第1話 星の海の中で
闇の深淵。
光も、音も、感触も、何も感じない静寂の世界。
そこに人が迷い込んだら、その人は何を思うだろうか?
好き好んでそういう場所に行く者はいないだろう。だが、それも人の常識だ。
この宇宙では、常識は一つでは無いのだ。
第1話 星の海の中で
窓の外はいつもの風景だ。暗い空の中に、光の粒が散りばめられている。所々には紫色の雲が浮かんでいたり、光の川が流れている。
ここは宇宙。ほんの数年前までは、僕が夜空を見上げていた世界なのだ。
あの時はお父さんがいた。でも、この船に乗った時にはいなかった。今はお母さんと妹のルシア、そして僕の三人だけ。
僕が、家族を支えないと。
部屋の窓から外を眺めいると、ドアが開く音がした。
「お兄ちゃん! お母さんがお菓子焼いたって! 一緒に食べに行こう!」
「そうか。ルシア、今行くよ」
8歳の妹、ルシアに連れられて、食卓に足を運ぶ。テーブルの上には既にお菓子が並び、キッチンでお母さんがお茶を淹れていた。
「やっと出てきたわね。ペーター、このお茶を運んでちょうだい」
「うん」
ペーターはお茶をそっと運び、テーブルに並べる。ルシアは先に席についており、待ちきれずにお菓子に手を伸ばしていた。
「こーら、ルシア。お母さんとお兄ちゃんが来てから一緒に食べよ?」
「はっやくー!」
「あらあら、しょうがない子ね、ふふふ」
ようやく三人が揃って席に着き、ルシアが真っ先にお菓子を頬張った。サクサクと小気味いい音を立て、美味しそうに笑顔を浮かべている。ペーターと同じ栗色の髪が、楽しそうに揺れている。
「美味しい? ルシアはクッキー好きだもんね」
「うん! お母さんのクッキー、大好き!」
「ふふ、沢山あるからね」
午後のおやつの時間。一家団欒の、穏やかな時が過ぎて行く。
「ねぇ、ペーター。夜はまた訓練に行くの?」
少し落ち着いて、お茶を飲んでいると、母がペーターに尋ねてきた。
「そうだよ。夜間メンテナンスの実習なんだ。と言っても、見学だけどね。明日の朝には帰るよ」
「そうかい…。子供に夜中まで訓練なんて、反対なんだけどねぇ…」
「人手が足りないんだもん、そうも言ってられないさ。それに、宇宙はいっつも夜だよ?」
ふっとため息をつく母は、諦めの笑顔を浮かべていた。ペーターは16歳。まだ学校に通っているが、ここでは学生の頃から、各分野の仕事の現場で実習を行ったり、専門的な知識を学ぶ決まりがあった。
アリアス船団は5年前、滅びゆく故郷の星から脱出してきた。見たこともない船に乗り込み、宇宙に飛び出した人々は戸惑った。今までの生活とはかけ離れた宇宙での暮らしは、一から学ぶことが多い。はじめはヘンテコな丸い物体、ユニットと言うが、それが船のことを細かくやってくれていたのだが、船団が目的地に向かうには、ユニット達だけでは手が足りなかった。
そこで、毎日講習が行われ、大人達は少しずつ仕事を分担していった。子供達も将来の為に様々な知識を学ぶため、学校に通っている。
とはいえ、まだ5年だ。そう現実は甘くない。船団の旅は始まったが、船団の中の仕事は、まだスタートラインだ。まだまだ、人々には出来ないことが多すぎる。
ペーターは整備の仕事を希望しており、学校でも専門の整備科に入っている。先生は相変わらずユニットだが、だいぶ現場の大人たちが教えてくれる事が多くなってきた。
そして今夜は、はじめての夜間訓練。生徒達は大人の仕事を見学する。ペーターの班は農業生産プラントと呼ばれる区画に来ていた。
「…と、言うわけで、このプラントの人工太陽光を調節する設備の整備は、とっても大事なのです。わかりましたか?」
ユニットの、変化のない声で説明されると、5人の生徒たちは力ない声で返事をした。
「あー、ユニットの声をこの時間に聴くと、なんか眠くなるのよね〜。ペーターもそう思わない?」
短い黒髪に半袖のシャツ、ジャンプスーツの上を腰に巻いた少女が、隣でダルそうに欠伸をしていた。
「まあね…。でも、ニーナのように欠伸をしてると、怒られちゃうよ?」
「おっと、いけない!」
ニーナは慌てて口を隠す。どうやらバレなかったようだ。
彼女はニーナ。ペーターとは幼馴染で、現在はクラスメイトだ。彼女も整備科だが、船そのものの整備より、こうした環境関連の設備に関心があるようだ。ちなみにペーターはまだ漠然としていて、何がやりたいかは決まっていない。
「ねえ、ペーター。こんな大きな船を、昔の人たちはどうやって作ったんだろう?」
「さあね。想像もつかないや」
「もう、ペーターったら。もっと夢を膨らまさないと」
ぷーっとニーナは頰を膨らませる。そうしている二人のところに、現場の大人が現れた。
「よう、お二人さん! こんな夜中だってぇのに、微笑ましいねぇ?」
男は自分の禿頭を撫でながら、ニヤッと笑っていた。
「あ、班長! すみません!」
「なーに、そのぐらい楽しく仕事できれば、いいってことさ! 気にすんな!」
二人の下げていた頭をポンポンと軽く叩き、豪快に笑う。
「それに、若者がこうしているうちは、平和だ。それが一番だぜ!」
「なーにが一番だ、このオヤジは!」
急にバシッと背中を叩かれて、飛び上がる班長。背後には、長い髪を後ろで縛った、背の高い女性が立っていた。
「おい、サラ! なにしやがる!?」
「お喋り好きの班長殿に、ちょっと舌が回るスパイスを加えただけよ。お喋りより、手を動かしなさい!」
「まったく……昔から手加減をしらねぇなぁ、こいつは」
「あん?」
「すみません。小官は口を閉ざします」
「よろしい、フラガ」
そう言うと、少し間があって、二人の大人は爆笑する。ペーターとニーナは、苦笑いしながら見守っていた。
「お、お二人は、その……昔からのお付き合いなのですか?」
ペーターは恐る恐る尋ねる。
「ああ。このフラガとは、兵士時代からの腐れ縁だよ。5年前からは、整備の仕事まで一緒になってしまった…」
「こちらのサラは、昔はもう少しお淑やかなお嬢さんだったんだが……整備の仕事をするようになってからは、姉御肌に…」
フラガが言い終える前に、再びバシッと背中を強打する音が響く。サラはフラガの禿頭を鷲掴みにしながら、なんとも美しい素敵な笑顔をしていた。
「…後で酒奢ってもらうからね。さて、私が担当していた学生たちは、もう疲れて眠っている。君たちも休んでいいぞ」
「え? でも、朝まで見学しないと……」
ペーターの真面目な返事に、サラは笑い出す。
「いやぁ、ごめん。君の姿勢を笑ったわけじゃない。中々見所のある学生さんだと思って、感心したのさ。でも、無理はするなよ?」
「そうだぜ。寝不足で事故になったら大変だ。良い仕事の秘訣は、タップリ食って寝ることさ」
そう言うと、フラガは後ろのテーブルを指差す。そこには、出来立ての夜食のサンドイッチが並んでいた。凝った料理ではないが、ニーナとペーターは思わずつばを飲み込む。
こうして、賑やかな整備科の夜は更けていった。ある程度、見学も終盤になり、時間的には朝が近づいてくる。ペーターたちは流石に眠くなり、椅子に腰掛けてウトウトしていた。
キンッ
何か耳慣れない音が、プラント設備の奥から聴こえてくる。確か奥には、食物栽培の為の畑がある地区だ。
ペーターは眠い目を擦りながら立ち上がる。するも、ニーナも同じように音が気になり起きてきていた。
「ねえ、ニーナ。なんの音だろう…?」
「わからないわ。なんか、金属か何かがぶつかる音かな? 班長たちは?」
「ここには…いないね。どうする? 確かめてみる?」
「…怒られないかな?」
「うーん。まあ、とりあえず事情があるし、なんとでもなるよ、たぶん」
真面目なペーターにしては、随分と気楽な意見だが、ニーナに異存はなかった。
二人は非常灯で照らされた通路をゆっくりと歩き、奥の畑に向かう。この畑はまだ作物を植えていない、新しい土だ。作業をする予定も無いので、誰かがいるわけない。
謎の音は歩いている間も鳴り響いている。ペーターは考えたが、中々思い出せない。ニーナも、どこかで聴いたことがあるようだが、考え込んでいた。
そしていよいよ、畑の地区に出る。ここは整備科の作業用のステップがあるので、上から全体を見渡せるのだ。
一見、何もない茶色の土地が広がっていたが、その真ん中で何か光り、火花のようなものが散るのが見えた。
「あれは……! 誰かが剣で戦ってる!?」
「え、嘘ー!? 喧嘩!?」
こんな時間に、こんなところで争うなんて、よっぽど人に見られたくないのだろう。ペーターは班長に報せようと戻ろうとしたが、走り出した瞬間にボスンっと誰かにぶつかる。
「は、班長?!」
「おう! まーだ寝てないのか? 良い仕事には飯食って寝ろと言ったじゃねえか?」
「いや、その、大変なんです! 誰かが畑の真ん中で戦って……」
するとフラガは頭を抱えて、何か悩み出す。なんだろう、この反応は。
「いや、なんと言うかな……あれはいいんだ」
班長の言ってる意味がわからない。ペーターは開いた口が塞がらなかった。
そこへ更に、いつの間にかステップからサラが歩いてくる。
「あー、見られちゃったのね。フラガ、鍵かけときなさいよ?」
「すまん、ちょっと用を足しに出てたもので…まさか起きてくるとはなぁ」
わけがわからず、ペーターは大混乱だ。ニーナはジッと戦い。眺めていて動かない。
「と、とにかく、あの二人を止めなくていいんですか!?」
必死に懇願するペーター。だが、サラとフラガは顔を見合わせて、ニヤッと笑った。
「まあまあ、ペーターよ。よーく見てみなよ? 誰が戦ってると思う?」
そう言われて、ペーターは目を凝らして見る。そして驚いた。戦っているのは、女性だ! 格好は整備科と同じジャンプスーツだが、長い髪が揺れている。しかも、キラキラと輝く銀髪だ。もう一人も女性のようで、小柄だが身軽な動きをしており、両手にダガーを持っている。髪は金髪で、後ろに結んでいるのだろう。どちらも、ペーターが見てもわかるくらいに凄い腕だ。
「はあ……綺麗な戦い方。まるで踊ってるみたいね」
ニーナがため息混じりに、うっとりしている。
「あの人たちは……誰なんですか?」
フラガとサラが揃って、ふふんと鼻を鳴らす。そしてサラが誇るように言った。
「我らが姫様と、その妹君さ」