Comb of the tortoiseshell(べっ甲の櫛)
Evelynは、孝二をマカティのブテックに連れていき、頭のてっぺんからつま先までの、服、靴、髪に至るたるすべてを揃えた。
ストレスを発散するかのように、買いまくっていた。
孝二は、されるがままになっていた。
それで、Evelynが元気になるのならと思っているようだった。
一息つくために、カフェに入った。
肌寒いくらいに冷房が効いていた。
「来る前に、連絡くらいくれたっていいいじゃない」
とEvelynはむくれて言った。
「いや、とくに予定はなかったんだけれども、まとまった休暇がとれたんで、いってみようかと思って、香港経由で来てみた。」
「え、香港経由で、キャセイに乗ったの、トランジット長かったでしょう」
「うん、6時間くらいかな、だからいっぺん出て、返還後の香港見てみた。」
軽く言ってのける孝二を見て、Evelynは嘘だと思った。
情けないメールを打ってから、数日で来るなんて・・・
「孝二、だいぶ英語うまくなったよね。Charlotteさんに習っているの」
「うん、随分とダメな生徒だけれども、頑張って勉強したよ、だからEvelynとも、こうして喋れるよ」
Evelynは、心から嬉しかった。
友達がいないわけではないけれども、どこかしら、みんな家柄で人を判断しているとこがあって、気がおけないのこともあった。じっさい、Jerichoの噂を、耳に入れてくるのはEvelynの友達たちだ。
「Charlotteさんは、元気なの」
「元気だよ、発音が悪いっていつも怒られる」
「しかたないよ、ネイティブじゃないんだし」
Tシャツ、草履から、身きれいなカジュアルな服装になった孝二に、Evelynはすこしときめいていた。
「孝二、仕事はうまくいっいるの」
「ああ、総合職だからなんでもしなくちゃいけないけれども、そこそこ楽しめている。」
「いいなあ、私はママのオフィスで、秘書みたいな仕事だから、ときどきつまんなくなる」
「しかたないさ、社長の娘だから、みんな気を遣うのさ」
アイスコーヒーを飲みながら、Evelynは溜息をついた.
「どっかの、ことわざで、溜息をつくと幸せが逃げていくっていうだろ、どうした?」
と孝二が尋ねると、ロンググラスの氷をストローでかき混ぜながら、Evelyn は
「マリッジブルーなの」
と言った。
孝二は、答えに困っているようだった。
「うよそ、心配した」
「ちょっとね、でもEvelynの顔見たら、元気そうで何よりだよ」
すこし、戸惑いながら孝二は言葉を選んでいるようだった。
Evelynの携帯が、なった。
「ごめんなさい、ちょっと席を外すわ」
といって、カフェのドアを開けて、外のオープンスペースに出ていった。
電話は、Jerichoからだった。
昨日からの、続きで、言い訳を並べていた。
「Eve、だから、あれは誤解だっていってるだろう。パーティで一緒になったから社交程度に、食事に誘っただけだよ。」
「そう、別に気にしていないわ。婚約はしてるけれど、まだあなたの奥さんではないから。でも、そろそろお遊びはやめた方がいいわよ。私の友人からのうわさがすごいから。」
「なんども言ってるだろ、あの子はまだ、20歳だから、子供だから、勘違いしているだけだよ」
「あら、私があなたと婚約したのも、20歳のころよ」
「君と彼女とは、違うよ。」
「もういいわ、今 日本から大学の時の友達が来ているから、切るわね」
「友人て、男か」
「ご想像に任せるわ、じゃあね」
といって、一方的に電話を切った。
気分を切り替えて、心配そうな孝二に向かって、
「ごめんね、ちょっと仕事の話で」
と嘘をいってしまった。
「いいよ、こっちはバックパッカーの旅だから、時間はあるよ」
「どれくらい、ここに滞在するの」
「4~5日くらいかな」
「どこか、見に行きたいところは」
孝二は、すこし考えてから
「Mabalacat」
Evelynは顔が強張るのを覚えた。
そこは、祖母と母が過ごした街で、竹部と祖母が出会った場所だった。
祖母の手紙の内容が、再びEvelyn の心をかき乱した。
「新谷さんの話を聞いた後、すこし調べてみた、これでもメディ界の人間だからね。竹部っていう人は
新谷さんが言ったように、未帰還に付き戦死扱いだった。アメリカの公文書でも調べてみたけれども、あの日、撃墜された機は、4機で、突入した機は3機だったことが分かった。日本側の記録では、特攻機が5機に直援が3機だった。竹部さんの機は直援つまり護衛機だったので、特攻はしていないと思う。だから、不時着とかしたんじゃないかと思うんだ。」
「竹部さんは、生きていたかもしれないってこと」
「それは、わからない。でも、新谷さんを育てた人が簡単に撃墜されるはずがないと思うんだ。勘だけれども、なにか手がかりがないかと思って、行ってみたいいんだ」
Evelynは、孝二が竹部のことについて、調べてくれていたことに感謝した。日本で新谷さんに逢えて竹部さんのことを知ったけれども、すべてを知った訳じゃなかった。
どこか、胸の奥でわだかまっていた。
「私もいっていい」
「そうしてくれるとと、助かるよ。俺一人じゃ何もできないから、ありがとう」
孝二は照れたように笑った。Evelynは、しばらく孝二と一緒にいられることを素直に喜んでいた。
Evelyn は、孝二を夕食に招きたかったが、両親にも何も話もしていないので、孝二を滞在先のパサイのホテルまで送っていくことにした。
ホテル名前を聞いて、ある程度名前の通ったホテルだったので、Evelyn はすこし安心した。
「孝二、夜は絶対に出歩かないように、いい」
と、ホテル前で念を押した。
「はいはい、わかりました。別に変な目的で来たわけじゃないから、大丈夫です。」
孝二は、笑いながら言った。
Evelynが、自宅に戻ると、ガレージのお客さん用の駐車場に、ホンダのアコードが止まっていた。
エントランスのドアの横には、リガイアが立っていた。
「Jerichoさまか゜、お待ちです。」
「分かったわ」
Evelynはバスルームで顔を洗ってから、メイクを直してリビングに向かった。
リビングのソファーに、Jerichoが座っていた.
「Eve、どこに行っていたの」
と猫なで声で聞いてきた。
Evelynは、すこしうんざりして
「さっき、言ったでしょう。日本にいた時の友人と会ってたのよ」
といって、Jerichoの目の前のソファーに座った。
Jerichoは、バラの花束を差し出して
「すまない、君を傷つけることをして」
と言ってきた。
Jerichoは、Evelynの横に座りなおすと、Evelynの手を取って許しを乞うた。
いつもなら、これで機嫌を直すのだが、なぜかそんな気になれなかった。
「つかれたから、今日は帰って」
と言って、Evelyn は、Jerichoを残して、2階の自室に戻った。
すぐに、Jerichoもついてきた。
背後から、Jerichoに抱きしめられた。
うなじに口づけされて、そのまま振り向かされて、唇を奪われた。
Evelynは抵抗もせずに、なすがままにされていた。
背中のファスナーにJerichoの手が伸びてきた。
Evelynは、自分が泣いていることに気が付いた。
婚約してから、体を合わせることはことはあったし、Jerichoのリードは優しかった。
Jerichoの腕の中で、眠ることで安心を覚えた時もあった。
でも、今はそうして、子供の用にあやされている自分が惨めだった。
泣いているevelynに気づいたJerichoは、
「ごめんよ、また 出なおしてくるから」
といって、部屋を出でいった。
Evelynは、椅子に腰かけてボーとしていた。
涙は止まっていたが、すこしメイクが崩れていた。
ノックの音が響いた。
返事をしないでいると、"入るわよ"という声とともに、母親のMariaが入ってきた。
「Jerichoと喧嘩でもしたの」
Evelynは答えなかった。
Mariaは、椅子に腰かけたままの、Evelynの前に膝をついて、手を握った。
「不安なのね。Jerichoは悪い人ではないわ。すこしやんちゃなだけ。あなたを愛していることは間違いない。」
Evelyn はうなづいた。
EvelynもJerichoのことを愛していたし、パートナーとしても申し分はなかった。
いままでも、こんなことがあっても、あまり気にしていなかった。
本当の意味では、Jerichoは、Evelynを裏切るようなことはしなかったからだ。
「ママ、グランマが好きだった。竹部さんのこと知っている」
Mariaは、首を振った。
「私は、まだ2歳になっていなかった。よくは覚えていない。私のお母さんとおばあちゃんは、よく話してくれた。私をよくかわいがってくれたと。いつも、私と遊んでくれていたといっていたわ。」
とMariaはいって、Evelynの髪を撫ぜた。
「ママ、竹部さんが生きていたのかもしれないの。日本の友達、孝二か調べてくれたの、特別攻撃隊で自爆していないと」
とEvelynは、はやる気持ちを抑えながらいった。
Mariaは、何か思うところがあるらしく、Evelynの目をみて
「この話は、私達 家族にかかわる重要な話だから、あなたも聞くべき時が来たのね。落ち着いたらリビングに降りてきなさい」
といって、Mariaは部屋を出ていった。
いつも優しい母親のMariaが、ひどく真剣な顔をしていたので、Evelynは顔を洗ってから、服を着替えてリビングに降りて行った。
父親は、パーティの後のお決まりの商談でまだ、帰ってきていなかった。
キッチンのテーブルには、夕食が用意されていた。
リガイアが給仕をしてくれていたが、食欲がなくスープを少し飲んで、パンをすこしかじっただけで、ナイフとフォークを置いた。
Mariaは何も言わずに、食事を下げさせると、リガイアにスナックとブランデーを持ってこさせた。
リビングから出られるオープンテラスのテーブルに、EvelynとMariaは座ると、MariaはEvelynの前に置いたグラスにブランデーを注いだ。
「飲むとすこし楽になるから」
Evelynは促されるままに、ブランデーグラスにくちをつけて飲んだ。
ブドウの甘い香りとびりとくる感覚が口の中に広がった。
「あなたのおばあちゃんのSaraは、竹部さんという日本人に恋をしていた。それは、結婚して子供までいるおばあちゃんには許されないこと、まして敵国の男と通じたとなれは゛なおさらだった。」
「どうして、おばあちゃんは、竹部さんという人に恋をしたの。」
Mariaは、グラスのブランデーを飲み干すと、自分で次いでグラスを揺らしながら
「私が、マラリアに掛かっことがあったの、その時戦争中だから、医薬品なんかなかったの、でも、竹部さんがキニーネという薬をくれて、私は助かったとママから聞いたわ。それから、ときどき私の様子を見に来てくれたり、食料を持ってきてくれたりした。竹部さんは英語が喋れなかったのね、いつも一緒に来ていた新谷さんとい方が、とても英語が上手で、ママと話していたそうよ。つまり、竹部さんや新谷さんがいなかったら、ママも私も、そうEvelynもこの世にはいなかったかもしれないわ。」
Mariaは、いままで竹部のことも新谷のこともEvelynには話していなかった。
Saraから口止めをされていたからだった。
Saraが日本にEvelyn を行かせたのも、竹部の消息をどうしても知りたかったからだった。
実際、何度かSaraは来日して、調べていたがついには詳細な消息は分からなかった。
Mariaも、なぜ母がそこまで、その竹部という日本人にこだわるのかが不思議だった。
何度か、母親に訊ねたが詳しくは話してくれなかった。
Saraが死ぬ前に、その理由をやっと話してくれた。
そして、その時に、あるものを託された。
それは、べっ甲の櫛だった。
竹部からの贈り物らしかった。その櫛は、日本の物らしく珍しい形をしていた。
Mariaは
「ママは、自分の思いを託したロザリオを竹部さんに捧げたのよ。だからママは竹部さんがどこかで生きていると信じていた。そのロザリオには私の名前を刻んでた。ママは、これをずっと身に着けていた」
といって、べっ甲の櫛をEvelynに手渡した。Evelynはその櫛に見覚えがあった、いつもグランマが髪に差していたものだった。
Evelynは、遠い過去の祖母の思いに、激しく揺さぶられていた。
Mariaは、
「ママは一生一人のひとだけを思い続けた。たぶん、それは本当のプラトニックな愛だと思うわ」
「プラトニック?」
とEvelynは、オウム返しに訊ねた
「ええ、一度も男と女として愛し合ってはいないわ、竹部さんはママの手も握らなかったといっていたわ、わ、でもただ一度だけ、ママは竹部さんに口づけをしたといっていたわ。」
Evelynは、自分があさましいと思ってさっき泣いていたことを思い出した。
「グランマ・・・」
といって、櫛を胸にだいた。
なんとなく、その櫛からSaraの思いが伝わって来るような気がして、ひどく胸が痛んだ。




