導入者《インストーラー》
「ん……っ」
七海は穏やかな木漏れ日を浴びて目を覚ました。
朝の透き通った空気が心地よい。
ベッドから半身を起こし、大きく欠伸をした。
「昨日の夢は本当に変な夢だったなぁ……」
手を組んでぐっと背を伸ばす。
見上げる天井はいつもと変わらない自分の部屋……ではなかった。
天井は白い布で覆われ、大きなテントの中にいるようであった。
周囲を見渡すと簡素な木製のチェストが置かれており、その横には何本もの槍が立てかけてある。
「……あれー……まだ夢の中のかな……?」
自分の頬っぺたをつまんでみる。むにっ、という軟かな感触がしっかりと感じられた。
「随分と古典的な確認方法だね。」
不意に枕元から声が聞こえる。振り返るとそこには黒いフェレットが体を丸め、こちらを見ていた。
「あはは……やだなぁ、気のせいだよね……」
七海はゆっくりと目をそらす。
「君は都合の悪いことは全部見なかったことにするタイプなのかい?」
どうしよう……本当にフェレットがしゃべってるように見えるよ……
私、おかしくなっちゃったのかな……
「その眼はまた自分がおかしいんじゃないか、って疑ってる目だね。」
「えっ!? いや、そういうわけじゃ……はは……」
思ってたことを言い当てられて、思わず背筋が伸びる。
「まぁ、転生した上に何の説明もなく追い掛け回されんだから、それも仕方ないかな。」
「転生?」
「そう、転生。君は異世界に転生したんだよ。」
なんなんだろう、このフェレット……
突然しゃべりだしたと思ったら、転生だとか言いだして……
そうか! おかしいのは私じゃなくてこのイタチ!
「今度は僕の頭がおかしいと思ってるんだろう?」
そういうと七海の目の前でフェレットが立ち上がってジト目で見つめている。
「あなた心が読めるの!?」
「君は考えてることが全部顔に出てるよ」
そう言って床に降り立つと、器用に前足を胸の前に差し出しお辞儀をする。
「はじめまして、七海。僕はシュバルツ、君をこの世界に最適化するための導入者だよ。」
「い、いんすとーらー?最適化??どういうことなの??」
「混乱するのは無理もないね。順を追って説明してあげるよ。まず、君がどうしてこの世界へ来ることになったのか、どうして転生したのかわかるかい?」
「ううん、わからない……」
「それは君が"死んだ"からだよ。」
シュバルツの言葉に七海は衝撃を受ける。
死んだ?どういうこと……私はこうして生きているのに……
「正確には死ぬ一歩手前かな……。君は今、死までのほんのわずかの一瞬を生きているんだよ」
「……」
「"信じられない"って顔をしてるね。まぁ、今までも大体みんな同じ反応だからなぁ……。」
「それじゃぁ、君は君自身が誰だかわかるかい?」
長い尻尾を左右に振りながら、シュバルツが七海に問う。
「それは、わかる決まってるじゃない!」
馬鹿にされたような感じがして七海は声を荒げた。
じゃぁ、僕に自己紹介してごらん、そうシュバルツに促されて七海は自分のことを話し始める。
「星野七海、15歳……」
あれ……何か、おかしい……
「それで終わりかい? 職業は?」
「ちゅ、中学生……」
「通っている学校はなんていうのかな?」
「……」
思い出せない……
「君のご両親の名前は?」
「ママは……あれ、なんで……」
どうして!? 名前が出てこない……
「兄弟はいるのかい?」
「……それは……」
「じゃぁ、友人はいるかい? 君の一番の友人の名前は?」
「……」
ダメ、何も思い出せない……
「ほら、何も思い出せないだろう? 転生者は転生前の自分の記憶を殆ど持っていないんだ。君は自分の死の瞬間どころか、自分が誰であるかも覚えていない。」
「だから、"死ぬ手前で転生してきた"と言われて、信じられないのも無理ないかな。第一、君の世界とこの世界はありとあらゆる点において違うもの。君にとっては長い夢の一幕にしか感じられないかもしれないね」
シュバルツは長い尾を左右に振りながら、滔々と続ける。
「この世界である条件を達成すれば、元の世界での君の"死"は回避できるんだよ。そして、君は元の世界へ帰れる。でも、逆に達成できなければ一生この世界に閉じ込められることになるんだ。もちろん、元の世界では死んだことになるよ。」
「元の世界に帰れるの? 日本に??」
「ああ。条件を達成できたらね。」
ぴょん、とシュバルツが七海の頭に飛び乗った。頭の上から鎌首をもたげ、七海の視界に入ってくる。
「条件を知りたいかい?」
2013.07.08.誤字修正しました
2013.07.09 少々改稿しました