16
真っ暗だ。何も聞こえない。呼吸も出来ない。死ぬ事はないだろうが、酷く気分が悪い。
おそらく今、オレは地面の下に埋まっているんだろう……。ラウには後でキッチリ落とし前を付けさせてやる。
『気分はどうだい?』
――念話か?しかしオレの眷族の誰の声とも違うな……。
一体誰だ……?この声何処かで聞いた事があるような……。
『……最悪の気分だ……。というかお前は誰だ?何故オレに念話で話しかけられる?』
『アッハッハッハ。オレの事はどうでもいいよ。聞いているのは今の心境じゃないよ。こっちに来てどう思ったかを聞いているんだよ。』
『別に悪くないさ……。むしろ感謝している……』
感謝している?何故コイツにそう思う?
『そうかい?それなら良かったよ。キミがそう思ってくれたなら結構だ』
『……お前の仕業か……?オレがこっちに来た事も……』
『オレは何もしていないよ。全てはキミが望んだ事さ。……そう、全てが……』
『何を言っているのかよく分からないな。今回の事もオレが望んだ事だと……?』
『それはオレにも分からないな。そうかもしれないし……。そうじゃないかもしれない……』
『禅問答でもしているつもりか?答えになっていない』
『アッハッハッハ。オレはただ見ているだけさ。答えはいつもキミの中にある物だよ』
『……話にならないな。まともに会話するつもりがないならそう言ってくれ。それならオレもキッパリ無視できる』
『そう冷たい事を言うなよ?オレはお前だというのに……』
『――お前がオレだって――?』
『ああ、そうさ?オレは――お前だよ』
穏やかに……幼子を諭すように優しくソイツはオレに語りかける。
身体がまるで黒い水の中のように沈みだす。
真っ暗な闇の中、上も下もない異次元に落とされたように落ちているのか、浮かんでいるのか……。
オレがこっちの異世界に飛ばされた時とそっくりだ。ただあの時と違うのは指し示す光が何もないという事。
「やあ。オレ」
そこにいたのは逆さまに立っているオレだった。
「何を驚いているんだ?ああ、逆さまなのが気になるのか?」
ヒョイっと反転してオレと同じ高さに真っ直ぐ立つオレは優し気にオレを見つめていた。
「言ったろ?後は任せたって。後はキミの好きなようにしたらいいさ。オレは見ているだけで十分だ。オレは……もう疲れた……。傷付くのも、傷付けるのも、悲しいのはもう十分だ……。キミの中は居心地がいい。ゆっくり休みたいんだ……。だからキミと話がしたかった」
「……何を……一体何を言ってるんだ?お前?」
「もっと言いたい事はあったんだけど、いざとなると何を話していいのか分からなくなるね……。メアの事は気に入ったか?出来る事なら、彼と同じように人間も魔族も愛して欲しい。けれど……それもキミの自由だ……」
「おい!待て!どこに行くんだ!?まだ何も話していないぞ!?」
「迎えが来たみたいだ。今回はこれでサヨナラだ……。ただこれだけは覚えておいてくれ。オレは誰も恨んでなんかいない。メアも誰も……。だからキミが憎しみに囚われる事なんてないんだ。キミの……オレの優しさは時に激しい憎しみに変わる。けど……オレの為には誰も憎しまなくていい……。オレの為には誰かを傷付けなくていい」
いつの間にか辺りには無数の光の玉がフワフワと漂っていた。
――これは……知っている。子供達の魂だ。オレがオレに食われた時と同じだ。
オレがオレに食われた?オレが……?
「じゃあな。もしかしたらまた会う事もあるかもな?それまでオレの身体と能力は好きにしたらいいさ。オレ達は一人なんだから」
「おい!待て!」
身体が全く動かない……。オレは一歩も前に歩けないままオレに声を掛け続けるが、オレは子供達の魂とどんどん離れていく。
「ああ。そうだ。気付いていたか?こっちに来る前寄り道してきたのを?」
「……何を……何を言っているんだ!?」
「そうか。覚えていないならそれでいい……。じゃあまたな?」
「お、おい!ま……」
オレの姿が見えなくなると同時に、目の前に光が差し込む。眩しすぎて思わず目を背けると大声でどなり声が聞こえてきた。
「一体何を考えているのです!?もしレイ様に何かあったらどうするつもりなのです!?ラウ様はバカなのです!?」
「全くです!!いくらラウ様でも今回の事は許しませんよ!!」
「ふ、二人とも落ち着きなよ!?あれくらいじゃレイは死なないって!ボクも焦ったけど、無事なのはボク等ならハッキリ解っていたじゃないか!?」
「「そういう問題じゃないのです!」ありません!」
「ス、スマン!スマン!堪忍や!ボクもホンマに焦ったわ!まさかあないな事になるなんて!」
…………うるさい!どうやら夢でも見ていたみたいだ。
……もう一人のオレか。寂しそうな……優しそうなヤツだったな……。あれが……オレか。
「あっ!!目が覚めたみたいなのです!!」
ゆっくり身体を起こすと、そこはクロムの街のいつもの部屋だった。
「いつの間に……この部屋に?」
「スマン!ホンマに堪忍や!死なんとは思っとったけど、まさか気絶すると思わんかったんや!」
起き上がったオレはラウにゆっくり近づく。
オレのすぐ近くでセシリーとルナに攻め立てられているラウを呆れたようにクロムも横に立ちながら眺めている。
近づいたオレにラウは頭を手で覆い、身を屈めて防御態勢を取っている。
「ホンマにごめんって~!」
「ラウ……。オレはどれくらい眠っていた?どうやってここまで来たんだ?」
「――ッへ!?い、いや、大体二時間くらいや。飲み込まれとったキミをすぐ掘り起こして……それからすぐにクロに見せて寝かしとったんや……」
「……そうか。おかしな夢を見ていた……。そこにはもう一人オレがいたよ。なあ、ラウ?オレは……本当にオレなのか……?」
「……何言うとるんや、キミは?レイはレイやんか。なんも変わっとらんよ?」
「ほら!!やっぱりレイ様の頭がおかしくなってるじゃないですか!!全部ラウ様の悪ふざけのせいですよ!!」
ルナ……微妙に失礼だよ……。
「ホンマあんなに威力があると思わんかったんや……」
「オレが投げたあれは何だったんだ?」
「あれは……キミの魔力の結晶や。『無限収納』で取り込んで……そっから余計なモンは全部取り出した純粋なキミの魔力の塊や。そ、それでも大した量やないんやで?ホンマにちょっと、ちょーーっっとだけやったんや!」
そんな事も出来るのか。まるで遠心分離機みたいだな。
純粋なオレの魔力……。そのせいなのか?オレと会ったのは……。
「……そうか。分かった。いや、……なんでもないんだ。さっき言った事は気にしないでくれ」
片手を振ってみんなに心配をかけないよう、会話を遮る。
しかし、頭が重い。あれが現実だったのか、夢だったのか、身体は問題なさそうだが思考がグルグル回っていく。
「な、なんや?怒っとらんのかいな~。心配して損したわ~」
――ラウは一体何を言っているんだ?
「オレが怒っていないと思っているのか?」
オレは出来るだけ笑顔でラウに顔を近づける。ラウの顔が一瞬で引きつったが、一体何を安心しているんだ。コイツは?
「それで上の魔物達はどうなった?」
「そっちはもう片付いたのです。あの爆発を見てみんな逃げ出したのです」
「無理矢理連れて来られていた者達のほとんどは、その場に留まって、謝罪する事を望んでいるみたいですが……。どうしますか?一度牙を向けた以上全て殺しますか?」
「いや、そこまでしなくていいよ……。中にはみんなの知り合いも混ざっているかもしれないだろ?」
「私の知る者にそんな恥知らずはいませんが……レイ様がそうおっしゃるなら……」
「セシリーもこんな事するヤツに知り合いはいないのです」
「……若様。すまんの……。ワシは……ワシの眷族の中には……おそらく知っておる者が混ざっている者もおるじゃろうのう……」
クロムはひどく沈痛な面持ちで謝罪を口にする。
ちなみにラウはボロボロのまま部屋の隅に転がしてある。
「いいんだ。それぞれ事情もあるだろう。今後オレ達がしっかりしていけばもう二度と裏切ったりしないだろう。次がなければそれでいいさ」
「……?どうしたんじゃ。若様?なんとなしか……少し丸くなった気がするんじゃが……?」
オレと話した影響か。誰も憎まなくていい……。アイツはそう言っていたな。
「レイ?どうしたの?やっぱりまだ身体の調子が悪いんじゃ……?」
メアが考え込んでいたオレの顔を心配そうに覗き込んでくる。
「大丈夫だよ。メア。心配いらない」
出来るだけ優しく笑顔を作ってメアのサラサラな髪を撫でてやる。
そういえばアイツはメアの事も言っていたな。いや、もう考えるのは止めよう。考えても仕方ない事もある。
メアは照れ臭そうにはにかんでいる。この子に与える愛情の一部だけでも他の者にも与える――か。
「それ以外現状はどうなっている?コイナさんは?」
もう隠す事もないだろう。みんなの前でもコイナさんと呼ばせてもらおう。
「うむ。あの娘なら別の部屋で眠っておる。ワシの眷族を付けておるので心配はいらんじゃろう。目が覚めたら知らせるようにいってある」
そうか。コイナさんはひとまず問題なさそうだな。
「後こっちは面白い事が分かったよ!ラウが連れて来たヤツと、街に潜り込んでいたヤツ等を尋問した結果、どうもアイツ等の裏で手助けしていた人間がいたみたい」
「人間が!?」
結局ラウは四匹とも生かして連れて来たみたいだった。あの爆発の中で大した芸当だな。
悪ふざけさえなかったら完璧だったんだけどな。
それよりも魔物達をけしかけてきたヤツ等が人間だったなんてな。
どうケジメを付けさせてやるかな……。
「レイ様。私の結界では違った情報が拾えています。今回の襲撃に使われた物の中に、魔族が作ったと思しき物が混ざっていると話していた者がいました。おそらくあの娘……コイナさん?ですか。あの娘の体内に埋め込まれていた物も、魔族の手で造られた物ではないかと話している者がいました」
「ルナの言う通りやな。ボクも『無限収納』の中で調べてみたけど、埋め込まれていたのはボクがキミに渡した物と似たようなモンやったわ。あの魔力生成は魔力の低い人間じゃ難しいわ。出来ん事ないやろうけど、あの辺の技術は魔族の得意分野やからな」
なんだ。もう復活したのか。もう少し殴っとけばよかったな。
「いや、ホンマゴメンって~。悪かったって」
「それよりも……そういう技術はメアが潰していたんじゃなかったのか?」
ラウをジト目で睨みながら一応の確認を取っておく。
「技術自体は大した事ないわ。威力も……キミの魔力のモンと比べたら話にならんし……」
ばつの悪そうな顔をしてラウは気まずそうに答える。
はぁ~。この辺で勘弁してやるか。
「……そうか。技術云々よりも……問題なのは今回の襲撃の裏に人間や魔族の存在があるのがマズイな……」
「どうしましょう。レイ様?いっそ滅ぼしてしまいますか?なんなら私が……」
「ルナ……」
最近ウチの子の発言が過激なんだが……。これもオレの魂の影響なのか……?
「なるほどのう。それで合点がいったのじゃ。何故あんな所に勇者と呼ばれる者が一人でおったのか。おそらく……ワシの首を確実に取る為じゃろうのう」
なる程な。それであんな所に気配を消すマジックアイテムを持って一人で潜伏していたのか……。
「人間が裏で糸を引いている可能性は限りなく高いな。魔族はまだ謎だが、こちらも十分きな臭いな」
どうする?ルナの言う通りいっそ滅ぼすか?
『出来る事なら、彼と同じように人間も魔族も愛して欲しい』
くそっ!頭の中にオレの言葉がこびりついてやがる!
「どうしたの?レイ?」
メアと同じ様にだと……。この子とアイツ等が同じな訳ないだろう!
『オレ達は一人なんだから』
「分かったよ……」
オレの呟きに全員がキョトンとした顔をしている。ラウにいたっては自分の頭の横で人差し指をクルクルと回してクロムに視線を送ってやがる。
やっぱりもっと殴っとけばよかった。
「しばらく人間と魔族は情報収集を優先しよう。個人が動いているのか、国単位で動いているのか分からないのに、無関係な者まで殺すのはあまり好きじゃない。そこがハッキリするまでは専守防衛。こちらからは積極的に仕掛けない。身を守る以外では人間も魔族もなるべく殺さないようにしようと思う。あくまで、オレの望みはみんなと穏やかに暮らす事だからな」
子供達はみんなニッコリと微笑んで首を縦に振ってくれた。実際みんなで一緒に暮らせるなら、人間も魔族もどうでもいいんだろう。
しかしクロムはまだしも、ラウの表情は芳しくない。
「どないしたんや。急に。ここまでやられて黙って引き下がるんか?」
「そうは言っていない」
「じゃあどないなつもりや!?あの子は身体に爆弾まで埋められたんやで!あの子の傷見たやろ!?肩から胸まで切り裂かれとった!ほっといたら死んどったんやで!?」
「ああ。その落とし前は必ず付けさせてやる!誰が相手でもな!」
オレの眉間にシワが寄っているのが分かる。周りの空気もピリピリと張りつめた物に変わった。
オレとラウの迫力に、子供達まで立ち尽くしたまま呼吸を止めていた。部屋の中だけ温度が二、三度下がったような感覚だ。誰かの鳴らした、ゴクリという喉の音だけがやたら大きく部屋に響いた。
オレがなんと言おうとそこは絶対に譲れない。
加護を与えた鱗持ち……。必ず殺してやる!
「……そうか。そやったらええんや。スマンな。つい、言い過ぎてもうた……」
「いいんだ。オレも同じ気持ちだからな……」
オレに譲歩するのはここまでだ。後は言葉どうり好きにさせてもらう。
「それから上の森に新しく街を造ろうかと思ってるんだが、みんなはどう思う?」
強引に話題を変える。
この話はここまでだ。これ以上みんなを暗い気分にさせておきたくない。
重い部屋の空気が明るくなるのが分かった。みんなの硬い表情も、いつもどうり笑顔に戻る。
「セシリーは賛成なのです!みんなで住む街なんて楽しみなのです!」
「私も嬉しいです!この街の雰囲気は……その……私には少し……落ち着かなくて……」
「……」
ずいぶん馴染んで見えましたけど……。
「ボクもレイが言うなら賛成!」
「ボクも賛成やな。これから情報を集めるのにいくつか街を造ろうと思うとったし」
「そうじゃのう。この街もそんなに魔物が入りきらんからのう。いずれは必ず必要となってくるじゃろう」
反対は一人もいないみたいだ。これから先何をするにしても国という後ろ盾が欲しい。かと言って人間や魔族の国になってもらおうとは思わない。なら自分で作ればいい。
魔物達の国を。これはその第一歩だ。
「失礼します……。コイナ様が目を覚まされました。いかがいたしましょうか」
襖の向こうから声が掛けられた。誰も返事を返さない。
しかし、視線は全員がオレに向いていた。
「分かった。すぐに向かう。人払いを頼めるか?」
「……かしこまりました」
襖の向こうから気配が消える。何とも謹厳な態度だ。こんな街だ。もう少し肩の力を抜けばいいのに……。
「ワシも一緒に行こう。その方が良いじゃろう」
クロムが静かにオレの傍に肩を寄せる。
「すまないな。頼めるか?」
「それはこっちのセリフじゃ。……感謝する」
クロムがフワリと頭を下げる。これほどの美女だ。頼られて嫌な男はいないだろう。しかし、クロムはそんな生き方をしてこなかったのだろう。それは、あの冗談みたいな夜の覚悟が本物だったのだと思わせるのに十分だった。
「みんな少し行ってくる」
返事はない。しかし全員がそれぞれの想いを隠して了解の意を示す。
――ありがとう。
話に行ってくるよ……。
小さな部屋。
それでもコイナさんが住んでいた部屋よりも遥かに立派な部屋だろう。
そんな部屋の中央に、敷かれた布団の上でコイナさんが上半身だけ身体を起こして外を眺めていた。後ろ姿しか見えない彼女は年相応に小さく見えた。
「コイナさん……」
「レイ……?」
かけられた声にさほど驚いた様子も見せず、コイナさんはゆっくりとこちらに振り返った。
「申し訳ございません。私を助けて頂いたのがエルロワーズの森の三代目様だと伺いました。誠にありがとうございました」
三つ指を付き、まるで土下座をするように頭を下げる少女は――オレの知っているコイナさんではなかった。
「……驚かないんだな」
「すぐに……あなた様だと思い至りました……。私を助けようなんて物好き、他に思い当たらなかったから……。今まで……申し訳ありませんでした……。すぐに……でも、この街から出ていきます……」
一切頭を上げずに答えるその声は微かに震え、涙を押し殺しているように聞こえた……。
「……どうして……どうして出ていくなんて言うんだ……?」
「……ウグッ。……私、は……う、裏切り者の娘です……。エグッ。こ、の街の……みんな、も……私は……騙し、ていました……。も、申し訳、ご、ございませんでした……」
こらえきれなくなったのか、コイナさんは頭を下げ、嗚咽を漏らし、泣きながら必死に言葉を紡いでいく……。
幼い少女がまるで罪を懺悔するように頭を下げる姿に、オレは心が押しつぶされるようで居た堪れなくなった。
横にいたはずのクロムは、いつの間にかコイナさんに寄り添い、泣きながら頭を下げるコイナさんの肩を優しく支えていた
それでも頭を上げず、必死に喋ろうと頑張るコイナさんに、オレも歩み寄り抱きしめる。
「スマン。もうよいのじゃ。……全て……全てワシが悪いのじゃ。おぬしが……このように謝る必要などどこにもないのじゃ。……だから……出ていくなどと、そのような事はもう言わんでくれ……」
「……エグッ。エグッ。……しかし……」
「……コイナさん?一緒にこの館で働くんでしょう?いつかオレを眷族にしてくれるんでしょう?」
ようやく顔を上げたコイナさんは涙と鼻水で酷い顔だった。その顔は微かに驚いていて……ジッとオレを見つめていた。
「オレは三代目よりコイナさんの眷族の方がいいですよ?」
コイナさんの顔をシャツの裾で拭うと、そっと頬を撫でる。
プニプニした頬っぺたが涙で冷たくなっていた。
「どうか話を聞いてもらえませんか?眷族の頼みです……」
コイナさんは真っ赤になった目を自分でこすりながら、コクンッと小さく頷いてくれた。
「いや、ワシから話そう……。これは全てワシが招いた事じゃからな……」
落ち着いたコイナさんの手を両手で握り、クロムは真っ直ぐコイナさんの目を見つめていた。
「まず、おぬしの母。アサギリの話をするとしよう。コイナよ。おぬし母をどのように聞いておる?」
「……裏切り者と……。私がその証だと……。ババ様の命が危うくなったら一番に街から逃げ出した臆病者だと……」
再びコイナさんの頭が下がり、目からは涙がボロボロと零れ落ちていた。
「それは……間違いじゃ……。アサギリはワシの一番の眷族じゃった。ワシが死ねば代わりを託せる程に優秀で、信頼できるワシの娘じゃった……」
「そんなババ様の信頼を!!あの人は裏切ったのです!!私はそんな女の娘です!!」
絶叫にも似たコイナさんの叫びが部屋中に響き渡った。立ち上がり、顔をグシャグシャにして泣きながら、嗚咽を漏らし、両手で顔を覆う。そして再び膝から崩れ落ちてしまった。
クロムはそんなコイナさんの肩を優しく抱き寄せ、額をコイナさんの髪に当てて落ち着かせている。まるで本当の母親のような表情だ。
「コイナよ。ワシが死を覚悟した時アサギリにはワシの後を継いでもらおうと思ったのじゃ。しかしアサギリはそんなワシの頼みを断った。アサギリはワシに言ったのじゃ。クロム様が死ぬなら私も一緒に死ぬと。一緒に死なせてくれとのう。ワシはそんなアサギリをどうしても死なせたくはなかったのじゃ」
両手で顔を覆い、嗚咽を漏らすコイナさんの背中を優しく撫でながらクロムは話を聞かせる。
「身体も弱り、日に日に衰えていく毎日にワシは考えた。アサギリにはどうにか生きて森を、皆を守っていってもらいたいとな……。そこで街の外から森を守って欲しいと頼んだのじゃ。ワシが街の中から森を、アサギリには街の外から森を守ってくれと。そんなワシの願いをアサギリは了承してくれた……。しかしそれが間違いじゃった。傍に置いておくべきじゃったと今でも後悔しとる。ワシの間違った判断がおぬしを苦しめる結果となったのじゃ。本当にスマン」
「コイナさん……。あなたの母親は逃げたんじゃないんです。クロムの命で街から離れたんです。外から森を、クロムを守る為に……。もう自分を、母親を責めないで下さい。コイナさんは裏切り者の娘などではないのですから……」
「……その話は……本当……ですか……?」
「……全て事実じゃ。悪いのは全てこのワシじゃ。ワシが死んだ後も外の世界を知ったアサギリならワシの気持ちを継いで森を守ってくれると信じて外に出したのじゃ。事実、外の世界を知ったアサギリはおぬしを産んでおる。これもワシがアサギリに言い含めておいた事じゃ」
「コイナさん。クロムには眷族はいても実の子はいません。もし跡継ぎがいたなら初めからこんな事にはならなかったでしょう。ですから、もし気に入った相手がいたならツガイになってくれと――子を残してくれと頼んだそうです。クロムの後を継ぐにしろ、継がないにしろ……。そうすれば最低限クロムの血族は残りますから……」
「ふっふっふ。アサギリのヤツ。そんな事は絶対にあり得ない!誰ともツガイになるつもりなどない!と言っておったのじゃがな……。あの堅物によもやこんな可愛らしい子がおったとは……。本当にアサギリによく似ておる」
クロムは目を細め、コイナさんを優しく抱きしめている。
クロムはコイナさんが母親によく似ていると言ったが、オレには寄り添う二人が実によく似ていると思った。姿だけでなく、その雰囲気さえも……。まるで本当の親子のようだ。
「コイナよ。おぬしの父親の事を聞かせてくれんか?あの堅物を口説き落としたオスに興味があるからのう?」
柔らかな笑みを浮かべ、コイナさんの目を見つめるクロムはまるで慈母の女神のようだった。
「……父さんは……………………人間でした。母さんが魔物だと人間達に知られると、母さんを殺そうとした人間達から母さんを庇って殺されました……。母さんは私を庇って殺されました……。私にこの街に逃げるよう言ったのも母さんでした……」
コイナさんの言葉はオレには衝撃的だった。母親がすでに殺されていた事もそうだが、なによりクロムの加護を受けた者が人間と夫婦になるなんて……。セシリーやルナの態度を見ていたオレには信じられなかった。
コイナさんがハッキリと人間の姿なのは加護の力もそうだろうけど、半分は人間の血が混ざっていたからか……。
『人間も魔族も愛して欲しい』
頭の中にオレの言葉がよぎる。
半分人間のコイナさんをオレはどう思っているのか……。
憎むのか――愛するのか――。
決まっている!コイナさんはコイナさんだ!初めて会った時からこの子はオレ達の眷族だったんだから。
不安そうなコイナさんをオレは強く抱きしめる。
今オレとクロムに父親が人間だと告白するのはどれだけ勇気が必要だっただろう。知らないと言えばどうにでもなった話だ。正直に告白したのはコイナさんの誠実さの証だ。
「……まさか、アサギリのツガイが人間じゃったとは……。しかも、アサギリが殺されておるなんて……」
クロムはあまりの衝撃に身体を硬直させて目を見開いている。コイナさんの父親が人間だった事に驚いているのか――コイナさんの母親が殺されている事に驚いているのか――おそらく――その両方だろう。
オレの腕の中のコイナさんの身体が一気に硬直したのが分かった。
不安で怖いのだろう。両親を殺され、一人ぼっちで生きてきて、今度はオレ達に人間の子だからと拒絶される。
オレは腕に力を込め、さらに強くコイナさんの身体をギュッと抱きしめる。
不安そうにオレの顔を見上げるコイナさんを、安心させるように精一杯笑顔を作る。
きっとこの子はかつてのオレとそっくりなんだ。
こんな事ならもっと笑顔を作る練習でもしておくんだったな……。
「いや、スマン。少し驚いただけじゃ。コイナや……アサギリに対するワシの想いが変わる事はない。安心してくれるか?」
平静を取り戻したクロムは、再び変わらない笑顔をコイナさんに向ける。
クロムにも思う所はあるのだろうけれど、コイナさんに対しては眷族への愛情が強いらしい。
「ふっふっふ。それにしてもあのアサギリを口説き落とす人間がおるとは……。人間にしておくのが勿体ないのう。……アサギリは……その……幸せ……じゃったか?」
「……はい。いつも父さんと母さんと笑っていました……」
「……そうか……。それなら……よかったのじゃ……」
静かに目を閉じ、天井に顔を向けたクロムは泣いているようにも見えた。
「コイナさんはどうして母親が裏切り者だなんて思ってたんですか?確かに街から離れて幸せに暮らしていたとしても、そんな魔物はたくさんいたでしょう?現に今、この街にたくさんの魔物が帰ってきています。それはコイナさんも知っているでしょう?」
ふと頭に浮かんだ疑問を口にする。コイナさんはもう安心したのか大分落ち着いて話を聞いていた。
「私をこの街に案内してくれた魔物が言っていました。その魔物が人間から聞いたのだと。私は裏切り者の娘だから街に行ってもババ様には会えないって。館に近づくと街から追い出されるかもしれないから近づかない方がいいって。それで街から離れたあの家を用意してくれました」
「そいつは……どんな魔物でした?」
「赤い鱗をしたトカゲのような魔物でした……」
殺意が湧いたのを抑えるのに必死だった。コイナさんの前では出来るだけ血生臭いオレを見せたくない。
――また赤い鱗持ちか――!
どうやらソイツはよっぽど死にたいみたいだな。
どこからかコイナさんの父親が人間だと嗅ぎつけたのか……。人間と赤い鱗持ちが繋がっている可能性がまた高まったな。いや、もしかしたら人間と赤い鱗持ちが手を組んで、コイナさんの両親を……。
あり得ない話じゃない。
「……若様。顔が怖いぞ」
抑えていたつもりが抑えきれていなかったみたいだ。クロムに諭される。
「すいません。コイナさん。ちょっと心当たりがあった物で……。でも、もう心配しないでください。ソイツが何を言ったか分かりませんが、それは全部ウソです。今オレ達が言った事を――オレ達を信じてもらえませんか?」
「コイナよ。どうかワシ等を信じて欲しい。そして……寂しく……辛い思いをさせたワシに償う機会を与えてくれんか?」
クロムがコイナさんに向かって土下座のように頭を下げる。北の森を守護する二代目エルロワーズの直属の眷族が、孫の関係にあたる少女に恥も体裁もなく無様に頭を下げたのだ。いくら子供のコイナさんでもそれがどんな事を意味するのかハッキリ理解していた。
「あああ、頭を上げて下さい!私はお二人から話を聞けただけで満足です。償いなんて……。ババ様は館の中で床に臥せっていた事はみんな知っています。そんなババ様を恨むなんて……。母さんの誇りが守られただけで十分です。それに……」
チラチラとコイナさんがオレを見ているんだが……。
どうしたんだ?
「私には立派な眷族候補も出来ましたから!」
「……」
確かに言いましたよ。
こんな事、前にもあって今度から言葉には気を付けようと誓いましたよ。
満面の笑顔でオレの腕に両手を絡めて頭を擦り付けて来るコイナさんは実に幸せそうな顔をしている。
「レイ。三代目様を止めたらどうしましょうか。この街にいてもいいですけど、旅に出るのも素敵ですね。私が人間の国を案内してあげます。一緒に二人で世界をみてまわりましょうか♪」
クロムが顔を引きつらせている。
「こ、コイナよ?若様はいかんぞ?下手に手を出すとおぬしの命が……」
何故かデカいオオカミとクモに襲われる感覚がした。幻覚に違いない……。いや、間違いなく幻覚だ。
「コイナさん。冗談はやめてください」
「なんですか?やっぱりレイはつまらない男ですね。でも――今日は100点をあげます」
コイナさんはオレの腕から離れると、真っ直ぐオレに向かい合って泣きはらした瞳で最高の笑顔を向けてくれた。
「レイ。本当にありがとうございました。命を助けて頂いただけじゃなく、母さんの誇りまで守ってくれました。私に出来る事ならなんでも言って下さい。必ずレイの力になります」
童女からこんなに見つめられると少し気恥ずかしい……。
「じゃぁ。これからも態度を変えずに、三代目としてではなくレイとして接してもらえませんか?友達として」
「はい!わかりました!私も友達はいませんのでレイと一緒ですね!」
……いませんよ。友達。相変わらず口が悪いな。
ニヤニヤしているコイナさんの後ろでクロムが胸をなでおろしていた。
なんの心配だ?オレが童女に手を出すとでも思っていたのか?
「……よろしくお願いします」
「いや~よかったのじゃ。これにて一件落着じゃな?」
「……そうだな」
オレの顔をみて何か言いたそうだったクロムは言葉を飲み込みそれ以上は何も言わなかった。
クロムも気付いていたんだろう。まだなにも終わってなんかいないって事に……。
人間。魔族。それに赤い鱗持ち。
――特に赤い鱗持ち――
オレがなんと言おうとソイツだけは絶対に許さない。
オレが必ず殺してやるからな!