第5話
「……うっ…」
少しずつ意識が覚醒していく。
瞼の向こうが眩しい。
目を開けると、見慣れない天井が視界に入った。
いや、見慣れない訳では無いが、何度か目にした事が有る程度で、記憶の片隅に残っているぐらいの印象だった場所――王宮――の何処かの一室。
「あ、お目覚めになられましたか!」
女中と思しき声が耳に入る。それから周囲がバタバタと騒がしくなった。
王宮の一室という事は、王国を守り切ったという事だろうか。
「よう、やっと起きたか」
視界の端に、飄々とした態度のロンが現れた。
どうやら自分を覗き込んでいるらしい。
良く見ると、服が新しくなっている。
「ふむ、三日目にして漸くか。心配したぞ」
視界の外からベルクの声も聞こえて来た。
「アリスちゃん起きた?」
「あぁ、今やっとな」
サラとロンの会話が聞こえる。
「わ…た、し……」
「あん?どした?」
ロンの問いかけに反応するようにアリスは首を回し、状況を確認する。
「まも、れ、たんで、すか…?」
「おう。王国も姫さんも、皆無事だぜ」
「そう…ですか…」
目頭が熱くなる。鼻がツンとする。
ちゃんと守れたのだ。友達を。
「おっ?泣いてんのか?」
「あらあら。緊張の糸が切れたのかな?」
サラの手が子供をあやす様にアリスの頭を往復する。
気持ちが良い。もっと撫でられたい。
「なんか、お母さんみたいです」
「それ何気に傷つくんだけど」
「えへへ…」
二人で軽口を笑い合う。
その様子に、アリスの世話をしていた侍女達が涙ぐんでいた。
「そう言えば…シルヴェスターさんは…?」
アリスが部屋を見回す。
師匠と姫の事も気懸かりだ。
「眼鏡君なら外に居るよ」
「外?」
「そっ。老師と姫様達と一緒に、後始末と言うか、調査に出かけてる」
サラの話を聞いたアリスは複雑そうな表情を浮かべた。
「どうしたの?」
「いえ…お師匠様が姫様にチョッカイ出してないかと心配になって…でもシルヴェスターさんも居るしなぁと思って…」
眉根を顰めたアリスに、ロンとサラは苦笑した。どれだけ信用してないんだろう。
「まぁ、流石に大丈夫だろう」
ベルクが歩み寄って来る。
「何か有ったら、それこそ一大事だからな」
幾ら女好きの師匠と言えど、流石にこのタイミングで口説くのは有り得ないと思う。
その辺の分別は持っている筈だ。
「だと良いですけどね」
アリスはくすっと笑った。
エリシールはその光景を見て複雑な思いを胸に抱えた。
外輪山の一部が抉れ、湖の形も変形している。
そもそもグレートブリッジが崩壊していて、魔術師達がゴーレムを使って橋と回廊を修復中だ。
外の陸地との連絡は舟か飛行魔法、或いは召喚魔法で飛行生物を呼び出すしか無い。
あれほど美しかった風景が見るも無残な物だ。
だがそれでも。
王国を、人々を守る事は出来た。
まだ鈍痛が消えないが、自分も生きている。そしてそれは僥倖でもある。
『生きていれば何とかなる』と言うのは、戦いの翌日、無理を押して起き出した自分にネヴィルが掛けてくれた言葉だ。
確かに、全身を駆け巡る痛みも、生きていればこそ感じられる。
そうは言っても、やはり無理をしてはいけない。ネヴィルや周囲の者達に押し切られ、昨日まで殆ど寝ていた。
本当は直ぐにでも、這ってでも街や外の様子を見に行きたかったが、人々の希望である自分が満身創痍の状態では逆に不安を抱かせる事になる。
流石に国民の心情を慮ると、従わざるを得ない。
「姫、お体の方は大丈夫ですか?」
「はい、何とか」
シルヴェスターが、車椅子に座るエリシールを見遣る。
治療系の苦手な自分では、魔法で彼女の傷を癒す事は難しい。
体内の魔力の流れを修復・調整するのは得意なのだがこれについてはどうしようも無い。
勿論、修復すれば自然治癒力も高まるので長期的には回復も早まるが、体の怪我を直接治療するのは寧ろアリスの方が得意だ。
そして今朝はまだ昏々と眠り続けていた状態だ。
エリシールの体内魔力の調整は昨日完了したから、もうシルヴェスターのやるべき事は無いのだ。
「なぁ眼鏡君…」
「何です老師?」
「何で俺、姫さんと喋っちゃイケないの…?」
「口説くからですよ」
「いやいやいや!俺そんな空気読めない人間じゃ無いよ!?それに治療も出来るよ!?」
淡々と冷静なシルヴェスターと若干テンションの高いネヴィルの会話はまるで漫才の様だ。
まぁ実際このやり取りは雑談の一部なのはお互い承知している。
その証拠に、今も握った手から魔法を贈り、怪我を治療し続けている。
込み入った治療はアリスの方が得意だが、基礎と知識を伝授したのは他でもないこの男である。
簡単な怪我ならネヴィルが治しているし、体の奥の方も、時間を掛ければ治せる。
そんな訳で、アリスが目覚めるまで、この二人がエリシールに付き添っているのだ。
クスクスと笑う姫と侍女達を見て、二人も微笑んだ。
数十分後、お城に戻った一行は、アリスが目覚めたと言う連絡を聞いた。
「アリス様!」
「あ、姫様」
ベッドの上で起き上がった状態のアリスを見た途端、エリシールが車椅子から転げ落ちそうになった。
気が逸って体が付いて行かなかった様だ。
慌てて周りの者が介添えし、姫をベッドの傍まで連れて行く。
「アリス様!ご無事で!」
「てへへへ。なんか、一番遅かったみたいで…ていうか姫様は大丈夫ですか?」
車椅子とエリシールの体を見たアリスが逆に心配そうに顔を歪めた。
「あぁ、姫さんの怪我は魔力の容量オーバーによる不調の結果だ」
「体内魔力の調整は僕が昨日までに終わらせてあるから、後は体の中の方の治療だけど…」
ネヴィルとシルヴェスターの説明に、アリスはほっと安堵した様子で反応する。
「そうですか。じゃあお師匠様はもう要らないですね」
「おい待て、何故そうなる」
「私が目覚めたからです。治療系の魔法は私の方が得意じゃないですか」
ぐうの音も出ない。
アリスの容態は至極安定している。体の傷も特に無い。
「お師匠様だとどうせこれからも時間が掛かるんでしょ?なら私がやった方が速いじゃないですか」
「いやでもお前、目覚めたばかりじゃねえか。もう少し寝てても誰も文句言わねぇよ?」
「やけに熱心ですね。姫様に触れなくなるから駄々捏ねてるだけじゃないでしょうね?」
「ん、んなこたねぇよ!純粋にお前の事心配してるだけだぜ!」
シルヴェスターはため息を吐いた。ネヴィルのうろたえ振りが丸分かりだ。
アリスとは普段からこんなやり取りだ。
世界に名を轟かせる三賢の一角だが、日常を見せると知らない者は皆一様に驚くか疑いの目を向ける。
三百年以上も生きてて、もっと威厳が有っても良いと思うのだが。
まぁそんな事を言ったら、自分の師匠であるベロニカも、三百歳を超えてるとは思えない程の若さを保っている。
子供の頃年齢を聞いたら殴られたのは流石に女性だからだろうか。そう言う所も若い反応だ。
ルークも、見た目は四十代前半だがやはり三百年以上生きている。
「これで本当に三賢の一人なのか…」
「「残念ながら」」
ロンの分かりきった呟きに、アリスとシルヴェスターの返答がユニゾンで返って来た。
「てめーらもっと敬えチキショ-!」
ネヴィルの渾身の叫びはしかし、エリシールの笑い声に掻き消された…。
――聖マグナシウス暦1352年――
大平原の中央に有る湖の中の島、その更に中心に有る大聖堂で、一人の女性が美しい銀髪を小刻みに揺らしながら、分厚い本を膝の上に置いて子供達に語りかけていた。
「…その後、五人の勇者様達と三人の賢者様達は、また旅に出たのです…おしまい」
二十代前半と思しき彼女は、子供達が目を輝かせるのを見て微笑みながら本を閉じた。
少年達は冒険譚に心を躍らせ、少女達は英雄達の格好良さを想像しながら黄色い声を出し合っている。
「エリシールさま!」
「なぁに、ニコラ?」
五歳ぐらいの少女が、立ち上がった聖女の服の裾を引っ張った。
「せいマグナシウスさまって、そのおはなしに出てくるの?」
「えぇ、勿論よ」
「どこに…?」
ニコラが全く分からないと言う表情で首を傾げる。
現在の三賢の一人である聖マグナシウスは当時から生きていて、エリシールと共に五百歳を超えている。
その間に世界を周り、各地の歴史を調べ、記録し、綴ったのだ。独自に暦も開発して。
「マグナシウス様のフルネーム、覚えてるかしら?」
「えーっと、うーんと…S.S.…?」
「ぼく知ってる!」
「わたしも!」
少し年長の子供達が矢継ぎ早に手を挙げた。
「シルバー・スターだよね!」
皆が口々に自慢気に叫ぶが、エリシールが綴りを聞くと、一転して静かになってしまった。
その様子に彼女はクスリと笑い、指先を光らせ空中に文字を描いて行った。
"Silver Ster Magnacius"
子供達は黙りこくってその文字を見つめていたが、やがて年長組の少女が気付いた。
「エリシール様?」
「何かしら?」
「これ間違ってない?」
「何処が?」
「だって、スターって星でしょ?だったら”Star”にならないと変じゃない?」
少女がミドルネームを指差した。
途端に他の子供達もわいわい騒ぎ出す。
「良い所に気が付いたわねジェシカ」
褒められた少女は嬉しそうにはにかんだ。
「でもね、あの方の名前はこれで合ってるのよ」
そう言うと、エリシールは再び指を動かした。
シルバーのrを消し、ミドルネームとくっ付ける。
"Silvester Magnacius"
その瞬間、子供達が歓声を挙げた。
「シルヴェスターだ!」
「すごーい!」
先ほどの静寂が嘘の様にはしゃぎ出す。
クスリと笑ったエリシールは、壁に佇む石像を見渡した。
五百年前と同じく佇む女神像の横に、あの時の三賢が少し小さい大きさで随行している。
そして左右の壁には、ロン達五人の英雄が雄雄しく立っている。
流石に自分の像は無い。あの時固辞したからだ。
エリシールは、子供達に手を引かれる様にして外に出る。
ふと、そよ風に紛れて別れ際の様子が脳裏を過ぎった。
『姫さんはアイツに似てるな』
『えっ?』
『今は女神だなんだと担がれて信仰の対象になっちまってるけどよ』
『あっ…』
『俺から言わせりゃあんたと同じ、ただの人間だったぜ』
エリシールは足元で騒ぐ子供達の嬌声を聞きながら懐かしそうに青天を見上げた――。
それからこうも言っている
『同時に、素直で頑固で芯の強い所も似ていた』と――
――S.S.マグナシウス著『歴史大綱の編纂における若干の考察』より抜粋