2F 手を繋いで歩こうの間
2人の予想通り、扉をくぐるとすぐに階段がありました。
階段を2階まで上がりきると、また新たな部屋への入り口が見えてきます。
扉の上にかかっていたのは、今度は『2F 手を繋いで歩こうの間』のプレートでした。
「……微妙に語呂が悪いな」
「『〜の間』って言い方に無理があるような気がするよ、俺」
無理があるのはこの2Fだけで、後はだいたいキレイになってるので大丈夫です。
そんな地の文の言い訳とは無関係に、2人は扉を開きました。
1Fの反省で、マリーに置いて行かれないようすぐに足を踏み入れ、まっすぐ進みかけたジャックの背中を、マリーはシャツを引いて止めました。
「――ストップ」
「へ?」
微妙にバランスを崩しながら下を見ると――足が宙を掻いてました。
「うわわわっ」
「この先は床がない……のか?」
慌てて踏み出した足を戻すジャックの隣で、しゃがみ込んだマリーは手をひらひらさせて床を確かめています。
ジャックもそれに倣ってしゃがみ、下を覗きました。
つい先程、上がってきたばかりの1Fの赤い絨毯が完全に見えています。
1Fでは上を見上げたりしなかったので――いや、見回した時にずいぶん天井が高いな、くらいは思っていたのかもしれませんが、まさか2Fの床が抜けているなんて思わなかったのです。
「あ、マリー! あれ見て」
「マリーと呼ぶな」
文句を言いながらも、マリーはジャックの指差す方に視線を向けます。
部屋の反対側の壁に扉がありました。
そして、その扉までの道として、こちら側からあちら側まで続く平行に並んだ2本の平均台がありました。
地の文でそういうこと書くからには、この世界には平均台があるのかとか、あるとすればどこで使われてたのか、小学校とかあるというのか、あるならジャックは通っていたのか、通っていたとしたら――など考え始めると疑問はいくらでも出てきますが、それはそれとして平均台がありました。
平均台の幅はジャックの肩幅の半分くらい。2つの平均台の間はちょうどジャックの一歩分くらいでしょうか。
平均台に挟まれるように、こちら側の中央にジャックの拳くらいの大きさの水晶玉が乗った台座がありました。
「これを渡れってことなのか」
「あ、マリー、水晶玉の中に何か書いてあるよ」
「マリーって呼ぶな」
マリーも譲りません。
ですが、ジャックはもっと譲りません。
「えーと、何なに……『この水晶玉に、手を乗せよ』だって、マリー」
「マリーって呼ぶな」
「でもさ、俺がこっちの道を渡って、マリーがそっちの道を渡って、両側から2人で水晶玉に手を乗せたら……はっ!?」
ジャックの心に、稲妻が走りました。
何もかもが分かったのです。
並んだ平均台。間の水晶玉。
何と言っても、この部屋は『2F 手を繋いで歩こうの間』です。
手を繋いで歩くしかありません。少なくともジャックはそう思いました。
「……あっ、ま、マリー……」
「マリーって呼ぶな」
「あのさ、じゃあ……一緒に、向こうまで行く?」
「じゃあって何だ」
「向こうまで一緒に行こう」
「聞いてるか?」
聞いていません。
そそくさと平均台の片方に足をかけて、ジャックはマリーを手招きしました。
「ね、マリーはそっち」
ジャックが人の話を全く聞いていないことに気付いたようです。
マリーは呆れた様子で首を振り、黙ってジャックの隣の平均台に乗りました。
マリーの小さな手が静かに水晶玉を覆います。
ごくりと喉を鳴らしたジャックは、その柔らかい――ここまでの道行きの間に触れて、柔らかく暖かいことを知ってしまったマリーの手の上に、自分の手を重ねました。
しばらくして、水晶玉がゆっくりと光り、少しずつ前方へと動き始めました。
ジャックとマリーは、2人の間にある水晶玉を重ねた手のひらでぎゅっと掴んだまま、追いかけるように平均台の上を歩いていきます。
光る水晶玉を間に置いて、宙を歩く2人は、まるでおとぎ話に出てくる魔法使いのようです。
少なくとも、ジャックはそう思いました。
年も同じ頃の少年少女がこうして手を繋いで歩くなんて、もしも外から誰かが見ていたとしたら、恋人のように見えるに違いありません。
少なくとも、ジャックはそう思いました。
「……ね、ねぇ、マリー」
「マリーって呼ぶな」
「俺達さ……」
「人の話を聞け」
「何か、付き合ってるみたいじゃない?」
「――!?」
ジャックの言葉を聞いて、マリーが突然足を止めました。
足を止めた途端に、前を行く水晶玉に引かれてバランスを崩しました。
ぐらりと傾いた身体を立て直そうと、大きく揺れながら前に後ろに身体をしならせます。
「あっ……!」
最終的に、水晶玉から手を離せなくて、斜め前に引かれたマリーの身体がジャックの方へと倒れ込んできました。役得です。
細い身体を抱きとめると、ほんわりとマリーの花のような良い匂いがしました。役得です。
さすがのジャックも2人分の身体を支えきれず、平均台の上から落っこちそうになります。そこをぐいっと力で引き返して、何とか背中を打ってワンバウンドした後、平均台を右脇で挟み込みました。
左腕でぎゅっと抱いたマリーの身体を落としてはいけないと、両足でさらにぐいぐい締め付けます。完全に役得です。
「ジャック……!」
「ま、マリー……大丈夫?」
「だ、大丈夫だけど……あの、とりあえず離し、て……」
ジャックの腕の中でぼそぼそと呟くマリーは、何だか今までの数倍可愛らしく思えました。
胸を高鳴らせながら、ジャックはきりりと眉を吊り上げて答えます。
「嫌だ、絶対に離さない! マリーを――君を離したりするもんか!」
「マリーって呼ぶな」
「ぐぇ」
突然、脇腹に打撃をくらって、ジャックは思わず左腕を緩めてしまいました。
たった今、かっこつけて言ったばかりのことですが、全然守れていません。
ジャックの腕の中をすぽんと抜けたマリーは、そのまま1Fにキレイに着地し、ふう、と息をつきました。
そうです。平均台から1Fの床までは2mくらいしかないので、落ち着いて降りれば怪我もせず降りられるのです。長さの単位「m」とか言っちゃうのか、という話なのですが、この世界では言っちゃいます。少なくとも地の文は多少の罪悪感と苦悩を覚えつつ、それでも言っちゃいます。
マリーがうまく着地したのを見て、ジャックも渋々脇を緩めて1Fに降りました。
もうちょっと抱きしめていたかったとは、まさかマリーには言えません。
マリーの隣に華麗に着地した――つもりで、ちょっとコケて膝を突いたジャックを、マリーは黙って見下ろします。
無表情と沈黙が、怒りをあらわにしているような気がして、ジャックはとりあえず笑って見せました。困った時は笑ってごまかせ、というのがジャックの処世術です。ただし、あんまりうまくいっていませんが。
微笑みかけたジャックの顔をじっと見下ろすマリーに、何かを言わねばならないと――主に匂いを嗅いだりぎゅっとしたりしたことを謝らねばならないと思って、ジャックは凍りついた微笑みのまま、声をかけました。
「あ、あの……マリー……さん?」
「……マリーって呼ぶな」
ふい、と視線を逸らされたので、おお今度こそ怒られる、とジャックは首を竦めます。
両目をぎゅっと閉じて断罪を待っていたジャックに――しかし、かけられたのは、別の言葉でした。
「……ジャック。扉が開かない」
少しばかり困ったようなマリーの声に、ジャックは慌てて駆け寄ります。
2人が1Fに落ちたときには、1Fの扉は、また最初と同じように閉まってしまっていたのです。
「……え、これもしかして、もっかいたぬきの呪文言うの?」
「仕方ないな」
ため息をついたマリーが、再び床の足形に自分の足を合わせるのを見て、ジャックもまた嬉々としてその正面へと立ったのでした。