第9話 荒波の中で
第9話 荒波の中で
「…っ!! 今のは!?」
激しく振動する船体。ソフィアは操縦桿を必死に握り、立て直そうと試みる。しかし、先ほどまでに比べて明らかに船の挙動がおかしかった。
「だめ…舵が重い! アビー、どこかやられたの?!」
目の前の小さなモニターに、アビーが映る。
「ソフィア様! 先ほどコロニーの破片が船の後部に当たり、船尾のエンジンを損傷しました! パワーの供給はすぐにカットしていますので、爆発の危険は免れましたが……推力を大きく失いました」
「エンジンを……それじゃあ、左右にある二基のエンジンだけで飛ぶしかない。でも…」
ソフィアは考え込む。琥珀の女王号には、船尾の双発エンジンと、両翼に一基ずつ備え付けられた単発のエンジンがある。速さと推進力に優れた船尾のエンジンが主になっており、両翼のエンジンで舵のバランスを取っていた。
しかし、コロニーの破片が衝突し、船尾のエンジンは損傷、使用不能に陥ってしまった。残りのエンジンで航行自体は可能だが、破片を避けるのに必要な速さを失ってしまったのだ。
「これじゃ、破片を避けられない……」
ソフィアが震える声で呟くと、ブリッジ内に重い空気が漂う。状況は深刻であったが、更に追い討ちをかけるような報告がアビーから告げられた。
「……エンジンの他に、キャヴァリアーを搭載しています格納庫の後部ハッチが一部損壊しました。今、応急班が駆けつけていますが、格納庫からの連絡がありません」
「え…? 連絡が…無い?」
ソフィアは聞き返す。自分の血の気が引いていくのが感じられた。
「はい…。どうやら、損傷の影響でパワーダウンもしているようです。通路の隔壁扉が閉まったままで、応急班の到着も遅れそうです。格納庫の状況を把握するには、時間がかかりそうです…」
「私の……せいで……」
力無く、座席に座ったまま気を失いそうになるソフィア。自分の操船のせいで、格納庫にいるクルーに何かあったのかもしれない。そう考えると、操縦桿を握っている自分の手が震えて、呼吸が荒くなる。
「ソフィア、しっかりしろ!!」
不意に、背中越しから大きな叫び声が発せられる。ソフィアはビクッと身体を跳ねさせ振り返ると、エメリアがこちらを真っ直ぐに見ていた。
「ソフィア、怖いだろうが……今は集中するんだ。ソフィアも含め、みんな最善を尽くしている」
そう語りかけるエメリアの表情も辛そうだったが、指揮官として困難な状況の中でもクルーを導かねばならない。その重圧に耐えながら、エメリアはモニター越しのアビーに尋ねる。
「アビー、現在の状況を整理しよう。破片はどうなっている?」
「はい。……不幸中の幸いと言うのでしょうか、破片の飛来数が減少しました。おそらく、最初の爆発で生じた破片は去ったようです。しかし、コロニーの爆発は数回ありました。これから第二、第三派の破片が飛来するでしょう」
「なるほどな。とりあえず、態勢を立て直さねばな。ソフィア、落ち着いたか?」
エメリアはソフィアの座る席に歩み寄り、肩に両手を当てる。息はまだ荒いが、ソフィアは頷きを返した。
「すみません……大丈夫です」
「…よし。皆で力を合わせて乗り越えるぞ」
エメリアはソフィアの肩から手を離して後ろに下がる。ソフィアは落ち着かない心臓の鼓動を抑えながら、操縦桿を強く握り直した。
「ソフィア、アビー。先ほどの話から考えるに、この後の破片を回避することは困難ということだな?」
「はい…。エンジンをやられたので、高速でこちらに飛んでくる破片を避けることはできないです。……すみません、私が…」
ソフィアの胸に、再び痛みが走る。エンジンをやられたのも、自分のせいだ。そう思うと、どんな顔をすればいいのかわからない。
ところが、再び自責の念にかられているソフィアに対して、エメリアは言い放つ。
「ソフィア…先ほども言ったが、しっかりしろ! その自責はただの自惚れだ! この状況では必要ない!」
厳しい口調で怒鳴るエメリア。今までに、エメリアがこれほど怒っている姿はあまり見たことがない。ましてや、義理とはいえ妹に対しては。それだけに、ソフィアは戸惑う。
「ソフィア、ちゃんと聞くんだ。どれだけ万全の準備をしていても、不測の事態は起きる。だが、その時に大事なことは、皆が一丸となって困難に立ち向かう姿勢だ。ソフィアがどれだけ優れた操船技術を持っていても、一人で乗り越えられない事もあるんだ」
エメリアは一度息を整え、ブリッジを見渡す。それから拳を自分の胸にそえる。
「まずは、仲間を信じろ。格納庫のフラガたちも、知っての通り優秀な精鋭たちだ。彼らの無事を信じて、私たちは今出来ることに全力を尽くそう。いいな?」
その言葉に、ソフィアはどれだけ楽になれたことだろうか。勿論、自責の念が消えたわけではない。しかし、何をすべきかわかったことで、気力に火が灯る。
「…すみません、お姉ちゃん。私、やります」
側にいるルーナとエルも、自分の胸に手を当てて、ソフィアの心の熱を感じ取る。エメリアは頷き、気持ちを次のことに集中させる。
「さて…回避が出来ないのならば、迎え撃つまでだ。まずは船首を回頭させよう。ルーナとエルはバルカンで引き続き破片を撃ち落としてくれ。ソフィアはルーナたちが撃ちやすいように船を動かし続けるんだ。頼むぞ」
「わかりました! ルーナ、エルさん。指示をお願いします!」
「うん! お姉ちゃん、任せて! エルさんも、よろしくお願いします!」
「任せなさい。私だって、昔は弓が得意だったんだから。負けないわよ!」
三人の気合が満ちたところで、エメリアはブリッジの扉へ足の向きを変える。
「エメリア様、どちらへ?」
エルが尋ねると、エメリアは笑顔で振り返る。
「ふふ…。私も一働きしたくてな。ちょっと格納庫のフラガたちを助けに行ってくる。途中でイーサンと合流するから、心配するな」
「え…? しかし、指揮は…」
「方針が決まっているのだ。問題はない。アビーの補佐もあるしな。何かあれば、現場から陣頭指揮をする。心配するな」
エルはなんとなく納得するが、ソフィアとルーナは何か引っかかるものを感じた。こういう時に、あんなに不敵な笑みを浮かべているのだ。
そして、ソフィアが気づく。
「もしかして……キャヴァリアーを?」
返事が無い。恐る恐るソフィアとルーナがエメリアの顔を覗くと、檻から放たれたような表情を浮かべる彼女がそこにいた。
「ちょっ!? エメリア様、この状況でキャヴァリアーを!? 何をなさるんですか!?」
慌てふためくエルを横目に、エメリアは扉を開ける。
「決まっているだろう? 船を守るのだ」
「無茶です! 破片が飛んでくる速さはご存知でしょう!? エメリア様のキャヴァリアーは剣とパイルバンカーを装備した近接用です! 無理ですよ!!」
血相を変えてエメリアを止めるエル。しかし、エメリアは豪快な笑いで返す。
「なあに、ワープの速さに比べれば、目に見えるじゃないか。大丈夫だよ。では、行ってくる」
そう言い残し、エメリアは颯爽とブリッジから出て行った。エルはすかさず後を追いかけてエメリアを止めようと立ち上がるが、同時に警報が鳴り響く。
「アビー、どうしたの!?」
「破片の第二波を確認しました! それから、コロニーを含む艦隊と進路が交差しそうです!」
「コロニーと、艦隊が!? こっちへ向かっているの!?」
肯定するアビー。破片の後ろから、コロニーと例の艦隊が接近してくる。しかし、意図が不明だ。
「エルさん…この動き、なんだと思いますか?」
ソフィアはモニターに映る艦隊の映像を見ながら、エルに尋ねる。
「攻撃なら、とっくの昔に仕掛けてきているはずよ。それに艦隊もコロニーも、目に見えて損傷している。そんな状態でこちらを攻撃を加える余裕があるようには見えないわ。どこへ向かっているの…?」
ソフィアとエルが考え込んでいると、ルーナがふと、後ろを振り向く。それから、ハッとする。
「お姉ちゃん! 後ろ!」
言われて振り向くソフィアたち。そして気づいた。
「あの青い星…。あの星に真っ直ぐ向かっているの?!」
船の背後にあるのは、青く輝く惑星。何者かのジャミングによって守られていた星だ。
そこでエルが可能性の一つに気づいた。
「もしかして…彼らの故郷はこの星なの? だから、傷ついた状態で帰ろうとしている…?」
仮説でしかない。しかし、彼らがこの星の側に現れたことは偶然ではないはずだ。
「確かめるにしても、まずはこの危機を乗り越えなきゃね。ソフィア、ルーナ、頑張りましょう!」
エルの掛け声で、三人は気持ちを切り換える。さすがにエメリアの補佐を務めているだけあって、エルも指揮する立場の雰囲気を持っていた。それがルーナとソフィアには心強かった。
(エメリア様のことは、アビーに頼もう…)
エル自身は、ため息をつきたい心境であったが。
「ニーナ、気をつけて。この扉の先が格納庫だ」
二人で待機室を出て、それほど経ってはいない。格納庫へ向かう通路は所々が隔壁で仕切られており、到着に少し手こずった。
「さっきのは相当な衝撃だった。船に穴が開いて、格納庫内は真空になってるだろうから、宇宙服の確認をして、慎重に行こう」
「うん…。サラさん、フラガさん、待ってて…!」
ペータとニーナは自分の服の状態を、お互いに確認し合う。着ている服は宇宙服なので、空気が無い真空の宇宙空間に出ても大丈夫だ。
しかし、空気があるところから無いところに行く際、注意点がある。もし、そのまま扉を開けてしまうと、空気の圧力が船内から外へ一気に放出され、そうなってしまうと空気と一緒にペーターたちも外へ飛ばされてしまうだろう。そうならないために、外と中の気圧を合わせる必要があるのだ。
しかしながら、その作業はそれほど難しくない。隔壁扉は格納庫側と船内側にあり、その狭間はエア・ロックとしての機能を備えていたので、中にある装置を使えば良かった。ペーターたちが着ている宇宙服も、自動で服の中の気圧を維持してくれる優れものなので、体調も問題ない。
とはいえ、ペーターたちはこれらのテクノロジーを使用することは出来るが、構造を理解してはいないので、一つ一つの作業に緊張してしまう。ようやく減圧が終わる頃には、ホッと胸を撫で下ろしていた。
「よし。ニーナ、中に入るよ?」
「うん。早く行こう、ペーター」
格納庫側の隔壁扉がゆっくりと開かれる。中は非常灯が灯り、薄暗くなっていたが、様子ははっきりとわかった。
「やっぱり…穴が開いたんだ。ひどい…」
格納庫内はペーターたちが作業していた時とは変わり果てていた。ブリッジとは違い、船内の殆どの区画は重力制御が無い。そのため固定されていたはずのコンテナは辺りに散乱し、宙に漂っている。中には破損しているものも多い。工具などの細かな物も相当散らばっていた。そして恐ろしいことに、搭載してある二機のキャヴァリアーのうち一機が、後部ハッチに激突したようになっている。
ペーターたちはその光景に息をのむ。しかし幸いなことに、損傷して出来た穴は比較的小さいため、非常時に自動で噴出されるジェル状の物体が固まり、応急的に塞がれていた。
「サラさん! フラガさん! 助けに来ました! どこですか!?」
ペーターが叫ぶ。しかし、返事はない。
「サラさん!! フラガさん!! お願い!! 返事をしてください!!」
今度はニーナが叫ぶ。しかし、返事は返ってこない。ニーナは泣き出しそうになるのを必死で堪える。ペーターはヘルメットの通信が届いてないのならばと、近くに散乱して浮いているレンチを手に取り、壁を叩いて音を出す。
「ニーナも、何かで壁を叩きながら辺りを探そう! 何か聴こえたら教えて!」
「…うん! やってみる!!」
二人は左右に分かれて、壁沿いに進む。無重力状態の中では、漂っている物に不用意にぶつかっただけで大惨事だ。慎重に行き先を確認しながら、工具で壁を叩く。
半分を過ぎたところで、二人はお互いの顔を遠くから見合わせる。やはり、反応が無い。最悪の事態を考えたくはないが、ペーターとニーナの心はざわめく。
カンッ カンッ カンッ
その時だった。格納庫内に、規則的な音が響く。二人の手は動いていない。
「今のは!!?」
ペーターとニーナは耳を澄ませる。奥からだ。ゆっくりと視線を動かし、音の出所を探す。すると、視線が一箇所で止まった。
「まさか…キャヴァリアーの中に!?」
音は確かに聞こえてくる。その先には、ハッチに激突しているキャヴァリアーの姿があった。
ペーターとニーナは急いでキャヴァリアーのコア・ユニットへ登る。操縦席のハッチは開いている。
中を覗き込むと…
「……ふふ。若い二人が来てくれたのね」
「おう…案外早かったじゃねぇか。早く出してくれぇ…」
フラガとサラが、操縦席の中に身を寄せ合っていた。二人は宇宙服姿だが、さすがに狭い操縦席の中では身動きが取れないようだ。
「フラガさん……サラさん……良かった!!」
嬉しさのあまり、声が裏返るペーター。ニーナはワンワンと泣き、ヘルメットで涙を拭えないでいる。
その様子を見て、フラガとサラは嬉しそうに笑う。整備班の4人は再開を果たし、しばらく互いに喜びあっていた。