雨中の行軍 その3
「世界は変えられる」
旅団の野営地を経つ前、フレデリックはその一言を残して去って行った。
七海にはその言葉の意味が分からなかった。
夕方降りはじめた雨は、日が沈むよりも先に土砂降りになっていた。
七海はシグナスとともに大隊の兵士が張ってくれたテントで身を寄せ合っている。シグナスとは十年来の親友のように色々な話をした。お菓子作り、料理、この世界のこと、シグナスは目を輝かせ、七海にいろいろと教えてくれた。
「七海はシグナスの初めての友達……」
何度か、会話の中で出てきた言葉だった。シグナスは男所帯の傭兵団において、一番若い少女である。両親とも旅団に属していたがシグナスが幼い頃、戦死したのだという。彼女はフレデリックを父親としてチェスカやさらに年上のアラウデを姉として育った。
外の雨が一層強くなったのか、テントに打ち付ける雨音が一層強く感じられた。それは七海にとってこの世界での初めての友達が自分の膝で寝息を立てているせいかもしれない。
「私は……前の世界で友達がいたのかな……」
そっとシリウスの頭を撫でる。
「おかしいよね……私、魔王なのに――」
「同感だね。あまり人間と親しくなるのは感心できないなぁ。」
七海の言葉に被せるように、天井の片隅から声が聞こえた。
「シュバルツさん……、一体今までどこに……?」
七海が問うと、黒いフェレットはひらりと一回転し、七海の方に降り立った。
「僕はどこにでもいるさ。君とは一心同体だからね。」
「だったら、フレデリックさんとの会話だって聞いていたんでしょ? 人間と魔族を一つにすることができるの?」
「残念だけど、僕はその問いに対する解は持っていないよ。僕は君が魔王としてこの世界でやっていけるように最適化するための存在でしかないからね。」
そう言うと、七海の肩から首、頭へと登った。
「初期説明を再開しようか。」
「君は魔王としてこの世界へ転送した。最初は卵だったのだけれど、今は魔王として”覚醒”してしまっているんだ。」
シュバルツの説明は次のようなものであった。
転生したての時は”卵”の状態であり、外界からのいかなる物理的攻撃も無効化できる無敵状態であった。しかし、魔神ゼップとの戦いの際に魔王としての力が覚醒してしまい、現在その無敵状態は解除されてしまっている。
「だから、一刻も早く”使徒”を作らなくちゃいけないんだ。」
シュバルツは得意げな顔で言った。
「使徒?」
「そう、あらゆる敵から魔王を護る盾であり、人間を滅ぼす矛さ。魔王として覚醒すると その存在を絶てるのは勇者か天使しかいない。これは逆のことも言えるんだけどね。」
「逆……って、聖王を倒せるのは魔王か使徒しかいないっていうこと……なのかな?」
七海がそう答えると、シュバルツは大きくうなずいた。
「そう、その通りだよ! やっぱり七海は頭がいいんだね!」
褒められて七海は照れ臭そうに笑う。シュバルツが頭の上から飛び降り、七海の目の前で立ち上がった。
「使徒は魔族でないとダメなんだ。だから、早くここを逃げ出そう。」
不意に外が騒がしくなった。ガチャガチャと鎧が擦れる音が聞こえ、何人もの兵士が忙しく走り回っているようだ。
「でないと――君は、勇者に殺されるよ?」
シュバルツがそう言い残して影に消えていくのとほぼ同じくしてテントに入ってくる人影があった。
「七海、シグナス、馬車に乗れ。」
ホークは黒いマントを羽織っていた。フードを被り、全身ずぶ濡れになって水滴が滴る。
その眼はあの夜、命がけで七海を守った時と同じ、冷静ながらも燃えるような色であった。




