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4F 抱擁の間

 朝になり、シーツの迷路を最後まで踏破した2人は、扉の向こうに続く階段を登りました。

 上がってきた4Fの扉の上のプレートには、『4F 抱擁の間』と書いてあります。


「何で同衾の後に抱擁なんだよ! 身体から始まる関係かよ!」


 ジャックは少し頬を赤らめながらツッコミました。


 ええ、もちろん始まりは告白なので、身体から始まる関係ではありません。

 しかし、時に大人の関係は、順番が前後したりするものなのです。そんなマニュアル通りには進まないのです。だから身体から始まる関係も、地の文はそれはそれでアリだと思います。むしろそういうのこそおいし……いえ、大事なのは順序ではなく心です、とかキレイにまとめたい気持ちです。


「……抱擁?」


 ジャックと手を繋いだままのマリーが、少しためらう様子を見せました。


 2人とも、ここまでの道のりで既に分かってます。

 この塔の部屋の名前は、部屋の中で指定するテーマをクリアしろ、ということなのです。俗に言うお題です。


「ま、マリーは……俺と抱擁は、イヤ?」


 いや? とか聞きながらも、繋いだ手には力がこもります。

 仕方ありません。身体は正直なのです。

 ジャックの言葉を聞いて、マリーはびっくりした顔でジャックを見上げました。


「いや、わたしじゃなくて……君こそ、イヤじゃないのか?」


 昨晩のやり取りで、まあ大体ジャックも事情を理解しただろう、と思ったのです。事情を理解したからには、嫌がられることもあるだろう、と。


 しかし、ジャックに限ってそんなことがある訳がないのでした。嫌がるかどうか以前に、まだなーんにも分かってないのですから。

 王さまのお話は王さまのお話、マリーの可愛さはマリーの可愛さとして、別々に受け取っているのでした。


 いえ、ジャックだってうっすら気付いたことはありましたよ。

 マリーは王子さまのことを王さまに認めさせる為に塔に来たんだな、優しい子だな、みたいな感じで。

 そこんとこは間違いじゃないのですが、マリーと王子さまの関係については、さっぱり思い浮かばなかったのでした。


「マリーと抱擁するのが、嫌な訳ないよ!」

「……なら良いけど」


 ジャックが慌てて答えたところで、マリーが頬を赤らめながら目を逸しました。

 どうやら、昨晩優しい言葉をかけてもらって、ほだされてしまったようです。

 なんとまあ、可哀想に。魔女にさらわれてから5年間も女の子として生きてきましたので、いつの間にか女の子の気持ちの方が分かるようになってしまったのかもしれません。


「じゃ、じゃじゃじゃあ、気持ちが固まったところで……入ろうか!」

「……うん」


 元気よく扉を開けたジャックは、マリーの手を引きながら、室内へと足を踏み入れました。

 部屋は円形、向こう側に扉が見えます。1Fと同じで、どうやら扉までの障害物はない様子。ただ、左右中央の壁に何やら発射台のようなものがついていて、部屋の中央へと真っ直ぐにレールが引かれていました。

 ちなみに何故これが発射台だと思うかと言うと、この世界には発射台があるからです。特に物語に関わってくる設定でもないのですが、そうとでも説明しないと、ジャックにあれが発射台だと理解できた理由が分かりませんので。この世界には発射台があります。この無茶苦茶な設定に、地の文は頭をくらくらさせながら、この先の2人の様子を見守るのでした。

 さあ、地の文の悩みとは無関係に、しかし嫌な予感を覚えながら、ジャックはまず奥の扉へと進みます。


「……開かない」


 扉の取っ手に手をかけたマリーがそう呟くのを見て、ジャックは部屋の中央へと戻りました。

 中央から左右の壁を見れば、やっぱりそこにあるのは発射台のように見えます。


「……つまり、こういうことだと思うんだ、俺」

「うん」

「俺がこっち、マリーがあっちに乗るだろ」

「うん」

「そうすると、同時に両側から発射台が動き出して、この真ん中のところでがちゃーんと」

「がちゃーんと」

「抱擁」

「ぶつかってるように思うが」


 マリーの指摘は正しい気がしましたが、他に選択肢がある訳でもないので、ジャックは答えませんでした。

 もう一度、「どうしよう?」という思いを込め、黙ってマリーを見つめます。

 ちょっと困った顔をしているマリーが予想以上に可愛かったので、何だかジャックの悩みは吹き飛びました。少々ぶつかろうが、相手がマリーならそんなに痛いものでもありませんし。優しく抱きとめてあげれば良いだけなのですから。

 マリーは少し考えた後、こくり、と頷きました。


「……やろう」


 その言葉をきっかけに、2人はそれぞれ左右に別れ、発射台へと向かいます。

 2人はジャックの「せーの」の掛け声で発射台に乗りました。

 向かい合ったお互いの目を見つめたのも一瞬だけ。その直後には発射台が動き出し、レールにそって2人を部屋の中央へと運び始めました。

 最初はそこまででもなかったのですが……途中からものすごいスピードが出始めて、マリーは悲鳴を上げました。


「きゃー!」

「ま、マリー!」


 マリーの悲鳴があんまり可愛かったので、ジャックは恐怖も忘れて名前を呼びます。

 そんなジャックに向け、マリーは顔を上げ――ものすごいスピードでジャックが迫ってきている恐怖に耐えきれず、自ら発射台から飛び降りました。


「うわっ無理っ! 怖い!」

「マリー!?」


 慌ててジャックもマリーの後を追い、クッションになろうと発射台から足を離します。

 そのまま床にぶつかることを覚悟していたのですが、そうはならず――突然、4Fの床が全て掻き消えました。


「――っきゃー!?」

「マリー! 落ち着いて!」


 自由落下の途中に落ち着ける人は、そうそういないと思います。

 結局まっすぐに1つ下の3Fまで落っこちた2人は、3Fのふかふかクッションに受け止められ、何とか息をついたのでした。

 ここは褒めても良いだろうと地の文が思うのは、この混乱の中、なんとジャックは当初の目標どおりに落下途中でマリーの身体を庇い、ぎゅっと抱きしめて自分が下になるように落っこちたということです。

 たとえその動力源が下心であったとしても、身を呈してマリーを守ろうという心がけと、それを実現させてしまう胆力は、素晴らしいものであると言えましょう。


 落ちた後も、マリーはしばらく身体を震えさせ、ジャックにしがみついたままでした。

 ジャックは辺りを見回して、それがちょうど今朝まで眠っていた「O」の真ん中辺りの空白だと気付きます。そうして、マリーを落ち着かせようと、黙ってその髪を撫でました。しかし、撫でていると、ビロードに触れたようなその感触が気持ちよく、途中からは何だかもう触りたくて仕方なく、必要以上に何度も何度も撫でてしまいました。

 しかし、マリーにとってそれはそれで良かったようです。少しずつ落ち着いたマリーは、そっと息を吐き、身体の力を抜きました。


「……魔女に拐われたとき」

「ん?」

「魔女はすごいスピードで空を飛んだんだ。それ以来、速い乗り物と高いところは苦手で……だから、馬にも乗れなくて、戻ってくるのに5年も時間がかかってしまった」


 なんとも安易なトラウマ設定ですが、ジャックはそんなことはツッコミません。

 「王子さまと一緒にマリーも拐われたのかな」とか考えつつ、ぎゅっとマリーを抱きしめました。


「じゃあ、諦めて帰るかい?」

「……いや」

「分かった。それなら、もう1回やろう。だけど、マリーは目を閉じていて良いよ。俺が絶対にマリーが怪我しないように、反対側で受け止めてあげるから」


 ジャックの言葉に、マリーは、ただ黙って頷きました。


 こうして、2度目の発射台に2人は挑戦し、今度こそ『4F チキンレースの間』をクリアしました。

 発射台は、2人が部屋の中央でぶつかる数歩前で速度を落とすように作られており、お互いを最後まで信じる心がありさえすれば、ただ部屋の真ん中でそっと抱擁をかわせるようになっていたのです。

 ちなみに、部屋の名前が変わってしまったのは、3Fから戻ってきたジャックが、4F入り口のプレートを、蛍光ペンで上書きしてしまったからだったりします。

 地の文も本当はそっちの名前の方が良いのではないだろうか、なんて思っているので、あえてこの問題を声高に取り上げ、不必要に騒ぐことは止めておこうと思います。

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