第6話 ワープ・イン
第6話 ワープ・イン
「ペーター! そっちの荷箱は固定終わったか!?」
「はい! 大丈夫です!」
フラガが威勢よく声を張り上げる。すると、荷箱の影にいるのか姿は見えないが、ペーターが元気に返事を返した。
アンブル・ドゥ・レーヌ号、別名"琥珀の女王号"は、船団のワープ予定の前倒しに伴い、急遽偵察任務に出ることになる。これからいよいよ、単独でワープ航行に移ろうとしていた。
ワープ航行の仕組みそのものに関しては、まだ船団の人々が理解出来ているというわけではない。だが、手順は丁寧に確認されている。
特にこの琥珀の女王号のワープ航行は、他の船と仕組みが異なり、段階的に船体を加速することでワープ・ドライヴの出力を上げていき、エネルギーをチャージする。そしてチャージを終えたら、その出力を解放して加速し、光速を超えてワープを開始することになるのだ。
つまりは、跳ぶための助走がいるということになる。
ただ、琥珀の女王号には重力制御の装置が無い。勿論、様々な保護装置で守られているとはいえ、その加速の負荷が船体にかかる。
すると、加速中は人も物も適切な固定をしていないと、面倒な事になってしまうのは明らかだ。そのため船内各所では乗組員が念入りな最終チェックを行なっているのだが、そもそも琥珀の女王号の乗組員はかなり少ない。
必然的に、ひとつひとつの作業は手を抜けず、しかも慌ただしいものになっていた。
「フラガ、ペーター! 荷物の固定は終わった?」
格納庫内で既に固定されているパワー・フレーム・ユニット、通称キャヴァリアーの上から、サラが声をかけてきた。隣には一緒に作業しているニーナもいる。彼女たち、特にあのサラでさえ額からかなりの量の汗を流し、表情には疲労と、集中で研ぎ澄まされたものが浮かんでいた。
「おう! 大丈夫だ! 俺たちはこのチェックが終わり次第、そろそろ待機室に入るぞ!」
「わかったわ! こっちも固定終わったから、着替えて行くわ! 先に行って、あなたたちも着替えをしといて!」
そう言って、サラは手を振りフラガたちに格納庫から出るよう促していた。
サラの言う着替えとは、作業服から乗組員用の宇宙服に着替えることを指す。パイロットのものとは少し異なるが、ヘルメットも着用するので見た目は少しゴツくなっていた。
しかしながら、その分真空の宇宙空間に出る時に身を守る機能が充実しており、乗組員には多くの機会に着用が義務づけられているのだ。
とはいえ、服だけで耐えられるものには限度もある。特に琥珀の女王号はワープ以外の時にも、それなりに負荷がかかる高機動を行うことが多いため、船内には身体を固定できる椅子が幾つも用意されており、部屋全体も衝撃吸収に優れた構造になっている。
もしトラブルが発生すれば、こうした備えが命を救うということを、宇宙に出てからは皆が学ぶこととなった。そして、そういう事態にならぬことを、誰もが心のどこかで頻繁に祈っていた。
その一人であるエメリア・オーランドは、船のブリッジから遥か後方に見える船団の光を眺めていた。
「毎度の事ながら、ワープに入る直前は緊張する。最初は、これもすぐに慣れると思っていたのだがな」
「それは私もですよ、お姉…いえ、エメリア様。こうして操縦桿を握る手に、いつも力が入ります」
「そうなのか? ソフィアはいつも乗っているし、あまりそういう風には見えないが…」
普段よりも丁寧な口調で喋るソフィア。女王であるエメリアと、普段ら姉妹の様に接することが出来ているのだが、本来そうした場面は限られている。特に今日はそういう時なのだ。
今この船のブリッジには、琥珀の女王号パイロットのソフィアと、司令兼キャヴァリアー・パイロットのエメリア、通信とサポート担当の席にはルーナ、それからエメリアの側近を普段から務め、今回は任務の記録を担当する女性士官のエル・レアと、直属の護衛を担う兵士のイーサン・メイの五人だ。
あとは、整備班としてキャヴァリアー格納庫を持ち場に待機している、フラガ、サラ、そしてペーターとニーナの四人を含めると、計九人になる。
ちなみに、エメリアはいつもの将軍服、エルとイーサンは乗組員の宇宙服を、そしてソフィアとルーナはこの船のパイロット用スーツを、それぞれ着用していた。
「以前はアビーのサポートも相当あったんですけど、この船が担う役割も増えて、今は皆さんのサポートにも力を割いてくれているから、私が操縦桿をしっかり握ってないといけない。そう思うと、パイロットとして皆の命を預かっている事に責任を感じるんです」
ソフィアは少し緊張した面持ちをしていたが、その内ではワクワクして仕方がないのだろう。実に楽しそうだ。
「お姉ちゃん、パイロットは一人じゃないよ? サポートしてる私を忘れないでよね」
ルーナがジーッとソフィアに目線を送る。そう、ルーナも通信面の技術をしっかり学び、姉を力強く支えているのだ。ビシッとVサインを決め、ソフィアは嬉しそうに応えた。
その妹たちの様子に、エメリアは満足そうにしている。
「この調子なら、今回も大丈夫だ。さあ、胸を張って、進もうじゃないか!」
エメリアの一言に気合いが入り、ソフィアとルーナは力強く頷く。
「では、ルーナ。船内に放送を繋いでくれないか?」
エメリアに、ニッコリと得意気な笑顔で応えるルーナ。目の前の通信装置を手際よく操作し、すぐに船内放送の支度が出来た。
エメリアは静かに深い呼吸を挟んでから、手元のマイクのスイッチを入れる。
「こちら、エメリアだ。諸君、間も無く本船はワープ航行に移る。今回の偵察任務も、船団の行き先の安全を確かめる重要なものだ。そして、既に何度もこの任務を無事にこなしてきた。しかしながら、今一度初心に立ち返り、また皆が一丸となって支え合い、共に任務を遂行して欲しい。そして、無事に帰還しよう。以上だ」
言い終えると、エメリアは静かにマイクを置いた。その様子を確認して、今度は船内にルーナが話し始める。
「ブリッジより全クルーへ。アンブル・ドゥ・レーヌ号は、これよりワープ航行のため、準備加速に入ります。荷物や器具の固定が完了次第、加速に備えて下さい。点呼と報告が完了次第、加速のカウントダウンを開始します」
このルーナの放送が終わって間も無く、アラームが短く鳴る。最終チェックだ。
格納庫近くの待機室では、フラガとペーター、サラとニーナが既に座席に座り、固定器具で体を支えていた。
「ねえ、ペーター。なんかワクワクするんだけど、手がこんなに震えてきたよ…どうしよう」
ニーナの手は、目に見えてわかるほどに激しく震えている。ペーターに助けを求めるニーナだが、ペーターもまた足をガタガタと震わせており、言葉も発せないでいた。
「二人とも、なかなか初々しいわね。でも、そんなに緊張してたら、この後のワープで気絶しちゃうわよ?」
サラは優しい口調で二人に話しかけてくれているが、どことなく悪い笑顔だった。
「うわぁ、ヤベェ顔だな」
フラガは小声で呟く。するとサラが急にこちらへ振り向いたので、フラガは慌てて目線をそらし、口を固く閉ざす。
点呼と報告が終わると、再び船内に短いアラームが鳴り響き、放送が入った。今度はソフィアの声だ。
「こちらブリッジ。全クルー、準備完了です。これより、カウントダウンを開始、10カウントで発進します」
もう一度アラームが鳴り、船内の照明が赤く切り換わる。
「カウントダウン、10、9、8……」
ペーターとニーナの心臓が高鳴る。部屋中に聴こえそうだ。
「……5、4、3、2、1…エンジン、スタート!」
ガクンッと船体が衝撃し、加速が始まる。身体に徐々にGがかかり、手足が重くなる。
しばらく加速すると、少し加速が緩む。だが、これで終わりではない。
「通常エンジン停止。パルス・エンジン、スタート!」
エンジンの音が変わり、再び加速が始まる。今度の勢いは先ほどよりも激しく、ペーターたちは声も出せなくなった。
そのままどんどん苦しくなるかと思いきや、着用している宇宙服から何やら機械の作動音がし始め、呼吸が徐々に楽になる。同時に、座席の座り心地も柔らかいものになっていた。
(服と、座席の両方が保護してくれているんだ。すごいなぁ。それでもこの重さだけど…)
ペーターが関心している間にも、船はグングン加速していく。いったい、どれ程の速さで飛んでいるのか、検討もつかなかったが、パルス・エンジンの音とは別の音が高鳴っていくのが聴こえ始めていた。
いよいよ、ワープ・ドライヴのエネルギーがチャージされているのだ。
「ワープ・ドライヴ、順調にチャージ中。ワープ・インまで、5秒!」
一秒、一秒が長く感じられる。ワープ・ドライヴのエンジン音に合わせて、ペーターとニーナの高鳴る鼓動も最高潮に達しようとしていた、次の瞬間。
「ワープ・イン!!」
ソフィアはスロットルを勢いよく最大にした。
白と黒に塗装された船、琥珀の女王号を緑と白の光が包み、光の筋となって宇宙の闇を走り抜ける。
やがて、後には静かな星空だけが残り、琥珀の女王号はワープで彼方へと飛び去っていった。