第17話 リーシャとエリファス
第17話 リーシャとエリファス
「んー、いいねぇ。やはりここだな」
一人乗りの操縦席に深々と腰を下ろし、エリファスは鼻で息をたっぷりと吸い込む。しばらく使用されていないが、整備点検は欠かしていないので操縦席の中は清潔だ。特に刺激のある匂いは無いが、消毒に使用した薬品の香りが微かに残っている。
「すまないな。俺にはもう、昔のような時間がないんだ。自由に飛ばせてやれない俺を許してくれ」
呟いた言葉に返事はなく、沈黙だけが広がる。エンジンの鼓動は勿論、まだ計器の一つとして眠りについている。手元にある操縦桿に優しく触れると、冷たい。
触れた指先から熱を奪われる感触に、エリファスは締め付けるような心の痛みを受けた。
セルネア製高速戦闘機、リーシャ。
純白に塗装された機体は矢のように鋭利で細長く、流線形の筒状になった大型のエンジンが後部に四基も取り付けられている。
更には宇宙空間で姿勢制御に使用するような小型のスラスターが各所に内蔵されており、左右に広げられた可変式の翼も合わせるとその機動力は高い。戦闘機としてのコストは高い方だが、それに見合う高性能な機体だった。
しかし、欠点もある。
大きな問題となっていたのは、この機体の長所である高機動がパイロットに相当の負担を強いてしまう点だ。
特に戦闘時は急旋回や加減速の頻度も多く、その都度パイロットにかかる負荷があまりにも大きい。たとえ熟練のパイロットが搭乗していたとしても、とても長時間の飛行には耐えられないものだった。
それでも、四つのエンジンによる加速性能は非常に優れており、短時間で敵を迎撃出来る事はこの機体の強みでもある。数度の改修や設計の変更もあったが、結局のところ機体の特性は殆ど変わることはなかった。
そしてリーシャは実戦において、高速度を活かしての一撃離脱による迎撃が主任務となっていったのである。
現在は連合との主戦場が宇宙空間に移ったため、より安価で無人運用が可能な衛星兵器が主力になっており、大気圏内での運用に特化していたリーシャは既に退役が進んでいた。
それでも、一部の機体は宇宙空間専用に改修を施され、今でも現役で活躍している。
「今日は俺たちの空だ。束の間のひと時を楽しもう」
エリファスは冷たい操縦桿を握りなおす。自分の心臓の鼓動に耳を傾けると、いつもより高鳴っている。もう一度深呼吸をし、肺から息を吐き終えると、冷たかった操縦桿に僅かながら熱が宿っていた。
エリファスは嬉しそうに鼻をフンッと鳴らすと、おもむろに取り出したリーシャの起動キーを端末に差し込み、エンジンを起動する。
フォン…フォォォオオオオン!!!
リーシャの四基のエンジンが順番に、出だしは重く、それでいて滑らかな音を上げ始める。同時に操縦席内の計器に明かりが灯り、目の前のモニターには各機能のチェック項目が並ぶ。それらを慣れた手つきで軽快にタッチしていくと、リーシャの全システムのチェックが完了した。
発進準備は完了だ。
「ピー、ピー、ピー…」
そのタイミングで、旗艦テルハールのブリッジから通信が入ってくる。エリファスは首をコキッと鳴らし、通信を開いた。
「エリファス様、こちらブリッジ。聞こえますか?」
声の主は副官のシルヴィアだ。
「ああ、聞こえてるぞ。そちらは?」
「感度良好です。そちらは古い機体ですから、少し心配でしたが…」
いきなりだな。
チッ、という舌打ちが出かかったが、それを唾と一緒に飲み込む。
「おいおい…確かにリーシャは老兵だが、まだまだ現役だぞ? うちの優秀なクルーたちが格納庫でしっかり手入れしてくれているんだから、信用しろって」
「ええ、わかっています。ですが、耐用年数ギリギリなのですから、それくらいは心配をさせてください」
納得はいかないが、事実としてリーシャは古い機体だ。どんなに整備が万全であっても、何かトラブルが起きるかもしれない。エリファスは苦い顔をしながらも、シルヴィアに了解の頷きを返す。
(まあ、若いクルーたちの教材代わりにもなっているからな)
暫しエリファスとシルヴィアの事務的なやり取りが行われると、シルヴィアの横に羽のついた小さな丸い球体が現れ、通信を代わる。
「さてさて…エリファス様、親善の余興とはいえ、あまりのんびり出来るものではないですよ」
「おっと、フェリスか。お前がブリッジまで上がるのは珍しいな。見物に来たのか?」
シルヴィアに代わって通信をしているのは、エリファスのサポートをしている小型ロボット、フェリスだ。
フェリスは高度な演算能力を持つ人工知能を搭載しており、真面目な女性士官のような声で話す。通常、フェリスは羽がある丸い球体に見えるので、アリアスのアビーとリオンをはじめとする"ユニット"によく似てはいる。
しかし、胴体から手足と頭を出すと小人のようなロボットになるので、エリファスとクルーからは"妖精"と呼ばれることもある。
「はぁ…」
フェリスはため息のような音を立てる。当然、空気を吐いてはいない。
「いいですか? 私も忙しいんですよ? 連合の艦隊がいつ押し寄せて来るのかわからないから、防空システムとリンクして軌道上にある衛星の各種センサーの索敵情報を展開中のセルネア艦隊にフィードバックしてますし、エリファス様が"余興"で使用するデータの作成もしてるんですよ? ついでに言いますと、アリアス側との交信に備えて、常にデータバンクから言語データを収集・解析・翻訳してます! この苦労がおわかりですか!!?」
人間であれば、鼻息を荒げて喋っているのだろう。フェリスの苦言に、エリファスは後ろに仰け反りそうになる。
「あ、ああ、勿論だとも。苦労をかけるな。だが、おかげで本当に助かっているさ。な? ちなみに…シルヴィアもいるんだから、少し手伝ってはもらえないのか?」
というか、フェリスが働き過ぎな気もする。しかし、優秀なフェリスの仕事に反論は出来ない。
シルヴィアには悪いが、この説教の矛先を副官に少し受け持ってもらおうと、エリファスはそっと言葉を加えた。
しかし、それは後々に敵を増やすだけだったが。
「私もそうしたいですが…シルヴィア様は腕力担当なので、頭脳労働は私の役目…」
「…あ?」
言葉を言い切る前に、フェリスは隣のシルヴィアの殺気を察知し、すぐに口ごもる。
「ま、まあ、こちらのことはいいですよ。通信、終わります!」
フェリスの声が慌ただしく消える。その後、エリファスの耳にはシルヴィアの殺気に満ちた唸り声が入り、猛獣の機嫌を損ねた事を確信した。
「…エリファス様、通信戻りました」
「う……ああ、了解だ」
彼女の声は普段通りだ。なのに、寒気がする。
「エリファス様、そろそろ時間です。発進前に手短ですが、最後にもう一つ重要な注意事項があります」
やはり、か。
「アリアスの連中に気を許すな、だろ?」
内容を聞く前に答えるエリファス。シルヴィアが話に付け加えてくるであろうことは予想出来ていた。
エリファスはドシッとした重みを声に乗せ、目つきも鋭くする。
「気がついていましたか。呑気なことを申されていたので、てっきり…」
「やれやれ、手厳しいな。シルヴィアが最後に伝えたい注意事項があるとすれば、そんなところだろうも思っていたよ」
昔から、シルヴィアは大事な事柄を話の最後に告げることが多いからな。
「俺も指揮官として、理解はしている。だが、それはそれだ。限られた時間の中で出来る範囲の交流だ。大目にみてくれないか?」
「交流、ですか。まぁ…仕方ありませんね。素性がいまいち不明な相手とはいえ、我々も可能な限り友好的に接したいものです」
「だろう? 宇宙で出会った者同士は基本的に仲良くすべきだ。敵対してばかりは疲れるよ」
連合との戦闘はあまりに長期に渡って、しかも酷い有り様だ。これ以上敵を作りたくはないと、内心はシルヴィアも考えており、疲れたような声でエリファスに同意する。
「とはいえ、我々とは異なった種族と文明、そして違う価値観は簡単に仲良くなれないのも道理でしょう。アリアスは旧連合の時代に他の星系から激しく敵対され、遂には自分たちの星系ごと容赦なく破壊されたと言われています。彼らがそこまでする程にアリアスを憎んでいた理由とは何でしょう? 現在の連合は我々の敵ではありますが……アリアスは我々にとっても危険な存在なのかもしれませんよ?」
「ああ…。その通りだな」
様々な理由から生じる戦争。
欲に駆られて、種族や文化の偏見、悪政を正すため…
時に善が勝ち、時に悪が勝つ。
それは時代と共に移り行くものだ。
しかし、共通して言えることは、敵であろうと味方であろうと、戦争によって大勢が死ぬということだ。
そして、それは次の戦争の火種を生む。
では、アリアスが大昔の戦争で連合に生んだ火種とは何か? そして今、セルネアを訪れたアリアスは何か?
「見極める必要がある、ということだな」
エリファスは自分の言葉の意味を胸に刻む。指揮官として、その責務は果たさねばならない。
「ならば、やはり次の手も打たないとな?」
エリファスは眉間に皺を寄せる。正直なところ、次の手は少し気乗りするものではない。
だが、必要ならば迷うことはない。
そしてエリファスが考えていることは、既に
行動に移されていた。
「拠点にはこちらから状況を連絡、既に特殊部隊の配備を要請してあります。艦隊も気取られないように側面へ展開中。タイミングを見計らって、アリアス船団を包囲出来ます」
「なかなか準備がいいな」
当然といえば、当然だが。
「私の独断ではありませんよ。ちゃんと同盟議会との承認を得ています。なにぶん、時間が惜しいですからね。宜しいですよね?」
「ああ…構わないさ。だが、可能な限り手荒な事は避けたい。そこは配慮を頼んだぞ」
「了解しました。それと、例のデータ収集についてですが…」
シルヴィアはブリッジ内の一画に目をやる。そこには情報収集担当のクルーが増員されていた。
「ああ。なるべく詳細に頼む。出来れば、パイロットの生体データもスキャンしたいところだが…」
「それは出来ると思いますが、相手は若い女性ですよね? まさかとは思いますが…」
「い、いやいや、違うって! 誤解するなよ!?」
シルヴィアの声は優しいが、目から殺気を送ってきていた。誤解されていると察したエリファスは、必死に意味を否定する。
「データはお前が見て、その結論を俺に聞かせてくれればいい! 俺は見ない! 頼むぞ!?」
「了解。では」
通信がプツッと切れると、エリファスは力が抜ける。
「まったく…俺はそんな男じゃないぜ?」
ブツブツとシルヴィアに文句を呟きながら、エリファスはおもむろに座席に取り付けてある水筒を手に取り、ごくっと喉を鳴らして水分を取る。
「っぷは。だいたい、そんな事したらアリアスのお姫様まで斬りかかってくるじゃないか」
実際にエメリアの太刀筋を見た事は無いが、雰囲気でわかる。少なくとも、シルヴィア並みには強いのだろう。
そう考えただけで、今飲んだ水が冷や汗となって流れ出てしまいそうだ。
そうしている内に格納庫のハッチが開き、リーシャは発進位置に着く。エリファスはひとまず考えることを放棄した。
「空へ帰還だ。リーシャ、発進する!」
くわっと目を見開き、エンジンの出力を最大にする。リーシャの固定装置が解除されると、機体は矢のように空へと放たれていった。
「うわぁ…凄い…」
飛行中のキャヴァリアーの座席から、ソフィア、ルーナ、ニーナの三人は上空を見上げる。そこには白い一筋の雲が青空に走っていた。
「あれがエリファスさんの機体…セルネアの機体なんだ。凄く綺麗…」
ソフィアは空を見上げながら、驚きよりも感動が優った顔になり、ため息が漏れた。
"琥珀の女王"アンブル・ドゥ・レーヌ号、アリアス船団の船、そして今操縦しているキャヴァリアーしか見てこなかったソフィアは、セルネアの空を美しく飛ぶ機体に目を奪われていた。
「白く輝く…まるで弓矢みたい。空気を貫くように飛んでる…」
ソフィア程ではないが、ルーナも感嘆している。本来ならばすぐに分析をするところだが、手が動かない。それ程にルーナも目を奪われていた。
「わ、私たち、あれと競争するんですか? なんか、すっごく速そうですよ!?」
同じように空を見上げていたが、ニーナは感動よりも競争の心配の方が上回っていたようだ。
「うーん。まともに勝負してもダメだね、あれは」
そんな、身もふたもない。ニーナは言葉を失うが、ソフィアは笑みを浮かべながら軽く言う。
「でも、競争の内容はこれからだし、まだ不利かどうかはわからない。それより…」
ソフィアは座席からクルッと首を後ろに向け、ニーナの顔を見る。
「え? あの…」
ジーっと、真っ直ぐに見つめてくる。しばらく見つめた後、ふんふんと頷いた。
「パイロットスーツも着てるし…ニーナはあの時も琥珀の女王号に同乗してるから、たぶん大丈夫!」
ソフィアのニカッと素敵な笑顔に、ニーナは思わず頰を赤らめるが、言葉の意味をあまり呑み込めていない。何が大丈夫なのか聞き返すと、隣のルーナが優しく解説をしてくれた。
「お姉ちゃんはね、これからキャヴァリアーを沢山動かすから、慣れてないニーナの身体の負担を心配してたの。私たちでさえ、クタクタになる事もあるからね」
優しく言われてたが、ニーナは心の中で叫び出しそうだ。
「でも、あの時…琥珀の女王号でコロニーの破片を回避してる時、ニーナたちは船内の格納庫でフラガさんたちを助けるため、あの高機動の中を行動し続けていた。船のシステムで保護されている部分を抜きにしても、それは結構凄いことなんだよ? だから、大丈夫!」
ルーナはニーナの目を見つめながら、力強く
言い切る。でも、あの時はペーターが率先して行動していたので、それについて行っただけだ。自分がそこまで期待されるような者ではないと思い、ニーナは首を横に振る。
「あ、あれはペーターが…」
「コラコラ、ニーナ! そこは素直に照れなさい! ね?」
今度はソフィアから、明るく叱られる。流石にニーナも、照れ笑いをするしかなかった。
「それじゃ、決まりだね! 勿論、私も無茶な飛び方はしないから安心して! ルーナのお手伝い、お願いね! ニーナ!」
「は、はい!! 精一杯、頑張ります!!」
「ふふふ、嬉しい。宜しくね、ニーナ」
三人の気持ちがまとまったところで、システムチェックをしていたアビーがピロピロと音を立てる。
「皆様、エリファス様から再び通信が入っています。宜しいですか?」
「うん! アビー、お願い!」
ソフィアの指示で、アビーが通信を繋ぐ。
「あー、こちらエリファス、機体名はリーシャだ。待たせてしまってすまないな。改めて、こちらの申し出を受けてくれてありがとう」
堅苦しくない言葉遣いに、ソフィアたちは内心ホッとする。
「こちらこそ、ありがとうございます! それで、競争はどのように…」
少し緊張した面持ちでソフィアはエリファスに尋ねる。
「競争…か。そうは言ったが、少し趣旨を変えよう」
え?
キョトンとして言葉を失うソフィアたち。
「君たちはただ、俺の後について来ればいい。ついて来れれば、だがな」
そう言うと、エリファスは機体を急降下させ、ソフィアたちのキャヴァリアーの鼻先を
掠める。
それは明確な挑発だった。
そしてその行為は、導火線に火がつけられたかのようにソフィアの闘志を点火する。
「受けて立ちます、エリファスさん!!」
ソフィアは叫ぶと同時にキャヴァリアーを旋回させながら降下させる。
心の準備が出来ていなかったニーナとルーナの悲鳴が響き、
エリファスとソフィアの"会談"が始まる。