病気という損失と悲劇から人生と家族を守り、健康という生涯の宝を手に入れるためのエッセイ
プロローグ:
数多くの医療施設に恵まれる我が国ではあるが、癌や糖尿病を始めいわゆる慢性病とか生活習慣病とかに類する病気は年々増加の一途である。そこには医療というものの限界があり、同時に患者側の行動に問題もある。
約二十年の歳月の中で仕事柄たくさんの病人にお会いしてきた経験から、病気を治すには何が必要なのか、あるいは何をしても無駄に終わるのかということを折々考えてきた。
私は医師ではない。医師ではないが、私の治療で数多くの体調不良を改善ないし完治と言える段階まで良くなった人がいるのは事実である。
ただし、薬機法の抵触などはご免なので商品名を明かすことはしない。あくまでも考え方と報告事例を述べるに止める。その事実とわけをエッセイという形でまとめていこうと思うようになった。
このエッセイを読み進める方はたぶん途中から医療の限界を知ることになるであろうし、また生涯健康を保つには何が必要であるかを理解するようになると思う。その理解は個人と家族が病気という惨禍から身を守る術に繋がる。つまり、現実的に役に立つ。
私個人の体験を少し述べると、私の兄は四十二歳の時に一歳と二歳の息子二人を残して癌で死んだ。義姉の心労や苦労は今でも気の毒な思いであるが、母は兄が死んだ後にいっぺんに髪の毛が真っ白になったのを覚えている。その母は脳梗塞に倒れて半身不随のまま介護施設で十年過ごして亡くなった。
家族の誰かが病気になればどれだけの損失や悲劇が生まれるかのほんの一例であるが、今でも全国津々浦々で同じような事態が進行しているのが事実である。
こういった経験や思いなどから私は私のやり方の治療と健康法に本気に取り組んできた。その甲斐あって病気にならない考え方、手立てを確立できたと考えている。つまり、万全の予防法である。
感染症でもない限り病気の多くは加齢とともに発生するのが事実である。では、加齢とともに何がどう変わっていきどんな形で病気になるのかを考えなければならないわけだが、病院では歳相応などと言われて帰ってくることになる。
加齢は不可避的に進むものであるが、そこに病気が必ず付随するかと言えばそうでもない。相当な高齢になっても健康なままのマイノリティーは現実に存在するし、本人の何らかの努力や試みで病気を克服する人もいる。加齢は宿命であるが健康と病気は心構えとノウハウ次第でどうにでもなる運命である。
このエッセイの読者は個々の体調不良や病気に対する私の考え方を知ることで、たぶん病気にならないという自信を持つことが可能となる。その自信は私の実際の治療の現場で数多くの人達が抱いた自信である。読み進むことでご自身とご家族の健康な生活を自らの管理で実現維持できるようになって頂きたいものである。
また、このエッセイをお読みになりそれなのに納得をされた方には、是非体調不良を抱えるお知り合いにも拙エッセイの存在をお知らせ願いたい。
http://ncode.syosetu.com/n8689dv/
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