第5話 船出のとき
第5話 船出のとき
「あーあー、俺は馬鹿だぜ。子供相手に、らしくねぇこと言っちまうなんてよ…」
琥珀の女王号の格納庫を出て、少し通路を歩いた先にある小さなロッカールームの長椅子に寝そべりながら、フラガは禿げた頭を抱え、ため息混じりに呟く。
「ああ、まったくだな、フラガ。お前はそんなに短慮な男だったのか? 兵士時代のお前は、もう少し子供に愛想が良かったと思ったが?」
部屋の隅で壁に寄りかかっているサラが、フラガにちくちくと冷たい視線を送る。フラガは目を合わさないようにしているが、その視線がとても痛かった。
「さっき、ニーナから聞いたよ。ペーターのやつ、泣きながら走っていったそうだ。お前、仕事中に安い酒でも飲んでたのか?」
「そんなわけ、あるかよ!」
サラの嫌味な一言に我慢が出来ず、フラガも怒鳴り返す。だが、その怒りはサラに向けたものだけではなかった。
「俺だってなぁ、なんであんな風に頭に血が上っちまったのか、わからねぇんだよ。ただ、あいつがあまりに世間の物事知らないっていうか… 関心の無さにだなぁ、ついカッとなっちまった」
「はぁ…。フラガ、本当にお前らしくないな…。でも、まぁ、そういう事なのか」
「はぁ? サラ、どういう事だよ?」
フラガの態度に、サラは少し寂しそうに目を閉じた。
「フラガ、お前は5年前の…そうだ、あの日から、ずっと悔やんでいるんだろう?」
「……」
フラガの心臓に突き刺さるような痛みが走る。
「サラ、お前… 何が言いたいんだよ?」
言葉を返すフラガの目は、しかし、サラを見れない。
「お前は私以上に、王国への忠誠と兵士の任務に誇りを持っていたものな。だからあの日、陛下と多くの民… そして、奥さんと娘さんを助けられなかった事、ずっと悔やんでいたんだろう?」
「サラ!!」
フラガは椅子から起き上がり、サラの胸ぐらを掴む。だが、フラガの口は開かない。ただ、ギリギリと歯が軋む音だけが鳴る。
サラは怒るフラガの顔を、黙って凝視していた。
重い沈黙の時が流れ、やがてフラガはサラの胸ぐらから力無く手を離し、椅子に腰を落とした。サラも隣に座る。
「あの日、俺は、俺が守るべき人たちの元にいなかった。自分が誇りにしていた義務を、肝心な時に果たせなかったんだ…」
フラガは顔を両手で覆うと、頭を下げた。
「それだけじゃねぇ。王と、王国を、民を守るという任務に酔い、家を空けてばかりだった。なにが誇りだ、義務だ。今は姫様を王として仕え、この船に乗れていることを誇りにしている。そう5年間、自分に言い聞かせてきた。だが、俺はやはりあの時、陛下と共に、そして妻と娘と一緒に、あそこで死ぬべきだったんだ…。俺は生き延びちまった。半端者だよ」
フラガがそこまで言い切ると、サラはクワッと目を開き、勢いよくフラガの頭を鷲掴みにし、グイッと持ち上げる。
「おい、何を!?」
「おらぁっ!!」
ゴンッ!
鈍い衝突音が部屋に響いた。
サラはフラガの額に向かって、思いっきり頭突きをしたのだ。
「んぐわ!!!!」
痛みで床を転げて、鼻血を出しながら悶絶するフラガ。サラもなかなかに痛かったようだ、自分の額を押さえて呻き声を発している。
「おい! 何をしやがる…」
なんとか口を開いたが、自分の声が頭に響き、気持ちが悪い。
「そりゃあ、お前が見事に腑抜けたことを言うから、どこかで頭でも打ったか、酔っぱらっていると思ってさ。目覚ましに打ち直してやったんだ」
「打ち直しって、どこも打ってねぇよ…どんな発想だ? それは」
サラは痛みで涙目だが、再びフラガの顔を見つめる。やはり、寂しそうに。
「いいか、たしかにお前は図体と禿頭の酔っぱらいで、半端者だ。それでもお前、ペーターに怒ったろ? それはお前が、エメリア様とアリアスの民たちと共に船に乗れることを、誰よりも誇りにしてきたからこそ怒れたんだ。大切な人たちを守れなかった辛さ、兵士としての忠誠と覚悟があればこそだ。今はあの頃の兵士というわけではないが、お前の心はアリアスにいた時から変わっていない。亡きヒース陛下たちも、お前の家族も、お前をわかってくれているさ」
そう言うと、サラはやっと微笑む。
「サラ、お前…」
「勿論、私もな」
サラはフラガの不意を突いて、彼の額にキスをする。そしてサッと立ち上がり、部屋の外へ向かう。
「今まで通り、酔って、誇れ。まぁ、お前が反省しないといけない所もあるからな。あとでペーターと仲直りしとけよ?」
そう言い残し、サラは去っていった。
フラガは茹でた蛸のように真っ赤な顔で、しばらく座っていた。
格納庫でのひと騒動の次の日、ペーターは自宅の部屋のベッドの上で目覚める。
(昨日のこと…なんか現実感が無いな…)
フラガの一言に混乱して、走り回って、倉庫に逃げ込んで…。なんか格好が悪い自分の行動に、顔を赤らめる。
それよりも問題なのが、倉庫の中での事だ。
(ソフィアさんと会えるなんて。嬉しいんだけど、恥ずかしいところを見られたな…)
おまけに、ソフィアに悩み事を打ち明け、慰められ、頭を撫でられた。思い出すだけで身悶えするペーター。現実感が無い。まるで夢でも見ていたようだ。
(本当に夢かもしれない。夢だったらどうしよう?!)
ガバッと布団から起き上がり、ペーターはドタバタとベッドから出る。そして洗面所で顔をバシャバシャと勢いよく洗い、鏡に映る自分の顔を凝視した。
「いいな、ペーター。今日、もう一度ソフィアさんに会うんだ。それからフラガさんとも、もう一度話しをしろ。自分の殻を、今こそ破れ」
呪文のように自己暗示をかけようと試みるペーター。だが、妹のルシアが洗面所に欠伸をしながら入って来たことで我に返り、なにか中途半端になった気がしてならない。
「おはよ、お兄ちゃん。なに、どしたの?」
「いやいや、なんでもないよ、ルシア。おはよう」
宙を泳ぐ自分の心をなんとか引っ張り戻し、優しい微笑みを浮かべるペーターだったが、ルシアは兄をジッと見る。
微妙な空気から逃げるように、ペーターは早々と支度を済ませ、研修先である琥珀の女王号が停泊するドッキングポートへと向かった。
早朝のドッキングポート前には、先に来ていたニーナがペーターを待っていた。
「あ、おはよう、ペーター」
「ニーナ? 今朝は早いね。どうしたの?」
「どうしたの、じゃないわよ! 昨日、様子が変だったし、格納庫に戻ってきたと思ったら、今日の仕事は終わりとか言ってスタスタ帰っちゃうし。私の方からどうしたのって聞きたいわよ!」
ペーターは苦笑いをして、困ってしまう。
(あの倉庫での話は出来ないし、フラガさんとの話も…少し恥ずかしいなぁ)
ペーターの心はともかく、目の前のニーナは朝からプンプンに怒っている。
「ごめん、ニーナ! 後で説明するから、今は勘弁してよ! お願い!」
とりあえず、ペーターはこの場を逃れることにした。ニーナは渋々としつつ落ち着いてくれたが、今度食後のデザートに菓子をおごる約束をさせられてしまった。
難を逃れたが、更に足取りが重くなるペーター。そして格納庫に入ると、今度はフラガと鉢合わせることになる。
「あ、あの… その… 」
もう一度話したい。そう思っているが、まだ心の準備が出来ていないペーター。挨拶をしようにも、声がなかなか出てこない。
だが、そのペーターに、フラガはいきなり深々と頭を下げた。
「え?」
何が起こったのか、全くわからないペーター。なぜ、フラガが自分に頭を下げているのだろうか。見慣れたフラガの禿頭を目の前に、戸惑う。
「ペーターよ、昨日は言い過ぎちまって、すまんかった! この通りだ!」
フラガが格納庫中に響き渡る声でペーターに謝罪する。ここにはペーターとフラガ、それにニーナと、奥にサラの4人しかいないが、ペーターは慌てて周りを見渡してしまう。
「ど、ど、ど、どうしたんですか!?」
「どうしたって、昨日、俺がお前の何気ない質問に対して、いきなり怒って説教しちまったことを詫びてるんだ。この通りに」
頭を下げたままのフラガが答える。ペーターは必死に思考を巡らせ、理解しようとしたが、頭の中がメチャクチャだ。
そんなペーターがどうしたらいいのか、思考を整理させている間も、フラガは頭を下げ続けて待っていた。その場に居合わせていたニーナは状況が掴めず、サラが手招いてくれた方へ、スススっと避難する。
やや時間が経って、やっとペーターの口が開いた。
「その、僕、フラガさんの言葉が胸に刺さって… 言われた通りなんだって、わかったんですけど、なんか混乱して…」
フラガは黙って頭を下げていたが、しっかり聴いている様子だ。ペーターは話を続ける。
「フラガさん。僕はたしかに、無関心に逃げてました。逃げていたことも、無知として誤魔化してました。フラガさんに言われて、初めてそれに向き合えた気がします。だから、その、これからもフラガさんとお話しをさせてもらえますか?」
少し間を開けてから、フラガは体を起こすと、クククっと小刻みに震え、照れくさそうに背中を向ける。
「あー、その、なんだ? とりあえず、仲直りといこう。話は追い追いだ、うん」
振り向くと、フラガは手を差し出し、握手を求める。ペーターはその差し出された手を掴むと、じっと見つめた。
(大きな、がっしりした手。この手も、あたたかいんだなぁ)
その握手に、フラガが更に照れているのか、ガハハ… と、少し遠慮気味に笑う。遠巻きに見ていたニーナは、サラの耳にこそっと言う。
「あのぉ。これ、どういう状況ですか?」
サラに伺うニーナに、サラは堪えきれなかったのか、口を押さえて笑っていた。
「まあ、とりあえずは、これでいいんじゃない? 不器用な男どもだよ、まったく」
そう言うサラの顔はいつになく素敵に輝いて見え、ニーナはドキドキしてしまう。
こうして、格納庫の中は和やかな雰囲気に包まれていった。そこに、扉を勢いよく開けて入ってくる人影があった。
「おはよう!」
入っていたのは、女王エメリアだった。今日はジャンプスーツではなく、愛用の鎧と服を着ている。
「エメリア様、おはようございます。今朝は学生二人と、私たちベテラン二人だけです。他の整備班員は、他の船のワープ準備に追われていて、学生を連れて応援に行きました」
サラの説明に、エメリアはふむ、と頷く。
「そうか。まぁ、アビーとリオンも来ているから、大丈夫かな」
「アビー? リオン? どなたですか?」
聞き慣れない名前に疑問を持ったのは、ニーナだった。彼女から目線を向けられたペーターも、やはり知らない様子だ。
「ああ、二人は知らなかったのだな。アビーとリオンは、皆がよく知るユニットだ。だが、他のユニットたちとは違う」
「違う? どういうことですか?」
二人が尋ねた矢先に、船内スピーカーから声が響く。
「全然違いますよ! エメリア様、あまり説明を省かないで下さい」
「わっ、誰!?」
ニーナはびっくりして、飛び跳ねる。すると今度は、エメリアの背後からも別の声が飛んで来た。
「そうですよ、エメリア様。私たちはその辺のユニットとは結構違います。なにせ、名前があるんですからね?」
現れたのは、フヨフヨと浮かぶ白い球体だ。各船にいるユニットたちに似ているが、その口調にはどこか人間味が溢れている。
「はぁ…お前たちは相変わらず細かいな。まあいい、二人に紹介しよう。ここにいる白くて丸いのがリオン、先ほど船内スピーカーで話していたのはアビーだ。宜しく頼む」
エメリアが簡単に紹介すると、リオンと呼ばれるユニットが、フヨフヨとペーターたちの前にやって来る。
「お二人は、この船で研修中の学生さんですね? 私はリオン。エメリア様のサポートをしています。以後お見知り置きを」
丁寧に挨拶され、ペーターとニーナもペコっと頭を下げる。
「アビーも紹介したいのですが、今はブリッジで忙しくしていますので。アビーはこの船のパイロット、ソフィア様のサポートをしております。いずれ、改めてご紹介致しますね」
「え、ソフィアさんがいらっしゃるんですか!?」
ソフィアという名前に鋭く反応するペーター。
「あったり前じゃない、ペーター! この船に、ソフィアさんやルーナさんが乗っていないわけないじゃないの!!」
ペーターは、また後悔し、がっくり肩を落とす。昨日ソフィアに倉庫で会ったときに同じことを思い、理解したはずなのに。
フラガが、今度は慰めるように肩を軽く叩いてきたので、ペーターは泣きたくなった。
そんな事情など知らないエメリアは、まぁまぁとその場を納めて話を続ける。
「なんだかよくわからないが、まずは私から話があるのだ。聴いてほしい」
なんだろうか。急な話に戸惑いながら、ペーターたち4人はエメリアの話に耳を傾ける。
「実はだな、今日これから琥珀の女王号で先行偵察を行うことになったんだ」
「ええ!?」
一同は一斉に声をあげる。
「ごほんっ。まあ、事情は色々あるが……今、私たちがいる、この星系の宇宙が少し波立っているようでな。理屈はよくわからん。だが、リオンとアビーが調べたところ、ここに長く留まると次のワープに支障が出るかもしれないのだ。そこで、船団のワープ予定を可能な限り早めることになった」
ワープ予定を早める。それは、この5年で初めての事だった。話を聞いた4人は黙り込む。
「それでだ。さすがに研修の学生たちを、偵察任務に連れてはいけない。急な話で残念だが、一旦、研修は中止になるだろう」
ペーターとニーナは驚く。まさか、こんな事になってしまうなんて。勿論、事情は理解出来ているが、やり切れない気持ちになってしまった。
しかし、ここで二人は諦めない。
「…嫌です」
「え?」
「私は降りません! ペーターも、ついでに降りません! エメリア様、お願いします! 私たちを一緒に連れて行って下さい!」
「ついでって、ひどいなぁ。でも、僕からも! お願いします! この船で、もっと沢山勉強したいんです!」
予想外の反応に、エメリアは困ってしまった。目配せでサラに何か言うように促してみるが、サラは何故かニコニコしているだけだ。ならばと、フラガの方を見ると、少し困った顔をしてはいるが、何故か嬉しそうに笑っている。
「うーん、どうしたものかなぁ。他の学生はすんなり聞き分けてくれていたんだが…。この偵察について来れても、学生の二人に作業はさせられないし、危険だって伴うんだぞ? 何より、ご家族が心配するじゃないか」
エメリアのその一言には、流石にペーターとニーナも声を詰まらせる。危険な所に行くと、家族を心配させてしまうだろう。それに、無理に行ったとしても、邪魔になってしまうかもしれない。
無論、昨日の話の後なのだ、ペーターにはその意味がよくわかっていた。
「エメリア様の仰る通りです。ですが、どうしても行きたい。その気持ちを抑えることは難しいです。決して、お邪魔にはなりません。どうか、お願いします!」
「お願いします!」
なかなか引き下がる気配のない二人に、押されるエメリア。腕を組み、その場で考え込む。そして、とうとう折れることになった。
「わかった…。準備の時間があまり無いし、二人の同行を認めよう。だけど、条件が一つ!」
条件。なんだろう?
「必ず家族の了解を得てくること。それをちゃんと守れるなら、許可しよう」
ペーターとニーナは顔を見て見合わせて、喜びのあまり笑顔になる。
「ありがとうございます!!」
元気な返事が響き、二人は早速走って家に戻る。それから程なくして、二人は家の人の許可を難なく得て帰ってきた。これにはエメリアも、なんとも言えない顔になってしまったが、少し嬉しそうだ。
「それでは、発進準備に入ろう!」
こうして、琥珀の女王号は発進準備を始める。新しい船出に赴く時がやってきた。