相手であってもレイのドラゴンの目を誤魔化す事など出来やしない。

 むしろ、出来る物ならならぜひやって見せてもらいたいとさえ思う程。

 逆にレイにしてみればそのどれもをやろうと思えば簡単に出来る立場にいる。

 だからこそレイは一手目でキングを動かし、キャスリングの権利を放棄して見せたのだ。

 

 オレはイカサマもしないし、ハンデもくれてやる。

 だから思う存分、全身全霊をかけてかかってこいと……。

 

 しかしよくよく考えてみれば、他にも常識的なルールは存在するし、イカサマの種類も無数に存在する。

 この世界には魔法という能力が存在するのだから。

 その能力を使えばいくらでもイカサマなんて出来る。


 魔法を使ってのイカサマ。

 こればかりは想像がつかない。いくつかは想像できるが、それ以外にも思いもよらない方法があるかもしれない。

 さすがにこれはイカサマをやり慣れている方が有利だろう。

 その点ジークフリートは……ずいぶんやり慣れていそうだった。


 好々爺全としたその表情からは、全くその感情が読み取れない。

 温厚そうな笑いを交えつつ会話を交わすが、指してくる手は的確にレイの急所を狙ってきている。


 タヌキじじいめ……。


 心の中で毒を吐くが、レイもその笑顔を崩さない。

 何しろまだ勝負は始まったばかり。

 他にも何か隠し玉を用意している事だろう。

 レイには逆にそれが楽しみで仕方ない。

 出来るだけ苦戦させてもらいたい。

 そうやって己の価値を示して見せてほしい。

 レイが殺すのが惜しいと思わせるくらいに健闘したならば、眷族の子供達も説得しやすくなる。

 くだらない手を指すようなら所詮そこまで。


 それは、負ける事など端から――これっぽっちも思っていないレイの油断だった。







「ふむ。とりわけ今は孫のコイナの心配はいらんようじゃのう。しかし婿殿はちと分が悪いのではないのか?ずいぶん森でいいようにやられておるとか?」


「……それは一体いつの情報だ?アサギリが殺された時か?それとも勇者と一緒に魔物の大群が北に押し寄せて来た時か?」


「……ほう?勇者とな。勇者が眠りの森、いやエルロワーズの森に魔物と来ておったと?」


 どこまで知ってて聞いているのか、それともただカマをかけてるだけなのか、腹の内を一切見せようともしない。


「……殺したけどな。勇者も魔物の大群も。正確にはオレ達のいざこざに巻き込まれて勝手に死んでいた。が正しい表現だな」

  

「ほっほっほっ。勇者が巻き込まれて死ぬほどの争いとな。してそれは誠に真の勇者であったと?」


 疑っているのか、なんなのか。

 勇者が巻き添えになって死ぬほどの戦闘の情報が届いていないのか、それともオレ達が勇者と勘違いしているだけで、死んだのがただの冒険者だと思っているのか。


 腰に付けている巾着からボロボロになったマジックアイテムの指輪をテーブルに置いて見せる。

 あの勇者が付けていた気配、魔力を隠蔽するマジックアイテム。

 オレが付けていて壊してしまった残骸だ。


「……間違いなさそうじゃのう……。これはキャンサーに与えられておったアルべリア国宝のマジックアイテムじゃ。二つとない逸品が……なんとまぁ……無残なモノじゃのう」


「これが国宝?ずいぶん安い国宝だったな。この程度ウチじゃすでに量産しているぞ」


 壊れた指輪と同じ効果で、その上位互換であるオレのキツネ面と今付けている指輪を見せてやった。

 さすがに指輪を外して見せる事はしなかったが、さすがはジークフリート。その効力をすぐに見て取った。

 押し殺してはいるものの、明らかに動揺と……畏怖を感じ取れた。


「では婿殿はその指輪を付けて、なおその魔力であると……?」


「ハッタリをかます意味がない。オレの情報はすでにエリーゼから受け取っているはずだろ?」


「……なる程のう。ではその指輪を外して正体を見せてもらう事は……?」


「止めておいた方がいいな。ビックリし過ぎてじーさんの心臓が止まるかもしれないからな……」


 この指輪を外していい思い出が一つもないから。

 みんなビビッてよそよそしくなるんだもん。


 さて、まだまだ時間はある。

 次は……ルークの駒か……。

 駒を手に取り、自軍に寄せる。


「では止めておくとしよう。ワシもまだ死にたくはないしのう」


「それが賢明だな。森の状態は心配しなくていい。可もなく不可もなく……だ。森に集中出来れば一気に方が付く。その為にはアルべリア、しいてはザクセン領が邪魔だ」


 オレの発言にロッテとエリーゼがギョッとした顔で見つめてくる。

 盤面に集中していたのがウソのように、オレに意識を向けて来た。


「ではそれも交渉の材料じゃと?」


「まぁな。別に滅ぼすとかそんなつもりじゃない。赤鱗と繋がっているアルべリアに横やりを入れられたくないだけだ。だからじーさんはオレ達に交渉を持ち掛けて来たんだろ?赤鱗ではなく……それと敵対しているオレ達に」


「その通りじゃ。敵の敵は味方というじゃろう?きっとよい関係が築けると信じておるよ」


「……いいだろう。ロッテには借りもあるしな」


 オレの言葉にロッテは目を丸くさせていた。

 何のことか心当たりがないらしい。


「ロッテよ。婿殿を守る為に魔獣の前にその身を投げ出したそうじゃの?祖父としては叱らねばならんのじゃろうが……ザクセン領の領主としては褒めねばなるまい。その行いがなければ婿殿はここまで好意的に接してはくれんかったじゃろうからのぅ」


 確かにその通りだ。

 あれがなければ最悪ザクセン領も見捨てていたかもしれない。

 

 褒められた事が嬉しいのか、それとも無茶な行動をした事をジークフリートにバレていたのが恥ずかしいのか、ロッテが顔を真っ赤にして俯いてしまった。


「して、婿殿は本当に森の守りは万全じゃと?心配するなとは言え、そう簡単な相手とは思えんがのう?これを機に攻め込まれるとは思わんのか?」


「心配いらないと言っている。あの地の守りにはウチの最高戦力の片割れを配置しているからな。あの二人で守り切れないなら……その時は諦めろ。二人が殺されたら……誰にもどうにもできない。もしそうなればオレはアルべリアを無視してでも森を焼き尽くすぞ。赤鱗と一緒に」


 笑顔のまま頬杖をついてチェス盤を眺める。

 もしそんな事態になったらオレが森ごと焼き払ってやる。

 人間も魔物も知った事か。

 全部を灰に、無に還して仇を取るだろう。

 

「恐ろしい笑顔じゃのう……。そうならん事を祈っておるよ。ワシの為にも……森の為にも……世界の為にものう」


 ふふふ。

 

 まず間違いなくあり得ないけどな。

 セシリーが、クロムが、オレ達以外に負けるなんて欠片も想像できない。オレ達でさえ容易には勝てないだろう。セシリーにいたっては白兵戦で勝てるのはオレとラウ以外いないとさえ言い切れる。


 黒いルークの駒。

 それを見つめながら、盤面の展開を予想していく。

 雑魚でも構わないから、これであの子がお腹一杯食べられるといいのだけれど……。







「あああぁーーー!!!暇なのです!暇で死にそうなのです!!」


 セシリーは一人森の中で絶叫する。


 こんな事なら無理矢理にでもレイと一緒に行くべきだった。

 まさかここまで暇だとは……。

 セシリーが北の聖域に入ってからは戦闘はおろか、赤鱗との小競り合いさえ起きていない。

 これを機に攻め込んでくると思い、息巻いていたセシリーの思惑はものの見事に外れたのであった。

 今頃他の兄弟達は各々がそれぞれの仕事を全うしている事だろう。

 生粋の狩人であるセシリーが狩りも出来ず、ただ漠然と森を闊歩する。

 そのストレスは焦燥感と共に余計に募っていった。


「アオオオォーーーーン!」


 月明かりが照らすエルロワーズの森に意味もなく雄たけびが木霊する。

 叫びでもでもしないとやっていられない。

 それは悲しい……セシリーの心の叫び。

 

 餓える……。


 自由への渇望が無性に渇きを感じさせる。

 レイの事は好きだ。大好きだ。

 他の兄弟達も……。

 それでもこの餓えるような感覚は収まる事がない。

 

 食べたい……。喰らいたい……。もうお腹がペコペコだ……。


 そんなフラストレーションで一杯だった。

 レイはそれを感じ取ってセシリーにこの役目を任せたのは分かった。

 しかし結果として当てが外れたのもまた事実。

 クロムは命令に忠実に聖域から一歩も外に出ず、結界の構築に力を注いでいる。

 クロムの眷族を聖域の中で待機させ、いつでも出れるよう準備させている。

 それがレイの命令なのだから当然だろう。

 むしろセシリーに気を使って外の守りをセシリー一人に任せていると言ってもいい。

 

 なのに……それなのに……敵が攻めて来ない……。

 何なのだ一体。

 チャンスだろう?千載一遇の好機だろう?ここで攻めて来なければいつ攻めてくるというのだ?


 イライラを募らせながら、セシリーは進む。

 森の東へ向かって。


 来ないならこちらから出向いてやればいいのではないか?


 そんな思考がセシリーの頭に浮かんでくる。

 何も聖域に閉じこもるだけが防御ではない。

 積極的に攻撃する事もまた防御ではないか。

 いつかレイが言っていた。

 攻撃こそが最大の防御だと。

 すぐにラウによって否定されていたが、レイがそう言うのだから間違いがあるはずがない。


「……アオォォーーン……」


 返って来た!?


 遠く、かなりの距離があるが確かに遠吠えが返って来た。

 仲間なのかなんなのか……。そんな事はもうどうでもいい。

 東から聞こえたそれは確実にフェンリルのそれだった。


 今すぐ向かわなければ……。

 ようやくだ……。ようやく……この心が満たされる……。

 そこに……フェンリルがいる!


 そしてセシリーはクロムの結界を抜け出し、遠く森の東へ駆け出すのであった。






 月明かりを浴びて、キラキラと銀髪を揺らしながらセシリーはたどり着いた。

 そこは夏場にピッタリの新緑の生い茂る広い草原だった。

 割と北に位置しているのか、風に冷気が乗って気持ちがいい。

 鼻をクンクンと鳴らし、辺りの匂いをかぎ分ける。


 いる……。それも結構な数の()()()達だ。


 八匹ほどか、それ以外にもその眷族と思しき連中が相当数揃っているようだ。

 セシリーの心に歓喜が吹き荒れる。


 嬉しい!嬉しい!嬉しい!

 やっと……やっと出会えた!


「出てくるのです!そちらの望み通り一人で来たのです!!」


 セシリーと同じく生まれながらの狩人達。

 セシリーでなければ……あえてその存在を示さなければ気付く事は出来なかっただろう。


「何と情けない姿よ。それが誇り高きフェンリルのなれの果てか……」


 草原の中から姿を現したのは、八匹のフェンリルと数多の獣型の魔物達。

 ヘルハウンドにガルム、ケルベロスまでいる。

 それを引きつれているのは一際大きな()()()を鎧のように身に纏ったオスのフェンリルだった。

 その大きさはセシリーの比ではなく、体長は十メートルを超える程だ。


「そのような貧弱な姿になってまで生き恥を晒すとは……なんと愚かな……。貴様にフェンリルの誇りはないのかッ!!」


 赤い鱗を身に纏ったフェンリルがセシリーに向かい一喝する。

 その雄たけびのような言葉は魔力を含むのか、衝撃波となってセシリーに襲い掛かる。


 しかしそれを一身に浴びてもセシリーの笑顔は崩れない。

 安心して泣いているような、喜んで笑っているような……そんな泣き笑いの表情をしている。


「……よかったのです。本当によかったのです。ようやく会えたのです……」


「ふんッ!まぁよいだろう!出来損ないとはいえれっきとした我らの一族だ。その態度に免じて此度は不問としてやろう」


 そんなセシリーを見て、若干態度を軟化させたのか、リーダーらしきフェンリルがセシリーに歩み寄る。

 しかしその傲慢な態度は変わらない。

 セシリーを見下し、鼻で笑う始末だ。


「喜べ。一族に捨てられた貴様を再び一族に迎え入れてやろう。身体も魔力も神格さえも出来損ないの貴様を再び拾ってやると言っているのだ。ハッハッハ!腹を見せろ!尻尾を差し出せ!奴隷の様にこびへつらえ!それで貴様の命だけは助けてやる!従順であるならオレ様の子を孕ませてやってもいいぞ!」


 圧倒的な魔力をまき散らし、セシリーを勧誘というより脅しに近い形で屈服させようとしてくる。

 牙をむき、爪を立て、オオカミの顔をしているにも関わらず、その表情は醜く歪んでいた。


「……よかった……のです……。本当に……。一時は……どうなる事かと……思っていたのです」


 ブツブツと呟くセシリーはどこか呆けたように同じ言葉を繰り返している。

 ようやく出会えた相手に、その喜びに、心が破裂してしまったかのように……。

 生まれて初めて出会えた同族に……家族に……。

 それとも別の感情か……。


「まずはその姿をどうにかしろ!見ていて吐き気がする!その後でたっぷり可愛がってやる!それに……」


 ドキャァァッ!!!


 前足一閃


 セシリーの小さな身体が吹き飛んだ。

 何度も地面に叩きつけられながらはるか後方に吹き飛んでいく。

 地面に転がされた後もセシリーはブツブツと何か呟いている。

 時たま涙まで流しているようで、服の裾で顔を拭っている。


「腹を見せろと言ったはずだ。頭まで悪いのか」


 赤鱗のフェンリルが顎をしゃくると、傍にいた二匹のフェンリル達がセシリーの下へ駆け出していく。

 勢いそのままに倒れ込んだセシリーに牙を突き立てて、その身を蹂躙していく。

 ガツガツ、グチャグチャと音を立て、骨を砕き、肉を食いちぎっていく。


「ハッハッハッ!思い知らせてやれ。ただし殺しはするなよ。我が主は()()を利用するつもりらしいからな!」


 そういって興味なさげにその場を立ち去ろうと踵を返す。


 後ろではギャフンギャフンと今だセシリーを弄ぶ二匹のフェンリル。

 次第にそれはグチャリグチャリと気色悪い音に変わっていく。


 殺すなと言ったはずだろう!

 そう思い、怒りを込めて振り返るとそこにはもうフェンリルの姿はなかった。

 あるのは肉塊に変わり果てた二匹のフェンリル。


 そして……返り血で真っ赤に染まったセシリーが立ち尽くしていた。


「貴様ッ!!同胞に何を!?」


「はっ?何を言っているのです?セシリーの同胞はこんな雑魚じゃないのです。こんなゴミ……」


 頭……で、あったモノに飛び乗りその小さな足で踏みつぶす。

 セシリーの身体ほどもある物体をいとも簡単に踏み砕く。

 まるで豆腐のように砕けたそれを気持ち悪そうに足で払いのけ、満面の笑みを浮かべる。

 三日月のように吊り上がったその表情は、まるで仮面を張り付けたように黒く染まっていた。


「き、貴様ッ!殺せ!すぐにそいつを始末しろ!」


 そのフェンリルは気付いているのか、若干その声に怯えの色を含ませていた。


 一斉に襲い掛かる数多の魔物を嬉々として狩っていくセシリー。

 子供が鬼ごっこをするように一匹ずつ、一匹ずつ。

 殴り、蹴り、飛び掛かっては引き千切り。

 楽しそうにその顔を歪めながら。


「アッハッハッ!アァ―ハッハッハッ!愉快なのです!楽しくて堪らないのです!飢えが!渇きが!心が満たされていくのです!!」


「化け物が!!」


 ひとしきり狩り切った所で、セシリーが動きを止める。

 それでも周りにはまだ沢山の魔物に取り囲まれているというのに。

 どの魔物もセシリーの異様さに飛び掛かれないでいる。


「一時はどうなるかと思ったのですが……今夜は楽しめそうなのです!せっかくなので狩りも楽しむのです!ほら?早く逃げるのです!ハンデにこれも外してあげるのです!ほら?早くしないと食い殺されるですよ?」

  

 おもむろに指輪を外すセシリーはそれをポイっと投げ捨てる。

 もう拾わないと言わんばかりに。


 指輪を外したセシリーの身体からは途端に魔力に色が付く。

 始めから放たれていたはずの魔力をようやく感知出来たのか、一斉に魔物が四散して逃げ惑う。

 恐怖のあまりの遁走。まさに尻尾を巻いて逃げていく。


「アハ♪鬼ごっこなのです!捕まると……死んじゃうのです!」


 言うが早いか、動くが早いか、言い終わる頃には十体以上の魔物がバラバラにされていた。


「に、逃げろ!東だ!主の下へ!早くしろッ!」


「そうなのです!早くしないと全滅しちゃうのです!」


 クソッ!ふざけるな!こんな所で全滅なんて!


 赤鱗のフェンリルが凄まじいスピードでその場を離れてく。

 自分の一族も、その眷族も何の役にも立たなかった。

 捨て子のフェンリルを一匹引き込むだけがこんな事になるなんて。

 このままでは主に会わす顔がない。

 見限られる可能性まである。

 黒い姿のドラゴン。

 そんなモノただの噂だと思っていた。

 いたとしても加護を与えられた己一人で滅ぼせるとそう信じていた。

 それが……このざまだ。


 至る所から断末魔の悲鳴が聞こえてくる。

 どれほどの能力があろうと走るスピードには自信があった。

 決して追い付かれる事はないと。

 あれがどのような化け物であったとしても、あの数の魔物を殺して追い付くなんて不可能。

 自分だけは逃げ切れる。

 それだけは確信があった。



 どれだけ走ったのか、気が付けば相当遠くまで走った。

 周りにはもう誰も付いてきていない。

 自分を逃がすための囮になったなら、連れて来た甲斐があるというモノ。

 そう思い僅かに走るスピードを緩める。

 さて、主にはなんと説明しようか。

 化け物に出会ったので仲間を見捨てて逃げてきましたとは言えない。

 なんらかの言い訳が必要だった。


「……どうするか……。いっそ森のヌシにやられたとでもしておくか……」


「そんな心配しなくてもいいのです!」


 全身の毛が一気に逆立つ。

 耳から尻尾まで全ての毛が、だ。

 

 何故前から声が聞こえる?

 いつの間に追い付かれて……追い抜かれていた?


「あんまり遅いので探し回ったのです!セシリーはやはりメインディッシュは最後に食べる派なのです!」


「ま、待て!いや……待ってください!どうか!どうかお助けを!」


 空間ごと包み込むような巨大な魔力でどこにいるのかも分からない。

 そんな暗闇に向かって必死で命乞いをする。


「ちゅ、忠義を尽くします!あなた様だけに!この命全てを持って!」


「……」


「どうかッ!どうか命だけはッ!!」


「え~と何と言っていたのです?確か腹を見せろ……とか尻尾を差し出せなのです?」


 闇の中から陽気に嬉しそうに話しかけてくる。

 まるで獲物を甚振るように。


 仕方なく腹を見せる。

 尻尾を丸めて上空に振りかざす。

 フェンリルにとってこれ以上の屈辱はない。

 死んだほうがマシだと言える程の屈辱。


「アハ♪素晴らしい格好なのです!まるでウサギ狩りのようなのです!」


 こ、殺してやる!!

 姿を現した瞬間、牙を喉元に突き立ててやる!!


 このまま主の下に戻っても確実に殺される。

 それならばいっそその首を持って……。

 そうすれば命だけは助かるかもしれない。


「どうか、どうかお慈悲を!同じ一族ではありませんか!」


「同じ一族?何を言ってるのです?セシリーの家族はレイ様と兄弟達だけなのです!後はみんなエサなのです!セシリーの餓えを満たすだけのエサ、ウサギかハトの違いなだけなのです!獲物は大人しく刈られればいいだけの話なのです!」


 イカれている……。

 魔物が全部エサだと?

 狂ってるのか!


「今夜は雑魚ばかりで喰い足りないのです!せめてメインディッシュくらいは美味しくいただきたいモノなのです!」


 全員殺されたのか?

 あれだけの数を……。

 それでもまだ喰い足りないと……。


 実際魔物が魔物を食べる習慣はない。もちろん人間も……。

 この場合セシリーが言っているのは食事的な意味合いではないのだろう。

 戦闘欲を、狩猟欲を満たしてくれる相手を指しているだけ。

 その大食いといったら……あれほどの魔物を喰い散らかしてもまだ足りないという。


 暗闇から赤い瞳を血走らせ、その姿を現す。

 それは死神の様相にふさわしい血みどろの姿だった。


「またレイ様にお風呂に入れてもらわないと、なのです!」


 仰向けに倒れているフェンリルを、まるでゴミでも見るようにその興味ももはや失われていた。


「セシリーは家畜を狩る趣味はないのです!セシリーは誇り高いフェンリルなのです!ああ。()フェンリルなのです!」


 家畜……だと?


 それは怒りで理性を忘れるには十分な言葉だった。

 フェンリルの自分が家畜だと!?

 貴様も加護で縛られた家畜の分際で!

 捨て子の忌み子が!

 

 怒りに任せてセシリーに飛び掛かるが、セシリーは動こうともしない。


「貴様ッ!捨て子のくせにッ!忌み子のくせにッ!貴様だって自由を奪われた家畜ではないかッ!!」


 小さな、本当に小さなセシリーの身体に牙が襲い掛かる。

 しかしセシリーはその頭をギチギチと鷲掴みにしながら、その動きを封じてしまう。

 セシリーの小さな手では掴み切れないほどの大きなフェンリルの頭を、鷲掴みというのはおかしな表現だが、おそらく毛皮の下、その頭蓋骨ごと片手で締めあげているのだろう。  

 

「勘違いするななのです!セシリーは捨てられたのではなく、捨てたのです!自由を捨てた同族を嫌悪して全てを捨てたのです!自由というのはレイ様のような方を言うのです!その口で!その言葉で!自由を!レイ様を語るなッ!!」

 

 グチャリ!!


 イヤな音と共に一面に血しぶきが広がった。

 セシリーは全身を真っ赤に染めつつもその表情はとても満足そうだった。


「やっぱり食事は腹八分目が正解なのです!レイ様は物知りなのです!」


 まだ喰い足りなさそうな表情ではあったが、とても、とても、満足そうだった。

 元同族の存在などもはや興味もないように踏みつぶして進んでいく。

 そこに後悔はない。

 過去も未来も、現在も。

 あるのは愛しい我が主の存在のみ。

 いかようにして、レイに甘えてお風呂に入れてもらえるかだけ。


 褒めてくれるだろうか?

 頭を撫でてくれるだろうか?


 あぁ……お風呂も捨てがたいが、食事もねだりたい。


「早く帰るのです!」


 思案を迷いながらも、その身を夜の森に溶かしながら、セシリーは鼻歌交じりにクロムの聖域に帰還するのであった。

















   

 

 

 


 

 


 

 

 

 


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