表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/31

蝉時雨

 硫黄島の陥落以来、敵の陸上攻撃P51が飛んでくるようになった。

ゼロ戦並みの航続距離を持ち、戦闘力も高い機体に紫電改も苦戦していた。

B-29による、九州の爆撃は激しさを増し、佐世保海軍工廠や大村の航空工廠などね爆撃によって壊滅的な打撃を受けていた。

海上補給ルートを完全に断たれた、日本には一滴の石油も入ってこなくなった。

海軍の象徴であった、大和も沖縄への水上特攻で沈められてしまった。

沖縄も陥落した。

いよいよ、本土決戦であると軍令部は国民をたきつけていた。


 新谷は、先般の白菊特攻のことで、落ち込んでいた。

鹿児島から帰ってくると、ほかの隊員に白菊特攻のことを話した。

そのほとんどが、気が狂ったのかと軍令部を作戦に首を傾げた。


 されでも、新谷は空にあがり続けた。


 B29への攻撃のため上空1万まで上がり続ける。酸素マスクがあっても頭がボーとすることがあった。


出撃するたびに、未帰還機が増え、開戦以来のベテランもそれに入っていた。


連日の酷使に機体も、疲労し発動機の不調を主として、飛べる機体が少なくなっていった。

機体の供給をしている川西の向上も爆撃されていよいよ、部品の供給にも事欠きだした。


それよりも、深刻なのは燃料の供給である。訓練飛行でさえ中止せざるをえない状況だった。


開戦当時473、000KLあった備蓄は、昭和20年5月にはわずか27、727KLしかなく、2か月で底をつく計算だった。

誰の目に見ても、戦争の終結は目の前だった。


そんな状況の中でも特攻は続けられた。


新谷は、制空飛行で喜界島付近まで、特攻機の直援につくことがあったが、いつも5対1くらいの戦闘を強いられた。

紫電改でかわすことが出来ても、爆装した機体ではかわしようがなく、被弾して海上に落ちていった。


"体当たりしてでも、特攻機を守れ"という、馬鹿げた命令に従う気もなかった。


特攻という史実があったからこそ日本は、再生できたという人がいるが、はたしてそうなのか答えをだせない。特攻は作戦ではない。

戦史上で、生還を期さない作戦を承認した例はすくない。

少なくとも、万一の生還の可能性が残されているからこそ作戦が立案できる。

特攻に、それはない、十死零生なのだ。

確実に死ぬ。


今の新谷がいるのは、竹部のおかげだった。

飛行技術も整備もすべて、竹部からたたき込まれた。

すんなりと、零戦から紫電改に機変えできたのも、竹部が機体性能を知らなければ戦えないとの基本を教えてくれたからだ。僚機を守る、これも竹部が教えてくれたことだ。

新谷は、まだ僚機を落とされたことがなかった。

勇ましく、一番槍のごとく突っ込むのが戦闘機乗りだが、新谷は全方位警戒をして相手の追撃を許さずにけん制攻撃で十分だと思っていた。

落とすことよりも、落とされないことが大切だと、竹部から口がすっばくなるくらいに言われていたからだった。それでも、落とさなければならないときは、躊躇せずに機銃のボタンを押した。

それが、戦争なのだ。

きれいごとではない、人殺しなのだ。

だから、今日も新谷は空にあがった。


 8月6日午前8時15分、広島上空で人類上史上初の、原子爆弾が使用された。

343空では、機体を受領に行っていた隊員により、新型爆弾の威力が報告されていた。

詳細は不明だったが、一発で都市が壊滅するという現実は、言い知れぬ恐怖を頂かせるには十分だった。


8月8日 電探により敵大編隊が沖縄方面から飛来中との情報があり、343空24機で出撃した。

敵は、P-47サンダーボルト3部隊に護衛された221機のB-29が八幡に来襲とのことだった。

P47と空戦となったが、8機以上の未帰還機をだし、戦力は半減した。


この頃、アメリカはマンハッタン計画により、日本に6発の原子爆弾を落として本土上陸作戦を有利に進めようとしていた。

南洋諸島及び硫黄島、沖縄での陸上戦で多大な犠牲をだしたアメリカは、ダウンフォール作戦により本土上陸の作戦準備をしていた。原爆投下の成功により、ソ連との共闘が必要でなくなったために、ダウンフォール作戦は中止となったといわれている。

戦後、原爆投下にり連合国軍の27万人以上が助かったという論法を展開しているが、広島に落とされた原爆はウラン型であり、ドイツで製造されていたものに近かったとの話もある。

対して、長崎に落とされた原爆はウラン型であり、現在の原子爆弾の基礎になった爆薬を用いたもので、長崎に落とされた、6.2kgのプルトニュウムの内おおよそ1kgの分裂であれだけの被害がでるのだ。

さっそく、軍部は各基地へ単独のb29の編隊には注意するようにと指示が出された。


8月9日テニアン島を飛び立ったB29は、大分方面から小倉方面へと侵入した。

空襲警報が発令された。


新谷は、茹だるような暑さと、蝉の激しい鳴き声を聞きながら昨日の八幡の空戦て被弾した機の整備を続けていた。

空襲警報が出ていたが、昨日の戦闘で全員が疲弊していたし、満足に飛べる機も少なかった。


しかし、新谷は蝉の音に紛れながら飛行機の爆音が聞こえた気がした。銀色の機体がはるか上空を通過しているのが見えた。

新谷はすぐに指揮所に向かい、指揮官に


「 B29が直上にいます」


「単機のようだ、観測かなにかだろう」


「広島の新型爆弾の時も、護衛機なしだと聞いています。哨戒にあがりましょう」


 指揮官は腕組みをして


「上がれんのだ」


「長崎じやないんですか、あそこには三菱の兵器工廠があります。」


「油がないんだ」


「え」


「油曹のそこにわずかにあるくらいだ、編隊を飛ばすとしても2回分あるかどうかだ」


「だったら、私だけでもあげてください」


「機体補充がない以上、これ以上機体を減らすわけにはいかん」


「しかし、新型爆弾であれば甚大な被害がでます。たとえ刺し違えても落とします」


指揮官は首をふった。


「情報が確かであれば、迎撃に上げるが、陸軍からの正式な情報がない以上、あげるわけにはいかん」


と取り付くしまがなかった。

新谷は、なんとなく気味の悪い感触を覚えていた。

ウンカのように、大編隊と護衛機を引き連れてくるB29が単独でいることに違和感を覚えた。

とにかく、いつでも上がれるように、待機所に移動したときに轟音とともに長崎の方向に巨大なキノコ雲が見えた。


それは、見たこともない高さまであがっていて、50km以上離れた大村からでもはっきりと見えた。


 新谷はへなへなと地面にすわりこんだ。


 蝉は何事もなかったように泣き続けていた。


 そして、新谷は二度と空を飛ぶことはなかった。







評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ