5 ナナと梯子の昔話
結局ハルは、三人組を、王都から追ってきた盗賊だと説明し、捕まえるのにナナに協力してもらったのだと宿屋の主人には説明した。つまり、その説明をするのにミリアがいると面倒なので姿を隠させたのだ。
もう一つ納得いかないといった顔をした主人が出て行かないので、ずっと息を殺すようにしていたミリアは苛々し始め、そばにいたナナは内心とても焦っていた。だが、その場に騎士の制服を身に着けた男が二人、三人組を引き取りにきたことで、さすがに信用して引き下がった。
ハルが礼を言いながら男たちを引き渡し、見送りに階下に移動すると、主人もついて移動した。その隙をついて、ナナとミリアも下の食堂へと降りる。そしてミアは主人が二階に上がっている間に来ていたという顔をして、ナナと共に宿屋を後にした。
「ごめんね」
もうすっかり暗くなった道を歩きながら、ナナはミリアに言った。
と、ミリアは軽く肩をすくめた。
「こういうこともあるかもしれないって、薬の魔女には言われてたわ」
「え」
あまりに予想外の返答に、ナナは思わず足を止めた。
「うちの両親も知ってるわよ」
立ち止まったナナを振り返り、何か考えるような顔つきでしばらく見た後、行くわよ、と歩き出した。仕方なくナナは駆け足で追いかけた。
「薬の魔女が倒れた直後ね、この話を聞いたのは。うちの両親は最初っから知っていたみたいだけど」
「さ、最初から?!」
「私を引き取る時に言われたらしいのよ。自分は――薬の魔女のことね――追われている身で、いつか、自分の血縁と勘違いして襲われるようなことがあるかもしれない。その覚悟はあるか、って」
「……」
「薬の魔女は、目くらましの術で自分が生きている間はほとんど防げるとも言ってたんだって。でも、倒れてから、もう持たないと悟って私に説明しに来たの」
「ミリア、ごめんなさい」
ミリアの様子にナナは再び謝る。どうも怒っている様子で、でもどうして怒っているのかが判らない。
もちろん、何も知らされずに攫われて怖い目にあったら、怒りたくもなるだろうとは思う。だが、ミリアの様子は何かが違うように感じられた。
「私が怒ってるのはね、ナナも同じ立場だっていうのに、ナナが謝ってるってことよ」
ぴたっと足を止めて、背の低いナナを見おろす顔は本当に怒っていた。
「ああ、もう! 今日はナナのところに泊まるからね!」
「え?」
気が付けばパン屋はすぐそこで、入口でミリアの両親が待っていた。
「ただいま! 今日はナナのところに泊まるから!」
適当な挨拶をしてミリアはどんどん中に入っていってしまう。
ナナはドギマギしながら二人の前に立って、頭を下げた。知っているというのなら、今回のことを黙っていないほうが良いだろう。
「あの、すみませんでした」
手短に説明すると
「ナナが謝ることはないわ」
「そうだよ」
と気のいい夫婦は笑う。
「そんな…!」
「ユーリアにはずっと聞いてたわ。ミリアを欲しいと言ったら今はいいけど、いずれ危険な目に合うかもしれないって止められたのよ」
「それでも欲しいと、育てたいと言ったのは私たちなんだよ」
(…お師匠の言っていたことと違う…)
呆然と二人を見上げると、二人はくすりと笑う。
「二人の乳飲み子を抱えて森の外れにユーリアが住みついた時には、町の人たちもどうしたらいいか困ってたんだよ」
「明るくて、気さくで、薬についての知識があって、わりとすぐに町に馴染んだけど、一番の理由は、あなたとミリアがいたからだと思うわ」
言われてそれは簡単に想像ができた。
いきなり森の外れに住みついた若い魔法使いと名乗る女。何者とも知れない怪しい人間を、こんな狭い町の人々が簡単に受け入れられはしなかっただろう。だが、女には二人の乳飲み子がいた。
「見るからに不慣れでねえ」
思い出しながらミリアの母は笑う。
「私には兄弟がたくさんいて、一番下の弟とは十五歳離れているの。子供の頃から赤ん坊の世話は本当にたくさんしてたから、見るに見かねたのよねえ。宿屋のウィル夫婦も、医者のモレムも、町長も、みんな同じ。子育て経験があってもなくても、ユーリアの危なっかしさを見てたら手も口も出したくなっちゃうのよ」
「そうやって、いろいろ手助けをしているうちに仲良くなって。それでも、同じ年頃の乳飲み子を二人も育てるのはとても大変そうだったよ。きけば、二人とも拾ってしまったのだから仕方ないって笑うんだ。これも縁だから育てるってね」
「それでね、わたしたちは子供が欲しかったけどできなくて。ある日ユーリアに言ったの。一人譲ってほしいって」
「まあそれで」
きつい口調でミリアが割り込んだ。
「この先何が起こるか判らないからって、薬の魔女は反対したけど、説得して説得して魔力の無いわたしがこの家に来たってわけ」
手には着替えの入っているだろう鞄を持ち、上着を着て準備万端のミリアが、いってきます、とだけ言い置いて、ナナの手を取って歩き出した。
「気を付けてね」
手を引かれながら振り返りながら頭を下げると、ミリアの両親はにこにこしながら手を振って送り出してくれていた。
「最初はねえ、あのハルって男が悪いヤツだと思ってたのよ」
「え」
町と森を結ぶ道をずんずんと歩くミリアは、振り返りもせず、口調だけはのんびりと話し出した。
ナナの手を握り引っ張るように歩いていたのも、町を出てからは離し、だが振り返りもせず早足なのは変わらない。ミリアよりも背の低いナナは小走りで必死になって付いていっていた。
先頭はルナだ。陽が沈み暗くなりかけの道を、闇に溶け込むように案内している。
「でも昼間に薬の魔女のことを話すところを見て、これは違うなって思ったの。そのあと、ナナがあの男たちを伸したって話を聞いて、父さんと母さんに、その時が来たみたいだって伝えておいたの」
「え、でも、それじゃ…」
今回ミリアが殺されなかったのはただの運だ。あの男たちがナナのことを娘だと思っていたから人質に使っただけで、自分に似ている娘を手放して守ろうとしていると考えたなら、さっさと命を奪っていたはずだ。
「わたしのことは大丈夫。薬の魔女がこれをくれてたから」
ごそごそと胸元からペンダントを取り出して、振り返って見せる。小さな透明な石が、蔦を模した金属に包まれている意匠の、ミリアがずっと身につけているものだ。
「一生ずっとは無理だけど、一回限りなら、絶対に命を守るからって」
「じゃあ」
「今回はびっくりしたけど、恐かったけど、薬の魔女を信じてた。でも、これじゃなくて、ナナが助けてくれたけど」
石を服の中にしまって、それを手で握るようにする。それから顔を上げてナナを見た。
「ずっと考えてたの。薬の魔女は私のことをずっと心配してくれてた。いつもナナも心配だって私や父さんや母さんが言っても、ナナは大丈夫としか言わなかった。でも、ナナが大した魔法を使えないことくらい、みんな知ってる。薬の魔女が、ちょっと嬉しそうに話してたもの」
なかなか衝撃的な話に、ナナは言葉を失う。
自分が大した魔法を使えないことを、みんなが知っていること。
大した魔法が使えないことを、ユーリアが嬉しそうに話していたということ。
「魔法を使えないナナのほうが危険だって、父さんも母さんも言っていた。私もそう思ってた」
でもね、とミリアは言葉を続ける。
「薬の魔女は、その時のために用意しているから大丈夫って言ってた」
そこでようやくミリアは足を止めた。
「ねえナナ。ナナは知ってるの? 薬の魔女が用意してたこと、知ってるの? 本当に大丈夫なの?」
森の入口はすぐそこで、あたりはもう真っ暗で。少し中に入ったところでルナがこちらを見ているけど、多分それがはっきりと判るのはナナくらいで。でも、ミリアが足を止めたのはそれだけが理由じゃないことが判って、ナナは自然と顔を綻ばせた。
駆け寄って、ミリアの手を握り、歩き出す。今度は少しゆっくりめに。ミリアももちろん歩調を合わせてくれた。
「うん、大丈夫。秘密の呪文があるってきいた」
「本当に? 森からいなくなったりしない?」
「うん。わたしもこの町が好きだもん。ミリアのことも、おじさんもおばさんも好き。お師匠もちゃんと判ってたから用意してくれてたんだと思う」
「お父さんもお母さんも、ナナもうちの子になればいいって言ってた。私もそう思う。でも、ナナが魔法使いに誇りを持ってるのも知ってるの」
暗いからよく見えなかったけど、ミリアのその声は、少し泣いているように聞こえた。でも、森の奥の家についた時には、泣いたあとなんてまったく見つけられなかった。
「そういえば! 薬の魔女からはナナは大した魔法は使えないって言ってたけど、今日すごかったじゃない!」
ミリアが突然思い出したようにそんなことを言いだした。
「わ、それ、忘れていいから!」
ナナは思わずそう返す。本当に大した魔法は使えないから、むしろ恥ずかしい。
「え、なんで? いいじゃないの。本当にすごかったもの。最初ナナだけが入ってきた時、大丈夫かなって心配だったんだから」
イヤがるナナを見て、ミリアはさらに言う。完全にからかうつもりの口調に、どう話題を変えようかと四苦八苦するが、家の中に入ってもなかなか止めなかった。
結局二人は残り物のスープと、ミリアが持ってきたパンとで食事をすませ、一つのベッドに入っていつまでも話をした。その日は最終的には何故かユーリアの話で盛り上がったのだった。
夜中、ナナはふと目が覚めた。
隣にはミリアが寝ている。話し疲れて寝入ってからどれくらい経ったのか判らないが、よほど深い眠りだったのか、妙に頭がすっきりとしていた。
ミリアは、ナナも同じ立場だと言ったが、違うということをナナ自身が知っている。ナナは、ユーリアの本当の娘で、王の娘で、狙われる理由がちゃんとある。でも、同じ立場だと言うミアの言葉を否定することはできない。言えばその根拠を問われるが説明することはできないからだ。だからこそ、怒ってくれたことをありがたく思うし、申し訳なくも思う。
そして、助けたいと思う。終わらせたい、と思う。
暗い天井を見ながら、そっと胸元に手を伸ばす。昼間ハルから貰ったユーリアの指輪がそこにあった。指につけるのは躊躇われ、かといってどこかに仕舞いこむのも寂しくて、皮ひもに通して身につけることにしたのだ。
たぶん、これは何かの鍵だ。
ナナはハルから聞いた話を思い出しながら、魔法の波動を探る。
三月ほど前、ユーリアは亡くなった。
その少し前に、ハルはユーリアと会ったという。
ナナがユーリアから秘密の呪文の話をされたのが、さらにその前あたり。
――関係ないわけがない。
そんなこと、ハルから指輪を受け取った時から考えていた。
問題は、秘密の呪文だ。
お母さんと呼べと言われても、ナナからしてみたらいきなりそんなことができるわけがない。もしかして母親なのかなと思ったこともあった。その度に、母親などではなく師匠であると自覚させられるようなことが起きるのだ。その度に、心が折れたのだ。ユーリアにそのつもりがあったかどうかは別として、何度も期待して傷ついた。今さら、簡単に母と認め、呼べるほど、その傷は小さくはないのだ。何が起こるか判らないような、本当に起こるか判らないような問題を解決するためだけに、自ら傷をえぐるようなことはできない。したくない。
……でも今は、呼んでみればよかったと思っていた。母と認めるためではなく、秘密の呪文を聞くために。ミリアが危険にさらされることに比べたら、自分の気持ちなんて大したことじゃないと、本気で言える。
本気で言えるが、別の意味でも、言っておけばよかったと思う。口先だけでも。ユーリアのために。
「……吐かない、か」
「ああ」
ハルの前に立つ男は眉を顰めながら答える。もっと簡単に口を割ると思っていたらしい。
「多分、知らされてない、というほうが正しいんだろうな」
ユーリアを探しに行く、と側近に伝えたら、せめて信頼のおける者を数名連れていけ、と言われて、選んだうちの一人だ。ギルバートという名で、確か公爵家の遠縁の下級の貴族の三男とかいう話だ。
他に二人、侯爵家のやはり遠縁のレイモンド、伯爵家の二男のマクシミリアンがいて、二人はあの三人組を見張っている。
三人とも信頼がおけるのか、と問われれば、ハルはそうだと断言はできない。
家のしがらみや、金や女、家族、人間にはいろんな弱みがある。そこを突かれても、平然と王に忠誠を誓い続けられるほど、人は強くはないだろう。中には、悪意を持ちつつも平然とした顔で付き合う人間もいるだろう。そういった人物を嗅ぎ分けられるかと問われれば、自分にはできない、とハルは答える。
だから、ユーリアのことを知っている者を選んだ。ユーリアが王妃だった頃に、その経緯を知るほどに親しかった者たちで、未だに親交のある者たちだ。お忍びで出かけるには十分な人選だろうと考えた。
ハルは、一応王族の端くれではあったが、王位継承順位としては随分と遠い位置にいた。一応知識としては知っていたものの、自分の元に転がり込んでくるなどとは思ってもいなかったから、暢気に騎士をしていた。もちろん、仕事としては暢気なものではないが、王などとは比べ物にならないくらい気楽なものではある。それが、なんの因果か、転がり込んできて、しかも選択の余地がなかったのだ。
始めは、どんなことがあろうとも逃げるつもりだった。だが、最終的に王位継承権を持つ者が自分一人となった時に、迷ったのだ。謎の死を遂げる者たちを調べながら、権力に固執する者たちの多さと醜さを知り、本当に逃げて良いのか、と。このまま国を見捨てて良いのか、と。
そして、迷ったまま目についた占い館に入りユーリアと出会った。
王位など捨てても良いと思えるほどの一目ぼれだった。迷いなどいっきに吹き飛んだ。だが、要らないと思ったものを彼女は拾わせた。
契約期間は一年。ただの占い師だと思っていた女は『大魔女ユーリア』とあだ名されるほどの魔法使いで、その一年間ハルを守り、ハルを教育した。――おそらく素質はある程度あったのだろう。ハルは一年後にはある程度の基盤を築くことができた。そして、ユーリアは約束通り去っていった。
ハルは、王の座を今さら捨てることはできなくなっていた。だが、ユーリアを探すことも諦められなかった。
十九年、必死にやってきた。もう二度と、自分のような者が現れないように、少しずつ体制も変えていった。その反対勢力の一人が、おそらく今回の件の首謀者の一人だろう。
三月ほど前のことだ。自室で寛いでいた時、ユーリアは現れた。十九年前とほとんど変わらぬ姿で。満月の夜だった。他愛のない話をして去っていき、そしてしばらくしてユーリアに似た気配を察知した、と報告がきた。
都合が良い、と思ったのは仕方ないことなのかもしれない、とハルは思う。
ユーリアの気配を察知したとハルが知れば、必ず出向くことは誰でも判ることだ。
ユーリアに似た気配となれば、反対勢力とすれば焦りもするだろう。
「なんだ?」
ギルバートは不審げにハルを見た。いつの間にかじっと見ていたらしい。
「いや、老けたな、と思ってさ。俺もだけど」
騎士時代からの気安さでそんなことを言ってみる。
「俺もだけど、ってのをつけなかったら、殴ってたな」
「マックとレイは、あんまり変わらないぞ」
三人とも、昔からの付き合いだ。バカなことを山ほどしたし、ケンカもした。……だが。
「マックは若い嫁さん貰って若返ったんだろ。レイは相変わらずの武闘バカだからなあ」
「ギルは、子育てで老けたのか」
「娘が嫁に行ったし、息子も士官学校だからな。肩の荷は下りたとは思うが」
ギルバートは苦笑する。
「そろそろ、お祖父ちゃんだけどな」
ギルバートの娘は半年ほど前に、商家へと嫁いだという話だった。
「老けるわけだ」
二人してひとしきり笑い、ハルはふと真顔になった。
「……何も知らされていない下っ端の下っ端とはいえ、口封じはあるかもしれん」
そこまで言うこともなく、気付いていただろうギルバートは頷いた。
命を守らなければ情報は得られないし、上手くいけば、もっと情報を持っている者が釣れる。
そして。
もしかしたら、それ以上の者が釣れる。
その言葉は、敢えて飲みこんだ。