3
はっきり認めよう。この身体は以前の身体とは違う。
とんでもない身体能力に魔力という物までもっている。暑さや寒さもそれほど感じないし、腹も減らず、眠くもならない。
適当にその辺の草を口に入れてみたら苦かったので味覚はあるようだ。眠ろうと思えば眠る事もできそうだ。
特に眠くはないが……。
それから思考だ。なにかに引きずられるように怒りや憎しみを感じる。逆に別の者に慈愛や友愛の感情も湧いてくる。オレがオレでありながら別人になったような感覚。
以前のオレと何も変わらない気もするし、全く別の物になってしまった気もする。それらの感覚さえ不思議としっくりくるのだ。
おまけに一つ目を殺した時もそうだ。以前のオレならどう感じただろう?
生き物を殺してしまった事に恐怖し、取り乱しただろうか――それとも――何も感じなかっただろうか――。
少なくとも今のオレは何も感じない。
命を奪った恐怖や悲しみも――ましてや、敵を倒した事に対する喜びや安心もない。
あぁしょうがないな――くらいの感覚。歩いていたら邪魔な虫を踏んで殺してしまった。が、一番近い感覚だろう。
かと言って積極的に殺したいとも思わないし、二度と害をなさないなら逃がすのもやぶさかではない。ただ、なにか害があれば迷わずに殺すだろう――ただ作業をこなすように。
おそらくこれらは『オレ』に食われた影響か――それとも異世界に飛ばされた影響か――もしくは――子供達の魂を食った影響か――。
つまり、なにが言いたいかというと、オレのメンタルはそこそこ強い。大抵のことではダメージを受けない。異世界に転移され、身体が魔改造されたくらいでは「ふぅーん。そう」くらいにしか感じない。
だが!オレは!今!猛烈にダメージを受けている!
「ヌシ様、元気出すのです。別にセシリーはなんとも思ってないのです。むしろご褒美なのです。そういう趣味もセシリーは頑張って理解するのです」
自分のした裸の指摘をマズイと思ったのか、セシリーが訳の分からない慰め方をしてくる。というか、遠回しに追撃をしかけてくる。
裸なのは趣味じゃない!
そういえば、セシリーには砂浜でも見られていたんだったか――。
現状オレは一つ目が倒した大木に這いずるように移動し、大木の陰で三角座りでアリのような蟲を数えていた。
――裸で――。
ううう。
「あの……。できました……。これでよければ……お使いください」
鈴の鳴るような声だった。大木に向いて姿を見ずに、声だけで想像するならどれほど美女が後ろに立っているのかと振り向きたくなる声だ。
だがオレは振り向く事はない。
なぜならオレはこのままここで木になるからだ。
そうやって木になって、森の一部になって、みんなを見守ろう。世界が今日も平和でありますように……。
ふふふ。
「もうヌシ様!いつまですねているのです!そんなんじゃセシリーの尻尾に触らせてあげないのです!」
「セ、セシリー!あなた!今なんと――!あの……あのお方と……そ、そのような関係に!」
「ふふん。そうなのです。ルナ。セシリーはもうヌシ様の『ペット』なのです」
「『ペット』?そ、それは一体どのような関係なのでしょう?し、尻尾を触らせる程のご関係なのでしょうか?まるで……そ、そのツガイのようではありませんか」
「そう取って貰って構わないのです。セシリーとヌシ様は共に『散歩』まで済ませた仲なのです。次は背中に乗って貰う約束もしたのです」
「『散歩』?ともあれ、背中に乗せるなど――」
違いますー!ツガイじゃないですー!背中にも乗る約束なんてしていませんー!
背中越しに可愛らしい声で、かしましい会話が聞こえてくる。
このまま放っておくとセシリーがどこまで暴走するか分からないので、仕方なくふりかえる。
――三角座りで――
オレに気付いた二人は、会話を止め共にオレの前までくる。
会話だけ聞いたらどんな美女が話しているのかと興味を持っただろうが、現実はオオカミとクモである。
中々シュールだ。
「先ほどは危ない所を誠にありがとうございました。私はアトラナートのルナルナと申します。よろしければこちらをお使い下さい」
ルナルナが差し出して来たのは黒いクモの糸で編まれた長めの短パンと半袖のTシャツだった。
オレはありがたくそれを受け取ると、大木の陰に移動し、それに袖を通した。
「こちらこそありがとう。助かったよ」
「いえ、とんでもございません……。あなた様は命の恩人なのですから……このくらいなんでもありません……」
ルナルナは下を向いて顔を真っ赤にしている。
この身体になって何故か、魔物達の表情がひどくはっきり解るようになっていた。初めはセシリーだけなのでオオカミのような顔の表情がよく読み取れるなーっと思っていたが、クモはもちろん、レッドキャップやサイクロプスの表情も読み取れたので、間違いないだろう。
ちなみに赤帽子がレッドキャップで一つ目がサイクロプスらしい。
そしてルナルナが顔を真っ赤にしているのは、やはり裸がまずかったらしい。
お前らみんな裸じゃねーかよ!と、叫びたかったが、彼女らはみんな体毛で覆われているからいいのだそうだ。
なんだその理屈は、と思ったが、魔力でできた服を着ているようなものだと言われたら反論のしようもない。
確かにレッドキャップもサイクロプスも、体毛のない種族は獣の皮でできた服や腰巻を付けていた。
どの世界でも裸はマズイらしい……。
「それよりも、先ほどからセシリーに話を伺っていたのですが、あなた様が二代目様とはつゆ知らず、大変なご無礼を。誠に申し訳ございません」
ルナルナは神妙に頭を下げる。顔は今だに赤いが……。
「あぁセシリーには何度も言っているんだけど聞いてくれなくて……。オレは雨宮 零。二代目様ではないよ」
「そんな――あれ程の力を持ち、ババ様の伝えどうりのお姿をされておられるのに二代目様ではないのですか?」
「あぁ。ごめんな。何度も言うけどオレは二代目様じゃないし、聞いた事も会った事もないんだ」
オレは苦笑して答える。その答えにルナルナはもちろんセシリーも何も言って来ない。
「しかし、私を助けて頂いた事に変わりはございません。この御恩はお傍に仕えてお返しさせて頂けたらと思うのですが――」
「ダメなのです!!」
セシリーがルナルナの言葉に割って入る。急にどうしたんだ?
「ヌシ様の『ペット』はセシリーだけで十分なのです!それにルナはセシリーよりもお姉さんで美人さんだからダメなのです!」
ヤキモチを焼いているのか?
そういえばペットでもヤキモチを焼くと聞いた事がある……。クモに美人も何も、あるのかどうか甚だ疑問だが――。
ルナルナは明らかにションボリとしている。
「こら。セシリー。お友達に意地悪言っちゃだめだろう?」
「むうう」
「ごめんな。ルナルナ。気にしないでくれるか?ほら、セシリーもルナルナにごめんなさいは?」
「ルナ、ごめんなのです……」
「い、いえ、私が差し出がましい事を言ったのがいけないのです。セシリーを責めないで上げて下さい」
ルナルナは頭と手?前足?を目の前で振って逆に謝って来た。
ええ子や。この子、ええ子やなー。――見た目クモだけど――。
「それよりもお二人はどちらへ行かれるのですか?」
気まずくなったのかルナルナは話題を変えてくる。
「ババ様の所に話を聞きに行こうと思ってね。ついでに二代目様の服も譲って貰えたらいいと思って」
「まぁそれでは行先は同じですわ。私達もババ様の所に向かう途中でしたの」
ルナルナの顔に笑顔が咲く。
どうやらババ様の所に向かう途中で襲われたらしい。
「じゃあ一緒に行きませんか?行先は同じなんだし」
「よろしいのですか……?」
ルナルナはチラリとセシリーの方に視線をやる。
セシリーはそっぽを向いて頬を膨らませている。
「ヌシ様は美人さんに弱いのです!」
明らかに拗ねている……。全く……。
オレはセシリーに近づくとセシリーの頬に顔を埋めて、右手でセシリーの顔を下から撫でてやる。
「セシリー。セシリーのお友達がケガをして困っているんだ。助けてあげたいだろう?」
「むうう。仕方ないのです」
撫でた事で多少は機嫌も治って納得もしてくれたみたいだ。
ルナルナは顔を赤らめてこちらを見ないようにしている。別にやましい事はしていないのに……。
「それじゃあ、ババ様の所に向かう前に三人にお墓を作ってあげないとな!」
オレがそう言うと二人ともひどくビックリした顔をする。
なにか変な事でも言ったかな?
「……その……よろしいのでしょうか……?」
「どうしたんだ?なにかマズかったかな?」
「い、いえ、とんでもありません。その……私の妹達の為にそのような……」
話を聞くと元々お墓を造るのは二人が言う二代目様が始めた事らしい。
二代目様がいた頃は良かったが、二代目様が居なくなり、外から魔物が森に入って来ると、お墓を造る間に襲われるか、そもそも魔物に襲われて死ぬので、そのまま放置して魔物から逃げていたらしい。
元々、森で生まれた者達は、森で死に森に還るのは非常に幸せな事らしい。しかし、そのまま死体を放置しておくと、魔物や魔獣に食われるか、ゾンビやレイス化してしまう。最悪、人間や魔族に見つかり、死体を持ち去られバラバラにされて素材として売られるのだそうだ。
これは、森に棲む者にとって最も屈辱的で忌み嫌われるらしい。
なので、出来る事なら掘り返されないように、土を深く掘り、丁重に弔いゾンビ化を防ぎたいが危険が多く難しくて中々できないそうだ。
「……その、いいのです……レイ様……。群れから離れて行動した時から覚悟はしていた事ですから……。それに……そのような事にレイ様のお手を煩わせるわけには参りません……」
「いいんだよ!オレがしたい――してあげたいだけなんだから!」
「レイ様……」
ルナルナの目が涙で潤んでいる。
ともあれ、あの三人もあのままにしておくのは余りにも忍びないので、さっそく土を掘ってお墓の準備をしてあげよう。
魔物に襲われる事もなく、無事三人を埋め、埋めた地面の上に大きめの石を置く。
「安らかに眠ってくれよ……」
以前の世界では宗教なんて物は全く信じていなかったが、今この瞬間だけはこの死んでしまった三人の安らかな眠りの為に祈ろうと思う――神でも仏でもなく――この三人の為だけに……。
「レイ様……ありがとうございました……」
ルナルナは一粒の涙を流してオレに頭を下げた。
クモが泣くのを初めて見た瞬間だった。
それを見た時オレは不謹慎にも美しいと感じてしまった。
もし――この三人に魂があり――そして……輪廻の輪に還れないとしたならば――殺された恨み哀しみに囚われ、輪廻に還れるまで永遠に彷徨うのと――オレに食われ、オレの腹の中で永遠眠るとどちらが幸せなのだろう……。
――もし――例えば――仮に――。言い出したならキリがないだろう……。実際、オレはこの子達の魂が安らかに眠れるように祈る事しかできないし――実際、オレは以前の世界で一万もの子供の魂を食ったのだから……。
「ヌシ様……。泣かないでなのです……」
泣いている?オレが?
頬を手で拭うと、そこには確かに涙の跡があった。
泣いていたのか……オレは……。
なら、この涙は一体誰の為なのだろう――。
三人の死んだクモの子達の為なのか……。
それとも、妹達を失ったルナルナの為なのか……。
それとも、オレに食われた一万もの幼い子供達の魂の為なのか……。
それとも…………。
オレの傍で心配そうに、オレの手の平を舐めるセシリーに、思わず頭を撫でてしまう。
セシリーは嬉しそうに――そして、恥ずかしそうにはにかんでいた。
「改めまして――ヌシ様。このルナルナをどうかお傍に置いて頂けないでしょうか?」
ルナルナはオレの正面に回り、ケガをして辛いだろうにも関わらず身を伏せ、頭を下げている。
「オレは君達が思っている二代目様ではないよ?」
「構いません。むしろ、私はあなた様にお仕えしたいのです。私の命を救っていただき、更には私や妹達の魂を、心を救って頂いたあなた様に忠誠を尽くさせて頂きたいのです」
今度はセシリーも何も言わない。隣でじっとルナルナを見つめている。
「本当にオレなんかでいいの?」
「お許し頂けるのならば!」
ハッキリと――そして真っ直ぐにオレに向かって言葉を放つ。
この覚悟にオレはどう答えるべきか――少し考えさせて欲しい、なんてみっともない事は言えない。
オレも覚悟を決める。
「じゃあ、ルナルナ。どうかオレと一緒にいてくれないか?仕えるとか家来ではなく、オレの――オレとセシリーの家族になってくれないか?」
屈んで手を差し出すオレに、ルナルナは前足を二本差し出し、オレの手にそっと乗せる。
「はい!どうぞよろしくお願いします。そして、ルナ、とお呼びください」
こうして夕焼けに染まる森の中でオレに新しい家族が増えたのだった。
「ルナ!よかったのです!さっきは意地悪言ってごめんなのです!」
セシリーが顔をグシャグシャにして、泣きながらルナにタックルをかます。
前足でルナを掴み舐め回す姿は、ボールで遊ぶ犬にしか見えない。
「これでセシリーとルナは姉妹になったのです!」
やはりこの二人はすごく仲がいい。
「セシリー!ありがとう!そして、これからも、よろしくね!」
「こちらこそなのです!」
んー。娘が二人も出来てしまった。
やはり、ここは是非二人のご両親に挨拶に行くべきだろう。
「娘さんを僕に下さい!」
以前の世界では定番のセリフだが、今回のケースはこれであっているのだろうか?
フェンリルとアトラナートのご両親か……。
「貴様なんかに娘はやらん!」
とか、言われて襲われたりしたらどうしよう……。
さすがに二人のご両親に手を挙げる訳にはいかないしなー。
やはり、まずはババ様に先にご挨拶して、それからご両親にとりなしてもらうのが一番だな……。
そうと決まれば先を急ぐか!
「よし!ババ様の所に向かうか!二人とも!」
「「はい!」」
オレ達は北を目指し足を進める。