Last Good-bye
突然降られた夕立はタンクトップから剥き出しにされたぼくの腕を容赦なく濡らしていった。ほんの寄り道のつもりで入った古本屋だったが、僕の興味を引くものもなく無駄な時間を過ごしてしまった気にさせる。本屋を出た頃にはまだ降っていなかったというのに、ちょうど周りにコンビニもない 辺りで土砂降りに見舞われるなんて、ぼくはずいぶんついてない。
ひどい雨の中、ぼくはディスカウントショップの自動扉の前で雨足が弱まるのを待っていた。雨の日独特の厭な熱気と暗いまわりの空気がぼくをなんとなく陰鬱な気分にさせる。
だから、というわけでもないし、大勢の人が雨宿りしていたから、と言い訳をするつもりもない。あくまで他人に無関心で、常にぼうっとしているというぼくの性格が災いしてのことなのだ。――ぼくの隣に一番会いたくないと思っていた顔が近づいているのに気づかなかったのは。
「真人」
と、声をかけられてぼくはようやく気がついた。首を後ろに軽く回すと、そこにはぼくと同じくらいの年頃をした女の子がいた。
ふわふわとしたボリュームのある亜麻色の髪を左右でカーブさせ、それが幼さの残る大きな丸い瞳と奇妙なコントラストを醸し出している。髪型と顔だけ見ればまだ中学生くらいかと錯覚しそうだが、大きく膨らんだ胸と、すらりとした自信にあふれている様がそれを否定する。
彼女――新谷美穂(しんや みほ)はぼくを見つけるや否や、屈託のない瞳で口角をあげ、笑って見せた。
「真人が駅前にいるなんて珍しいね。なにか用事?」
美穂は上目遣い気味にそう問いかけた。夏の女性のファッションは凶器である。強調された胸の間から張りのある谷間が見えた。いやが上にも目がいきそうなのを誤魔化しながら、ぼくは上着の胸ポケットから煙草を取り出して、一本くわえて火をつけた。
「うん。参考書を買おうと思って」
「へえ。でも本を買うだけでわざわざ駅前に来なきゃいけないなんて、本当田舎は嫌よね」
「田舎には田舎の良さがあるさ」
「そ〜お? たとえば?」
僕は少し考え込んで、答えた。
「空気がうまい」
そんなぼくの返事に美穂は失笑を隠しきれないといった表情を見せた。
「その意見、年寄りみたいよ」
「案外的は射ているさ」
「かもね。でもあたしはイヤ。高校卒業したら、絶対に都会行ってやるんだから」
ぼくは煙草の煙を一口吸った。緑色の煙がゆらゆらと空にあがってゆく。雨は、まだ止まない。
「大学か?」
「うん、一応ね。目星もつけてる」
「ふーん」
「真人はどうするんだっけ?」
「前に言っただろ。就職するって」
「あぁ――生花店だっけ?」
「うん。美穂が嫌いと言ったこの街で僕は就職するのさ」
ぼくはすっかり短くなった煙草の火を地面で消して、ふぅ、と息をついた。
「それ、イヤミ?」
「そうじゃないさ。人はそれぞれ違った考えを持っている。自分の意見と合わない人がいるのは当たり前ってこと」
ぼくの言葉に美穂は急に不機嫌そうになり、眉を上げ怒っているような表情を見せた。
「だから私達は続かなかったって言いたいの?」
ぼくはまた、煙草をくわえて火をつけた。チェーン・スモークはやっぱりあまり美味くない。
「僕と美穂が別れたのは、単に僕の努力不足のせいさ」
「努力不足?」
「そう。君を大切にする努力が、不足していたせい」
美穂はそれきり黙り込み、地面をじぃっと見つめていた。ぼくはまだたっぷり残っていた煙草の火を消し、それを携帯灰皿に放り込んだ。
「今の彼女とはうまくいってるの?」
美穂はぼくと目線を合わせないままそう言った。
「今ぼくに彼女と呼べる女の子はいないな」
ぼくがそう答えると、美穂は急にぼくの方へ向き直し、目を開いて驚いた。
「そうなの?」
「まぁね。僕と付き合ってくれるなんて奇特な女の子は、早々見つかるもんじゃない」
ぼくの自虐的な返事に、美穂はまた視線を落とした。
「そうね。真人と付き合えるなんて奇特な人は――」
隣から伸びる美穂の手を感じながら、ぼくは一歩前へ出た。
「雨、やんだみたいだね」
えっ? と返事して、慌てて美穂も飛び出した。
「じゃあ、行くよ。受験頑張れよ」
何かを掴むように伸ばした手を固めたまま、美穂はぼくを見据えていた。
「――今更、だよな」
ぼくは誰に言うでもなくそう一人ごちる。今更、言えない。今更、聞けない。
あれほど土砂降りだった空が嘘みたいに晴れ渡っている。きっと、ぼくの心もこの空のように晴れ渡っているはずだ。
――まぁ、その前まで土砂降りだったという所まで一致してなければよかったのにとは思うけど。