4話
塔からの帰り道に,雨に降られたバイエルは風邪をひいてしまった.
熱はすぐに下がったが,なぜか看病をしてくれるメイドたちの数が減らない.
「もう大丈夫よ.」
「ですが,姫様.どうかベッドでお休みください.」
バイエルはメイドたちによって,部屋に閉じこめられていた.
そのうちに,これは母の命令だと気づく.
母はバイエルに,塔へ行ってほしくないのだ.
王の覚えのめでたい男性を選ぶように,バイエルは申しつけられていた.
今,バイエルのまわりには,さまざまな男性が集まっている.
毎日のように手紙や花が贈られて,部屋まで押しかけられるときもある.
男性たちの目的は,結婚によって王家の一員になることだ.
バイエルは,特に美しいということのない目立たない姫だった.
このまま部屋にいれば,母が見舞いという名目で,誰かを連れてくるのかもしれない.
バイエルはメイドたちがいなくなるすきを見計らって,部屋からバルコニーに抜け出した.
バルコニーから木を伝い降りて,けもの道をくぐって王宮の中庭に入りこむ.
人のいなさそうな庭の隅までたどり着くと,「やったー!」と両手を上げた.
とたんに,先客がいることに気づく.
一人の騎士の青年がぽかんと口を開けて,バイエルを眺めていた.
「あ,」
寝間着姿であることを思い出して,バイエルはあわてて後ろを向く.
逃げようと足を動かした瞬間,
「あなたはバイエル姫でしょう? 風邪で寝こんでいるはずの.」
青年の楽しげなせりふに,さーっと血の気がひいた.
「こんなに元気な姫とは知りませんでしたが.」
笑い声に,バイエルは赤面する思いだ.
すると後ろから,マントをかぶせられる.
真紅の生地で,縁に銀のししゅうが入った近衛兵のマントだ.
「私はブルグ家のミュラーです.」
青年の名前に心当たりがあり,バイエルはぎくりと体をこわばらせる.
いつも白いバラの花とともに,手紙を送ってくる男性だ.
「おびえないでください.あなたを捕って食べたりはしませんよ.」
優しい声に,バイエルは振り返る.
「私は休んでいるだけですから.あなたも,のんびりしていかれませんか?」
ミュラーは寝転がって,瞳を閉じてしまった.
バイエルは恐る恐る,隣に腰かける.
空を見上げると,くも間から太陽がのぞいた.
部屋から出たときには,天気は悪かったのに.
あれよあれよという間にくもは消え失せて,暖かな陽気が降り注ぐ.
この不思議な現象は,子供のころに見たことがあった.
「ハノン?」
ハノンとの思い出は,すべて日の光に満ちている.
「ハノン? それは塔の中の魔法使いの名前ですか?」
バイエルは,「えぇ.」と答える.
「ツェルニー陛下はなぜ,ハノンを塔に閉じこめているのかしら.」
理由は分からないが,バイエルには悲しいことだった.
塔の中に一人で閉じこめられて,ハノンは昔の活発さを失ってしまった.
「魔法使いソナチネに対する嫉妬だと言われていますが.」
ふいにミュラーの手が,バイエルの長い髪に伸びる.
「嫉妬する気持ちは分かります.」
髪についていた葉を取って,ミュラーはにこりとほほ笑んだ.
「あなたは私の手紙を読まずに,塔だけを見つめていらっしゃる.」
口説かれているのだと気づいて,バイエルはずずっと後ろへ下がる.
「あの,私は,」
断ろうとしたとき,いきなり雨が降り出した.
あっという間に雨は勢いを増して,バケツをひっくり返したような豪雨になる.
「失礼.」
「きゃぁ!?」
ミュラーがバイエルを軽々と抱き上げて,立ち上がった.
「屋内へ戻りましょう.」
一寸先は見えず,雨が痛いぐらいに体をたたく.
ミュラーは流れる泥の中を,建物を目指して大またで歩いた.
しかし進路をふさぐようにして,影が現れる.
どぉんとごう音とともに,雷が落ちた!
バイエルは悲鳴を上げる,ミュラーも何か悲鳴を上げたように聞こえた.
さらに雷は,続けざまに落ちる.
「助けて,ハノン.」
雷はすぐそばだ,いつうたれてしまうか分からない.
「バイエル,」
ハノンの声が,バイエルの耳に届いた.
「ハノン?」
どしゃぶりの雨に顔を上げれば,ソナタを抱えたハノンがそばに立っている.
「なぜ,ここに?」
口の中にも,雨が入ってくる.
バイエルはミュラーから離れて,ハノンに手を伸ばした.
すると腕を引っぱられて,強い力で抱きしめられる.
「え?」
雨がぴたっとやむ.
雨ぐもは駆け足で去り,明るい太陽が顔を出した.
ソナタがにゃーんと鳴いて,バイエルの足にすり寄る.
何,これ――?
「ごめんなさい.」
ハノンはバイエルを抱いたまま,ミュラーに対して謝った.
「そういうこと?」
ミュラーが肩をすくめる.
「はい.すみません.」
ハノンはバイエルからマントを取り上げて,ミュラーに返した.
だがミュラーは,受け取らずに苦笑する.
「君の邪魔をすれば,私は雷にうたれて死ぬのかな?」
「そ,それは,……すみません.」
ハノンはしゅんとする.
「まぁ,いいさ.この場は君に譲るよ.」
ミュラーはマントを受け取って,雨でどろどろになった中庭から出て行った.
「ハノン.」
バイエルは,濡れて顔に張り付いた髪を払ってから問いかける.
「塔から出ても大丈夫なの?」
「うん.その,バイエルさえ,僕のそばに,」
声が小さくて,よく聞き取れない.
バイエルが首をかしげると,声は少しだけ大きくなった.
「そばに,いてくれたら…….」
早口で,ごにょごにょと言いよどむ.
「ごめん,雨ばかり降らせて.」
まるでひとり言のようだ.
「僕のせいで,雷まで落ちて.」
八年間も一人ぼっちだったのだから,仕方ない.
けれどこのとき,ハノンは初めてバイエルの目を見つめていた.
それだけで,バイエルには十分だった.
「もう二度と,君を雨に濡らさない.」
何かを決意して宣言する.
「だから僕と結婚してください!」
上ずった声での求婚に,バイエルは「はい!」と返事をして,ハノンに抱きついた.




