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エルロワーズの森と黒き竜  作者: 山川コタロ
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 暗い夜道を月明かりの中、男と幼い少年は海に向かって歩く。

 一回りは離れているだろう年は、もはや兄弟というよりも親子に近いだろう。

 ただ男は普通のスーツ姿に対して、少年の方はとてもキレイとは言い難い服装で、どこか薄汚れた印象を受ける。顔にも治りかけのアザが見え、虐待でも受けているかと勘違いされかねない。

 それでも少年は男のスーツの裾を遠慮がちに握りしめ、けして離さないと必死についていく様は、少年が男に余程なついているようにも見える。たまに男をチラリと見る少年の目もキラキラと輝き、まるで大好きなヒーローでも見ているようで恥ずかしがっていた。

 男はポケットからタバコを取り出すと、箱から一本取り出し、ゆっくりと口にくわえる。

 少年に握られシワになったスーツは、さほど気にした様子ではないが、少年自体が気になるようだ。

 子供が横に歩いている状況での歩きタバコは、さすがに拙いと思ったのか、くわえたタバコをまた箱の中に戻す。


「はぁ~。またかよ……。何やってんだ。オレは…」


 小さく呟きながら、やや乱暴にかき上げた髪からのぞいた顔は、かなり整っている。それなりに女性からはもてそうな顔立ちだ。

 しかしどこか冷たい、影のある印象が全く女性を寄せ付けない雰囲気を醸し出している。

 その顔も今は、様々な感情が混ざり曇った表情を隠し切れないでいる。


「ほら――坊主。ついたぞ。ここならいいだろ」


 たどり着いた砂浜からは海が見え、人影もなく辺りには大きな光の玉が無数にゆらめいている。


「ありがとう。お兄ちゃん」


 少年は気恥ずかしそうに男に顔を向けると、満面の笑顔でお礼を言う。


「ああ。気にすんな。そのうちちゃんと成仏できたらいいな。それから――まぁなんだ、その――今更だけど体に気をつけろよ?」


 その言葉に少年は、はにかみながら首を縦に振り、男のスーツから手を離すと後ろに一歩下がり、男を正面から見つめる。

 向かい合った二人はそれ以上は何も喋らず、ただ見つめ合っているだけだった。


 そのうち少年の体が足元から透けていき、それが全身に及ぶと、少年の体も周りに漂う光の玉のようになってしまう。

 それは少年がすでに肉体を持っていない証拠。

 

 光る少年の魂は、そのまま一度男の頬をフワリと触ると海の方へユラユラと飛んでいく。

 その光景を男はタバコに火をつけながら寂しそうに眺め、どこか遠い目をしていた。


 ここにある無数の光の玉はあの少年のように年端もいかない子供達なのだろう。今の様に男が連れてきた子もいればいつの間にか勝手に増えていた物もある。

 ただその魂の数はとても多く、見渡す限り海上に漂っている。

 月明かりに照らされた夜の海に漂う光の玉はとても神秘的で美しいが、その光がすべてあの少年のような子供だと思うと、男はどうしようもなく胸が締め付けられる思いにかられた。






 その男、『雨宮 零』は幼い頃からおかしな物が見えた。


 それは霊と呼ばれる者であったり、異形の――人には見えない――人ならざる者であったり。

 ただそれら人には見えない存在達も彼に敵意を向け、害をなす事はなかった。

 むしろ明らかに邪悪な気配の者達でさえ彼に対しては友好的で、そのほとんどは好意さえ向けてくれた。

 またそんな彼がそのような存在に対して好意を向け返すのは当然の成り行きであった。


 ただそんな彼を回りの人間はひどく気味悪がった。それはクラスメートであったり、兄弟であったり、両親であったり。

 幼い頃から両親は、気味の悪いことを言う彼を病院に連れていき、学校にも相談し、はては霊媒師に見せるなどの対応をとっていた。しかし、そのどれもが効果がないと分かると、次第に両親は彼を疎むようになり、虐待こそしなかったものの一切の愛情を彼に向ける事をしなくなった。

 クラスメートや兄弟にいたっては、彼を気味悪がるだけではなくいじめるようになった。


 子供というのは残酷なもので、自分達と毛色の違う異質な者が混ざると徹底的に排除しようとする。

 無視や持ち物を隠すというような事から、更に暴力をふるう事態に至るまでさして時間はかからなかった。


 しかし……それも長くは続かなかった。

 彼に好意を向ける人ならざる者達が、彼の意思に構わず、彼を庇うようになったのだ。

 その報復はすさまじく、暴力をふるった者達は自分がした以上の被害にあい、骨折ならまだマシな方で、それ以上の被害にあう者達が続出した。

 物を隠した者達も誰がやったか分からないように細工したにも関わらず、やった本人自身に被害が及んだ。

 そうなると今度は誰も彼には関わらないようになった。

 そして彼の少年時代は孤独なものになるはず――だった。






 そんな少年時代の彼に、声をかける者がいたのだ。

 その存在は今まで会ったどの存在とも異質で、他の人間に見えている様でもあったり、見えていない様でもあった。

 彼の目から見ても、その存在は普通の人間より希薄で、存在感がなく、そこにいるはずなのに誰の目にも認識されていなかった。

 しかしその男の見た目は、普通の人間そのものであった。

 数多の霊を見てきた彼からしても、それは紛れもなく『人』であった。


「なんや、坊主。こないなところで一人で。はよ、家かえらな家族が心配するで」


 やたら自己主張の強い場違いなインチキ関西弁に、瞳の色さえ見えない細目。口元はニヤニヤと笑みを張り付けて、黒髪を短く刈った髪型に、緑のチャイナ服を身に纏ったキツネ顔の男がそこにいた。






 うさんくせぇー。

 なんだこのおっさん。明らかに怪しすぎるだろ。

 オレに話しかける時点で、こいつはこの辺の奴じゃないのは明らかだ。この辺の奴は子供はもちろん、大人でさえ話しかけてこない。


「人が心配しとるのに無視かいな。けったいなガキやで」


「……喋りかけないでください」


「なんや坊主。もうちょっと愛想よーできんとろくな大人になれへんで」


 はぁ?なんだコイツ。

 おまえのほうが怪しすぎんだろ。

 クソッ。無視だ。無視。


「ほんま愛想ないガキやで。坊主そんなんじゃ友達もおれへんやろ?プククッ」


 よし!わかった。こいつはオレを心配なんかしてない。


「それ以上関わるとホントにケガするよ」


「『それ以上関わるとホントにケガするよ』やって。坊主アニメの見すぎやでぇ~ホンマ。クッフフウ」


 ……こいつ殺す。


「……ならケガしたらいい」


「フウフウウ。はぁアカン。坊主。調子乗りすぎや」


 コイツホントに信じてない。

 ならずっとそう思ってればいい。

 オレには関係ない。


 後ろ目で見るとみんなが一斉に男に襲い掛かっていた。


 あッ……!みんなも怒りすぎて我を忘れてる!このままじゃ……ホントにコイツを殺しかねない!


「ちょっまっ……えっ?」


「なんや。だれがケガするって」


「お、おまえ!なんなんだよ!みんなになにしたんだよ!」


「あぁー。心配せんでもええで。あの子らはちゃんと無事やで。ちょっと追っ払っただけや」


 みんなの魂が一斉に掻き消えた。

 

 こいつ始めからみんなのことが見えてたんだ。

 なのに見えないフリをして、オレをバカにしてたんだ。


「けどキミはアカン。ちいと説教せなあかんなぁー」


 な、何だよ!コイツニヤニヤして瞳が見えないけど、絶対怒ってる――。

 ち、近づいて来るなよぉ!


「あぁぁぁ~!いって!痛いって!やめろバカ!」


「んん~。まだまだ反省が足りんようやな」


「ごめん!ごめんなさいって!やめっ!」


「まぁええやろ。ちいと足りひんけどこの辺で勘弁したる」


 こいつ……大人の癖に子供にアイアンクローしやがった。

 ……絶対ろくな大人じゃない。


「なんやその目は?不満でもあるんかいな」


「……べつに」


 こいつ子供を自分から煽ったくせに、手を出されたら反撃しやがった。

 クズだ。


「ろくでもないこと考えてそうやけど堪忍したる。それよりもや!キミ今後あの力は使ったらあかんで!キミの体がもたへん」


「……今はみんなに頼んだけど、いつもはみんなが勝手にしちゃうんだよ。別にオレが力を使ってる訳じゃない」


「なんや!?自分で使えへんのか?ただ単純にこんだけの数に好かれとるだけかいな?」


「これだけじゃないよ……もっと……たくさんいる……」


「……ようその程度のひねくれ方ですんどるな、坊主。そないなモンに好かれとったらさぞ気味悪がられるやろ?」


 なんだよ、こいつ。さも自分は分かってますみたいなこと言いやがって。


「別に構わない……人間なんて嫌いだ。みんなオレを嫌な目で見てくるんだ……ならここにいるみんなと一緒の方がよっぽどましだ」


 自分で言って、辛くなって涙がでてきた。

 コイツも……嫌なやつだ!知ったような顔しやがって!

 オレが辛いのはオレにしかわからない。けど別にいい。

 オレにはたくさん友達がいる。面倒をみてくれる兄ちゃんや姉ちゃんだっている。オレの家族はみんなには見えないだけなんだ。


「坊主。嫌いでも構わん。でもな、このままやとキミ死んでまうで。……それも近いうちにや」


「別に……」


「別に構わへん。なんていうなや。キミが死んでもキミはあの子らみたいにはなれへんで」


「……」


「ほんならこうしよ。ボクがキミを鍛えたる。キミの力の使い方は教えれへんけど、キミがあっち側に引っ張られへんように、キミの性根を鍛えるくらいはしたる。明日からいつもキミが行ってる海岸で待ち合わせや。分かったな」


「おっおい。ちょっ……」


 人の返事も聞かずに行っちまった。つーか時間いえよ。名前も知らねーし!そもそもなんであいつもみんなを見えてんだよ。

 やっぱりうさんくせぇし信用できねぇ。あいつの方がよっぽど気味が悪い。







「おぉーちゃんと来たやんか。なかなか関心やで坊主」


 相変わらずニヤニヤした笑みを浮かべながら、男は腕を組んで砂浜に仁王立ちで立っていた。

 一体いつからああして立っていたのか知らないが、明らかに不審者のそれだった。


 しかしオレはまず、コイツに聞かなければならないことがたくさんあった。


「……その前に質問に答えてください」


「イヤや」


「……」


 オレは無表情のまま踵をかえし、立ち去ろうとする。すると急に慌てたように男がオレを呼び止めた。


「あぁーちょいまち。帰らんと話しきき」


 コイツオレより年上なのに、話してるとスゴイ疲れる。なによりインチキ関西弁がうぜえー。


「昨日はあんなこと言うたけどな、実はボクもキミの周りで『事故』が起こるんは、もうしゃーないかなぁーって思とるんよ」


「はぁ!?」


「いやいや、話よう聞きや。実際キミが昨日ボクにしたみたいに子供らをけしかけるんならともかくや、キミが知らんとこで、キミに悪意をふりまいた人間が、キミの知らんうちに、返り討ちにあうのはもうしゃーないなーって。ある意味自業自得やし」


 男は身振り手振りをまじえて大げさに説明を始める。その姿はまるでインチキ詐欺師のようだ。


「まぁそうですけど……」


「せやろ!?ボクはキミの面倒は見るけど、知らん人間の自業自得まで面倒みきれんしなー。キミに責任があるかー言われたらなんもないしな」


 なんだろう……。なんか正論っぽいこと言ってるけど腑に落ちない。


「じゃあ一体ここで何するんですか?」


「そりゃキミの体と心を鍛えてから性根を叩き直してやな、立派な大人になってもらおうとやな……」


 ……ウソくせー。絶対なんか企んでる。

 相変わらずヘラヘラした笑みとほっそい目で表情はわからないけど絶対嘘ついてやがる。こんな奴が親切で何かをする訳がない。

 とはいえコイツにはまだ聞きたいことがあるし――。

 とりあえず付き合う振りだけするか……。


「で、性根を叩き直すって具体的には何をするつもりですか?」


「まぁ色々やな。基本的には格闘技なんかを通じて体と心の鍛錬をやね……」


「はぁ。それをやったらオレは死なずにすむんですか?」


「ん?まぁキミがあの子らに引っ張られて死にたいと思わへんくらいにはするつもりやけど?」


 そう言うと男は、おもむろにこちらに近づいてきて、オレの頭を乱暴にガシガシと撫でた。自分よりも大きな手は、嫌がるオレを気にもしないように撫で続けたため、オレは顔を俯けたまま上を見上げる事が出来なかった。


 ただ……その乱暴な手は不思議と温かくほんの少しだけ優しいように感じた。


「その前にボクの事知ってたんですか?……それから名前は……何て呼べばいいですか……?」


 オレは男から顔をそらして、下をむきながら男に尋ねる。


 たぶん顔は少しだけ赤くなっているかもしれないから……。


「質問はなしや。ただこう見えてボクは、キミだけの味方や。信用してくれてええで。金もいらん。ただいつかキミに頼み事はするかもしれん」


 そう言うと男は相変わらずニヤニヤした顔をしながらほんの少し目を開いた。

 微かに見えたその瞳は、金色のような色をしていたように見えた。


「あぁ、それからボクはラウ・ファンロンや。ラウって呼んでや。敬語もなしや」


 てめー外人かよ!っというツッコミを心の中でいれながら、信用はしないまでもコイツに敬語を使わないでいいと言う事だけは頭にインプットした。

 







 ラウと出会ってから二十数年。色々な事があった。

 始めはオレもラウを一切信用していなかったが、今ではそれなりに信用はしている。長い付き合いでラウについて分かった事が多かったからだ。

 

 こいつはオレに冗談は言っても、基本オレを傷つける嘘はつかなかった。

 そしてやはりこいつは人間じゃなかったからだ。いや、それについてはよく分からないと言った方がいい――。


 なにせこいつは年をとらない。

 初めて会った時、ラウは二十歳そこそこだった。にも関わらず二十年たった今でもなにひとつ変わらない姿なのだから。

 一度子供の頃に、不思議に思って聞いたことがあったが、相変わらずふざけた答えでのらりくらりとはぐらかされた。


 だがむしろ人間ではないと分かるにつれて、オレはラウを信用していった。

 幼い頃から人間以外との交流が多かった事から、ラウにも嫌悪感もなく馴染めたのかもしれない。なにせオレと話をする彼らもまた、死んでいるのだから……年をとらないのだ。

 なのでラウが霊や異形の者となごやかに話しているのを見ても「あぁやっぱりな」くらいの感覚しかなかった。


 それからラウとの訓練はおかしな物が多かった。

 真面目な空手や柔道、柔術、剣道に、果てはおかしな民族武術までなんでもやらされた。

 ラウは覚えておいて損はないといったが、さすがに漫画をもってきて、この技を練習しろと言われた時は逃げ出したものだ――。

 すぐに捕まって長々と両手からエネルギー玉を出す練習をさせられたのは、もはやオレの黒歴史だ。外人の感覚は分からない――。

 さらには科学に物理、数学と色々な勉強も教えられた。

 これは別に学校でも習っていたし、役に立ったのでありがたかった。

 料理や簡単なサバイバルまではまだ役に立つからいい――。

 だが……宿題だと魔法少女もののラノベを渡された時はラウの目の前で燃やしてやった。

 まぁひととおり全部読んでから燃やしたし、それからも自費でずっと買い続けていたのはラウにはナイショにしている。


 ちなみに海でそんな訓練と称されたラウの遊びに付き合ってはいない。すぐにラウが家の近くに土地を買って、それなりに大きな道場をすぐに建てたからだ。

 コイツは何故か金を大量に稼いでいる。本人は職業が商人だからだと言っていたが、オレは詐欺師をしているのでは――と睨んでいた。


 なので、中学を出たらすぐにラウの道場に住み、そこから高校に通っていた。

 両親は特に反対もせず、それでオレが大人しく学生生活を送っているのが嬉しいようだった。

 今ならそれがオレのためを思ってだと理解出来るが、当時はそんな両親に対して多少寂しくも思った。


 そんなこんなでオレは学生時代クラスメートには避けられ、家族には腫れ物に触るように扱われた。

 おかげで友達はおろか彼女なんて出来るわけもなく、絶賛ボッチ街道の青春を真っ直ぐ突き進んでいた。






 地元の大学を卒業し、少し離れた職場に就職してからこれまで数年が経ち、そろそろいい加減にこの道場も出ないとなー、なんて考えていた時だった。


 病院の検査で病気が見つかった――。


 原因不明の奇病だった。


 皮膚の一部が鱗のように変わっていたらしい。背中にあったそれは、次第に広がっている様でこのままでは全身にまで広がり、将来的には体がどうなるか不明なんだそうだ。

 それを聞いた時オレは不思議と納得してしまった。ナゼ自分だけおかしな物が見えるのかようやく理解出来たからだ。


「オレはやっぱり普通の人間じゃない」


 一度理解してしまえば何も迷うことはなかった。道理で他人に何の感情も湧かない訳だ。例えそれが家族であったとしても。

 ただ心では理解していても、いざ生活するとなるとそれはまた別の話だ。おそらくラウは何も言わないだろう。

 だがこの鱗が全身に広がった時、オレは生きていられるか分からなかった。

 もし生きていられたとしても、肌が鱗に変わった人間が外に出ればどうなるかは火を見るより明らかだ。

 なにより自分には庇ってくれる人間なんて、恋人はおろか友達だっていないのだから。


「これからどうすっかなー。仕事も……もう無理だろうな……」


 とりあえず取り出したタバコに火をつけて煙を空に向かっては吐き出す。

 病院から出てタバコを吸いながらゆっくり歩き、これからの事に思考を巡らせた。


 『都会と違ってこの辺はまだそこまで愛煙家に厳しくなくてよかったなー』なんてどうでもいいことを考えながら帰路についていると、不意にスーツの裾に引っ掛かりを覚えた。

 訝しげに下を見ると四、五歳くらいの男の子が、スーツの裾を握っているではないか。

 一見迷子かと思ったが、オレにだけ解る感覚。


 この子は既にこの世の理から外れている。


「どうした?坊主。行くとこがないのか?」


 実はこういうことは珍しくない。大人と違って子供の霊は自分が死んだ事に気付かず、稀に成仏出来ないまま迷うのだ。

 そして自分が死んだ事に気付いた頃には、もうどこにいけばいいのか分からずに、ただ彷徨うだけの存在になる。

 そういった子供達はオレという存在を見つけると近づいてくる。

 そんな子供の霊がどうしてオレに近づくのかは分からないが、見える人間には寄ってくると聞いたことがあるし、実際そうなのだからそういう事なんだろう。


「……」


 男の子は下を向いたまま……何も喋らない。

 しかしその表情は不安や寂しさがが滲み出て、涙を堪えているようだった。


 オレは子供の頃からこういった子供の霊を成仏させる方法を探していたし、いろんな方法を試したが結局その方法は見つからなかった。

 あるいは成仏させられる人間がいるのかもしれないが、少なくともオレには出来なかった。


「よかったら付いてくるか?」


 男の子は涙を袖で拭うと、こちらをむいて少しはにかんで笑った。そしてスーツの裾を強く握りしめていた。






「なんや、坊主。こないなところで一人で。はよ、家かえらな家族がが心配するで」


 海で男の子を見送った後、一人タバコを吸っていると唐突に背後から声をかけられた。あまりの気配のなさに驚き、煙でむせそうになったが必死に平静を装う。


「悪趣味だから急に人の背後に立つな。ラウ」


 オレは声の主に返事を返す。


「気付いてへんかったん?途中から一緒に付いてきたんやけど。ずっと君の後ろにおったで」


 くそ。全然気付かなかった。

 オレもガキの頃からそれなりに訓練してたし、感覚は鋭いはずなのに、コイツがふざけて気配を消すと全く気付く事が出来ない。


「それより相変わらずお人好しやなー。あの子のことより自分の心配した方がええんとちゃうかぁ~?」


 コイツは――オレも自分の体の事に気付いたばっかりなのに……何故知ってんのか。


「分かってる……オレは病気なのか……それとも元々人じゃないのか……」


 昔からの自分を思うと、おそらくオレは……。


「まぁ分かっとるんならええわ。それでこれからどうするん?」


「……」


 オレは何も答えることが出来なかった。自分でもどうすればいいか分からなかったからだ。


「どうしたらいいと思う?」


 つい弱音にも似た質問をラウにする。普段なら絶対にしないはずなのに。やはり大分心は動揺はしているんだろう。

 そして返ってくる答えも……予想は付く。


「そんなん自分で好きなようにしたらええんちゃう」


 ラウは快活に笑った。


 やっぱりな……。


 まぁ分かっていた答えではあるのだけれど。

 

「このまま死ぬまで山奥にでも引き籠って暮らすしかないかな」


 オレは振り返りラウに向き合い、少しだけ笑って見せた。


 生まれてからこれまで笑う事が少なかったから――上手く笑えた自信はないが、ラウにはさんざん世話になったから……。


「その辛気臭い顔やめや。こっちまで辛気臭ーなるわ」


 やはり上手く笑えなかったか……。


 苦笑してラウを見ると珍しくニヤニヤした笑いを顔から消していた。


「……もうすぐ死んでまうで。キミ」


 それも予想どうり。そもそも体調が悪くて病院に行った訳で。日に日に体調は悪化している。

 おそらく背中の鱗のそれに合わせて体もおかしくなっているんだろう。


「しょうがないさ。いい人生とは言えなかったけど、『家族』みたいな『友達』みたいな奴も出来たし……思い出すと、まぁそれなりに楽しかったよ」


 後悔がないかと言ったら嘘になるし、なんで自分だけが、と恨んだ事もあったけど、ラウには世話になったし、感謝もしている。

 ラウがいなかったらオレはどんな人生を歩んでいたかと想像するとゾッとする。おそらくロクな人生を歩んでいないだろう。

 人を殺しているか、それとも人に殺されているか、どちらにしろ長生きは出来なかっただろう。

 まぁ病気になった時点で長生きは出来ていないが。 


「今までありがとな。オレの事心配でずっと見ててくれたんだろ?」


 今度は上手く笑えただろう。別れるにはまだ時間があるけれど、言える事は言えるうちに言っといた方がいい。


「はぁ……そないな顔でそないな事言われたら反則やで、ホンマ」


 ラウは手を挙げ、やれやれといった仕草をしていた。

 しかしスッと顔を上げたラウは、初めて見せる真顔でいつもの張り付けた笑みを消していた。そしてその目は薄くだが開かれており、はっきりと金色の瞳がこちらを向いていた。


「ええか。今からボクが提案するんは禁忌に触れる事や。そんでその結果、おそらく起こるであろう事は、禁忌中の禁忌や。それでもボクはキミを助けたいと思っとる。その結果キミも色んなもんを捨てる事になるかもしれん」


 ラウは静かにそしてゆっくりと話し続ける。その声は今まで聞いた事もない、真剣なモノだった。

 その雰囲気に何も言えず、ただそのあまりの内容にオレは聞き入る事しか出来なかった。


「おまけに百パーセント助かる保証もない。キミがキミやなくなる可能性もある。この世界にもおれんくなる可能性もあるし……戻って来れんくなるやろー」

 

 ラウはゆっくりこちらに歩み寄り頭に手を乗せる。

 おっさんとおっさんが、至近距離で向き合い、頭に手を乗せている光景はさぞシュールに見えるだろう……。


「それでも生きたいと思うか?」


「まるで子供扱いだな」


 オレは少し茶化して答える。

 話の内容とこの空気に耐えれなくなったからだ。


「ボクからしたらキミなんてまだまだ子供や」


 ラウもそう言うと、ようやく笑顔を見せた。


「どないする?決めるのはキミや。このまま穏やかに残りの人生を過ごす事も出来るで」


 ラウの提案に乗ればおそらくオレは生き延びられるのだろう。

 ただ今の口ぶりから、オレはどこか違う世界で生きていく事になるのかもしれない。

 ラウがオレの頭から手を離す。


「具体的には何をするんだ?」


「キミとその背中の鱗を引き離すんや」


 そんな事が出来るのか。ラウが言うなら間違いないんだろうが。


「ならそれで解決じゃないのか?」


「いや、そうやない。その背中の鱗は生きとるし、引き離してもそれはキミ自身や。その背中の鱗がこの世界では生きられへんのや。その鱗の生きもんが死んだらキミも死んでまうやろな」


 なら引き離しても意味がない気もするんだが。


「せやからその生きもんが生きれる世界に飛んでもらう。ボクが手助けするからキミがコントロールするんや。それはキミ自身なんやから」


 なるほど。それでそいつはそっちで暮らしてもらって、オレはこっちで暮らすと。


「キミの半身だけを異世界に飛ばすんや。こんなん初めてや。どんな影響があるか分からへん。下手したらキミも一緒に飛んでいってまうかもしれん。失敗して死んでまうかもしれん。それでもやるか?」


 ラウの口ぶりからすると成功率はなかなか低そうだ。それでもいずれ死を待つよりは幾分マシに聞こえる。

 ふと思い出して気になった事を口にする。


「いずれこうなると思ってオレを鍛えていたのか?」


「せやね。キミん中になんかおるのはわかっとったわ。せやからコントロール出来るように鍛えたし、もし一緒に飛ばされても生きていけるように知恵もつけさせたわ。でもどーなるかはボクにも分からへん。」


 ……。


「どうしてオレにそこまでしてくれる?」


 ラウはいつものニヤケタ笑みを作り少しふざけて答えた。


「それは……ナイショや」


 ラウにも色々隠していることがあるのは知ってる。ただそれでも互いに信用出来るだけの時間は過ごしてきたのも確かだ。


「で、どないする?すぐに出来るで?」


 子供の頃の、ラウと出会う前のオレなら間違いなくこのまま死ぬ事を選んだだろう。

 だが、今のオレは少し生き汚くなったのかもしれない。

 相変わらず他人はおろか肉親でさえ嫌いだけれど、信用出来る者と過ごした日々はやはり幸せと呼べる物だったし、続けられるものなら続けたいとも思う。


「信用してるさ。今すぐやってくれ」


 ハッキリと答える。

 ラウはこちらに向き合い頷くと目をハッキリと開き、袖から一つの蒼い水晶のような玉を取り出した。

 透明な……まるで魂ごと吸い込まれそうな玉。

 それを下から握るように掴んだまま手をこちらに向かって差し出す。


「やるで。気合いれや」


 玉から光が出始めると同時に、背中に激しい痛みと焼けるような熱さが襲う。

 あまりの痛みに耐えきれず両手で身を庇うように体を抑え膝から崩れ落ちる。


「グッ、ガアァ、アアァアァーーー」


 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。

 体が。心が。存在が。千切れるように痛い。


「辛抱し!もう出るで!」


 近くでラウが何か叫んでいるがもう何も聞こえない。

 もういい。もうどうなってもいい。


 痛い。熱い。辛い。寂しい。憎い。


 憎い?あぁそうだ。オレは憎かったのか……。

 憎めば憎む程痛みは引いていくのが解る。

 四つん這いのまましばらく痛みに耐えていると、やがて痛みが完全に引いた。


 呼吸が乱れたまま、なんとか顔を起こすと、海原の上に黒い煙のようなものが大きく渦巻いていた。徐々に回転しながら縮まっていく煙は、まるで積乱雲のように稲妻を纏っている。

 不思議とあれは自分だと解る感覚。あそこにオレがいる。オレが……あそこにいる。

 

「こら、また――えらいモンが出てきたわ」


 ラウの呟きにも似た声が辺りに響く。

 逆にオレは不思議と落ち着いていた。まるで生き別れた家族と初めて会うような、生まれたばかりの我が子と初めて会うような、興奮と期待が混ざり合う感覚。


 やがて形を作り上げていくそれは……オレには美しく見えた。


「まぁ――あれなら問題ないやろ……」


 ラウがなにかを確信したように、言葉を口にする……。

 月を隠すように広げられた翼は夜の闇よりもなお黒く、その爪は自分の腕程もあり、闇夜の中でもまるで水滴に濡れた氷のように輝いて、鱗は一つ一つが力をみなぎらせ、黒い稲妻を纏っている。四足歩行の獣の姿は、翼の後ろに巨大な円に描かれた幾何学模様の魔法陣を背負っていた。

 黒い漆黒のドラゴン。それがもう一人のオレの姿だった。


 そのドラゴンは海上で吠えることもなく、暴れることもなく、ただ静かに空で佇んでいた。


 やがて周りに飛んでいた数多の幼い魂達は、競うようにドラゴンに向かいだす。

 黒い漆黒の瞳はそれらを一瞥すると、おもむろに息を吸い込み、同時に数多の魂達も吸い込んだ。

 にもかかわらず魂達は変わらず口元に向かって飛んでいく。その光景はまさしく……子供達の魂を貪り食らう邪龍の姿そのものだった。


 おそらく一万を優に超えるであろう魂を食らったドラゴンは、視線をオレから一切外すことなくゆっくりとこちらに飛んでくる。

 足を一歩踏み出すたびに体の周りには黒い稲妻が降り注ぎ、足元からは空中を歩いているにもかかわらず、水面のように空中に波紋が広がっていく。その姿は穏やかで、神々しく、恐ろしさよりもむしろ美しさの方が勝っていた。


「はじめまして。『オレ』」


 感覚で解る。おそらくオレと『オレ』は繋がっているんだろう。

 ゆっくりとこちらに近づいた『オレ』は顔だけでもオレよりでかかった。

 遠くでラウが何かを叫んでいるが今はもう何も聞こえない。


 聞きたくもない。


 誰よりもオレを理解してくれる存在『オレ』。


「後は任せてもいいか?」


 『オレ』はなにも答えない。


「ごめんな。」


 『オレ』はなにも答えない。









そしてオレは『オレ』に……食われた。













  






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