第1話 漂流者水咲ひより
「お疲れさん!相変わらず強いなひよりちゃんは!」
「ひよりちゃん言うな。そんなに気絶したい?」
「え、なにこいつ怖い」
日も落ちかけてきた夕方。部活が終わり着替え終わった僕にからかい交じりに声をかけてきたのは、同じ剣道部に所属している安原紘司。
クラスも一年、二年と同じだけあってか部内では一番仲が良い。
とはいえ女っぽい僕の名前を毎回弄ってくる面倒な奴ではある。
「そういや現国課題出てたよな」
「あー。あれもう終わったわ」
「紘司らしくない言葉が聞こえたんだけど。頭でも打った?」
「ああ。目を通して三秒でお手上げだ」
そっちの意味で終わったのね。
特に代わり映えもしない帰り道。十字路で紘司と別れて、家へ向かって歩き出す。
家に着くとばたばたと近付いてくる足音が一つ。
聞き慣れたその足音に溜息をつきながらも、靴を脱ぎリビングへと向かう。
その途中に差し掛かる階段から気配を感じ視線を移した。
「ひーよりん!!」
四段目からのジャンプと共にそう叫びながら飛び込んでくる幼馴染が一人。
同じ学校の指定制服を着る彼女は遠藤栞菜。
流石に避けたら怪我をするからとしっかり栞菜を受け止める。
「流石ひよりん力持ちだね!」
「毎度毎度こんな事してくる馬鹿な幼馴染がいるからな。慣れだ慣れ」
出来れば慣れたくなかったけどな。
家が近所にあることで小学生の時からつるんでいる僕と栞菜。
その仲の良さが未だに続き、今ではこうして毎日のように僕の家に遊びに来ている。
かと言って決して恋人などではない。
お互い長い時間を一緒に過ごしたからか今では家族のようになっていて、どちらかというと兄妹といった感じだ。
二年になってからクラスが変わったことで、お互いのクラスの話などで話題は続く。
まぁ実際今更お互いに知らないことがほとんどなく、それくらいしか話すことがないからだが。
こうして夕飯を一緒に食べるのももう見慣れた光景。
変わらない、何気ない日常ほど幸せに感じることはないと常々思う。
夕飯も食べ終わり、まだ帰らないと言う栞菜と一緒に僕の部屋でダラダラと過ごしている。栞菜は素早い手つきでスマホを弄っている。
対する僕は最近買った小説を黙々と読み進めてベッドの上でごろごろしていて、栞菜とはたまにちらほら会話があるだけで、帰宅した時みたいに騒がしい感じではない。
ゆったりとした時間を過ごしていると、段々とウトウトしてくる。眠気に身を任せ目を閉じると、徐々に意識が落ちていくのがわかる。
何も考えず、眠りにつこうとしたところでふと、何か声のようなものが脳裏をよぎった。
ーー 気付いて。
凛として澄んでいて、どこか悲しみに満ちたその声は水面に広がる波紋のように僕の中を満たしていった。
波紋が広がる度に次々と流れてくる映像のようなもの。
そこにあるのはどこまでも深く、暗い広大な森。誰も近づかないであろうそんな森の奥深くに屋敷がある。雰囲気に合った外装の屋敷だが、逆にその古さが味を出している。
不意にその屋敷の窓辺に誰かの影が差し掛かった時、一気に意識が暗転した。
ゆっくりと、目を開ける。
そこには栞菜の姿はなく、気を遣ってかけてくれたであろう毛布と、テーブルの上に小さなメモ書き。
体を起こしメモの目を向けるとそこには自宅に帰るという旨が書いてあるだけだった。
寝起きで頭が良く回らないこともあって、しばらくその場でぼーっとする。
その最中頭に浮かぶのは今しがた見た夢での光景。
ある意味最近の恒例の出来事となっているその夢は、日に日に濃く、はっきりとしてきた気がする。
流石にこんな話紘司にしたら漫画の読みすぎだとか言って大爆笑で馬鹿にされるのは目に見えてるし、栞菜は栞菜で根掘り葉掘り聞いてきそうだしという理由から言えずにいる。
まぁ一番の理由としては夢の話をしたところで。って感じだけど。
特に何かをやる気になるわけでもなく、再び横になり目を閉じる。
最後に意識があったのは現国の宿題やってないということに気付いたところで眠りについた。
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毎朝のお仕事よろしく元気良く鳴り響く目覚まし時計に起こされ、若干苛立ち交じりに時計を止める。
カーテンの隙間からは日の光が差し込み、起きたくない気持ちを促進させる。
こんな清々しい朝だからこそお昼まで寝ていたいっていう。
だけど今日もいつも通り学校があるわけで、そんなことも言っていられずすぐに起きて準備を進めていく。
リビングに降りると既に朝食が用意されており、全ての準備が整ってから席につき食事を始める。
昨夜やり忘れていた現国の課題も着々と進めていき、朝食を取り終わった後も家を出るギリギリの時間までやりなんとか終わらせた。
達成感に浸る間もなく登校する。家からそこまで学校の距離がないからか、こんなギリギリに時間に出ても焦らずに歩いていけるのはかなり助かる。
遅刻にもならず教室に辿り着いた僕は、先に来ていた紘司と雑談を始める。
ーー気付いて。
「は?」
「え、なんだよ急に。俺なんか変なこと言った?」
「あ、いや。何でもないわ・・・・・・」
あの夢の時に聞こえる声。
どういうわけか完全に起きている今、それが脳裏に流れた。
疲れているのか、それとも本当に声をかけられているのか。
原因がわからない以上考えても仕方がないか。という結論に至り、平然と再び紘司と雑談を始める。
胸の奥底でくすぶる不安に気付かないフリをしながら。
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放課後。珍しく部活がない今日はこれまた珍しく一人で家へと向かう。
あれから時折思い出したように鳴り響く謎の声にどっと疲れ、紘司の誘いを断り重い足取りで歩いていく。
きっと疲れている。そう勝手に結論付けて無理やり納得する。
そうするとまだ幾分か気持ちが楽になる。
家に着くなり着替えもせずにベッドに倒れ込む。
その瞬間疲れが一気に押し寄せたからか、すぐに眠りについた。
ふわふわしたような感覚が、まるで空を飛んでいるかのような気分にさせてくれて疲れが和らぐのを感じる。
ーー気付いて。
・・・・・・ああ。またこの声か。
今日一日ずっと聞いていた声に溜息が出る。ただいつもと違うのはあの森の映像どころか全く何かしらの景色が見える気配がないということ。
そしてーー
ーー気付いて。もう・・・・・・
言葉に続きがあるということ。
今までずっと同じ言葉だったからか、その言葉の先が気になる。
上下左右前後が全くわからない真っ暗闇の中で闇雲に漂い続ける。
そうするとその声はどんどんと大きく、鮮明になっている。
ーー気付いて。もう・・・・・・
何に気付いてほしいんだよ。
わけも分からぬまま一心不乱に声のする方を意識して近付いていく。
ーー気付いて。もう・・・・・・
段々と鮮明になる声に期待と不安を募らせながらも迷いを振り払って進んでいく。
そしてついに、はっきりとその言葉が聞こえた。
「すぐそこだよ」
「っ・・・・・・!?」
その瞬間、方向感覚が一気に狂わされたように激しい揺れを感じながら意識が暗転する。
驚き即座に体を起こして目を見開くと、見慣れた光景が広がっていた。
「ここって、夢の・・・・・・」
目の前に広がるのは最近見慣れた光景。
木々が深く生い茂り、光を一切通さない薄暗い森はどこか不気味な雰囲気を醸し出していた。
果たしてここはどこなのだろうかという疑問を胸に抱きながらも見慣れた道を進んでいく。
しばらく歩いたところで後方からガサガサと草木を掻き分ける音が近づいてくる。
嫌な予感を感じながらも恐る恐る後ろへと振り返る。
「・・・・・・嘘だろ」
そこに現れたのはよくゲームなどで現れる体長二メートルを超えるくらい巨大なゴブリンのような生物。
わけも分からぬままに人生最大の窮地に晒されてしまった。