I Shall Return
I Shall Return.
の言葉をもとに、マッカーサーは、レイテ島に進攻しようとしていた。
その前哨戦として、台湾沖航空戦が、昭和19年10月12~16日に行われたが、400機以上の航空機の損害を出したことにも関わらず、未確認の戦果報告により、敵機動部隊が壊滅したことになっていた。
一隻の撃沈もないのに、空母11隻戦艦2、撃破空母8 戦艦2などという、奇跡のような戦果を大本営は流した。
新谷は素直に、台湾航空隊の戦果に歓喜したが、竹部は浮かない顔をしていた。
開戦当初当初なら、いざ知らず、現在の搭乗員の腕で、魚雷や爆弾を命中させることは、不可能だと分かっていたのだ。竹部には、新谷を見ていれば、現在の搭乗員の技量くらいは推察できた。
実際の技量評価のD(最低)が4割以上示していたことがのちの資料で示されている。
その前にも、マリアナ沖海戦で、Great Marianas Turkey Shoot(マリアナの七面鳥撃ち)と揶揄されるほどに搭乗員の技量は低下していたのである。
そのような状況での大戦果なと、信じられるわけがなかった。
頑丈なF6Fをすり抜けての攻撃など、鈍足の陸攻や時代遅れの97式ができるわけがないと、竹部は確信していた。また、仮にF6Fの追尾を逃れたとしても、竹部がガダルカナルの戦闘て゛思い知った、近接信管の高射砲の威力はいままで高速で回避できた、時限式信管の弾頭の比ではなかった。とにかく近くで砲弾が炸裂するのだ
この砲弾の中を水平での雷撃や、高高度からの爆撃は無理だ。
そんなことが、可能なら特攻なんて作戦が立案されるわけがない。
しかし、この戦果に踊らされた、陸軍は鉄壁のルソン島防衛線を崩して敵のレイテ上陸を阻止する作戦に出てしまう。壊滅させたはずの、航空機動部隊に、艦船ごと沈められることになる。
このころ、ルソン島には、捷一号作戦により、陸海空軍の航空機が集結させており、連日、壊滅したと思われていた、機動部隊の航空機との戦闘になった。
台湾沖空戦の戦果が誰の目に見ても幻だと分かっていた。
陸軍は、補給艦艇を攻撃して、海軍は空母を攻撃となり、これが神風特別攻撃隊を生んだ。
新谷と竹部は連日、マニラ湾の東にいる敵機動部隊への攻撃に参加していた。
F6F群れと闘いながら、足の遅い艦爆が撃墜されていくのをなすすべもなく見ていた。
敵の数が多すぎる。
F6Fの頑丈さに、あきれてしまう。
7.7mmを機体に打ち込んでも落ちやしない。
コックピットは防弾が施されていて、撃たれるとダイブして離脱を繰り返す。
4丁の12.7mmが容赦なく、曳光弾と徹甲弾を飛ばしてくる。
敵は必要に、翼の付け根の燃料タンクを狙ってくる。
一発でも当たれば、こっちは終わりだと、新谷は旋回のGに耐えながら戦った。
不思議と、竹部がいれば落とされない安心があった.
竹部も、新谷も撃墜を目的ではなく、敵のかく乱を主目的としていた.
そうすれば、陣形が乱れてフレンドリーファイアーを恐れる敵は、ダイブして戦域より離脱していく。
高高度の戦闘は、零戦には分が悪いが低高度なら零戦に分がある。
しかし、眼下に敵艦船の場合は、いつの間にか高射砲のレンジに誘い込まれていることがあった。
その時には、いそいで離脱した。
その日の戦闘を生き残るのが精いっぱいだった。
レイテ湾突入のために、必死の攻撃をしていたが、レイテ湾目前で機動艦隊は引き返してしまう。
ママバラカットからは、機動部隊への特攻作戦は続いていた。
あまりにも、戦果が良すぎたのだ。
1機17万円の零戦で、一隻数千万の艦船がスクラップになるのだ。それが艦載機を積んだ空母ならなおさらだ。艦船を動かす油代など比べ物にもならない。
攻撃の直援に出て、やっと基地に戻ってきた新谷だったが、左腕に銃弾がかすり負傷していた。
後で降りてきた、竹部が駆けつけた。
「竹部飛行兵曹長、面目ない。かすってしまったよ。」
と笑って見せたが、止血のためのマフラーは血に染まっていた。
「衛生兵」
と竹部はどなった。
すぐに、衛生兵がとんできて、新谷を見た。
ホッとしたのか、新谷は貧血を起こして地面に座り込んだ。
「新谷少尉、しっかり」
と竹部は、新谷を抱き起して、医務室へ連れて行った。
軍医が、すぐに縫合にかかったか、かすったとはいえ12.7mm機銃の弾だ。上腕の肉がえぐれていた。
処置をして、しばらくは加療ということなった。
新谷は、見舞いに来た竹部になんども頭をさげた。
「いいんですよ、すこしは休んだらいい。」
といって、近くに座ると小声て
「レイテ突入は失敗だそうです.突入の連絡はなかったそうです」
「小沢艦隊の空母部隊は」
「全滅です、武蔵もやられたらしいです」
「武蔵も、あの不沈艦がですか」
「統制がしかれているので、定かではないですが」
「しばらくは、目だった作戦はないとおもいますが、どうもきな臭いです」
「特別攻撃隊です」
「まだやるんですか」
「大西中将はやる気ですよ」
「レイテ突入のため特別攻撃ではなかったのですか」
竹部は、黙り込んた。
新谷は、志願したときから、死は覚悟していたが、必ず死ぬという作戦に疑問を覚えていた。
「もう、これしかないのでしょう。時代遅れの零戦の使い方は」
と竹部は、とおくを見て言った。
「とにかく、体を休めてください。それからです。」
竹部の言葉に、目を閉じた。
昭和19年10月段階では、航空燃料から言えば、あと半年ほどしか備蓄がなかった。
米軍の通商破壊により、南方の油田地域から還送できなかったからだ。
軍上層部はこの事実は理解していた。
だからこそ、比島で反攻して、講和に持ち込もうとしたのだ。
特別攻撃隊もこの材料とされてしまう。
大西中将は、ポツダム宣言に対して、"2000万の特攻をすればアメリカも和平交渉に応じてくる"と徹底抗戦を叫んだという。
マバラカットで始まった特攻という作戦は、このあとの日本の主な作戦となり、敵艦船への攻撃が続けられた。




