1F 告白の間
「な、なぁ……やっぱ止めといた方が良いよ」
ざくざくと雪を踏みながら、森を歩きます。
道案内をしながら、口では止めようとするジャックのどっちつかずな態度に、女の子は呆れたように首を振りました。
「怖いなら、君は帰れば良い」
「いや、帰らないけど。怖いとかじゃないし。ただ、子どもにはまだ早いって大人に止められてるんだ」
と、言いながら、自分でも何だか怖がってるみたいな気がする、なんて思ってしまったので、女の子にはその辺りの空気がテキメンに伝わってしまいました。
「ジャックとか言ったな」
「ジャックで良いよ」
「最初からそう呼んでる」
「あ、そっか……」
そこはお約束で、「ジャックさん」が「ジャック」になるまで恥ずかしそうな顔をしてもらったりして、いちゃいちゃしたいところですが、女の子にはそんな甘い空気は通じませんでした。
しかし、ジャックはそんなことでは挫けません。
止めるエドを振り切って、ここまで道案内の名目で女の子と一緒に歩いてきたのです。必死に女の子に食いつきます。
「ねえ、じゃあさ、君の名前は? 俺の名前教えたんだから、君のも教えてよ」
「……マリユーグだ」
勝手に引き換えみたいな形にしましたが、女の子は、ついに根負けして名前を教えてくれました。
マリユーグ、マリユーグ、とジャックは心の中で繰り返します。
良い名前――に聞こえます。名前の良し悪しなど知りませんが、可愛い名前のような気がします。
「マリユーグ――じゃあ、マリーって呼ぶね」
「呼ぶな」
「マリー、本当に帰らないの? 今ならまだ怒られないよ」
「呼ぶな!」
大人より先にマリーが怒ってますが、空気読まない派のジャックには、知ったこっちゃありませんでした。
そんなことを言っている内に、雪を被った常緑樹の向こうに、塔の影が見えてきます。
季節廻る塔――通称、恋人たちの塔です。
「……あれか」
ぎゅっとマリーが拳を握ったのが見えて、ジャックは思わずその手を取りました。
即座に振り払われましたが、寒い冬の風の中、ほんのりと温かく柔らかい感触はとてもとても良いものでした。
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「これが入り口……」
塔の入り口は、大きな門でした。
ジャックがここまで来た感慨を込めて見上げている内に、マリーはさっさと扉を押して中へと入ります。
「あ、ちょっと待ってよ」
「早くしろ」
「ほら、『着いたー!』とかさ、そういうの――」
「早くしろ」
分かってはいましたが、マリーは情緒面でジャックとはうまくいかなそうな感じです。
しかしもちろん、ジャックは自分の方が合わせる気まんまんですので、さしたる問題ではありませんでした。
入り口の門を潜ると、その先にまた扉がありました。
扉の上に、銀色のプレートがかかっています。
「――『1F 告白の間』……何、これ?」
「近くに住んでる君が知らないものを、わたしが知る訳がない」
マリーがまたもやジャックを置いて扉を開けようとしたので、ジャックは良いところを見せようと気合を入れて扉を押しました。
特にありがたいとも思わなかったマリーが、その腕の下をくぐってするりと室内に入っていきました。
無視されたような状況ではありますが、マリーの黒い髪から花のような良い香りがふわりと漂って、ジャックは少し良い気分になりました。
女の子という生き物はいつだってとても良い匂いがするので、正直少々冷たくされたって、全然気にならないのです。匂いを嗅がせてくれればそれで良いです。
そんなジャックの思考とは無関係に、マリーはずんずん奥へと進んでいきます。
室内は丸く、塔の大きさいっぱいに部屋は広がっているようです。
石を積み上げた壁と床以外に、目に当たるものは多くはありません。
床に敷かれた分厚いカーペット、そして、部屋の反対側にある扉。
ふと、ジャックは扉に注意を向けます。
入ってきた扉とは逆方向ですから、あれが出口なのでしょうか。
「この塔は5階建てなんだよ」
マリーの気を引くために、早足で近寄りながら声をかけました。
ジャックの声――というよりは、珍しく役立ちそうな情報の含まれた言葉を聞いて、さすがにマリーも振り向きます。
「5階建てだって?」
「そう、入り口のとこ1Fって書いてあっただろ。どっかに上に登る階段があるんだ」
少なくとも、見回した室内にはありません。
奥の扉を開けた向こうにあるのでしょうか。
同じことを考えたようで、マリーは更に足を速め、突き当りまで真っ直ぐに進みました。
さっさと扉を開けようとしましたが、今度はマリーが押してもびくともしません。
「あ、俺! 俺、俺がやります! このジャックが! はいはいはいはい、立候補――」
「早くしろ」
延々と続くジャックの言葉を一言でぶった切ったマリーは、押し付けるようにジャックの身体を扉に向かわせました。
か弱い女の子には出来ないところを見せてやるぜ、さあ来い、俺のフォース!
などと脳内で叫びつつ、両腕に力を込めました。
――が、扉は全く動く様子を見せません。
ジャックはもう腕どころか腹からケツまで力を込めすぎて、何やらよろしくないものが上下から出そうな気にさえなってきましたが、扉はぴくりともしませんでした。
「ジャック、もう良い」
「ま、待って……まだ――おぅりゃああああっ!」
「うるさい、もう良いから」
「ま、まだイケ――」
「もう良い」
マリーに引っ張られて、ようやく扉から離れたジャックを、呆れた様子の黒い瞳が見ています。
「ちょっと落ち着いて。こっちを見て」
「?」
マリーの指差す方を見ると、そこには小さな張り紙がありました。
「……何、これ」
「張り紙だな」
「たぬきの呪文……?」
何が言いたいかというと、この世界はなぜ日本語を使っているのかとか、それならジャックやマリーなんてハイカラな名前はどっからきたのかとか、ファンタジーってそういうものなのかこれで良いのかとか、そもそもこの呪文途中たぬきって入っちゃってるからこれた抜きで読んでも意味通らないバグじゃんとか、他にもジャックにはツッコミたいことが山ほどあったのですが、マリーの方はここまでに見せた落ち着きのまま、特に何をツッコむでもなく足元を指しました。
「そこに、足形がある」
言われて見れば、確かに扉の前の床に、両足を揃えた足跡のような溝が2つ、ちょうど向かい合うように窪んでいます。
恋人たちの塔。
子どもにはまだ早い。
そして、たぬきの呪文に、向かい合う姿勢。
ここまでお膳立てされれば、さすがにジャックもピンときます。
「――つまり、ここで俺達は本当の恋人に!」
「恋人になるかどうかは特に関係なく、この足形に足を合わせて呪文を唱えてみろ、ということかな」
あっさりと言ったマリーが、何の躊躇もなく2つの足形の片方に両足を乗せました。
ちょっと寂しいものを感じつつも、役得であることは変わらないので、ジャックも素直にその正面の足形に靴を合わせます。
向かい合って見詰めると、マリーの黒い睫毛がずいぶん長くて、ジャックはどきりとしました。
手を伸ばせば抱きしめられる距離。
女の子がこんな近くにいて、しかもその相手は素晴らしい美少女で、真っ直ぐに自分を見つめてくれていると思うと、胸の高鳴りはもう押さえきれませんでした。
当然ながら冬の女王云々などどうでも良く、ここにマリーと2人で来たことを、運命の神に感謝しました。
目の前で、濡れたように輝く唇が開き、そっとジャックを誘います。
「良いか? いくぞ。せーの――」
タイミング合わせのための一瞬の沈黙の後に、2人は声を合わせてお互いに向けて告げました。
「――好きです!」
「――スキヌキデス」
ちょっと待って、それバグの方の呪文だから! ――と、ジャックが口に出す前に、がたりと扉が鳴り、ゆっくりと奥へ向けて開き始めます。
「……あ、あれ!? ちょ、これじゃ告白じゃなくて本当にただの呪文――あ、バグに仕様合わせたってこと? 無茶じゃね? 部屋の名前の意味なくね!?」
頭を抱えるジャックを置いて、マリーは開いた扉をするりとくぐり、さっさと先へと進んでいきました。